7-7 鎮魂に誘われたのは
何かを知っていそうなダールトンの仕草にいち早く気が付いたフレイヤは、訝しそうに片眉を吊り上げながら「ねぇダールトン、もしかしてあんた何か知ってたりする?」と尋ねた。するとダールトンにしては珍しく言い淀むが、フレイヤのみならず他の者の視線を一身に浴びるのが億劫になったらしく小さく溜め息を吐いた後ジロリとフレイヤを睨む。
「やれやれ、今日に限ってフレイヤ嬢の察しの良さは恨めしく感じる。ただ一つ言える事は真実ではない、あくまでそういった風習があるらしい、そんな噂話し程度の事だ」
「もう、勿体ぶらなくて良いから早く教えてよ」
「フゥ、せっかちだなフレイヤ嬢は。もしかしたらお主達も聞いた事があるかもしれんが、聖都側の住民は特に神々に委ねられた運命というものを信じているようだ。例えこういった事態になろうともな」
そう吐き捨てるように言いながらダールトンは不愉快そうに周囲を見渡す。勿論王都側も神々の信託に縋り、頼る事はままある。国王陛下の予知夢魔法などはその最たるものだろう。しかしながら決して生きる事を諦める事は無い。最後まで足掻き自身の全てを以て身命を賭すのが生物として当然の本能ともいえる。
もし仮にダールトンの言う風習の噂が真実であるならば、最早生きながらにして死んでいるも同じ。生きている事を放棄していると切り捨てても過言では無いかもしれない。だからこそダールトンの顔は酷く苦々しく、フレイヤも憤慨するのは無理からぬ事だった。
「じゃあ何? それってこんなに酷い状況を自ら受け入れたって事!?」
「そんなふざけた風習が本当にあったとしたら、そういう事になるだろうな」
「ほっほ。よもやそこまで神に狂っているとは……度々わたくしの商隊がこちらに来ておりますがそう言った話は出た事がありませんでした」
商隊を介して情報収集を行なっているファルダンが知らなかったという事は、恐らく平生の生活は然程特異では無いのかもしれない。ただ特に宗教というのは生活に影響を及ぼしやすい筈なので、皆の頭にはいささか疑問が残り続けていたようだが。
「まぁ風習がどうのは置いといて、これからどうする? また仮陣地作って野営?」
「ごく個人的な事を言えばあまり長居したくは無いが、一応調査の名目だからな。一通り行なおうと思っている故、再び野営だ。ただその前に、フレイヤ嬢、一つ頼まれてくれるか?」
「ん? 別に良いけど何?」
「瑞樹卿に浄化魔法を頼むのを忘れていた。流石に浄化されていない土地で寝泊まりは気が引ける」
確かに見えていないだけで恐らく瓦礫の下は死体だらけ。そんな場所で寝泊まりしようものなら、いくら六柱が居るとはいえ被害が出かねない。それに瑞樹の浄化魔法の効果範囲はフレイヤも良く知っており、「分かったわ、ちょっと行ってくる。ウォルタ爺、こっちはお願いね」とウォルタに手を上げながら小走りで駆けて行った。
「あら、瑞樹って浄化魔法も使えるのね」
「何だ、イザベラ嬢は知らなかったのか。本来浄化魔法は一体ずつ発動するものだが、瑞樹卿のそれは一帯ごと浄化する。俺も初めて見た時は年甲斐も無く驚いたもんだ」
腕を組みながらそう話すウォルタの頭で想起しているのは、恐らく初調査の時か古龍との戦いの跡だろう。それから程無くして何処から歌声が聞こえ始め町全体を優しく包み込むと、瓦礫の至る所から白い光がふわふわと漂い、ゆっくり空へと昇って行く。まるで雪が空へと戻っていくような幻想的な光景は、瑞樹の鎮魂歌も相まってとても美しい時間となって流れていく。イザベラも不純だと思っていた様子だが、「まぁ」と思わず感嘆の声を漏らす程恍惚そうな表情を隠さずにいた。
そんな頃、フレイヤもエレナと共に瑞樹の歌に耳を傾けていた。他の皆と同様に歌声に聴き入っていたのだが、ふとフレイヤがちらりと瑞樹に視線を向けると何か違和感を覚えたらしく、眉間に皺を刻みながらじっくりと瑞樹を見つめる。その違和感の正体は、目を凝らさなければ全く確認出来ない程薄く漏れ出ている黒い靄だった。
「ねぇごめん瑞樹、ちょっと良い?」
「え、あ、はい。何でしょう」
「あんたの身体から出てるそれって……」
フレイヤに指を指された瑞樹は自身の身体に目を凝らすと、確かに黒い靄がうっすらと滲んでいるのが確認出来たようで、驚いた様子で目を丸くする。その後黒い靄を止めるべく、さながら水亀に無理矢理栓をするようなイメージを思い浮かべると、すぅっと瑞樹の身体から黒い靄は消えて行ったが瑞樹の頭の中は疑問だらけだったようだ。
瑞樹の黒い靄は本来魔法ないし魔力の吸収が使用方法なのだが、平生はその特性を生かしたある種の防御魔法、もしくは敵視している者を探すレーダーのような役割を果たしている。その為黒い靄が反応する時はもっと派手な反応を示す筈だが、今回はまるでそういった感じも無く、いつもの事とはいえ無理矢理押し込めたにしてはそこまで身体も不調は訴えてこない。
瑞樹は訝しそうにしながらも「フレイヤ様、念の為警戒を厳にしてください」と伝えると「分かったわ」と一も二も無く頷いた。もう少し何かしら疑問に思っても不思議では無いが、今はそれどころでは無いと即座に判断したらしい。
「ちょっとあんた、あっちに居るウォルタ爺に伝令。警戒を厳にするよう大至急伝えて来て」
フレイヤが近くに居た護衛の兵士に伝令を命じると、自身もすぐさま瑞樹達の居る馬車から離れ周囲を見渡す。先程までの穏やかに流れた時間から打って変わり、一気に緊張感が高まっていくが別段変わって様子も無い。じきにウォルタにも伝令が伝わったらしく、遠目ながらもこちらに向かっているのが視界の端に映ったその時、凶兆を知らせる鳴き声が一帯に響き渡る。
その鳴き声の主は最早生涯悪れる事が無いであろう翼竜の物だった。流石のフレイヤもあの激戦が頭を過ったらしく「チッ、やっぱり生き残りが居たって訳か! 総員戦闘準備、翼竜が来るわ!」と酷く忌々しそうに大声を上げる。ただ、護衛の兵士達の意気は揚々とは言えなかった。
無論こういった可能性を想定していなかった訳では無いようだが、ここに居るのはあくまで一般の兵士で士気も練度も精鋭部隊のそれと比べると見劣りする。剣を抜いて臨戦態勢は取っているが何処か尻込みした様子の兵士達に「あんた達、シャキッとしなさい!」と喝を入れていると、何を思ったか瑞樹が馬車から飛び出してきた。
「ちょっとあんた、何勝手に飛び出して来てんのよ!?」
「私も手伝います!」
「お馬鹿、冗談も大概にしなさい! あんたに何が出来るってのよ!」
「直接戦う事は出来ませんが、私の歌魔法で援護位は出来ます!」
瑞樹の言葉で、そういえばとフレイヤが何かを想起したらしく目を丸くする。それは古龍との戦いで召喚魔法が発動し一気に劣勢にまで押された頃、フレイヤも命に係わる重傷を負ったが瑞樹の歌で事無きを得た事だろう。いずれにせよこう頑なになってしまった瑞樹はとにかく面倒な事を知っているフレイヤは、頭をバリバリと掻き不服そうにしながらも「何があっても援護に徹しなさい。良いわね」と遂には折れた。
「はい、どうやったって足手まといにしかなりませんから隅っこで援護させていただきます」
「うん、弁えてるならもう何も言わない。あてにしてるわ」
瑞樹とフレイヤが互いに頷くと、じきに近くに居た兵士が「来たぞ!」と空の方へ剣で指し示す。ひとまず瑞樹が馬車の陰に隠れたのを確認した後、フレイヤは指し示された方へ視線を向けると、思わず拍子抜けしたように小さく溜め息を吐いた。今彼らの瞳に映っている翼竜の数は、以前のような質を物量で押しつぶすように大挙した面影が影も確認出来ない程寂しい状態となっており、指が三本あれば事足りる程度だった。
「運よく生き残って尚挑んできた心意気は評価するけど、ね」
その言葉に秘められているのは舐められているのかという怒りか、それともかつての仇敵の見る影の無さへの嘆きか。ゆっくりと歩み出したフレイヤは兵士達の前に仁王立ちすると「あんた達は手を出さなくて良いわ。あ、瑞樹もね」と兵士達と瑞樹を順番に見ながら言い放つと、呆気に取られる瑞樹達を意にも介さず顔を上げ、襲い掛からんと飛来する翼竜を見据える。
「あたし達に挑もうってんなら、もっと数揃えなさい」
フレイヤはそう小さく呟くと詠唱を始めた。翼竜に突き出した右手の前に魔法陣が形成され、そこから圧縮された高温の炎がまるでレーザーのように伸び、一息で翼竜二体を両断する。辛うじて避けた最後の一体は叶わないと思ったのか進路を変えると、今度はイザベラ達の方へ飛んで行ったがそれは悪手も悪手。フレイヤと同じ六柱であるウォルタが魔法を放つと、その翼竜は大きな水の球に飲み込まれる。ジタバタと身体を動かしながら脱出を試みてはいるが、動けば動く程身体に残っている酸素が失われ、遂にはその中でプカプカと浮かぶ肉塊へと姿を変えた。
その後瑞樹がフレイヤの元へ駆け寄り「ご無事でしたか」と心配そうに声を掛けると、フレイヤは「ご無事も何も、怪我一つ負ってないわ」と呆れた様子で答えた。
「それにしても何故突然あのような事を?」
「別に大した理由は無いわ。この方が手っ取り早いと思っただけよ」
「……ハァ、あんまり無茶はしないでください」
「フン、こんなの無茶の内に入らないわよ。それに、普段無茶ばかりして周りをやきもきさせているあんたに言われたくないし」
痛い所を突かれたらしく瑞樹がウッと唸り声を上げた少し後、ウォルタ達は瑞樹達と合流を果たした。全員特に怪我も無く、瑞樹もホッとした様子で胸を撫で下ろしていると、ダールトンが一歩前に出て今一度皆の無事を確かめる。
「フレイヤ嬢の方も無事なようだな。エレナ嬢の姿は見えないが」
「あの子なら馬車で良い子にしてるわ。そこの誰かさんとは違ってね」
フレイヤにじっとりとした視線を向けられた瑞樹が再び唸り声を上げると、ダールトンは眉間の皺を指で解しながら「また何かしでかしたのか」と呆れた様子で瑞樹に視線を向ける。
「あ、あの、今回に限っては私は特に何も……」
「フン、どうだかな。まぁそれについては後でじっくり聞くとして、これからどうしたものか」
「俺としてはひとまず撤収を勧めたいが。あれが全部とは限らんからな」
「ほっほっほ、確かにウォルタ殿の仰る通りですが折角ここまで来たのです。調査もせずに戻るのはいささか勿体無い気もしますぞ」
危険性を重視するウォルタと合理性を重視するファルダン、二人の意見が対立する中ダールトンはイザベラにも意見を聞いてみると「私はダールトン様に一任します」とダールトンへと丸投げする形を取った。うぅむと一しきり思案に耽った後、ダールトンが「では少し街道の方へ戻り、その中で野営するとしよう」と告げると何処からも反対の声は上がらず、ひとまず調査続行の線で行動する事となった。