釣りガール、エイジングについて考える
ガツン、と当たりがあった、後、ゆっくりとラインが引き込まれ、緩やかに横に走り始めた。
……ゆっくりとラインの緩みを巻き取りガツンと、フッキング。
「フィーーーッシュッ!!」
「おおおおお魚、キマシタワーッ!!!」
「いよしっ! シズクちゃんに祝福かけるよ~っ!」
「ふふふ、今度はこの魚で誰を釣ろうかな」
マンサ様がちょっと不穏。しかし遂に釣り上げた魚だ、逃がすまい。
妖刀はどんな味だろう?
太刀魚は痛みやすい魚(破断強度、つまり歯応えが低下しやすい魚)だが、釣ってすぐ絞めたもののお刺身は絶品だと聞く。もちろん私はクーラーボックスを持っているので余裕で新鮮な魚を持ち帰れるのだ。ニヤニヤが止まらない。
新鮮なお魚の旨さと熟成した魚の旨さにはそれぞれの良さがあると思う。
今回は新鮮な魚を使うが、釣ってすぐは旨味が熟成されておらず不味いこともある。
なのでなんとなくエイジング(熟成)について考えてみた。
熟成したお刺身や生ハムや鰹節などお魚には美味しい熟成方法がたくさんあるし私も好きだ。魚の生ハムは生まれ変わってからも良く作っている。
しかし魚を釣って持ち帰った、半日程度時間経過した新鮮なものの甘味や水分、歯応えのバランスもとても良い。一般に魚は新鮮な物の方が美味しいと言われているのがこれだろう。
肉の熟成が美味しいと特に広まっているのは肉は最初からある程度繊維質で固いからではないだろうか。
エイジング(時間を経過させ熟成させる)すれば水分が抜けない限りは、つまり低温で湿度の高い環境でエイジングする限りは肉は柔らかくなるし、旨味が強くなる(タンパク質が分解されてアミノ酸の割合が大きくなる)のだ。が、魚は種類により幅はあるものの、歯応えはあるが最初から柔らかいし旨味も強い肉質だ。
尤も時間経過による歯ごたえや旨味の変化、活き絞めの良し悪しは魚種によっても変わる。
この世界に来てから初めて食べた干し肉の食感はカチカチだったが旨味は感じた。エイジングビーフももっと柔らかくて旨味が強くなるタイミングがあるだろう。
それに対し干し魚の場合は肉に比べれば旨味が強いので臭いはあるがこの世界でも人気がある。鰹節のように長期熟成する物もある。
お刺身でも数日熟成させた鯖を使うととびきり美味しいなんて話もある。
ただ魚はエイジングする課程でヒスタミンを生成する。アレルギーのような症状を起こす物質で、ある程度の時間経過で増えていく。鯖などに中るのは寄生虫のアニサキスとこれが有るからだ。
これを防ぐためには良く血抜きして洗い出来るだけ早くいただくか、逆に時間をかけてヒスタミンを分解する微生物に任せる必要がある。
こう言った問題があるのでやはりお魚は新鮮なものを、となるのだろう。
熟成を考え始めるとその世界はとても奥深い。
私は食い道楽なのでこう言った話には昔から興味があった。
前世では居酒屋バイトの後輩や女将さんにも色々教えてもらったな。
アジなどの魚の場合は時間が経てばアミン臭(トリメチルアミンの臭い)、アンモニア臭が強くなり、更に歯応えが無くなり、料理としては全く向かなくなる。
いわゆる魚臭いのはこれが原因で手などについたら塩やお酢で洗わないとなかなか臭みが落ちない。
酢漬けや塩漬け、干し魚などにすると変質したり乾くので腐食しにくく固くなるが、何もしないで放置しているとすぐに腐るので漁港近くに加工場が出来る訳だ。
ちなみにアミン臭やアンモニア臭はアルカリ性なので酢やヨーグルトなど酸性の食材を加えると臭いは抑えられるがあんまりに時間が経った魚は食感がゆるゆるだ。
それを防ぐためには前述の塩漬けや酢漬けで予め保存しておくか内臓や血の塊を綺麗に捌いて洗い流してから調理するかだろう。手間をかけたくないなら素直に新しいのを食べたい。
だからこそ釣りにハマったのだしね。
まあ私は料理人では無いので必要以上には考えないが、その辺りを考えるとクーラーボックスには熟成の機能が欲しいとは思うのだ。鮮度が維持されるだけでもとても助かっているけどね。
私としてはせっかく釣った魚が美味しくなるのならエイジングだろうが活き絞めだろうが最善を尽くしたい。ちなみにクーラーの解体スキルは血抜きもできるのが有り難い。(血合いが美味しいこともあるけど)
絞めについてもついでに語るなら絞めると言う事にはいくつか意味がある。
一つは命を奪う事。これで魚は食材に変わる。
次に血を抜く。血は腐りやすく臭みが強い。なるべく洗い流すのが正解だ。
次に腐食を抑える。陸に揚げられた魚はゆっくり死ぬと動いて乳酸を蓄積したり酸素を取り入れ続けるので傷んだり酸化が進むが絞めて血を抜けば酸素は取り入れづらいし早く動きを止められる。時間が経っても腐った食感や臭いがしない魚は絞め方が上手いと言う事になるね。
後は凍らせたり神経にダメージを与える事で仮死状態に持って行く事で純粋に鮮度を保つ方法もある。
まあ魚屋さんになりたいのなら気に留めておいて欲しいが一般の釣り人はそんなに気にしなくて良いと思う。エラを切って氷水にぶち込むとかで十分だ。
これらについてはただの釣りガールの経験上の所感なので間違ってたらごめんね。
長々と考えたが魚との死闘は続いている。
太刀魚ってこんなに強い魚だっけ?
引き方が特殊なのも確かだが重たいのだ。多分魔物魚だから馬鹿でかいのだろう。
何トンあるから上がってこないんだよ!
「うわわっ、なんか海底が上がってきましたわ!」
「ははっ、学校の教室サイズはあるんじゃないの?」
「前世じゃ有り得ないわね、これは」
まあ私の船に匹敵する馬鹿デカさなのだ。十メートル前後の間違い無い魔物魚。
釣り上げるぞっ!
そうしてようやく上がってきた魔物を鑑定にかける。
ムラマサ、魔物魚、乾きの敵、不老、魔王の眷属、呪われし魔魚、斬り裂く者……。いくら称号がついているのか。
だが今までで釣った中でも最大の魚を釣っているのは明らかだ。
この世界の魔王って女神様の眷属なんだが、これ釣って良いの?
女神様になんとなく聞いてみたら返答が来た。
『むしろ魔王ちゃんの作った食用魔物』
「魔物なのに食用?!」
食用蛙みたいなものだろうか。
どうやらこの魔物は食料事情を改善するために作られた魔物魚で、いつか勇者に倒される予定だったらしい。結局倒したのは釣り人だったが。
麻痺を掛けるとクーラーボックスに取り込む。このクーラーボックスってサイズ度外視で五百種のものを取り込めるんだよね。反則じみてるけどマンサ様やナミエの能力も同じかそれ以上だから問題ないか?
「凄いお魚でしたわね。どこで捌きますの? マンサ様」
「エサイルに行って王都で捌こうかね?」
「エサイルに行くんですか?」
カイル君はエサイル出身だっけ。現在はカソレ村に定住している状態でほぼカソレ村民なんだけどね。
カイル君は私が好きだからと言うけど……女神様にまでほぼイケメンとまで言われる私なんかのどこがそんなに良いのだろう? ひょっとしたら、ただ美味しい魚を食べたいだけなのかな? それなら年中魚のことばかり考えている私にくっつくのも納得だ。
魚好きな人なら私も好きになって良いのかな……?
そうチラッと考えただけなのだが私の視線から読み取ったのかナミエが鬼の形相になった。
「武士道は死狂いなりッ!」
「うわっ、なになになに!?」
ナミエはカイル君に向かってナイフを腰だめに構え、突進した。勇者様は余裕で回避したが危うく殺人事件である。
うん、ほんとナミエってちょっとおかしいよね。ヤンデレってこんな人の事を言うのかな?
とりあえず「ナミエも親友だし変な事をしない限りは好きだ」とか、若干嘘なフォローをしておいたら落ち着いたが、ナミエは危険人物過ぎて怖い。釣りしか取り柄がない私にも自由恋愛するチャンスをくれ。
このお話が一番難産でした。エイジングについてはまだまだ勉強中です。
魚のエイジングは食中毒の危険も有りますので自己責任でお願いいたします。