1-1 人生なんてそんなもの
小説初挑戦ですので、温かい目で見ていただければ幸いです。
その日彼は、夢を見ていた。幼少の頃の思い出したくない夢を。
「や~い、おとこおんな~!」
「おい、おれのふでばこかえせよ!」
「へへっ、なにがおれだ、おまえにはにあわねえよ!」
幼少の頃、彼はいじめを受けていた。その一番の要因が彼の容姿、彼を見た人の殆どがまるで女子だと口を揃える程に。もう少し歳を重ねればいじめている男子も落ち着くかもしれないが、未だ善悪の区別すらつかない現状は彼らの恰好の玩具になっていた。
「おら、かえしてほしかったらはだかにでもなってみろよ」
「そうだそうだ、おとこならはずかしくないだろ」
「うぅ……」
庇えば次は自分の番と大抵は見て見ぬ振りをする者ばかりで友達と呼べる者が殆ど居ない彼だったが、たった一人だけ彼を色物扱いせず救いの手を差し伸べる男の子が居た。
「おいやめろよ!」
「なんだ、またおまえかよ!」
「うっさい、いいからさっさとかえしてやれよ! でないとせんせいよんでくるぞ!」
「ちっ、めんどくせえな。ほらよ」
「ほら、とりかえしてやったからもうなくなよ」
「うん、ありがとう……」
彼にとってその男の子は強く逞しく格好良く、いつも傍に居てくれて助けてくれる、正しくヒーローであり憧れの存在だったようである。ただ男の子に対する彼の想いは、いつしかあの男の子みたいになりたいといった憧れとは違う、別の感情もまた芽生え始めていたらしく、度々頬を朱に染めては胸を高鳴らせていたらしい。
彼がいじめられているのを男の子が助ける、そんな日々が続いたある日、男の子が何気なく言った一言は恐らく彼にとっての天啓、転機と言っても差し支えないだろう。
「おまえがおんなっぽいのはおれもおもうよ。ならさ、それをりようしてアイドルになればいいんだよ」
「あい……どる? でもなんで?」
「だってみためだけはクラスのおんなのこにもまけないし、もししょうらいそうなればあいつらだってみかえせるだろ?」
男の子はそう言いながら彼の頭に手を乗せて、やさしく撫でた。温かい、とても温かい温もりは彼の心に強烈に刻み込まれようで、暗かった彼の顔にも笑顔が戻ると彼は声高に宣言した。
「……うん! わかった、おれアイドルめざしてみるよ!」
「あぁ、がんばれよ! もしほんとうになったらファンになってやるからさ」
「うん! やくそくだからね!」
こうして彼にアイドルという夢が出来たが、内心はいじめっ子達を見返す事よりも男の子にファンになって欲しいという、若干邪な気持ちの方が大きかったようではある。そして彼が少しずつ夢に向かって歩き始めた矢先、悲劇が訪れた。
偶然町中で男の子と出逢った彼は、車道を挟んだ対面から「お~い」と声を掛けながらブンブンと手を大きく振り男の子の注意を引く。それに気付いた男の子も手を振り返し、他には目もくれずに駆け寄ろうとしたその時だった。
「……え」
彼の目の前で男の子は車に轢かれ、打ちどころが悪かったらしく即死してしまう。子供の飛び出し事故は程度の大小問わず度々起こり、不運なれど良くある事だった。
しかし彼は違う、もし自分が声を掛けなければ出逢わなければ、そんな事を思いながらとにかく自分のせいだと自身を責め続ける。昼夜問わず泣き続け目元は赤く腫れ、喉が枯れて声が出なくなった頃、まだ彼の子供のような心では耐え切れない負荷が重く暗く残ってしまう結果となったようである。
心の拠り所が無くなった彼はそれでもと両親の反対を押し切り、最後は喧嘩別れのような形でアイドルを目指そうとする。だがその胸中は常人と比べると酷く不安定で、何故アイドルを目指しているのか徐々に不鮮明になってしまい、そして遂に──
──あの男の子が居ないなら、目指しても意味が無い。
そんな事がふと彼の頭に過ったらしく、かつて約束した夢は男の子に抱いた恋心と共に、自ら捨て去った。
「……うぅ、ん……何か最悪な夢を見てたような……? まぁ良いかバイト行かないと」
彼の名前は橘 瑞樹、今年二十三歳になったばかりの冴えないフリーター。幼少の辛い記憶は心の奥底に押し込め、騙し騙しでも持ち堪えていた。それに喧嘩別れしたあの日から結局一度も親元に返らず、少ない収入をやりくりしながら何とか生きている。そんな彼には、むしろ彼だからこそだろうか。現実から目を背ける為の趣味があった。
あっ新刊出てる、買ってこ。あぁこの本も前から気になってたんだよなぁ……買うか。ほぼ毎日同じような事を考えながら瑞樹は行きつけの書店に通い、心許ない財布と数多くの本を交互に見比べ本を物色しては購入。そして読んでは売却、またそのお金で別の本を購入と極力節約するよう努めていたようだ。
寂しいお金で何とかやりくりする為の致し方無い行動だが、それくらい瑞樹は本を読むのが好きらしい。それもジャンルは問わず小説であったり漫画であったり、とりあえず知識欲を満たし読めるものなら何でも良いらしい。
ただ知識欲と言えば聞こえは良いが、そんな知識を生かして世の為人の為というそんな崇高な考えは彼には存在しないようで、ただ物語に入り込んで妄想に浸る為の手段に過ぎないらしい。傍から見ればただの本好きに見えるだろうが、その実は誰も知らない。
そしてもう一つ、瑞樹には大事な趣味があった。
「衣装は……良し。メイクは……まぁ良いや、まだ慣れてないし。さて、録るか……!」
とある休日、瑞樹は家で女性服に身を包んでいた。独り言を呟きながら自身を全身鏡に映しながら満足気に頷いた後、徐にカメラの録画ボタンを押す。そして深呼吸して気持ちを落ち着かせた彼の口からは、なんと女性の声が。このワンシーンだけ切り取れば誰もが女性と見紛うだろう、それ程堂に入った演技だった。
瑞樹は女装が趣味である。女性服に身を包んで必死に身に付けた女声を駆使して歌い、それを録画してネットに投稿する。趣味と実益を兼ねた結果そうなったらしいが、彼の心の何処かにはいつか思い描いた夢の続きを見ていたい、そんな呪いにも似た想いがあるのかもしれない。
それに恐らく瑞樹は自分では無い誰かになる、そういった変身願望が強い。ある時は物語の主要キャラ、またある時は人気アイドルと、これに限っては傍から見れば痛々しいだろうが彼は別段気にする事も無かったようだ。ただ彼のそれはいささか度を越しているようにも思えるが、咎める者は文字通り誰一人として居ない。
ある日彼は、とある会社から「深夜アニメのED曲をお願いしたい」というお誘いを受けたのだが、瑞樹の胸中は疑いの色が濃く現れていたらしくひとまず返事を保留する。
このご時世ネット配信者がデビューするのは珍しくないが、何かと卑屈になっていた瑞樹は凡人にスポットライトが当たるなんてそうそう無い、もしかして騙されているんじゃないかとそんな風に考えたらしい。ただ声を掛けて来た会社はしっかりと実在する事が調べていく内に分かったようでホッと胸を撫で下ろしていた。
しかし瑞樹は知らない会社名だったらしく一抹の不安もあったようだが、これが最後のチャンスかもしれない、そんな思いが腐った心に喝が入ったらしくこの話を快諾した。
それから数日後、瑞樹は打ち合わせをするためにその会社へ向かい、一人の男性と出会う。
「初めまして。担当の石井です」
「あ、初めまして。橘瑞樹です」
「まさか本当に女性の恰好で来てくれるとは思わなかったよ」
「えっと……まずかったですか? この格好で来て欲しいって言われていたのですけど……」
「いいやそんな事は無いさ。俺は偶然君の動画を見てね、それで君に惚れ込んだ。その見た目に、歌声に、ね」
「……ありがとうございます……!」
瑞樹は面映ゆそうに頬をポリポリと掻いていたが、心の中では小躍りする程嬉しかったらしい。それから瑞樹はこの男性と打ち合わせを行ない、改めてお誘いを快諾した。このお話しを受けて成功させれば、遠い遠い、とても遠い夢の背中をほんの少しだけ垣間見れる気がする、そんな思いが帰る瑞樹の足取りを軽くする。
唐突だが瑞樹は一つの持論がある。運命とは良い事と悪い事のバランスが釣り合うようになっているらしい、と。つまり良い事があった後には、相応の代償が待っている。それは過去の経験から来るものなのかはともかく自身もまたその持論から、運命から逃げられなかったようである。
その日瑞樹は、通り魔に襲われた。すれ違いざまにお腹をどすりと刺され、力無くその場に突っ伏した彼の周りには血だまりが出来ていた。
「何……で……!?」
周りからは悲鳴や叫び声が聴こえてくるばかりで、瑞樹の元に救いの手が差し伸べられるのは結果だけ見ればあまりに遅過ぎた。
何で、どうして、俺は何も悪い事なんかしていない……! 誰のせい……神様……? 何で、何で、何で! 許せない、こんな運命にした神を……! 死の間際は走馬灯が見えると言われているが、この時瑞樹の胸中にあるのは在りもしない神様への恨み、それに自分の運命をただひたすらに呪うのみだったようだ。
そして瑞樹は、未だ幼き頃の傷が癒えぬ心に自ら致命傷を与えて命を落とす。