7-9 安息出来る場所
良くも悪くも代わり映えしない町の中へと入ると、馬車は瑞樹の予想と違ったルートを進んで行く。真っすぐ進めばすぐギルドの筈だが、何故かビリーは路地を一本曲がり裏手の方へと進めた。瑞樹が「何でこんな裏道に入ったんだ?」と訝しそうに尋ねると、ビリーは「馬鹿。ちゃんと段取りして人が来ない状態ならまだしも普通にやってんだぞ。変に目立つし何より邪魔だろうが」と遠回しに瑞樹を叱る。
「何ならお前先にギルドに行ってても良いぞ。俺が適当に馬車停めておくし」
「う~ん……いや、一緒に行こうぜ。正直久し振り過ぎて一人だと何か恥ずかしいし」
「ハッ、何だそりゃ。言ってる事とやってる事違うだろ」
「良いんだよ別に。ほら、さっさとどっかに停めようぜ」
「へいへい」
ビリーが気の抜けた返事をしてから程無く、ギルドの裏手から少し離れた空地へと停車し二人揃って久し振りにニィガの地を踏む。ビリーはともかくとしても瑞樹は目立つと何かと面倒なので、外套と深くフードを被りながらそろそろと歩み進めた。大通りに近付くにつれ人通りも多くなり、賑やかと言うにはいささか過大かもしれないが、それでも人々が営み続ける様は瑞樹の足を止めさせ心をじんわりと温めた。
「おい、こんなとこで立ち止まんなよ」
ふと後ろを振り向いたビリーが立ち止まる瑞樹の頭をペシンと軽く叩くと、瑞樹はハッと我に返った様子で「あぁ分かってるって」と再び足を動かした。そしてそのまま歩き続けてギルドの前に辿り着くと、外から覗く限りどうやら朝の受付けラッシュが終了していたらしく、中も少し寂しい状態になっていた。
「あんまり人が居ないな」
「まぁ時間も時間だしな。大抵の連中は依頼に励んでるだろ」
「ちぇっ、ちょっと時間調整し過ぎたかな」
「下手に騒ぎになるよりかはマシだろ。ともかくさっさと中に入るぞ、こんなとこで立ち話する為に来たんじゃ無いだろ?」
「そりゃそうだ、それじゃ入るか」
瑞樹の背中に続くようにビリーも中へ入ると、残っていた冒険者の幾人かが二人に視線を向けた。ただ、この町では新参らしく見目の分からない瑞樹はともかくとして、顔を出しているビリーを見ても別段何とも思わなかったらしく一瞥に留めた。
瑞樹も深いフードの中からキョロキョロと周囲を見回すが特に見知った人間は居らず、ひとまず唯一の顔見知りが居る受付へと向かった。受付の前に瑞樹達が並び立つと、どうやらその気配に気が付いたらしく、受付に座っている女性が手に持っていた書類から二人の方へ視線を向けた。
「よ、久し振りだな」
ビリーがニヤっと笑いながら受付の女性、カーシャに挨拶をすると一時目をしばたたかせたが、じきに誰だか思い出したらしく大きく目を見開いてあぁ! と声を上げた。
「どうもお久し振りですビリーさん! お元気にしていましたか?」
「まぁな、この通りだ」
ワハハと笑うビリーにカーシャもウフフと笑みを浮かべるが、次第に視線が傍らに居る瑞樹へと向いていった。どうやらフードを深く被っているせいか正体が分からなかったらしい。
「あの、そちらの方は?」
「ん? おぉそうだった。あんたでもすぐ分かるさ」
そう言いながらビリーが瑞樹の肩をポンと叩くと、瑞樹は被っているフードに手を掛け、そのままゆっくりとカーシャにだけ見えるようにフードを上げた。瑞樹は何処か気恥ずかしそうに視線を泳がせながらも「……どうもお久し振りです、カーシャさん」と告げた。
「えぇ、本当にお久し振りです瑞樹さん。……いえ、瑞樹様と仰った方がよろしいですよね」
「あぁいえ、気にしないでください。ここに居る時だけは以前のように接してください。お願いします」
「そうですか……お変わりないようですね、ほっとしました……」
カーシャの目は僅かに赤く、声も少しだけ震えていた。以前、とは言ってもおよそ二年近く前になるが、瑞樹が貴族となる前に挨拶も兼ねてギルドへと足を運んでいた。ただその時にカーシャは居らず、実におよそ三年ぶりの再会ともなれば込み上げるものもあったのだろう。その後、カーシャは涙を堪えるように目頭を強く摘まみ、フゥと小さく息を整えた後再び瑞樹達へ視線を向ける。
「そういえばハンナやシーラとは逢いましたか?」
「いえ、まだです」
「今来たばっかりだぜ? それで逢える筈無いだろ?」
「あら……そうでしたね、うっかりしていました。少々お待ちください、裏の方に居る筈なので呼んで来ます」
カーシャは席を立とうとしたがビリーに「ちょっと待ってくれ」と制止されると、ビリーの顔が耳元に近付く。
「こんな奴だが一応貴族だからな、下手に騒ぎになると面倒だ。だから後でギルドマスター室に呼んでくれ」
ビリーにそう耳打ちされたカーシャは「分かりました」と頷きながら再び席に座った。その後ビリーが軽く手を上げ、瑞樹は会釈をして挨拶をした後、二階にあるギルドマスター室へと歩を進める。二人は扉の前に立ちビリーが代表して扉をノックすると、中から「入って良いぞ」と聞き覚えのある声が返って来た。互いに頷き合った後、ビリーはゆっくりとドアノブを回し扉を開き「失礼します」と声を合わせながら室内へ足を踏み入れる。
中には以前良く見かけた光景、仏頂面で書類を睨むギルドマスターのオットーが執務机に座っている姿が二人の目に映る。ただ、彼の無精髭は珍しく綺麗に剃ってあったようだが。
「久し振りだな瑞樹、それにビリー。しかし何だ、わざわざ貴族様がこんな場所に足を運ぶ事自体おかしいのに、お前ときたらあえて貸し切りにしないときたもんだ。呆れて物も言えん」
開口一番歯に衣着せず愚痴を苦言を漏らすあたり流石オットーと言った所か。誤魔化そうとしているのかアハハと苦笑する瑞樹だったが、じっとりとした視線がオットーからだけでは無く、傍らに居るビリーからも注がれているとあっては多少反省したようで「ごめんなさい」と小さく呟いた。
「まぁ瑞樹の気持ちが分からないでも無いから、そんなに説教をするつもりは無い。それよりもハンナ達には逢ったか?」
「いや、まだだ。下手に騒ぎになると俺も面倒くせぇからここで逢う。さっきカーシャにもそう言ってきた所だ」
「そうか、分かった。それじゃあまぁ座ってろ。茶を持ってくるついでにハンナ達の様子を見てくる」
オットーが席を立ち部屋から出ていくのを見送った後、二人は来客用のソファへと腰を下ろす。
「オットーさんも変わりが無い様子だったな」
「そうかぁ? 結構老けたように見えるがな」
「そんなに老けたか?」
「あぁ、顔の皺が増えたように見える。顔を合わせんのもかなり久し振りだからな、余計そう見えるのかもしれねぇ」
オットーの老化談義に花を咲かせていると、不意に扉が開き「聞こえたぞ」と不愉快そうに眉間に深い皺を刻んだオットーが姿を見せた。ゲッとまずそうな声を上げる二人だったが、突如「ちょっと早く退いてよ!」と快活そうな声が響き、オットーは後ろからグイグイと押し退けられる。
直後、オットーの後ろから見えた赤い髪の毛とこの状況に猛烈な既視感を感じたらしく、瑞樹はすぐさま立ち上がりグッと腰を下ろして何かを待ち構える体勢を取る。案の定、瑞樹の予想通りとも言うべきか、声の主は赤いポニーテールをさながら猛牛のように振り乱し猛然と突っ込んでくるが、瑞樹は歯を食いしばってその重い一撃を全力で耐えた。すると「おぉ!?」と感嘆したかのような声が瑞樹の腹に埋もれた顔から発せられると、プハッと息を漏らしながら顔が上がった。
「随分と見ないうちにやるようになったな瑞樹!」
「ハハッ……そう何回も同じ手でやられないさ、元気そうで良かったよハンナ」
「あぁお前もな! ……お~いシーラ、入んないの?」
手荒な挨拶が済んだハンナが振り返ると、そこには扉の陰で面白おかしそうに覗くシーラの姿があった。ハンナの見目は然程変化が無かったようだが、シーラの耳辺りで切り揃えられたボーイッシュな髪形は面影も無く、今はさらりとした青い髪を肩くらいまで伸ばしていてとても女性的になっている。
「う、うん。いつものが見られて満足したから入るよ。……瑞樹、久し振り。それにビリーも」
「久し振りシーラ。髪、長くしてるんだ」
「う、うん。……変、かな?」
僅かに顔を下に向けて上目遣いをするシーラの姿は、思わず瑞樹もドキリとする程可愛げがあったようで「い、いやとても良く似合っているよ」と若干口籠らせながら告げると、シーラは「う、うん。ありがとう、嬉しい」と面映ゆそうに微笑んだ。
一方ハンナはシーラの言葉でビリーが居る事に気が付いたらしく、瑞樹の横から顔を覗かせながら「何だ、ビリーも居たんだ」と事も無げに話しかける。するとビリーが「何だよ、居たら悪いのかよ」と不愉快そうに顔をムッとさせるが、ハンナは「そんなに不貞腐れなくても良いだろ」と適当にあしらう。
こうして各々が一通り挨拶を済ませた後、皆一様にソファへと座りお茶で一息つけた。いくら望まぬとも日々の生活ともなれば少しずつ貴族というものに染まり馴染んでいく。忙しかったというのもあるが、だからこそ瑞樹は旧年ここへ来なかった事に何の疑問も不満も抱かず過ごしていたのだろう。見方を変えればそれだけ瑞樹の安らぐ場所になりつつあると思われるが、例え一時忘れ去ろうとも瑞樹の根底はここにある。そんな瑞樹の感情は、今の彼のリラックスを極めた顔が雄弁に物語っている。