6-11 忍び寄る影
エレナの誕生日の翌日、予定通り貴婦人をメウェンの邸宅を招き茶会が行なわれた。今回の主役はあくまでエレナという事もあり、初めて瑞樹が茶会に参加した時とは比べ物にならない程の人数が招かれていて、大広間は招待客や従者でごった返していた。
「お誕生日おめでとうございます。エレナお嬢様、病を克服されました事私も自分の事のように嬉しく存じます」
「えぇありがとうございます。私もこうして再び貴方様とお会い出来た事嬉しく存じますわ」
同様のやりとりが早一時間続いているが、エレナの世辞を多分に含んだ言葉と愛想笑いは未だ衰えておらず、遠目でその様子を見ていた瑞樹も随分と驚嘆していたようだ。
そんな瑞樹の近くには珍しくオリヴィアが居ない。彼女はエレナの傍らで他の貴婦人との談笑に励んでいるからである。その為、瑞樹はこの時間一人で応対せねばならなくなっており、なるべく人目に付かないよう離れて居るというある意味貴族の真逆の行動を取っていたのだが、一人の女性が彼に近付いて来た。
「お久し振りでございます瑞樹様。私の事は覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「確か、旧年の茶会にお呼ばれされた方ですよね?」
「まぁ、私の事を覚えていてくださいましたのね。とても嬉しいですわ」
「あはは……まさかあの時髪を触らせて欲しいとお願いされるとは思いませんでしたから、衝撃的で良く覚えております」
「その節はありがとうございます。今でもその時の感動は鮮明に覚えておりますわ。……ところでどうしてこのような隅にいらっしゃるのですか?貴方様ならそれこそエレナお嬢様と並び立っても誰からも苦言は出ないでしょうに」
「私はあまり目立つ事が好きではありませんし、それに本日の主役はエレナお嬢様です。悪目立ちするような私はむしろ参加を憚るべきだったかもしれません」
「それはいけませんわ。確かに本日招かれた内容はそうですが、少なからず瑞樹様を一目拝見したいと内に秘めている方が居ると思いますし」
「まぁ……そうかもしれませんね。事実、貴女が来る前から視線を感じていましたから」
「うふふ。ある種人気者故の税かもしれませんわね。ところで本日は歌を披露されないのですか?」
「あはは……是非勘弁願いたいものです。そうですね、一応一曲だけ歌わせて頂く事になっております。昨日お目見えした新曲です」
「まぁ、それはとても楽しみです。さて瑞樹様、このような場所に一人でいらっしゃるのも勿体無いですから、もう少し彼女達の輪に入りませんか?私が間に入れば瑞樹様も他の方とお話ししやすいでしょう?」
「そう、ですね。承知致しました。私は口下手なので、よろしくお願い致します」
「はい。では参りましょう」
それから彼女と共に女性陣の輪に入った瑞樹。流石自薦するだけあって存外過ごしやすいらしく、女性だらけの中の異物と自負していた様子の瑞樹も、すぐに馴染んだ。
「このお菓子、とても美味しいですわ。ずっしりとしていてとても食べ応えがあります。それに様々な果実が練り込まれていて見た目にも新鮮な感じがしますね」
「あら、こちらの不思議な見た目の菓子も美味ですわよ?まるで溶けない雲に様々な甘露煮をかけて食しているかのような、新しい感覚です」
「これらを開発したのは瑞樹様だと噂が立っておりますが、実際はどうなのですか?」
女三人寄れば姦しいと先人は良く言ったもので、現在進行形でそれをたっぷりと味わっている瑞樹。だが瑞樹もそれなりに慣れているお陰か、嫌な顔一つせず、実際は心の中にしまっているだけのようだが、満面の愛想笑いで受け答えする。
「いえ、私だけではありません。そこのは大勢の料理人方も居ましたし、エレナお嬢様も居りましたから」
「へぇ、エレナお嬢様って存外おやりになりますのね」
「噂の真偽はさておいて、是非とも調理法が知りたいわ。ねぇ瑞樹様、教えて頂けませんか?」
一人の貴婦人が上目遣いでおねだりしてくるが、瑞樹にはなんの効果も認められなかった。その女性が瑞樹を篭絡できると踏んでの行動かは定かで無いが、いずれにせよ男の急所が克服され、冷静に分析出来てしまう事は瑞樹にとって複雑だったようだ。
「申し訳ありません。私の一存では決められませんので」
「あら、それは残念ですが致し方ありませんね」
意外にもその女性はあっさりと引き、食い溜めと言わんばかりに再び菓子を口に運び始めた。恐らくこれ以上は無駄と悟ったのだろう。
ちなみにこの会にスポンジケーキは出ていない。理由は至極単純、まだこれを世に出したくないと昨日の誕生日で決められたからである。しかも発案者は意外な事にメウェンで、曰く何かしらの切り札として暫く取っておくべきだとか語っていたが、詰まる所もう暫くは独り占めしたいらしい。
それからさらに一時間が過ぎ、漸くエレナの前で並んでいた貴婦人方の列は底が見え始めた。エレナ同様に瑞樹も少しほっとした面持ちで眺めていると、唐突に慌てた様子のギルバートが瑞樹の元に現れた。
「茶会の最中申し訳ありません瑞樹様。先程城の使いの方が、これを瑞樹様にと置いていかれました」
そう言って瑞樹に手渡した物はおよそA4サイズの封筒だが、それを見た途端瑞樹は嫌な予感が頭を過ったらしく、恐る恐る中身に視線を送った。すると瑞樹の目に映った物は案の定と言うべきか、一見真っ黒に見える薄い板切れ、密書である。
「申し訳ありません皆さん、少し席を外させて頂きます」
冷静を装いながら貴婦人方の輪から抜け出した瑞樹は、歩いている最中もギルバートと小声で話す。
「ギルバート、近くに空き部屋はありませんか?」
「少し離れますが、ございます」
「分かりました。そこに向かいますのですぐに人払いを」
「かしこまりました」
瑞樹の指示を受けたギルバートは、現地へと向かうべく早歩きで瑞樹の元から離れていった。そんな彼を瑞樹も慌てず騒がず急いで追いかけ、その部屋に足を踏み入れる。
「人払いは済んでいますね?」
「勿論でございます」
「ありがとうございます。……密書がわざわざ送られて来た、という事は余程の事が起きたのでしょうか……?」
「私ではとてもではありませんが分かりかねますので、早々に案件を確認した方がよろしいかと」
「そうですね」
封筒の中身をすっと取り出した瑞樹は、魔力を密書に流すとじんわりと文字が浮かび上がってきた。その内容に瑞樹も思わず「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げ、その声に少し肩をビクッとさせたギルバートが恐る恐る問いかける。
「それで、内容はどのようなものだったのですか?」
「内容なんかありません。すぐに来い、たったその一言だけです」
「それはまた……随分と性急ですね」
「それだけ余程の事なのかもしれません。ギルバートは馬車と着替えの用意を、私はオリヴィア様にその旨を伝えてから参ります」
「かしこまりました。ではメウェン様には私から伝えましょう」
「はい、お願い致します」
ギルバートとはその場で分かれ、瑞樹もすぐさま大広間へ踵を返すと一目散にオリヴィアの元へ向かった。一目見た時は別段何も感じなかった様子のオリヴィアだが、何処か瑞樹が纏う空気のおかしさに気付いたらしく、真剣な表情で彼を見つめる。
「瑞樹、何かありましたか?」
「申し訳ありませんオリヴィア様、緊急の案件で城に向かわなければならなくなりました」
「……そうですか。内容の程は分かりませんが、承知しました。存分に務めを果たして来てください。貴婦人方には私が説明しておきます」
「お願い致します。エレナお嬢様にもすみませんとお伝えください」
「分かったわ。さぁ早く向かいなさい」
瑞樹が「はい」と返事をして後ろを振り向いた途端、現状最悪の人物に遭遇してしまった。
「あぁ!やっと見つけたわ瑞樹。折角この私自ら探していたというのにここから離れようなんて、良い度胸しているわね!」
「……イザベラお嬢様」
カールの掛かった髪を揺らすその淑女、ドリオス卿の娘であるイザベラが瑞樹に指を指しながら突っかかって来た。
「申し訳ありません。急用が出来てしまいまして……」
「はん!貴方の愛しのエレナの祝いより重要な用って一体なんなのかしらねぇ?是非とも伺ってみたいわ瑞樹伯爵様?」
焦燥感から来る瑞樹のもやもやは徐々に苛立ちへと変化しているらしく、顔をむっとさせながらオリヴィアの方へ視線を送ると、彼女もはぁと溜め息を吐きながら瑞樹に並び立った。
「イザベラお嬢様、そこまでになさいな。瑞樹が困っているでしょう?」
「あらオリヴィア様、私はただ伺っているだけですわ。一体どのような急用かしらって」
悪い笑みを浮かべるイザベラに、平生穏やかなオリヴィアも流石に思う所があったらしく、瑞樹に何の要件か話すよう口にした。彼女のその顔は酷く冷ややかな笑顔で、瑞樹もその凄みに背筋をぞわっとさせながら、イザベラに視線を向ける。
「え、えぇとイザベラお嬢様。実は国王陛下らからのお呼び出しですので……」
「じょ、冗談ですわよね?まさか瑞樹でもそんな頻繁に国王陛下から呼び出しなんて来る筈が──」
「冗談で国王陛下を出せると思うの?イザベラお嬢様」
先程から不遜な物言いばかりしているイザベラも、流石に国王陛下を出されては茶化す余地が無いようで、オリヴィアに断じられて顔をみるみるうちに青くさせる。
「そ、それならもっと早く言いなさいよ!」
「別に声を大にして言える事では無いですよね?」
「うぅ……それはそうかも知れないけど、あぁもう分かったからさっさとお行きなさい!引き止めて悪かったわよ全く……」
イザベラは最後に小声で謝りながら瑞樹達の元から離れ、貴婦人方の中へと姿を消した。高慢ちきな面は勿論あるが、ちゃんと謝る事も出来る彼女に何処か憎めない雰囲気を感じたようで、去っていく彼女の背中を苦笑しながら見送ると、オリヴィアの咳払いではっと我に返る。
「さぁ瑞樹、こんな事をしている場合では無いでしょう?」
「あっ、そうでした。では行って参ります」
「えぇ。国王陛下に粗相の無いようにしゃんとしなさいね」
「はい、心得ております」




