6-42 戦いが終わり
「……ん、ぁれ、ここは……?」
瑞樹が最後に覚えていたのは、空の魔法陣が消えたような、そんな曖昧な記憶だった。そんな彼が再び目を覚まし、一番に目に映ったのは仮拠点の土色の天井と、ベッドの脇の椅子に腰かけているウォルタの姿。完全に覚醒しているとは言い難い様子だが、ひとまず瑞樹が意識を取り戻した事でウォルタも心底ほっとしたらしく、嬉しそうに瑞樹の顔を覗く。
「おぉ、瑞樹卿。漸く意識が戻ったか」
「ウォルタ、様?ここは……」
「ここは仮拠点だ、詳しい事は後で話そう。それよりも……目覚めたばかりのお主には酷かもしれんが、まぁせいぜい耐えてくれ」
ウォルタが苦笑しながらそう告げると、瑞樹の部屋を後にした。彼の言葉の意味も気になるが、靄の掛かったような頭では思考する事もままならなかったらしく、静かに待っているとズシンズシンと足音が部屋の外から聞こえ、だんだんと瑞樹の部屋へ近付く。そして扉の前でピタリと止まると、何者かが扉を蹴り開けた、というより蹴り飛ばして部屋に足を踏み入れた。
「こんの……お馬鹿ぁぁっ!」
「フ、フ、フレイヤ様!?」
凄まじい剣幕で瑞樹に怒号を浴びせたのはフレイヤで、指をポキポキと鳴らし、顔には青筋を浮かべている。その余りの恐ろしさに瑞樹も飛び起き、ヒィィと悲鳴を上げながら壁にすり寄るがその間もフレイヤはどんどんと瑞樹に詰め寄っていた。
「あたし、言ったわよね?無茶をするなって。勝手に死のうとするなって。ねぇ、まさか忘れたなんて言う訳無いわよねぇ?」
「は、はい。鮮明に覚えておりますです、はい」
「じゃあどうして約束を反故にしたのかしら?」
「それはその、こうするしか無いと思ったので……」
「ふぅん?あっそう、確かにね。あんたの機転が無かったらどうなってたかは分からないのは事実だけど、それはそれ。そんな訳で、歯ぁ食いしばんなさい!」
ベッドの上に立ったフレイヤが瑞樹にそう勧告すると、右の拳を天高く掲げた。あ、これは……全てを察したように瑞樹は彼女の言う通りにし、ぎゅうっと歯を食いしばると、直後自身の頭に凄まじい衝撃が走り目から火花が散ったような気さえしていた。
「ぐおぉ……」
「本当は殺してやろうとも思ったけど、それだとあたしも少し困るしげんこつで済ませてあげるわ。あたしの優しさに感謝しなさい!」
「……は、はいぃ。……ぅぅ、痛い」
頭を抱えてうずくまる瑞樹に、フレイヤはビシッと指を指しながら告げた。すると取り敢えず落ち着いたのか、フレイヤの怒りの炎は一旦鎮火し、ベッドの脇にある椅子に腰を下ろす。
「まぁ言いたい事はまだまだあるんだけど、これくらいにしとくわ。それよりも、その、ありがとね」
「何かフレイヤ様に感謝されるような事しましたっけ?」
「あの歌よ。歌魔法自体は少し知ってたけど、まさかあんなに効果があるなんて知らなかったわ。もし、あの時あんたの歌が聞こえなかったら……死んでたのはあたしの方だったかもね」
「そんな危険な状態になっていたのですね……知りませんでした」
物憂いに話すフレイヤを痛ましく、そして自身の非力さを疎ましく思ったらしく、瑞樹は顔を曇らせながら視線を落とした。もっとやりようがあったのでは無いか、大分前に同じような事で悩んでいたが、案の定同じ事で悩み始めた。ただフレイヤは「何であんたがそんな顔すんのよ」と苦笑しながら、優しく諭し始める。
「今あんたがどんな事を考えているか知らないけど、少なくともあんたのお陰で助かった命があって、生き延びた人間が居る。全滅必至だったにも関わらず、ね」
「……ですが、もっと他に出来たのではと思うと……」
「それは驕りよ。神であろうと何だろうと、全てを両の手で救うなんて出来やしないわ。どんなに強く願っても、するりと零れ落ちる事だってあるし、本来それが普通なの。あんたは気負い過ぎなだけよ」
「……ですが」
「次にそれ言ったらまたげんこつだから。悩むのは大いに結構だけど、それに引きずられてたら前には進めないわよ。それよりもみんなのとこに行くわよ、同じように一応心配してたんだから」
「……はい」
フレイヤは瑞樹の手を引き、無理矢理立たせた。だが、瑞樹を諭したフレイヤにはどうしても言えなかった事がある。ここまでしても、多くの呪いと願いを受けたとしても、瑞樹は自身の命を犠牲にしてでも他人を守りたがる。それはもう、人として戻れない域に達してしまっているのだろうと、酷く沈痛な面持ちを笑顔に隠していたのだった。
しかし、その思いはフレイヤに一つの決意をもたらす。もう戻れないのなら、せめてその最期の時まで共に歩き続けよう、と。ビリーと同じように、と。
フレイヤに引きずられるように会議室へ入った瑞樹。そこにはウォルタの一報を受けフレイヤを除いた六柱騎士全員、それにゼルランダーと主要な人員が勢揃いしていた。
「あぁ来たか瑞樹卿。やっぱりお前フレイヤの指示無視したな」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアスラがそう話すと、フレイヤは顔をむすっとさせて「うっさいわね」と睨み付けた。その後、瑞樹とフレイヤが空いている席に座り、アスラは「さて」と続ける。
「瑞樹卿は目を覚ましたばかりで状況も知らんだろうから、おさらいも含めて話してやろう」
「はい、お願いします」
「まずは一番気になるであろう古龍だが、結論から言うと恐らく死んでいる筈だ」
「筈?というのはどういう意味でしょうか」
「正直な所規格外のバケモン過ぎて確証が得られねぇんだ。あの野郎、脳をグシャグシャしてやっても動きやがったのさ、普通じゃねえ。ただ、お前が目覚めるまでの二日間、あれをウォルタの魔法で凍結して様子見しているが、全く動く気配は無い。だから死んでいる、筈なんだよ」
「成る程。であれば確実に止めを刺す為にライド様やダク様の魔法を試してみては如何ですか?」
「とっくに試した。だが奴の身体を覆う鱗はそれ以上で、多少傷を付ける程度しか出来なかったのさ」
「伝説の名は伊達では無い、という事ですか」
ライドの物質を光の粒子に変える魔法も、ダクの圧縮する魔法も効かない事に瑞樹もとても驚いたようで、忌々しくも一定の評価を古龍に与える。ライドはその胸中を全面的に表に出し、不愉快そうに顔をぶすっとさせており、ダクも一見無表情だが眉をピクピクと引きつらせていて胸中穏やかでは無いようだ。
「それで、俺の魔法でガチガチに凍らせてるって訳だ。生きているとは思っていないが、念には念を入れて地面ごと分厚い氷に覆っている、という寸法だ」
腕を組み得意気に話すウォルタに、ライドとダクがじろりと視線を向けるがウォルタは全く意に介さずフフンと鼻を鳴らす。
「と、ところで翼竜の方はどうなさったのですか?」
若干険悪な雰囲気を変えようと瑞樹が話しを振ると、ウィンディは微笑みながら「全て駆除致しました」と事も無げに言う。
「私あまりその時の事を覚えていませんが、あの大量の翼竜を良く倒しきれましたね」
「ふふ、私達の手にかかれば造作もありません。と、言いたい所ですが辛勝でした。結果として、犠牲も多く出る事になりましたし」
「……犠牲……そう、ですよね。犠牲者無しなんて虫の良い話し、ある筈がありませんよね。……どれ程の方が、犠牲になったのですか?」
「瑞樹、別に無理して聞かなくても良いんだからね?むしろ──」
──聞かない方が良いかもしれない。それはフレイヤのみならず、この場に居る全員が知っている事だった。ドリオス卿の死を聞いた時でさえ取り乱していたのだから、精神的に悪影響を及ぼすだろうというのは容易に想像出来たようだ。だが当の本人はそれを知って尚「お願い致します」と申し出た。
その胸中にあるのは責任感か罪悪感か、いずれにせよ瑞樹に根負けしたフレイヤが眉尻を下げながら「ゼルランダー、教えてやんなさい」と口にすると、ゼルランダーはこくりと頷き瑞樹に顔を向けた。
「瑞樹卿、先の戦闘での犠牲者は……およそ全体の半数近く、数で言うとおよそ五十人だ」
「五十……そんなにも……亡くなられたのですね」
「一応言っておくがお前のせいじゃない。兵士の連中も命を賭けて戦った、お前のようにな。そこに優劣なんかねぇ、そうなったってだけの話しだ」
さぁっと血の気が引いたように顔を青くしている瑞樹に、アスラは少し視線を逸らしながら瑞樹にそう告げた。励ましのつもりか暴走を防ぐためか、或いはその両方か。不器用な男なりの不器用なやり方に、何処か良く知っている人物の面影を感じたらしく、目からホロホロと涙が流れる。
「あぁもうアスラってば、泣かしてどうすんのよ」
「ばっ、俺のせいじゃねぇだろ。そんくらいで一々泣くなってんだ。……フレイヤ、後は任せた」
「あたしに振らないでよね全く」
ハァと溜め息を吐きながらもフレイヤは、隣に座っている瑞樹の頭を乱暴にワシャワシャと撫でる。これもビリーの手紙に小さく書いてあった事で、瑞樹が面倒くさくなった時はひとまず頭を撫でれば落ち着くと記されていたのである。
その効果の程は、流石彼の事を熟知している者の言だけあり存外すんなりと涙が止まり、少し落ち着いたような表情を見せた。
「どう、落ち着いた?」
「はい、取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「別に謝らなくても良いけどさ。まぁさっきも言ったけど悩むのはあんたの好きだけど、それに囚われ過ぎないようにね」
「……善処致します」
「止めろって言ってんのに、全くもう」
フレイヤがブツブツと愚痴を漏らしていると、アスラは「ちょっと良いか瑞樹卿」と彼女の愚痴を遮る。
「えっあ、はい。何でしょうか?」
「俺じゃないんだが、確かゼルランダーがお前に頼みたい事があるとかって言ってた筈だが」
「おぉ、そうでした。いやはや申し訳ありませんアスラ様」
「気にすんな。それよりも頼みたい事って何だったんだ?」
「それはですな──」
そう言ってゼルランダーが机の下から取り出したのは、小さな封筒だった。




