6-32 増える呪い
その日の夕方。何とかエレナと仲直りを果たした瑞樹は、今日のお世話当番であるアンジェと共に屋敷の自室へと戻っていた。
「アンジェ、ビリーは何処に居るか分かりますか?」
「屋敷の中に居ると思われますが、お呼び致しますか?」
着替えを手伝ってもらっている瑞樹は、自身の後ろから上着を脱がせるアンジェに問いかけると、彼女はさらりと答えた。ただ瑞樹は肩をピクリとさせながらも「いいえ」とだけ答え、ふるふると首を振る。
瑞樹の様子がおかしくなる事はままあり、なおかつ従者間でも所謂良くある事として認識されているが、例外はある。それがビリー、もしくはノルンに関係する場合である。
その為か何となく察した様子のアンジェは、瑞樹に新しい衣服を着替えさせながら徐に口を開く。
「もしかして、昨日の件ですか?」
アンジェの問いかけで先程よりも肩をビクッとさせた瑞樹。恐る恐る後ろを振り向くと、アンジェが呆れたような表情を隠しきれずにいた。
「……知ってましたか?」
「当然です。いくら奥の部屋でお話しされていたとはいえ、本人から根掘り葉掘り聞かせてもらいました。まぁ尋問したのは私ではなくてアンリエッタですが」
「そうでしたか……」
「昨日の夜、瑞樹様からビリーを含めた我々に古龍の件について説明を頂きました。あの場では皆一様に驚いておりましたが、一応は納得しました。ただまぁ、一人、いや二人程心中穏やかでなかったようですが」
「でしょうねぇ……今回の件、ビリーとノルンに全く相談しませんでしたから」
苦笑しながらベッドに腰を掛ける瑞樹をよそに、アンジェは片手で頭を抱えながら深い溜め息を吐き、じっとりとした視線を向ける。
「また瑞樹様の独断ですか……ならばあの二人が憤慨するのも容易に想像が出来たでしょうに……」
「いや~アハハ……」
「あははではありません。この際ですから私も苦言を呈させて頂きますが、本当はビリー達だけでなく私達も反対なのです。瑞樹様は我々の主、主の決定に従者が口を挟む余地など本来無いのですが──」
「そうっすよ!アンジェの言う通り!」
「あたしもアンジェに賛成です!」
いきなり部屋の扉が勢い良く開いたかと思えば、アンリエッタとトリエの二人が室内になだれ込み、声を張り上げて捲し立てる。どうやら二人共廊下の方で聞き耳を立てていたらしく、珍しくアンジェが苦言を呈した事で同調し、乱入を決め込んだらしい。
二人の乱入に瑞樹とアンジェは驚きを隠さなかったが、先に冷静を取り戻したアンジェが凍てつくような視線で二人を睨み付け、思わずヒィッと悲鳴が上がる程委縮させていた。
「貴方達、盗み聞きとは良い度胸です……!」
「ま、まぁまぁアンジェ。ここは私に免じて抑えて、ね?お願いです」
「……ハァ、瑞樹様は本当に甘さが過ぎますね」
とは言うものの、瑞樹に窘められたら従う他ないアンジェは怒りの炎をフッと消すと、瑞樹に向いていた視線を再びアンリエッタ達に向けて、じろりと睨む。
「それで、貴方達はわざわざ怒られる為に来たのですか?」
「そんな訳ないじゃん。ただ珍しくアンジェが良い事言ってると思ってさ」
「その口振りだと、いつも私がまともでは無いみたいに聞こえるけど」
「いやいや、そんなつもりじゃないってば~」
「もう、アンリエッタに任せては話しが進まないわね。瑞樹様、要するにあたし達も古龍の件に関して本当は反対なんです」
ふつふつと怒りを溜めるアンジェを宥めるアンリエッタをよそに、トリエが胸に手を当て自身の心中を切なげに吐露する。そんな彼女の様子に、瑞樹も俯き表情を曇らせる。
「そうっすよ瑞樹様。あたし達はあくまで従者、でもほんの少しだけでもあたし達の声に耳を傾けて欲しいんです」
眉をハの字に寄せるアンリエッタの表情は寂し気ながらも、真剣だった。平生がお茶目であるだけに、彼女の真摯な態度は瑞樹のみならずアンジェも驚きの色を隠せなかったようだ。
「アンリエッタ……珍しく言う事言うのね」
「ふ~んだ。あたしだってたまには良い事くらい言えるってば。それに、こんな居心地の良い職場なんて普通無いし、瑞樹様にはずっと居てもらわないと」
「貴方……そっちが本音なのね。感心して損したわ」
「アハハ……アンリエッタらしいです。……三人共ありがとうございます、私を心配してくれて。でも、それでも、私は意思を変えられません」
俯いていた瑞樹の顔はいつの間にかアンジェ達三人の方へ向いていた。その顔も平生滅多に見せる事が無い、真剣で凛とした顔つきをしている。
その為か、先程までは何処かふわふわとしていた空気も引き締まり、アンジェ達も佇まいをしゃきりと直した。
「承知致しました瑞樹様。ならば我々従者どもは、貴方様のお帰りをいつまでもお待ちしております」
「あの、申し訳ありません瑞樹様。一点だけよろしいですか?」
「えぇ、トリエ。何かありますか?」
「はい。その……ビリーやノルンとももう一度お話しして頂けませんか?差し出口かもしれませんが、喧嘩別れは寂しく思います……」
もじもじとした様子でトリエが進言すると、瑞樹は一度逡巡してみせるが最終的には決心を固めたらしく、大きく頷いた。
「そうですね、トリエの言う通りです。あの二人の了承を得て、初めて私も心置きなく旅立てるというもの。では夕食の前に二人と決着をつけますので、奥の部屋に呼んでもらえますか?私は先に部屋に居ますので」
「承知致しました」
異口同音に三人が答えると、アンジェを除いた二人が足早に退室してビリー達の所へ向かった。二人を見届けた後、瑞樹もベッドから立ち上がり奥の部屋へと向かう。
「では瑞樹様、リコ達には夕食が遅くなるかもしれないと伝えておきますので、存分に話し合いをなさってください」
「ありがとうございますアンジェ。二人にも心配をかけてごめんなさいと今一度お伝えください」
「承知致しました」
扉の前でアンジェと別れた瑞樹は、そのまま部屋へと足を踏み入れた。いつも使用している筈だが何処か緊張感の漂う室内に、瑞樹の鼓動も少しずつ高鳴っている。
何とか気を紛らわせようと盗聴防止の魔道具や照明魔道具に魔力を込めたり、意味も無く室内をウロウロしていると突如コンコンと扉を叩く音が静かに鳴り響く。その音に肩をビクッと震わせた瑞樹だが、冷静を取り繕い「どうぞ」と声を掛けると、ビリーとノルンの二人が姿を現した。
「……おう」
「……失礼します」
「あ、あぁビリー、ノルン。ごめんな急に呼びつけて」
「別に、それよりも話しって何だ?アンリエッタに凄い形相で行ってこいって言われたが、なんにも聞かされてねぇぞ」
「あ、えぇと……取り敢えずお茶でも飲んで一息つけないか?ノルン、お茶を頼める?」
「……はい、姉さん」
何処かぶすっとしているビリーに、表情の暗いノルン、さらにはいまいち落ち着きの足りない瑞樹と室内は混沌の様相を呈している。
三人はテーブルへと座り、ノルンの淹れたお茶を一口二口飲む。ズズズと啜るような音以外は静かなもので、余計に瑞樹の緊張感が高まっていく。三人の口はどうにも重く、無言が暫し続いたが一番にその重い空気を取り払ったのはビリーだった。
「で、俺らに話しってなんだ?」
「え、あ、うん……」
「ハァ……どうせ昨日の事だろ?なら怒ってないから気にすんな。心置きなく行ってくりゃ良い」
結局見かねた様子のビリーが先んじて話した。口では怒っていないと言っているが、端々に感じる棘のような物に瑞樹も緊張感を苛立ちへと変化させていったようで、顔がどんどんむすっとしていく。
「嘘だね、まだ怒ってる。そりゃ何の相談もしなかった俺が一番悪いけどさ、ちょっと心が狭いんじゃない?」
「心が狭いだぁ?お前良くもまぁそんな事言えたな。振り回されるのはいつもこっちだぞ、こっちの身にもなってみろってんだ」
「あぁん?確かにそうだけど、今それを出すのは卑怯だろ」
「卑怯もクソもあるか事実だろ」
「何だと!」
「やるかオラァ!」
「落ち着いてください!二人共!」
ガタンと勢い良く立ち上がった瑞樹とビリーは互いの胸ぐらを掴み、まさに一触即発の状態になったが、ノルンの一喝で二人の身体はピタリと動きを止める。
瑞樹は彼女の名前を小さく呟きながら視線を向けると、目から大粒の涙がポロポロと流れ落ちている。その光景には流石に頭に血の昇っているビリーも一瞬で冷め、再び椅子へと座った。
「ノルン……ごめん……ごめんね?」
「謝るくらいなら、最初から、しないでください……!」
「……ごめんなさい」
嗚咽を漏らすノルンをぎゅうっと抱き締めた瑞樹は、この時彼女の小さな身体にどれだけストレスを抱え込ませていたか漸く理解した。
「姉さんはずっと私と居るって、約束したじゃないですか……!」
「うん、そうだったね……本当にごめんなさい」
「悪いと思っているのなら、どうか行かないでください……お願いです」
「ノルン……それは、ごめんなさい。出来ないの」
「何でですか……!?また私達を盾に脅されているのなら──」
「──それは違うよノルン。今回は自分で決めた事だから、誰にも脅されてなんかないよ。昨日もそう言ったでしょ?」
「なら、どうして私達を置いて行っちゃうんですか……」
「それは……ほら、私って馬鹿だからさ、ノルンみたいに泣かれると放っておけなくなるんだよね。だから、かな」
「その人は、私達よりも、大切なんですか……?」
「それは違うよ。私が一番大切なのはビリーとノルン。他の皆も大切だけど、それだけは絶対に揺らがない。でも、それでも、私はあの子の力になりたい。そう思ったんだ。馬鹿な姉でごめんね?」
その言葉を聞いたノルンは思い切り瑞樹を抱きすくめ、その後ぷはっと息を吐きながら瑞樹から離れた。彼女の目からは未だ雫が零れ落ちていたが、何処か表情は晴れ晴れとしている。
「本当に、姉さんは、お人好しのお馬鹿さんですね。絶対に、絶対に帰って来てください……!」
「うん。ありがとうノルン、絶対に帰ってくるよ、約束する」
瑞樹はそう言いながら自身の小指をすっとノルンに差し出した。随分と前、それこそ瑞樹とノルンが対面した時に教えた約束の方法だが、ノルンは何故かじっと突き立てた小指を見つめ、一瞬だけクスリと笑みを浮かべる。
「ノルン、どうかし……いぃったぁ!」
瑞樹がノルンへ話しかけようとした丁度その時、唐突にノルンの口が大きく開き、そのまま瑞樹の小指にガブリと噛みついた。突然の事で混乱する瑞樹だが相手がノルンという事もあり、振り払わずにひたすらに耐えていると、ノルンは漸く満足した様子で小指を出す。
「ちょ、ちょっとノルンさん?一体何をなさるので?」
指にはくっきりと歯型が付いており、もう一方の手で押さえて痛みに耐える瑞樹は、涙目になりながらもノルンに問いかけた。するとノルンは少々照れ臭そうに頬を染めながら瑞樹に視線を向ける。
「エヘヘ。実はエレナお嬢様から指切りは約束をするのと同時に、呪いをかける物だって教えて頂いた事があるんです」
「それと何が関係あるんだ?」
突然の光景で呆気に取られていた様子のビリーが漸く我に戻ったらしく、訝し気に尋ねた。
「ただの指切りでは弱いと思ったので、こうして痛みと傷を刻みつけました。これなら、小指を見る度に私達の事を思い出してくれますよね?」
親と子が似る事は平生でも良くある。そのせいか、瑞樹の悪い部分を良く知っているノルンの瞳の光はやけに薄くなっており、言うなれば瑞樹の暴走状態に近しい物を感じられる程だった。
ウフフと笑みを零すノルンに一抹の恐怖を覚えたらしく、瑞樹はこくこくと首を縦に振る以外の行動は出来ずにいたのであった。