6-22 わだかまり
「……ぅ、ぅん……?」
昏睡状態だった瑞樹が漸くすぅっと瞼を開けると、一番最初に彼の瞳に映り込んだのはビリーだった。瑞樹の声に気が付いたビリーは、心底ほっとしたような表情で瑞樹に話しかける。
「おぉ、漸く目ぇ覚めたか。心配したぞ全く」
「……ビリー?あれ、俺って……」
「まだ寝惚けてるみたいだな。まぁ暫くそのままにしてろよ」
馬車の中で横になっていた瑞樹が起き上がろうとすると、ビリーは彼の肩に触れながらそれを制止した。その後、ビリーは瑞樹に事の顛末を話す。古龍の事や瑞樹が本当に死に瀕していた事、既に二日が経過している事。
それらを聞いていく内に瑞樹の頭にかかっていた靄も次第に晴れていったようで、ひとまず会話は成り立つようになった。しかし──
「他の皆は?」
「今は外で飯食ってる筈だ。今日はここで野営だからな」
「もうそんな時間だったんだ。ちょっと外に出てみようかな」
瑞樹が立ち上がろうと腰を上げ、椅子から立ち上がろうとした途端、彼はふらふらとその場にへたり込んだ。それを心配そうに眉を顰めていたビリーが彼に肩を貸し、再び椅子へと戻す。
「おいおい、だから無理すんなって。お前は丸二日も寝込んでいたんだぞ?力が入らなくて当然だろ」
「あはは……すっかりなまってるな。ごめん、迷惑かけて」
「いちいちそんな事ばかり気にしてんなって、今飯を貰って来るからくれぐれも大人しくしてろよ」
申し訳無さそうに苦笑する瑞樹を、ふぅと軽く溜め息を吐きながら窘めたビリーはそのまま馬車の外へと出て行った。周囲の静けさも相まって外の話し声が瑞樹の耳にも僅かに届くが、何を話しているかまでは分からなかったようだ。
瑞樹は馬車の壁にもたれ掛かりながら少しの間目を伏せていると、程無くしてビリーが戻って来た。
「おう大丈夫か?飯持って来たけど、食えそうか?」
「うん、多分大丈夫。ありがとうビリー」
瑞樹が壁にもたれ掛かっている所を見たビリーは、まだ具合が悪いのかと再び心配そうな表情で彼に尋ねた。すると瑞樹はすっと姿勢を正し、薄く笑みを浮かべながらビリーに応える。正直な所本調子では無い瑞樹だったが、どうやらこれ以上心配かけまいと強がりを見せていたらしい。
ともかく対面に座ったビリーから皿に盛られたスープとパンを受け取った瑞樹は、腹の負担にならないようゆっくりと、少しずつ口に含んで食事を済ませた。
「ふぅ、御馳走様でした」
「まだ足りないなら持って来てやるけど、どうする?」
「うぅん、もう良いや。お腹いっぱい」
「何だ、もう腹いっぱいなのかよ。何かやけに食が細くねえか?」
「病み上がりならこんなもんでしょ。それよりも他の皆と話しがしたいんだけど、迷惑もかけただろうから謝りもしたいし」
「うん?あぁ、それなら明日だ。さっきダールトン様にお前が目を覚ましたけどどうするって聞いたら、明日で良いから少しでも休ませろってさ」
「……そうなんだ。怒ってた?」
自身に非があると思っている節のある瑞樹は、少し目を伏せながらビリーにそう問いかけた。するとビリーの顔から先程の心配そうな表情はすっかりなりを潜め、額に青筋を立てながら瑞樹の頭に手刀を振り下ろす。
「いぃったい!何すんだよ!」
「やっかましいわこの馬鹿野郎!お前がウジウジするのは毎度の事だがな、もう少し自分を労われってんだよ!」
「だって……俺のせいで皆、危険な目に……」
うぅと唸りながら遂には泣き出す瑞樹。そんな彼を正直面倒くさそうに見つめ、はぁと深い溜め息を吐くビリーだったが唐突に瑞樹の隣へと座り直し、わしゃわしゃと少し強引に瑞樹の頭を撫でる。
「そんなに自分を責めんな。過程はどうあれ、お前のお陰で皆無事なんだ。むしろちったぁ誇っても罰は当たらねぇさ」
「……でも」
「お前、いつも以上に面倒くさいな……そんな様子でフレイヤ様に会ったらぶっ飛ばされるぞ?」
「うぅ……それは勘弁して欲しい……」
「じゃあこれ以上はウジウジするのは止めとけ。少しくらい謝るのもまぁ良いけど、切り替えるのも大事だぞ」
「……うん。分かった」
精神的なストレスから幼児退行する事はままあり、恐らく今の瑞樹もそれが原因かもしれない。だからこそ傍らに居るビリーは何よりの癒しで、瑞樹にとっての特効薬だったのだろう。瑞樹はそのままビリーの肩に頭を当てたまますうすうと寝息を立て始める。
一方のビリーはやれやれといった様子で苦笑し瑞樹を見つめていたが、結局は起こさないように彼の身体をゆっくりと横にして、自身も対面の座椅子で休んだ。
翌日、昨日と比べればそれなりに調子が戻った瑞樹は、ビリーと共に馬車の外へと出た。朝日に久しさを感じていた様子の瑞樹だったが、ビリーに引っ張られてダールトン達の元へと向かう。
ただ、瑞樹は未だに気持ちの切り替えが上手くいっていないようで、少々暗い印象を受ける面持ちだった。
「お早うございますダールトン様、ゼルランダー様」
「あぁ、お早うビリー。それと、もう具合は良いのか?瑞樹卿」
「は、はい。お早うございますダールトン様、ゼルランダー様」
一応朝の挨拶を交わした瑞樹だが、そのままそそくさとビリーの後ろに隠れてしまった。そんな彼の行動を訝しく思ったようで、ダールトンが眉を顰めながらビリーへ訳を問いただす。
「瑞樹卿は一体どうしたというのだ?」
「あぁ……昨日からこんな感じなんですよ。まるで子供に戻ったみたいだ」
困ったように頭をポリポリと掻きながら話すビリー。それを一瞥したダールトンは「ふぅむ」と呟きながら顎に手を当て、何かを考え込む。
「大方古龍云々の件をまだ引きずっているのだろう」
「恐らくは。というよりも良く御存知でしたね」
少し目を大きくさせて驚くビリーに、ダールトンが「当然だ」と鼻を鳴らす。一方の瑞樹は肩をビクッと竦めさせたと思えば、僅かに震える手でビリーの服をぎゅっとつまんでいる。
「あれだけ大声で話していれば嫌でも耳に入る」
「それもそうですね。困った事にまだ引きずっているようで……私ももう気にするなとは言ったんですがどうにも……」
やれやれといった様子のビリーがふぅと大きく息を吐きながら答えた。するとダールトンに何やら策があるらしく、瑞樹に姿を現すよう告げる。
「瑞樹卿、とりあえず隠れていないで出てきなさい」
「……はい」
返事をした瑞樹がゆっくりとビリーの後ろから姿を現したが、顔は未だ暗く伏せていた。ダールトンも徐に立ち上がり彼に近付くと、すっと手を上げる。はたかれると思ったのか、瑞樹はビクッと肩を竦めるがその手は瑞樹の頭上へゆっくりと降り、酷く不器用そうに撫で始める。
「……ぅえ……?」
「やれやれ……まるで幼子を相手にしているようだ。全く、独身のこの私にこのような真似をさせるとは、瑞樹卿も良い度胸をしている」
ポカンとしていた瑞樹だったが、ダールトンの発言ではっとしたらしく再び目を伏せながら「すみません」と小さく呟く。すると沈黙を守っていたゼルランダーが唐突にくっくっと笑い出し、ダールトンへ視線を向ける。
「そういう所ですよ、ダールトン様」
「む、お主は黙っていたまえ。……コホン、ともかくだ、何故そこまで気に病んでしまうのかは知らんが、少なくとも我々はお主のお陰で命を拾った。故に感謝する、ありがとう」
「でも……私のせいで、皆さんを危険な目に……」
「始まりはそうかもしれんが、結果は皆無事だった。それで良かろう?お主は皆の命を救ったのだ、もう少し誇りなさい」
その言葉で瑞樹の憑き物が漸く落ちたらしく、こくこくと頷きながら嗚咽を漏らした。ともかくこれで万事解決と相成った訳だが、瑞樹の泣き声を聞きつけてフレイヤがそそくさと姿を現す。
「あ~!ダールトン殿ってば瑞樹卿を泣かしてる!」
「馬鹿者、私のせいでは無い」
「ふ~ん、どうだかねぇ?」
「何だその目は、全く。ともかくさっさと出立するぞ、片付けを急げ」
ニマニマと笑みを浮かべるフレイヤを睨み付けながら、ダールトンは特大の溜め息を吐いてそのまま何処かへと姿を消した。そんな様子の彼を見送った後、フレイヤは瑞樹の方へ視線を向ける。
「はいはい、全く忙しないんだから。それはそうと、目が覚めて良かったわ瑞樹卿」
「あ、はい。ありがとうございますフレイヤ様。……あ、あの──」
「──一応言っておくけど謝るのは無しだからね。もしそのまま頭を下げようものなら拳骨よ?」
「え、それは勘弁してください……!」
瑞樹は下げようとしていた頭を瞬時に上げ、すぐさまフレイヤへ視線を向けた。すると彼女はアハハと笑いながら彼と向き合う。
「半分冗談よ。ともかくこれ以上ウジウジするのは無しだからね。もし見かけたら鉄拳制裁だから」
「ぜ、善処します」
「駄目、約束しなさい」
「は、はい。この件では絶対にウジウジしません!」
「それで良し。……どうビリー?これくらい強引な方が良い時もあるのよ。優しくするのも良いけど過保護も良くないわよ?」
視線を瑞樹の後ろに居るビリーへと向けたフレイヤ。彼女のどうだと言わんばかりの表情に若干苛立ちを覚えたようだが、瑞樹が多少元気になったのもまた事実。やきもきした思いを抱えながらも「勉強になりました」と返す。
「分かれば良いのよ。さて、あたしも後片付け手伝って来るから。瑞樹卿、じゃあまた後でね」
「はい、私も手伝います」
「お馬鹿、病み上がりのあんたが手伝ってどうすんのよ。それに朝食もまだでしょ?全く。ビリー、ちゃんと彼の事管理してあげてよね」
「重々承知しております、はい」
言うだけ言って満足したフレイヤはそのまま瑞樹達から離れていった。いつの間にかゼルランダーも居らず、ポツンと二人だけになった互いに向き合い、何となく苦笑した。
「取り敢えず、飯食うか。持って来てやるよ」
「うん、ありがとう」
そう言ってじきに戻って来たビリーの手には一人分のスープとパンが握られていた。不思議に思った瑞樹がその旨を聞いてみると、ビリーは瑞樹が目覚める前に朝食を済ませていたようだ。
少し寂しさを感じていた様子の瑞樹だったが、どうこうする事も無くスープとパンを口に運び食事を終えた。それから程無くして一行はおよそ残り半分の道のりを進むべく動き始めた。