6-47 温もりと疑惑
翌日、久し振りのベッドから目を覚ました瑞樹が見た物は、瑞樹の自室と若干違った天井だった。寝惚け眼を擦りながらぼんやりと首を動かすと、横ですうすうと寝息を立てているノルンの姿があり、そういえばと昨日の事を思い出す。
「……ん……おはようございます。姉さん」
瑞樹が起きた気配に気が付いたらしく、ノルンも目を擦りながら瑞樹の方へ身体ごと顔を向けて薄く微笑んむ。
「お早うノルン。我が儘言ってごめんね?狭かったでしょ」
「いえ、大丈夫です。少しだけ前の生活に戻れた気がしてむしろ嬉しかったですよ?でも、姉さんの寂しがりやさんは変わらずですね」
ノルンの言う通り、瑞樹はノルンとビリーが居る部屋で寝ていた。というのも、最初は自室で寝ていた瑞樹だったが、どうやらいつもの発作が起きたらしく彼女達の部屋に向かったらしい。最初こそ少し驚いたノルンとビリーだが、直後にいつもの事かと半ば呆れの形で今に至ったのである。
「しょうがないでしょ、不治の病みたいなものだからね。それよりも、ノルンの身体あったかくて気持ち良い」
瑞樹はそう言いながらノルンにピッタリとくっつき、幸せそうな笑みを浮かべた。そんな瑞樹に負けじとノルンも瑞樹の胸に顔を埋め「んふふ、姉さんもポカポカです」と抱き着く。そんなゴソゴソとこすれ合う音でビリーも目を覚まし「お前ら朝っぱらから何やってんだ」と訝し気な視線を向ける。
「あ、ビリーお早う」
「おう、お早うさん。で、何で朝っぱらから欲情してんだお前」
「ぶっ飛ばすぞ。ノルンに欲情したりなんかしないっての」
「……私は別に構いませんけど?」
「うん、ノルンは少しお口を閉じてようね」
「はぁい」
少々残念そうにノルンが口を閉じると、ビリーはそれはさておきと起き上がり瑞樹の方へ視線を向けた。
「それよりお前、自分の部屋に戻らなくて良いのか?」
「何で?」
「何でってお前、部屋からこっそり抜け出して来ただろ。今日の当番は……確かアンジェだったか、勝手に出歩くなって怒られるぞ」
「うぇっマジか。じゃあしょうがない、戻るとするか。じゃあノルンまた後でね」
巧みに男声と女声を切り替えながら瑞樹はゆっくりと起き上がり、ノルンの頭を軽く撫でてから部屋を出て行った。パタンと閉じられた扉をじっと見つめるノルン、その瞳は何処か寂しげげながらも嬉しそうでもあった。
「どうした?ノルン」
「いえ、ただ……漸く戻れたんだなって」
微笑むノルンの瞳には涙が浮かんでおり、ビリーがその姿に「お前もあいつに似て泣き虫だよな」と苦笑すると、「姉さんに似るのであれば本望です」と答えた。その目は割りと本気だったようで、ビリーは彼女の将来をほんの少しだけ心配していた。
二人がそんなやりとりをしている頃、瑞樹は忍び足で自室へと戻ったがどうやら絶妙な時間だったようで部屋の中でアンジェとバッタリ会ってしまい、お説教をされたのは言うまでもない。
その後平生に戻った瑞樹は、朝食と身だしなみを済ませるとメウェンの執務室へと入った。中にはいつも通りメウェンと先に向かっていたギルバートがおり、挨拶を交わしてから久し振りに自分の席へ座る。
「今日は執務は程々にして、これまでの顛末を聞かせてもらいたい。……君がこの件に関して酷く心労が溜まっているのは察して余りあるが、伝説の終焉というものは一人の人間として興味がある。話せる範囲で頼みたい」
「はい、大丈夫です。色々とありましたから順を追って話させて頂きます」
「あぁ頼む」
それから瑞樹は、久しく飲むギルバートのお茶を懐かしみながら事の顛末を話した。古龍の事は勿論、道中や仮拠点の事を記憶の限り説明したが、フレイヤの件に関してはまだ話すべきでは無いと思ったらしくそっと胸の内に隠していた。そしてメウェンが一番関心を寄せたのはやはりと言うべきか、例の召喚魔法の事で、一通り話しが終わった後も難しそうな顔で下を向いていた。
「成る程、大まかな事は理解したが……しかし召喚魔法か。これはまた厄介な案件が舞い込んできたものだ」
「私も詳しくは知りませんが、ゼルランダー様が確かに召喚魔法だと仰っていました。そしてその魔法を扱えるのは──」
「──悪魔のみ。確かにそう言われているし、過去に人間が使用したという例も、少なくとも私は聞いた事が無い。だが肝心の黒幕が居ないとなると困ったものだ。これは国王陛下も存じているのか?」
「恐らく六柱騎士の皆さんで報告されたと思います」
「む、ちょっと待て。恐らくとはどういう意味だ?昨日国王陛下に帰還の報告をしたのではないのか?」
「いえ、私はそのままこちらに直行致しました。一応言っておきますが無断でそのような事はしておりませんからね?フレイヤ様とウォルタ様にそうして良いと促されて、お言葉に甘えさせて頂いただけです」
「うむぅ、いや、まぁ良い。とやかく言っても致し方ない。六柱騎士の面々のお許しを得たのであれば別段問題無かろう」
若干渋々な感じを見え隠れさせるメウェンだが、それよりも瑞樹には気がかりな事があるようで、そっと手を上げながら口を開く。
「そもそもの話しなんですけど、本当に悪魔なんて存在するのですか?」
「それはどういう意味だ?我々貴族が嘘をついているとでも言いたい訳か?」
悪魔の存在を疑われるのは心外なようでメウェンが顔を顰めるが、瑞樹は決してそんなつもりは無く「そうではありません」と少しだけ語気を強めた。というのも、随分とこちらの世界に染まって来た瑞樹だが根っこの部分は現代の人間。魔物やら幽霊、はたまた古龍を自身の目で確認して来た瑞樹でも、話だけでは中々信じられないらしい。そんな事を瑞樹が真摯に説明すると、メウェンは「それはすまなかった」と少し頭を下げる。
「君の出自を考えれば確かにそうだな。だが、悪魔は確実にいるし、私も対峙した事もある。もう七年程前になるがな」
「七年……ちなみに何処に現れたのですか?」
「それは君も良く知っている場所、ニィガだ。当時も結構な被害が出たが、今はそのような爪痕も見られないから知らなくても無理は無い」
「私がこの世界に来る前にそんな事があったのですね。ですが何故ニィガに居た時誰も教えてくれなかったんでしょう」
ビリーだって。そう言おうとしたようだが瑞樹はすっと口を閉ざした。誰にだって事情はある、それこそ言えない、言いたくない事情や理由があるのかもしれない。そんな事がふと瑞樹の頭に過ったらしい。恐らくそれも正しいが、メウェンはまた別の回答を提示する。
「宿場町とはその性質上人の入れ替わりが激しい。故に当時を知る者は何処かに移り住んだりしていても何ら不思議ではない」
「成る程……質問ついでもう一つ聞きたいのですが、当時からオットーさんが町長だったのですか?」
「……いや、違う。当時は違う人間だったのだが……この際だ、彼の過去も少しだけ話そう。彼は以前とある子爵の子息だったのだ」
「へぇぇ、そうだったのですね」
「何だ、あまり驚かないのだな」
「いえいえ、とても驚いております」
意外そうに瑞樹の顔をメウェンだが、瑞樹は両手をヒラヒラとさせながら拒否してみせた。だが以前、町には悪魔用の結界がある、その維持は多くの魔力を必要とすると聞かされていたので、もしかしたらと思っていたらしい。
「彼の親、その子爵は当時の悪魔討伐にも参加していたのだが、残念ながらその戦いで命を落とした。結果として家の力は喪失、没落してしまった所を私が後見人となってあの町を任せている。大まかにはそんな所だ」
「それはまた、凄絶ですね。ですが家長が亡くなっただけで没落なんてするのですか?実際シフマの領主、リンディ伯爵は理由は違えど同様にお父様を亡くしていらっしゃいますが、その後を継いでおりますが」
「端的に話せばあそこは田舎も田舎、後を取って代わろうと思う者が居なかっただけだろう。対してオットーの方は違う。規模は小さくとも貴族街に居を構えていた者だ、少なからず蹴落としてやりたいと思う者が居ただろうな」
「つまり子爵の逝去はきっかけで、他の誰かがそう仕向けた、と」
そういう事を大いに嫌っている瑞樹は案の定苛立ちを募らせ、黒い靄を見え隠れさせた。だからこそメウェンもこの話に気乗りしなかったのだろう、こうなると容易に予測出来たから。予測通りの結果にハァと溜め息を吐くメウェンだが、それはさておきと話を元に戻す。
「此度の召喚魔法、状況から察するに悪魔の可能性が極めて高い。それも低俗魔と違って翼竜を召喚したとなれば、過去に類を見ない程強大だろう」
「あの、申し訳ありません。低俗魔とは?」
「うむ。低俗魔とは要するに召喚魔法で召喚された悪魔だ。ただ、本物の悪魔とは差異があるようでその気になれば冒険者の剣でも倒せる脆弱な存在なのだが、奴らは尋常ではない数が一斉に召喚される。まさに数の暴力だ、それこそ町が埋まってしまうのではと錯覚する程にな」
「メウェン様がそこまで言うなんて余程ですね。死体の処理だけで手間が掛かりそうです」
「いや、その心配は無い。何故だか低俗魔は死ぬと霧散して消えてしまうのだ。その理由は全く分かっていないがな」
瑞樹がへぇと不思議そうな声を漏らす。死体が残らない謎の生物、そもそも生物なのか甚だ怪しい何かを使役できる悪魔という謎の存在。瑞樹の頭から疑問は尽きないが、ここで唐突に執務室の扉が叩かれた。