6-38 開幕直前
アスラは二人を小馬鹿にするように告げるが、言葉と表情には自信のようなものが滲み出ていた。それはフレイヤも察したようだが、その自信は何処からもたらされているかは分からなかったらしく、「何で言い切れるのよ」と尋ねると、アスラはフンと小さく鼻を鳴らした。
「そりゃ勿論自分で確認したからに決まってるだろ」
「はぁ?そんなの出来る訳無いじゃない」
「まぁ待てフレイヤ。黙ってアスラの話しを聞け」
ウォルタに諫められたフレイヤが不服そうに口を噤むと、アスラは何かを詠唱し始める。すると地面からボコボコと隆起し、少しずつ人の形に整えられていく。精巧とまでいかないが、土の色を除けば人と分かる出来栄えで瑞樹も繁繁と見つめていたが、他の六柱にとっては既知の物らしく別段反応を示さなかった。
「それってあんたの泥人形でしょ?何で今それを出したのよ。」
「あぁ。これは何の変哲も無い泥人形で、動く事もねぇから基本的にはいまいち役に立たねぇが、目を欺く囮にはもってこいだ。翼竜だとしてもな」
「という事はそれを町に置いたって訳?」
「珍しく察しが良いなフレイヤ、その通りだ。あの翼竜共は狡猾だが基本的には馬鹿だ、泥人形と人間の区別もつかないらしい」
「ふ~ん、それで?」
「暫く空を旋回して警戒した後に結局は降りて確認するんだが、その時ギャアギャアと喚き散らすんだ。すると──」
「──何処からともなく古龍が現れる……?それって本当なの?」
「あぁ本当だ。今日俺も確認した」
アスラの説明にウォルタが同調すると、フレイヤも信じる気になったのか黙って腕を組む。恐らくアスラはそういった議題が挙がる事を予想していたようで、だからこそウォルタに実証風景を見せる為に仕向けたのだろう。
「アスラはともかくとしても、ウォルタ爺がそう言うなら信じざるを得ないわね」
「お前なぁ、いちいち一言多いんだよ馬鹿。まぁ馬鹿はさておきゼルランダー、兵士連中に作戦決行の旨伝えといてくれよ」
そうアスラに言われたゼルランダーは「承知致しました」と言いながら立ち上がり、そのまま会議室を離れた。すると外から集合をかけるゼルランダーの声が聞こえたり、説明の声が聞こえたりしたが六柱達と瑞樹は静かにその様子を聞いていた。
それから程無くして解散という声が響き、ゼルランダーが再び会議室に入室するとアスラが「ご苦労さん」と声を掛けた。
「じゃあゼルランダーが戻って来てそうそう悪いが、ひとまずこれで解散だ。休めるのは今が最後かもしれねぇから、しっかり休んどけよ」
アスラの発言を受けた一同は揃って立ち上がり、自室を目指して歩いていく。そんななか、アスラはウォルタだけを呼び止めると、二人きりになった会議室で呟くように話しを始めた。
「ウォルタ、兵士の様子はどう思う」
「お世辞にも良いとは言えんが、俺らだけでは事は為せんしな。難しい所だ」
「腐っても精鋭だからな。奴らにも期待したいが……全く胃が痛くなるばかりだ」
「ほぉ。お前でも緊張するんだな」
「ハッ。老骨の爺が緊張しようもんなら発作でぽっくり逝きそうだから、注意しろよ」
「ぬかせ若造。俺はまだまだガキに後れを取る程老いてねぇ」
アスラとウォルタの二人だからこそ理解出来る、男同士の腹を割った会話も終わり、二人も自室へと籠った。
その後何事も無く夕食の時間を迎えると、その食事には節制していた果実酒が存分に兵士達へと振る舞われた。皆に酒が回るうちに無礼講の様相を呈し始めた広間は、飲めや歌えやの大騒ぎとなる。ただ、その心の奥底にはもしかしたら最期かもしれないという、半ばヤケのような思いも見え隠れしていたようだ。
結局深夜まで続いた大騒ぎの後、兵士のみならず六柱や瑞樹も眠れぬ夜を過ごし、決戦の朝を迎える。
決戦当日、広間は朝からバタバタと慌ただしく兵士達が準備を始めていた。瑞樹もいつもより早く、というよりもいまいち寝付けなかったので否応なしに起きてしまったというのが正しいが、ともかく早朝に目を覚まして食事を準備している。すると目を擦りながら酷く眠そうにしているフレイヤが歩み寄り、瑞樹の隣へと腰を下ろした。
「おはよう瑞樹、昨日は眠れた?」
「おはようございますフレイヤ様。実は、緊張してあまり眠れませんでした」
「だろうと思ったわ。正直あたしもそうなんだけどね」
「フレイヤ様もですか?失礼ですけど、珍しい事もありますね」
「ん、まぁ、ね。いくらあたしでも今日ばかりは気が張っちゃうわ」
ふわぁと大きく欠伸をするフレイヤだが、その内には闘志が燃え滾っているようだ。それから程無くして他の者達も起床し、軽めに食事を済ませると各々鎧の着用など準備に取り掛かった。
これといって準備する事が無い瑞樹が広間でゼルランダーと共にじっと待っていると、一番最初に部屋からダクを皮切りに、続々と立派な鎧に身を包んだ六柱が姿を現し、既に整列している兵士達の正面に並び立つ。するとゼルランダーは一歩兵士側に歩くと、大きく息を吸った。
「これより古龍討伐作戦を決行する!再三言うが魔導士部隊は翼竜の迎撃及び足止め、歩兵部隊は墜落した翼竜への攻撃を行なってもらう。六柱騎士も万全の態勢で援護に当たるが、何が起こるか全くの未知数だ。油断をせぬように!」
おぉ!と勢い良く返事をする兵士達だが、やはり重苦しい緊張感に当てられているらしく意気揚々とは言えず、兵士の前に居る六柱の一部、それに瑞樹が僅かに顔を曇らせた。
だがもう後戻りは出来ない。ゼルランダーは心にくすぶる焦燥感を押し殺すように、出撃準備を発令しようとしたその時、瑞樹が「ゼルランダー様、ほんの少しだけ時間を頂けませんか?」?と声を掛けた。ゼルランダーは訝しく思いながらも許可を出すと、「ありがとうございます」と会釈しながら瑞樹も一歩前へと出る。
「少しでも皆さんの緊張が和らぎますように」
瑞樹はそう話した後、大きく息を吸い癒しの歌を歌い始めた。魔法としての効果という意味ではなんの意味も無い筈だが、一年前のアートゥミで起きたゴブリン騒動で心の傷を癒したかもしれない、という実績あった。
そこまでは瑞樹も考えていないだろうが、少なくとも先程の言葉に嘘偽りは無いようで、全身全霊を以て歌う瑞樹。歌の効果か、はたまた瑞樹の思いが伝わったのか、兵士達を縛り付けている緊張感が少しずつ薄まり、顔にも僅かながら余裕の色が滲み出てくるようになった。
そして瑞樹が歌い終わり深く頭を下げると、兵士達は惜しみない拍手を瑞樹に送り、感謝の意を伝える。だが次に瑞樹の口から出た言葉は、意外なものだった。
「これで皆さんの緊張感が和らいだのなら、とても嬉しく思います。それと……最後の機会になるかもしれませんので、謝罪させてください」
何の事かと兵士達がざわつき始めるが、瑞樹はさらに続けた。
「今回の作戦、本当はもっと安全な案もありました。ですが、私のわがままによって決戦という形になったのです。皆さんを巻き込んでしまい、大変申し訳ありません。この戦いが終わったら、打擲するなり存分に私に罰を与えてください」
そう言葉にした後、瑞樹は再び深く頭を下げた。瑞樹にとっては自分なりのけじめのつけ方なのだろうが、むしろ兵士達は困惑が極まったらしくどうしたものかとざわめいている。
そんな中、瑞樹はブチリと何かが切れる音が聞こえたと錯覚したらしく、不思議そうに頭を上げるとそこには凄まじい形相で腕を組み、仁王立ちをしたフレイヤが目に映った。直後、腕を高々と上げたフレイヤの拳が瑞樹の脳天に勢い良く振り下ろされ、瑞樹は声にならない声を上げながらうずくまり、頭を抱える。
鼻息を荒げているフレイヤはそのまま瑞樹を瑞樹を睨み付け、「このお馬鹿!作戦前にくだらない事言ってんじゃ無いわよ!」言い捨てた後、未だ困惑している兵士達に顔を向けた。
「全員良く聞きなさい!確かにこの作戦の立案者はこいつだけど、六柱みんなも危険を承知で作戦にのったの。だからこいつだけを恨むなんてのはお門違いだし、文句なら後でいくらでも聞いてあげるから、今は眼前に集中しなさい。良いわね!」
兵士達は困惑したまま返事をすると、フレイヤに何度も「声が小さい!」とやり直しをさせられていた。その結果、割りと緊張感がほぐれたのは怪我の功名かもしれない。額に青筋を立てながらいきり立っていたフレイヤも大声を出している内に幾分かすっきりしたらしく、未だにうずくまっている瑞樹を無理矢理立たせると、「終わったら説教だから」と凄みを効かせながら睨み付けた。その恐ろしさと頭の痛みで涙目になりながらも、瑞樹はこくりと頷く。
「あ~コホン、ともかく全員出撃の準備をせよ!」
呆気に取られていたゼルランダーが我に返り、いよいよ出撃の準備が発令された。兵士達の意気も最初と比べれば随分高まり、おぉ!と溌溂とした様子で手を高らかに上げると、各々は整列しながら正面口へと向かう。
先頭の方には騎乗したアスラがおり、魔法で閉まっていた正面口が開かれ続々と兵士達が地上へと出ていく。暫くして最後尾の瑞樹やゼルランダーも久し振りに感じられる地上へと立つと、これまた久しく見る太陽の日差しを一身に浴び、予定地点へと歩いて向かった。
仮拠点から目と鼻の先にある、焼かれた森との境界付近に全員が到着すると、ゼルランダーは先頭の方に居るアスラの元へと駆け寄った。
「アスラ様、前線での指揮はお任せ致します」
「あぁ、任された。お前は予定通り森の中に潜んでその時を待て。万が一があれば伝令を飛ばすように、良いな?」
「はい、承知しております。万が一が起きない事を願っております。ご武運を」
前線での指揮を移譲されたアスラが前進を号令すると、皆落ち着いた足取りで町の方へと向かった。ゼルランダーは負傷者の為、瑞樹は戦闘に関しては役立たずの為、最低限の伝令と共に森で潜んでいる事が決められていたので、小さくなっていく皆の姿を見送りながら、その時を待ち始めた。
すると一つの騎馬が隊列から抜け出し、再び瑞樹達の元へ近付いて来る。その姿と色は瑞樹も見間違う筈も無くフレイヤだった。
「フ、フレイヤ様。どうか致しましたか?もしかしてお説教ですか?」
瑞樹が怯えるように問いかけると、フレイヤは「違うわよ、お馬鹿」と溜め息交じりに口にすると、兜を外す。兜から出て来た表情は何処か心配そうで、寂しそうでもあった。
「瑞樹。最後にもう一度だけ言っておくけど、絶対に無茶をしないでよね。あんたにもしもの事があればあたしの野望が駄目になっちゃうんだから」
「アハハ、承知しております。フレイヤ様もどうかお気を付けて」
瑞樹が苦笑交じりに言った後、フレイヤは何故か逡巡した様子で馬から降りると瑞樹の前に立つ。そしてまた逡巡、何とも様子のおかしい彼女の様子に瑞樹が首を傾げていると、突然唇に柔らかく暖かい感触を感じた。
もしかしなくても、そう考えるだけで瑞樹の顔がぼっと赤く染まるが、それをした張本人の頬も僅かに紅潮している。
「あ、あのフレイヤ様!?」
「その先は言わなくていいわ。ただの貸しと言うか……そう!予約よ予約!じゃああたしはもう行くから、またね!」
一目散に騎乗したフレイヤはそのまま大慌てで馬を走らせ、隊列の中に消えて行った。フレイヤの最後の言葉は支離滅裂だったが、変な所に鈍い瑞樹でも、ある意味呪いの重ね掛けだろうかと想像出来たらしく、自身の唇を指で触れながら心臓を高鳴らせた。
そんな甘酸っぱいような光景をじっと見ていたゼルランダーは「甘くて胸やけしそうですな」と呟き、瑞樹にじっとりとした視線を向けていた。