1-10 亡き者へ送る歌
翌日の夕方、瑞樹とビリーは新たに仲間となったシルバを連れてギルドに出向いていた。やはり魔物を連れているのは目を引くのかチラチラと視線を感じるものの、特段ちょっかいを掛けてくるでもなく存外受け入れられているようである。
「おう、今日の分の目方だ」
「あ、はい。少々お待ちください」
ギルド直営の解体屋から受け取っていた暴猪の重量が記載された羊皮紙を受付に手渡すと、背後にある金庫をゴソゴソと弄りながらそういえばと話し始めた。
「昨日の豚人大量討伐の件が評価されて、お二人共中級冒険者に昇格となりましたよ。おめでとうございます」
瑞樹はもう少し昇格に際して何かあるかと思っていたようだが、物のついでに報告という素っ気無さに少々ガクリとしていた。とはいえまだ冒険者となって日も浅く、本当に昇格してしまって良いのかと受付に問いかける。
「ギルドマスターが決める事ですので私が口出し出来る事では無いんですけど、まぁ実力主義みたいな所がありますから。結果さえ出せば問題無いんでしょう」
「俺、そんな実力なんか無いんだけどなぁ……」
「気にすんなよ。お前が弱っちいのは知ってるけど、その分別方向でちゃんと役立ってんだから」
「私にはその辺り良く分かりませんけど、ビリーさんがそう言ってくれているんですし自信を持っても良いと思いますよ?」
ビリーと受付の女性にそう言われ、瑞樹は少々不本意そうにしながらも受け入れた。晴れて、かどうかはともかく二人は揃って中級冒険者へと昇格、登録証もその場で鉄色から銅色へとグレードアップしたのであった。
それから数日が経過したとある日の夕方。中級へと昇格したがいつもの獲物を狩り、報告するべくギルド内に入った。すると騒がしいのは日常茶飯事だが今は何か様子が違う、何か慌ただしさを含む状況に瑞樹もしきりに周囲をキョロキョロと見渡す。
「何かあったのかな?」
「多分な。……っと、なぁ何かあったのか?」
ビリーが顔馴染みの冒険者を見つけ尋ねると、「あぁ。西の街道に死霊の大群が出ただの何だのって話だ」との返答が。それを聞いたビリーは顔馴染みの冒険者同様、苦々しそうな表情を浮かべる。
「そりゃあまたとびきり厄介な話が出てきたもんだ」
「あぁ。どっかの野営していた隊商が被害に遭って、使い走りをここに送ったんだと」
「ふぅん、成程な。こっちに緊急招集が来なきゃいいが」
「流石にそこまでは無いだろ。死霊の相手は浄化魔法を持つ上級冒険者がするってのが相場だ。俺らみたいな中級や下級にまで回ってきたらよっぽどだ」
二人の会話に付いていけていない様子の瑞樹がビリーに「何の事?」と耳打ちすると、ビリーは「後で教えてやる」と返した後顔馴染みの冒険者と挨拶を交わして別れた。それから受付での用事を早々に済ませギルドを後にすると、「っと死霊の話だったな」とビリーが切り出す。
「とはいってもそのまんま。死んだ人間が魔物化したってだけだ」
「ゾンビ、的な感じ?」
「おぉ良く知ってるな」
「まぁ似たようなの見た事あるからね。作り物だけど」
「ふ~ん。で、死霊には四段階の状態があるんだが、最初がお前も言った屍体、次が肉を捨てた骨体、最後が骨すら捨てた亡体だ」
曰く止めを刺す為の浄化魔法は必須にしても、屍体や骨体は剣で四肢を斬り捨てる等、物理的な足止めが可能な為まだマシとの事。しかし肉体というくびきから解き放たれた亡体となるとそれらが一切通じず、対して肉体を捨て去った亡体は魔素と溶け合い、魔力と変化させ苛烈な魔法攻撃を仕掛けてくる。数ある魔物の中でも特に危険度の高い存在として認識されているようである。
「成程なぁ。……ん? さっき四段階の状態があるって言ったけど、まだ三種類じゃない?」
「あぁ~……四段階目も一応あるっちゃあるんだが、少なくともここらじゃ俺を含め見た事ある奴なんて居ないから言わなくても良いかと思ったんだが」
「何それ、そんなに珍しいのか?」
「まぁそんな感じだ。段階を上げるには人を狩る必要があるらしいんだが、知っての通りここらは王都に続く街道沿いだ。死霊を野放しにしようもんなら大惨事になり兼ねないってんで、大抵すぐに始末されるからそもそも段階すら上がらないのが普通になってる」
「確かに王都が死霊に襲われたらヤバそうだ」
「まぁ実際は王都お抱えの騎士様にぶっ飛ばされて終いだろうが、それは置いといて。そんな死霊が行き着くのは死霊王って呼ばれるバケモンだ」
「やっぱり強いんだ?」
「出回ってる情報通りならかなりヤバいが、実際はどうだか。北の山を越えた方ではたまに居るって話も前聞いた事あるけど、まぁいずれにせよここらにそんなの居る筈も無いし、数日もすれば浄化魔法を持つ上級冒険者が掃除してくれんだろ」
楽観視するビリーに瑞樹は「……そうだと良いけど」と呟いた。芳しくない表情の裏にはどうやら嫌な予感があったらしい。暴猪の親個体と対峙した、あの時のような。
予てビリー達が話していた通り、翌日には上級冒険者計十名で編成された討伐部隊がニィガを出立。朝方森へと向かう瑞樹達もすれ違っていたが、瑞樹の表情はいまいち冴えない。
「なぁビリー……あの人達大丈夫だよな?」
「お前に心配されんでも大丈夫だろ。何せ浄化魔法の効き目は死霊に対して抜群、それを使える連中で固めてんだから負けるわきゃねぇって」
「そう……なら良いけど」
心配そうに見つめる瑞樹の視線が討伐部隊の一人の女性と偶然合い、各々会釈しつつ自身の目的地へと歩を進める。ただ瑞樹の表情は一層暗くなるばかりで、先だってすれ違った者達の身を案じているようだった。
その翌日、町は朝から騒然としていた。
「おいおい……何だよ朝から。なぁそこのあんた、何かあったのか?」
外から漏れ聞こえる騒々しさが気になったらしく、ビリーは家から出て話し込んでいる町人達に問いかける。すると町人の一人が焦りを色濃く顔に浮かべながら「あぁ……何でも昨日の討伐部隊が壊滅したとかって話だ。さっきたった一人逃げ延びれた奴がギルドに報告したらしい」と告げ、これにはビリーも「マジかよ……」と絶句する。
「しかもそれだけじゃないぞ。何でも報告にあった場所よりもかなり町側で奇襲を受けたんだと、もしかしたらここもヤバいかもな」
「死霊が奇襲……? あの脳みそまで腐ってる連中がか? あり得るのかそんな事」
ビリーが怪訝に思うのも無理はなく、本来死霊は思考しない。例え元が人間だとしても戦術等々は使用せず力押しに頼るのが普通である。それが奇襲などという手段を取るのは普段の生態からして考え辛いようである。
「そんなの俺に言われてもな、あくまでそんな話を聞いただけだ。何せそこら中本当かどうか分からない噂話で持ち切りで、これだってどうだか分かりゃしねぇ」
「まぁ騒ぎで情報が滅茶苦茶になるのは良くある事だしな。……それより次の一手に関しては何か聞いてたりしないか?」
「悪いが流石にそこまでは分からん。ただ、この町に居た上級冒険者はほぼ壊滅、他の町や王都に要請しても果たしていつになるやら分かったもんじゃない。となればギルドマスターも決断を強いられるだろうな」
その言葉にビリーも察しが付いたらしく、チッと大きく舌打ちする。対応出来る人間は最早近くに居ない、となれば取れる選択肢もそう多くは無い。
最悪とも言える現状にギルドの方もかなり頭を悩ませていたようだが、何としても町、ひいては王都への襲撃を食い止める為に中級冒険者の緊急招集を決定。無論危険は承知の上、それでも足止めに打って出ねば次に繋げる事すら難しいと苦渋の決断だろう。
当然瑞樹達にもその日の内に召集が掛かり、緊急招集となれば拒否する事も叶わないらしく否応無しに参加する事と相成った。豚人と対峙した時以上の修羅場となるのは間違いなく、日中瑞樹とビリーの口数が減るのも無理からぬ事だろう。
「……みんな凄いピリピリしてる」
「そりゃあな。何てったって相手は死霊の大群、しかも数も質も不明となりゃ俺だって願い下げだ」
「最悪皆死ぬかもしれない、か。……ごめんなシルバ、危険な場所に連れ出しちゃって」
瑞樹とビリー、それにシルバを含む中級冒険者計三十名弱の間に合わせ部隊は、招集した夜半過ぎに移動を開始。死霊という名の通り夜中にしか姿を現さないが、日中でも移動自体は可能とされている。それ故討伐を主目的とする場合夜間に行動するのが常套手段とされているが、当然死霊の領分に立ち入る事になる。しかも今回に限っては足止めが目的というよりも、浄化魔法を有する者が居ない為それしか出来ない。緊張感が漂うのも当然だろう。
木々が生い茂った街道は昼間通るなら然程でないにしろ、流石に松明の明かりを頼りに進むのは中々に薄気味が悪く、木々のざわめきや冒険者達の足音がさらに拍車をかけているらしく瑞樹も思うように歩が進まない様子だ。そんな時、瑞樹がふと何か思ったらしく「そういえば」と傍らのビリーに話しかける。
「浄化魔法って死霊に良く効くんだよね。それなのに何で上級の皆は負けたんだろ?」
「あぁ俺も気になったから日中ギルドで聞いて回ってみたんだが、そこら辺どうしても分からなかったんだよな。唯一戻ってきた奴がかなり精神的にきちまってるみたいで話を聞くどころの騒ぎじゃなかったんだとさ」
「……仲間が皆居なくなっちゃったんだ。仕方ないよ」
その気持ち良く分かると瑞樹が付け加えると、ビリーは瑞樹の方も気になった様子を見せつつ何故浄化魔法を持つ上級冒険者が壊滅に至ったのか、一つの仮説を提示する。
「死霊の数が多過ぎて捌き切れなかったってのが、一番可能性高そうって話は聞いた。浄化魔法が有効なのは間違いねぇけど、処理を上回る量で攻められちゃどうにもならんってのは確かにあり得るかもしれねぇ」
「成程、ねぇ……」
仮説としては十二分に成り立っているだろうが、果たして本当にそうなのか。拭えぬ不安が入り混じる瑞樹の疑問は、急報を以て頭の隅に追いやられてしまう。
「敵襲ーっ!」
前方の大声を口火に周囲が急激に慌ただしくなる。何処かで「待ち伏せだと!? 奴らにこんな真似が出来たのか!?」と困惑していたが、本来死霊とは本能で動くのが常識で、先だって奇襲を受けた上級冒険者の話を聞いていたとしても中々自身の常識を覆すのは難しい。そして自身達も待ち伏せという戦術を以て襲撃されれば、浮足立つのも無理からぬ事である。
そういった常識が無いからこそ瑞樹はやはり何かがおかしいと怪訝そうに顔を顰めるが、考え込む時間もどうやら無いらしく、最低限自衛出来るようにと持たされている剣を抜く。それ程状況がひっ迫していると言わざるを得ない。
「ビリー、シルバ。無茶すんなよ」
「そりゃこっちの台詞だ。ただでさえまともに剣を使えねぇんだから、邪魔にならねぇように隅に居ろ。それと間違ってもアレは使うなよ、こんなとこで動けなくなったらそれこそ終いだぞ!」
そう言い放った後、ビリーは迫り来る屍体や骨体の四肢を砕き、斬り飛ばしていく。シルバも表情を変えず淡々と四肢を噛み千切る。止めこそ刺せないにしろ、無力化出来るのはとても大きい。
一方瑞樹はと言うと剣を抜いたは良いものの出来る事は殆どなく、却って邪魔になりかねないと隅に逃げ隠れる。結果としてビリーの言う通りとなってしまったが、代わりに落ち着いて辺りを見回す事が出来た。
「話には聞いてたけど……ごり押しが過ぎるだろこれ……!」
暗がりでは数える事すらままならないが、死霊の数は冒険者側のおよそ三倍以上で数字にだけ目を向ければ圧倒されている。しかしお世辞にも機敏と言えない屍体が大部分、骨体も身軽とはいえ全く対応出来ない訳では無い。
初めこそ翻弄された様子の冒険者達であったが、いざ落ち着きを取り戻せば処理も容易らしく少しずつ冒険者が優勢となっていく。
「こっちが押してる筈なのに、何かおかしい……」
確かに敵の数が多く一時劣勢となった。が、今では押しに押している。言ってしまえば『この程度』の敵に上級冒険者が負けてしまったとは中々考えにくい。何かを見落としている、瑞樹がそんな事を思った矢先、視界の端に突如閃光が映り衝撃を伴った爆発音が鳴り響く。
「爆発!? 誰かの魔法か!?」
咄嗟に手で頭を覆った瑞樹は視線をそちらに向ける。もしや冒険者の誰かが派手に魔法を放ったのかと想像したようだが、事態はそんな楽観的なものでは無かった。ドォンと鳴る度に上がる火柱は確かに派手である、しかしそれらは全て冒険者達を狙っていた。
「ぎゃあぁぁ!」
「うわぁぁぁ!」
悲鳴が上がり、誰かの命が消える度に何かがケタケタと嗤いユラユラと揺らめく。今更ではあるものの余りに非科学的な存在に瑞樹もそれの正体を瞬時に悟ったらしく「あれが……亡体なのか……!?」と無意識に呟いた。
「ちくしょう! 浄化魔法がありゃあなんて事はねぇってのに!」
「ヤバいぞ! これじゃなぶり殺しにされる!」
至る所で冒険者の怒声が上がり、混乱と動揺が周囲に一気に広がる。攻撃も苛烈さを増す中、死霊は遂に本気を見せた。
「何だあの亡体……いやあれ亡体で良いのか? 身体は浮いてるのに透けてないぞ」
「……まずいぞ! ありゃあ……死霊王だ!」
見た目こそ人と遜色無いが、逆に言えば人の世に紛れ込める域にまで到達してしまった事に他ならない。しかも変化したのは見た目だけでなく本能で動くだけの思考も洗練されるらしく、騙し陥れる狡猾な思考を持ち合わせるようになり、だからこそ人間紛いの戦術を取れたのだろう。そして何より最悪なのは、死霊王にはもう一つ特別な能力が備わっているのである。
「おい! 誰か浄化魔法使えないか!?」
「いや……どっちにしても無理だ……奴は浄化魔法に耐えるって話なんだぞ……!」
出回っている情報によると死霊王は浄化魔法の効果が薄いとされている。上級冒険者が壊滅に追い込まれ、今は統率された死霊の軍勢により中級冒険者達が擦り潰されようとしている諸悪の根源に、今ようやく気が付いた者も数多かったがあまりにも遅すぎた。
「マズい……何とかしないと。でもどうやって……?」
瑞樹は口を押えながら必死に思考を巡らせるが、どうしても行き着く先は一つしかないと顔を歪ませつつ今なお死霊を食い止めているビリーを呼びつけた。
「ビリー! アレを使うから援護出来るか?」
「おま……! さっきの話聞いてなかったのか!? ここで動けなくなったら死ぬぞ! そうなる前にさっさと逃げた方が良い!」
「分かってる! でも、今やらなきゃ……どっちにしろ逃げ切れるかどうかさえ賭けなんだ。なら、一発逆転に賭けた方が良い」
頼む、と瑞樹が頭を下げると、ビリーは「……あぁクソ! どうなっても知らんからな!」と瑞樹に近付き守勢に転じる。するとシルバも察したのか何処からともなく現れビリーに加勢、迫る死霊の波を必死に食い止める。
「チィッ! おい瑞樹、やるならとっととやれ! そう長く保たんぞ!」
「分かってるから急かさないでくれ!」
戦闘の音が徐々に自身に近付き、頭では落ち着こうとするも裏腹に焦燥感が募っていく。ここに来て集中しなければ発動出来ない条件が瑞樹に重くのしかかる。ならばと瑞樹は瞼を閉じ、耳を塞いで外の情報を一切断つ。もし万が一の事があれば逃げる間もなく死霊の波の呑まれるが、ある種不退転の決意の表れでもあった。
『この場の全ての死霊達よ、全て消え去れ!』
言霊が発動された直後、瑞樹の頭に再びあの『──ウタエ』という声が聞こえるとほぼ同時に詞が浮かび上がる。瑞樹はそこに何の迷いも見せず声を歌にする。せめて、せめて安らかに逝って欲しいと一心に願いを込めて。
「おい瑞樹! もうヤバいぞ! って、この歌……まさか!」
いよいよどうにもならないとビリーが後ろの瑞樹に視線を向けると、意識が瑞樹の歌に向いたらしくもしやと再び迫り来る死霊の大群に目を向ける。すると屍体や骨体は塵となって地面に崩れ落ち、亡体は蛍のような光の粒子となって空の彼方に消えていった。
「マジか……本当にやりやがった。いや待て、死霊王は!?」
瞬く間に数を減らしていく死霊の姿に驚愕しつつ、ビリーは死霊王の姿を探す。あれには浄化魔法が効かない、ともすれば瑞樹の力を以てしても倒せないのではないか。そんな不安が脳裏に浮かんでいたらしく、血眼になって周囲を見回す。すると一か所だけ不自然なまでに輝く場所があり、ビリーは目を擦りながらよくよく見てみるとそこには今にも消えかけている死霊王の姿があった。
「……これで本当にお終いだな」
ビリーは心底ホッとした様子でポツリと呟きつつ、瑞樹に視線を向ける。もし瑞樹が居なければ、今頃全員揃って死霊の仲間となっていただろう、ともすれば死霊王の下で町を、王都を攻めたかもしれない。瑞樹に感謝すると同時に、『言霊』という底知れぬ力に幾何の不安を少なからず抱いていたのも事実だろう。
「おい瑞樹、もう良いぞ。良くやったな」
ビリーが労いの声を掛けるが、瑞樹には届いていないのか一向に止める素振りを見せない。と言うのも、この時瑞樹は誰かの声を聞いたような気がしていたようである。誰かは分からない、しかし──
──ありがとう
そう確かに聞いたと言わんばかりに、空に還る魂を想い歌い続ける。そして最後の一体が光と消えると、瑞樹もこと切れたかのようにその場にドサリと倒れ込んだ。