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WELT・SO・HEILEN~ウェルト・ソー・ヘイレン~  作者: 稲狭などか
アイドルと魔装解放編
9/46

ゲームボード(3)

 物事の始まりなんか単純で、素早く起こるものだ。

 その言葉が正明の脳裏に過ぎっていた。こうも物事とは一つの綻びから壊滅や失敗に結び付くものらしいが、綻んだ相手がなりふり構わず襲い掛かってきた場合はどうだろうか。

 華音を見つけ、声をかけようと正明はしたが、気付けば宙を舞い、体中の骨をボロボロにすると言う重傷を負っていた。魔法で痛みを散らして、懐から二本の薬を取り出して急いで使う。

 正明はへし折れた肋骨の治療のために大の字で飲んだポーションの効力を待っていた。


「正明! 大丈夫⁉ 正明!」


 泣きながら華音が駆け寄って来るが、さぞかし驚いたのだろう。友人がいきなり吹き飛んだ事もそうだが、いきなり羊の様な角を生やした仮面を着けて長いバルディッシュを持った男が戦い始めもしたら普通の女の子は泣き叫ぶ。

 正明が使ったポーションの効力は強いので、心配することは無い。

 プルレベルの回復魔法以上に信頼できるが、いかんせんクソ不味い。エグ味と苦みが入り混じり、シンナーなどの薬品の様な匂いが口の中に充満する。

 嫌なものだ。


「華音。離れていて、アレは、多分前に襲って来た連中とSPECTRE,sだ。逃げよう、真正面から戦ったら確実に負ける」


 回復した正明は上体を起こして、相手を左目でスキャンする。

 魔力良し、魔法のバリエーション申し分なし、フィジカルも鍛え上げられている。今までの雑魚とは少し違うようだ。

 正明はふと思い立つ。


「幹部クラス? 用心棒か、切り札と言う可能性も? いや、八雲に接近戦で互角なら幹部ぐらいかな」


 ぶつぶつと一人で呟く正明を見て不安になったのか、華音は無理矢理正明を安静させようと肩を押して寝かせる。

 正明は驚いて起き上がろうとするが、彼女の方が力も身長も上だ。

 押し負けて寝かされてしまう。


「正明、待ってて・・・・・・今すぐ助けを呼ぶから」


 ぐずりながらも華音は正明のデバイスを捜査して救急車を呼ぼうとしている。

 正明は全力でデバイスを彼女からひったくると、抱えるように彼女から隠す。ここでそんなものを呼ばれては堪ったものではない。

 ポーションの事を彼女に話そうとも、ポーションはWELT・SO・HEILENしか制作するする事はでいない。下手したらそこから身バレの可能性も浮上して来る。


「正明⁉ ダメだよ! 死んじゃうよ! 早く病院行かなきゃ、死んじゃうよ!」


 話を聞いてもくれそうにない。

 完全にパニックに陥っている。

 正明の今の姿は、口から血を流してシャツの胸辺りには血が滲んでいる。見た目だけなら重篤状態であるためそれも仕方ないのだ。

 実際に正明もポーションを二本以上使わなければ死ぬような傷だった。魔法で痛みを散らし、ギリギリの所でポーション一気飲みと、身体に浴びる事を敢行しなければあの世にGOだった。

 宗次郎には連絡したが、仲間は来ないだろう。

 いや、来ては困る。ここまでSPECTRE,sと伊達正明がセットで登場すればバカでも気付く。

 正明とSPECTRE,sには関係があると。


「死なないよ・・・・・・死んでいる場合じゃない。速く逃げなきゃ、ね? しっかりしてよ、華音。怪我した本人より驚いていたら、誰も助けられないよ」


 正明はあえて厳しい言葉を華音にぶつける。彼女に喝を入れて正気にする事が目論見にあったが、華音はハッとしたような顔をすると、魔法を発動する。

 対恐怖魔法ではない。

 身体能力を強化する魔法だ。


「ごめんね。また、同じ事するところだった」


「今回は、違うんでしょ? 華音。強くなったね」


 華音は正明の身体を軽々と持ち上げる。

 横目で八雲と男の戦闘を見るが、八雲一人では不味い。彼の固有能力は魔法には無敵だが、物理攻撃には弱いのだ。

 敵の男の得意分野は直接攻撃の様だ。突進から力に物を言わせた重々しい魔具からの一撃がメインの攻撃をバルディッシュを受け流し、それに込められた魔法で応戦しているが、彼の得意な戦闘ではない。いずれ腕力の差で削られていくだろう。

 何気にピンチだ。

 八雲が敗けるなんて思ってはいないが、大ダメージを負う可能性は十分ある。


「不味いかも・・・・・・このままじゃ、どうしよう」


 正明は虚ろな目をしてそう呟くが、決して体調が悪い訳ではない。考えが巡らずに半ば思考を放棄し始めているのだ。

 そんな彼の表情と台詞を最悪な方面に捉える華音はもう号泣寸前だ。


「大丈夫、大丈夫だから・・・・・・そんな事、い、言わないで」


 正明は彼女の泣いている理由がわかってはいるが、抱えられている状態ではどうも出来ない。

 顔に彼女の涙が落ちる。

 本気で心配してくれて、涙まで流してくれている事に正明は心から嬉しいと思っている。だが、今はその気持ちを逆手に取るしかない。

 人間としては最低最悪、腐れ外道、生きるのに値しない者となるだろう。だが、正明は仲間が大怪我する可能性を見逃し、自分だけ無傷で帰ることは出来ない。

 正明は口の中で華音に心の底から謝ると、唇を噛むとその血を吐血に見せかけて苦しそうに吐き出した。


「がっはぁ‼ ぜぇ、ぜぇ・・・・・・苦しい」


「正明⁉ どうしたの⁉ 乱暴に運んだから⁉」


(ごめんね、華音。僕は嘘つきなんだ。最低だ、僕)


 華音はオドオドしながら正明をガラス細工を扱う様にゆっくりと地面へと下ろす。

 その途端に正明は華音の腰の拳銃を抜くと、左目の魔力を装填して八雲が抑えている男の眉間へと放った。

 男と八雲は意外なほどに近くに迫っていた。多分、男が逃げる華音を追って来たのだ。

 仮面ではなく、防具で顔を隠していた男は大きく仰け反る。額への衝撃に単純に驚いたのだろう。

 その隙を見逃す八雲ではない。バルディッシュを男の首に全力で叩き付け、魔装を解放する。

 白い光が鋸の様な刃を形成し、力任せにそれを力いっぱい引くと、男の頭部は切れるのではなく消滅して首からはスプリンクラーの様に血が噴き出してきた。

 正明は頭の中で、もう、この行為で自分を完璧に華音は疑っただろう。

 その正明を、八雲はバルディッシュで弾き飛ばした。


「ガッ⁉」


 上腕骨が折れた。さっき治ったばかりの肋骨もヒビが入る。

 正明は八雲の腹が読めていたが、何か言ってから攻撃して欲しいものだ。


「お前も、この男の仲間か? 俺の事を殺したかったようだが、残念だったな! 弾丸は仲間を殺したぞ!」


 少し演技臭いが、八雲は動けない正明の胸倉を掴み上げてこっそりポーションを渡す。

 正明は急いで華音に見えないようにポーションを隠すと、八雲の仮面に力の無い頭突きを喰らわせる。


「やれる・・・・・・ものなら、やって見ろ。この、化け物・・・・・・僕は、お前なんか怖くない」


 その直後、八雲が視界から消えた。

 真横に吹き飛ばされたのだ。高密度の空気弾を叩き込まれたのだ。固有能力で防いでいるからそこまでダメージは喰らっていないだろう。

 それでも、とんでもない一撃だ。並みの防御魔法なら食い破ってしまう程の魔法だ。


「正明に触るな‼ 私のっ‼ 友達を傷つけるなぁ‼」


 正明の視界に入って来た華音は凄まじい形相で握り拳に血を滲ませ、音程が狂った声で叫ぶと、吹き飛ばされた八雲へと歩いて行く。

 華音は涙でグシャグシャになった顔で八雲へと闇雲に攻撃魔法を叩き付ける。常人なら何か月も入院する程の威力だ。


「許さない! こ、このぉっ! この犯罪者! 二度と立ち上がれなくしてやる!」


 八雲は固有能力で魔法を捻じ曲げてダメージを回避しているが、正明はアイコンタクトで「退け」と合図を送る。

 正明の左目の点滅で理解した八雲は霧を発生させ、その中に消えていった。


「ハァ! ハァ!」


 正明は渡されたポーションを最低限だけ治すように少しだけ飲むと、黙って息を切らす華音の背中を見ていた。

 華音の感情は痛いほど理解できる。

 彼女の中の正明は特別となっているのだ。そうしたのは誰でもない正明だ。彼の中に彼女を騙して陥れようとか、財産を奪うだとか、地位と名誉を消してやろうだとかの感情は無い。

 むしろ、彼女の友情に報いようとしている。

 だが、正明には仲間達がいる。守るべき家族がいる。もう一度会わなければいけない最愛の者がいる。戦うべき敵がいる。

 華音はオーダーの情報を得るためのパイプだ。だが、非常に身勝手だが、彼女も多くいる守りたい友人の一人だ。


「正明?」


 華音は迷子になった小さな女の子の様な顔をして正明の元へと戻って来る。

 もう、号泣している。彼女のステージも、活動も一切見た事ないが、それでも正明はこの顔を見たのは彼女の両親を抜きにすれば自分だけだろうと、のんきに考える。

 正明は笑顔で華音へ無事を知らせる。


「死んでないよ。ギリギリだけど、ね」


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 死んじゃヤダよぉ!」


「死なないよ。話聞かないんだから」


 正明はケラケラと笑うと、華音の泣き顔を眺めていた。

 昔、彼女もそうだった。華音以上に泣き虫で、弱虫で、でも誰よりも頑固だった。


「華音。さっきはごめんね? 血を吐いたの嘘なの」


「ひぐっ・・・・・・うぅ、うん?」


 嗚咽を漏らす彼女は座り込んでしまっている。正明は左目の力で腰を抜かしていると見抜いているが、命に別状のない怪我である事は彼女は知らないのだ。

 遺言を聞くテンションで謝罪を聞いてほしくない。


「実はね? 華音が僕を連れて逃げてくれたけど、アイツ等追いかけて来たんだ。僕、怖くて・・・・・・このままじゃ、華音も怪我するし、僕も死んじゃうなってね。だから、二人一辺に倒そうとしたんだ」


 正明の言葉の殆どが嘘だ。

 謝罪には偽りはない。


「でも失敗。吹っ飛ばされちゃった」


 苦しい言い訳だな。と正明は頭の冷たい部分で呟く。

 華音は黙って正明の元へともっと近づいてくる。

 引っ叩かれる。と正明は覚悟するが、華音の手は正明の顔にそっと当てられた。


「もう、こんな事しないで・・・・・・死んじゃうような無茶したらダメ」


「ごめんなさい」


「女同士の約束」


「・・・・・・うん、約束」


 正明は嘘だらけの約束をした。

 いつか、何もかも失う気がする。嘘に塗り固めた人生と、殺して来た人間の血に染まった両手では何も掴めないのだろう。 

 だが、正明は止まれない。

 人を殺した。人の気持ちを持て遊ぶような事をした。だが、正明は殺されるか死ぬまでこの戦いしかできない。

 死神の飼い猫は、傷だらけで正義の歌姫と指切りをした。



 正明は病院のベットで竜崎由希子と、オーダーの隊員にガン見されていた。

 本当の意味でのガン見だ。気持ち悪いと言えばそれまでだが、由希子と隊員たちの表情は真剣そのものだったこともあり、正明は困った表情の裏に死神の飼い猫としての顔を滲ませながら睨み合う。

 由希子には魔法を見られた。華音には力を見せた。そして今回は白昼堂々起きた非合法組織の構想を鎮圧する事に一役かっている。感の鋭い連中なら気付くまでには行かずとも、疑いの目を向けて来ても何らおかしくない。実際、表情から隊員の半数以上は正明に疑いの視線を向けて来ている。

 死神の飼い猫と伊達正明は同一人物。

 この事実を知られたのであれば、正明は学校には通えなくなる。

 表の世界で身を立てるために必要なのだが、致し方無い、もしもの時は仲間達へ被害が及ばないように配慮しながら速やかに学校から消える必要がある。正明の事を親しい友人としている人間は大勢いるが、仲間達もその中に埋もれて怪しまれないだろう。

 友人を増やしている理由の一つでもあるが、正直言ってこのように利用する事は避けたいが、確実なのだから仕方ない。


「伊達正明」


「は、はい。えっと、隊長さん・・・・・・怒ってます? 昨日、逃げちゃって」


「お前は、私も結論付ける事に戸惑う魔法を行使し、その後に我が隊の新人隊員と共闘して危険人物の排除とSPECTRE,sメンバーの一人を撤退まで追い込んだ。その勇気、知能、技術に私は敬意を表する」


「ん⁉ はい? そんな下らない事で?」


「下らないこと?」


「ああ! いえいえ! そんな、僕なんかがそんな。華音が助けてくれたんです! この病院でこうして治療を受けていられるのも、彼女のおかげなんです。僕の魔法なんか、見た目だけ派手なエフェクト魔法だけしかできないし、そんな下らない僕を過大評価しないで下さい! 僕なんかよりも華音を見てあげて欲しいです」


 正明は由希子の発言に思わず素が出てしまい、慌てて自分を下げる。

 勇気も、知能も、技術も、自身が生き残るための策。

 自身の願望を叶えんがための武器の一つに過ぎない。


「ふっ、そうか・・・・・・自分よりも、華音か。らしいぞ、華音。お前の言った事と彼女は逆の事を言ったぞ」


 由希子の言葉で、多くいるオーダーの後ろから出て来たのは気恥ずかしそうな表情の華音だった。

 正明は思わず口元が緩んでしまった。どうやら落ち着いた様だし、正明が出血のショックで気を失ってからもずっと心配していてくれたのだろう。

 その時だった。

 近くのテーブルに置いてあったデバイスが振動を始めた。仲間からだと言うのは言われずとも理解できる。


「ん? 親御さんか? 出ていいぞ?」


 通信魔法によって身体に悪影響を及ぼす病気も、医療魔具も存在しない。通信魔法での会話は自由だが、病院の特定の場所か個室ならば話が出来る。正明がいるのは個室だから通信は可能だ。


「そうですね。ごめんなさい」


 正明はデバイスを開く。


(正明! 無事ですか⁉)


 志雄だ。その後ろから他のメンバーの声が聞えて来る。特に八雲の声が大きく聞こえて来る。

 デバイスの声はオーダー達や華音に聞こえることは無いが、正明の左目の力と観察眼は生半可なものではない。オーダーのメンツの中に盗聴を決行しようとしている者がいるのは彼に見抜けないは道理はない。正明はデバイスの機能を発動させ、複数人の盗聴魔法を阻害する。

 怪訝な表情をしている者達を左目でスキャンし、魔法阻害の成功を確認すると正明は何も知らない顔をしながら話を続けた。


「ごめんね、母さん。連絡できなくて」


(え? 何を⁉ 正明、どうしたんですか⁉)


「色々あって、今ね、オーダーの人達と居るの」


(オーダー? そうですか、怪我の状態は? みんな心配してますよ?)


 志雄は一転して落ち着いた声質にする。盗聴の可能性を彼女も察したのだ。下手すれば正明のデバイスをすり抜けて聞いている者もいるかもしれない。

 正明の魔法は完璧ではない。

 それどころか、確実性の無い魔法が殆どだ。正明は身体の中に魔力が無い異端の存在であるという事は元々魔法を使えないという事だ。

 彼の持つホルスターに収まる小瓶達が彼の魔法の源。他者から奪い取った魔力を操り、音と歌で魔法を練りあげるのが彼のスタイルだ。本来の魔装使いは体中に魔装を装備し、魔法使い何人分もの力を発揮する存在なのだが、正明はその様な重装備は好まない上に非力すぎる。

 彼の虚弱体質に付け加え、回りくどい方法で発動する魔法なだけあり失敗率も高い。


「うん、ごめん。今日中には帰るから、心配しないで」


(メイドの一人を迎えに行かせます。こちらは少し、忙しいので、ごめんなさいね。友達の大舞台が決まって、その事で今全員で取りかからなければ難しいのです)


「友達? あぁ、うん。わかったよ、それじゃ」


 正明はデバイスを切ると、机の上に置く。

 待っていた由希子が「さて、と」とでも言わんばかりに口を開いた。


「では、正明。単刀直入に言うぞ? 我々、オーダーの一員として共に戦う気はないか?」


 その言葉に正明は驚きはしなかった。その気配はあった上に、連れて来ているのはオーダーの中でも影響力を持つ奴らが多い。お見舞いには物々しい上にミスチョイスだ。

 驚いたのは華音と由希子を除いた連中だ。


「隊長⁉ 何を言うんです! この女は、蒼の劣等生です! 使えない所か、真っ先に殺されますよ!」


 珍しく蒼の劣等生を心配してくれたのか? と正明が少し感心する。


「雑魚は守られる立場にあるべきです!」


「弱い者は強者の元で保護を受けて生きるのが、この世界の掟では⁉」


「蒼の劣等生等と、共に戦えません」


 この場でくびり殺してもいいんだぞ! と正明は少ししょんぼりした表情の下で叫ぶ。紅の優等生は傲慢な連中が多いが、この隊員達も例に漏れずに嫌なものだ。

 ホルスターがあれば華音と由希子以外は即殺できる。簡単だ。即死魔法を所かまわずぶちまければいいのだ。こいつらは一瞬であの世まで飛んでいく。三途の川で水泳大会を開かせてやろうか、と正明の陰湿な部分が叫ぶ。


「黙れ! 彼女を侮辱する事は私が許さん、彼女の力はお前達や、私の様な力有る者には理解できない領域のものだ! 力無くも華音を二度も守り抜き、お前達が勝てないSPECTRE,sの一人に最後まで立ち向かい、撤退までに追い込んだ。もし、魔法をろくに使えない状況でも彼女と同じ働きがお前達に出来るとでも言うのか? 出来る者がいるなら私の前に来い!」


 由希子の剣幕に隊員はたじろいでしまう。

 正明はその様子を観察し、隊員の力関係に目安を付けていた。どうやら、この中で隊長を考えずに力の序列を見るならば、奥の方で無言のまま正明を睨み付けている亜麻色の髪に紅い髪留めを前髪に着けた女子隊員だろう。

 宗次郎の遠視で見た隊員だ。

 正明の転移を察知して取り囲み、裏でオーダーの戦力を支える新人隊員。

 華音と同じ立場にいるが、彼女は物が違う気がする。今は一番大人しいが、一番正明に敵意を向けているのは彼女だ。

 正明は表情を全く変えずにふとその女子隊員を見るふりをした。

 彼女は少し眉を動かす。その仕草に正明は笑いそうになる。人相学とでも言うのだろうか、顔で占いをする技術があるのだが、正明は人の顔の形で占いをする事も出来る。

 男運がない。

 高すぎるプライドが自分よりも立場的に支配する人間を嫌い、自分よりも弱く、頼りにならない男を好んで選ぶ羽目になる。

 正明は笑ってしまう。

 抑えきれなかった。この結果を彼女に伝えてその天狗鼻をへし折り、涙ぐむまで魔法でも他の分野でも圧倒的な敗北を味わわせてやりたくなる。

 転移を見破られた事に対する悔しさもあったのだろう。意地悪になってしまう。そして、間接的とはいえ隊員達に同じ蒼の劣等生である仲間達も侮辱された怒りも上乗せされたのだろう。


「ふ、ふふふふふっ・・・・・・あぁ~あ、ハハハッ・・・・・・蒼の、劣等生か」


 正明の様子の変わり様に隊員達は黙り込む。

 全員の背中に冷たいものが走ったのだ。


「隊長さん、ごめんなさい。僕は、オーダーには入れません。オーダーは凄いですし、みんなを守ってくれる必要な部隊です。華音や、隊長さんには仲良くしてもらっているのでいい人もいるとはわかっています」


 正明の左目が強く光る。

 魔法使い達の中で最弱と揶揄される蒼が、紅の優等生達を威圧した。


「でも、蒼の劣等生には・・・・・・僕の大切な仲間がいます。友人達、その他にも尊敬できる同級生達がいます。そんなみんなを、雑魚と罵る連中とくつわを並べて戦うなんて御免です。僕は、確かに弱いですよ、でも、仲間達を、友人を、尊敬する人々を、見下されてハハハと笑えるほどいい人間でない事を理解してください」


 隊員達の顔には冷や汗が噴き出していた。

 華音は本気で怯えているような表情を浮かべ、隊長はその通りだと言う表情で全く臆していない。亜麻色の女子隊員は他の隊員と同じく恐怖に染まっている。


「僕は、親しい人を侮辱する人間を許さない」


 隊員の一人が荒い息を吐きながら魔法を正明へと放とうと銃を向ける。戦いの中にいる人間の条件反射であろう、目の前の脅威を排除しようとしているのだ。

 今の正明はとても恐ろしいはずだ。隊員は正明を自身が最も恐れてる魔法使いと完全に重ねて見ていたのだ。銃を向けた隊員はこう考えただろう。


 この女が、死神の飼い猫だ!


 半狂乱状態で彼は銃の引き金を引こうとする。


「何をしている‼」


「隊長! ここここ、コイツです! し、死神の飼い猫だ! この女があの化け物だぁぁぁぁ‼」


「止めて下さい‼‼」


 正明の身体に覆うかぶさるようにして華音が来るが、正明は気丈な顔を止めない。

 華音の動きよりも、由希子の抑止よりも先に隊員が引き金を引いた。だが、正明の身体に傷一つ付かない所か、弾丸すら出なかった。


「隊員さん、僕を試そうとしたんですよね? だって、セーフティがかかっていますからね」


 試す気なんか毛ほども無い態度だった。

 冷静さを欠いた状態で銃の引き金を引く事以外の事を考えていなかったために銃の安全装置を外していなかったのだ。

 由希子が隊員を殴りつけ、拘束しながら銃を奪い取る。


「お前の処分は後で決める。よくも勇気を出して自分の意思を示した彼女に銃を向けたな⁉ 紅の優等生としての品性を忘れたか! 恥を知れ!」


 正明はそこで少し、考えを巡らせる。

 怯えるか、怯えた方が等身大の女のこっぽいだろう。号泣で世界を揺らした人間がいたが、正明は泣く演技が不徳だし、震えよう。

 早速正明は身体を抱いて身体をリアルに震わせる。表情は先程隊員達を真似して、怯えに親近感と言う矛盾を入れる事で説得力を倍増させる。

 実に良い具合に怯えられた。恐怖の表情選手権が有れば三千世界で一等賞モノだろう。

 そんな自画自賛の最中、華音が優しく正明の肩を抱いてくる。


「もう大丈夫だよ。正明、やっぱり凄いよ。あんなにハッキリ自分の考えを言えるんだから」


「ご、ごめんね。僕、まさか銃を向けられるなんて思わなくて・・・・・・大きな口を叩いたけど、やっぱり怖いよ」


 正明は何とか涙目になると、ベッドの上で丸まる。

 華音が頭を撫でるが、正明は本気で怯える演技をしているためそれにすら身体をビクッと動かす。


「もう、彼女を一人にしてあげて下さい。正明は、本当は凄く怖がりなんです。本当なら、先輩方に囲まれているだけで内心は怯えていたはずなんです」


 華音の言葉に隊員達は、しんみりとした雰囲気に襲われる。

 死神の飼い猫と互角の凄味と恐怖を持つ少女の余りの年相応の弱さに、まるで自分達が集団でイジメたような罪悪感が彼等の心にのしかかって来た。

 華音は正明から離れようとするが、彼は華音の手を掴む。話したいことがあるから彼女まで追い払うと具合が悪いのだ。

 正明は弱々しい声で、その上、甘えた様な声で呟く。


「華音、行かないで」


 これは中々に効果がある。TPOを考える必要があるが、此処だと言う場面では殆ど一撃必殺だ。特に男に効果的だったことを考えるとこの国はおしまいだ。

 自分の顔、声、身体が女のそれと非常に酷似している事に感謝しつつ、正明は少し強めに華音の手を握る。

 華音はまるで女神の様に、慈愛に満ちた非常に美しい声で返事をすると、うずくまる正明の背中を撫でて来る。その手付きは子供をあやす母親の様に優しいものだった。



 WELT・SO・HEILENでは志雄の第二船があるエリアにメンバーが集結していた。

 志雄の船は一言で言うならば戦艦だ。

 帆船が元でありながらも、その外装は特殊な金属でできておりその全てに魔法と物理攻撃の反射魔法が付与され、大砲の数も多く、船首には帆船に不釣り合いな対艦砲が二つ搭載されているが、これは重量軽減の魔法によっての無茶な改造であり、他にも火炎放射器や、ガトリングガンの様な武装までも積まれている。

 船の泊まる周りに広がるダンジョンは落ち着いた雰囲気の建物が並び、それら全てが彼女が此処に住んでいる使用人達と仲間達の協力があって建てられた飲食店や娯楽施設、仕事場の数々である。

 そんな施設の一つである酒場の中でメンバーは情報を整理し終え、正明の帰りを待っていた。

 やる事は沢山ある。他のギルドに払う協力料金のやり繰り、攻め込むなら武装の整え、ギルドが襲われないように虚偽の情報を流すなどだ。しかし、今の彼らにそんな気力は無い。


「正明は大丈夫かな? もし、死んだりなんかしたら・・・・・・僕のせいだ‼」


 八雲は叫ぶと酒瓶を逆さまにして一気に飲み干した。

 一応正明を含めたメンバー全員が実年齢が二十歳を超えているので、違法にはならない。だが、流石に京子が酒を飲むと危険な匂いがするが、そんな彼女も日本酒を飲んでいる。

 人外には酒への耐性があり、本気で化け物レベルで酒に強い。


「八雲、何度言えばわかるのです! 正明の迎えに行かせたメイドはアイリスの所で働く優秀なヒーラーです。それに、彼女の固有能力は常態異常の完全回復です。正明が毒を受けていたとしても安心できます」


「僕、要らない事したかな。あの場面では正明の身分を隠す必要があると思ったんだけど」


「八雲は間違ってないよ? 私なら容赦なく蹴り飛ばすけどなー!」


 バカに明るい声で加々美がラム酒片手にそう言うと陽気に笑う。

 宗次郎は志雄が持ち帰ったデバイスの情報を分けて整理する作業を黙々とこなしている。


「そうだね。正明君は、このメンバーの中で一番弱いけど。一番強くもあるからね。死にはしないよ、心配し過ぎ。ね? 夏鬼」


「正に、京子様のおっしゃる通りかと。第一船長殿は力でない強さを持つお方、京子様と同列のお人の無事を信じずに、近衛は務まりませぬ」


 京子の背後に控える夏鬼は心からの言葉を京子に返す。

 お酒の御蔭で気分の良い京子は子供らしく笑うと、「そうだー!」と叫ぶと眠ってしまった。

 腹いっぱい酒を飲めばそうもなろう。それでも身体に何の異常も無いから彼女も怪物なのだ。夏鬼は京子に毛布をかけると、消えていった。


「京子、眠り過ぎ・・・・・・仕方ないけど。ねぇ、一応、志雄も何人か使用人を護衛に就けたんでしょ? 安心」


 アイリスは酒ではなくひたすらつまみとして運ばれて来たピザをほおばっている。

 頭のフードを取った彼女は銀色の髪を三つ編みにし、顔には丸い眼鏡をかけているとう姿だ。目の下のクマはフードが取れたおかげで少し薄くなったようだが、やはり普通よりは深い。


「志雄。第八位と第一〇位から今情報が届いた。アイツ等の目的はありきたりと言うか、普通だな。ギルドの上位に食い込む事だ。だが、周辺ギルドに要請した抑止は効果覿面の様だ。八雲がぶつかった奴は仲間が逃げる中で一人だけワザと留まったアホだったらしい」


 デバイスを閉じて宗次郎は真面目な顔でそう言うと、近くに置いていたカクテルを一口飲む。

 加々美はそんな透かした態度の宗次郎にデバイスで鳴神華音の画像を検索して宗次郎に見せる。


「この子可愛いよね。正明と志雄ちゃんは会っているんでしょ⁉ 凄く優しそう、露出の多い服もあまり着ないし、清純派? とか言うのかな?」


 宗次郎はカクテルを飲み干し、叫ぶ。


「彼女に穢れは無い‼ 彼女は女神! 彼女の存在こそジャスティス! この世界の奇蹟なんだ!」


「でも、彼女も性欲あるよね?」


 宗次郎の顔が般若の様になる。額に殺意とでも書いてありそうだ。


「無い!」


「絶対あるよ! 絶対処女じゃないよ! なんか、裏で汚いおっさんに犯されてそう!」


「お前は低俗なエロ同人の読み過ぎだ! このビッチ! 華音ちゃんはそんな事しない!」


「でもさー、彼女も女の子だよ? 赤ちゃんは欲しいはずだよ。好きな男ぐらい絶対いるよ」


「いやぁぁぁぁぁ! いないのぉぉぉぉぉぉぉ! プロデューサーと深い仲なんて事ないのぉぉぉ! 絶対ない!」


 先ほどまでクールな振る舞いと一変、いつもの調子に戻ってしまう。

 志雄は短い溜息を吐くと、白目をむいてやけ酒する八雲から酒瓶を取り上げる。

 八雲は抵抗せずに、取り上げられた後にソファーに寝転がってしまった。


「彼女の歌は、神の歌なんだよ! なんだか、ライブで聞くと気持ちいいんだ。体中に快感が満ちて言って歌によって味まで感じる様だ! そしてライブ会場は曲が変わると香りまで変わる! 視線には美しい華音ちゃんの姿! もう最高だね!」


「吐くぐらいキモイね! 脂ぎったトドみたいなオタッキーのイキ顔が満ちるライブ会場って、どんな地獄だよ!」


 加々美は割と本気でそう言う。

 そこまで魅入られては病気だ。五感で曲を感じると言うのは、例え話だ。本気で言っているなら幻覚を見ながらライブを楽しんでいる様だ。

 もし、そんな事を出来るならそのライブ会場は現在のアヘン窟だ。


「志雄ちゃんはどう? キモイよね?」


「個人の感じ方は自由。批判はしません、が。宗次郎は確かに吐くほど気持ち悪いですのは確定的に明らかです。しかし、その歌。気になりますね」


 その会話を黙って聞いていたアイリスは、最後のピザを口に押し込むとデバイスを正明へと繋げた。

 


「落ち着いた? 正明の知らない一面がまた見えたね」


「感情的になっちゃった。仲間達がバカにされた様で、凄く嫌だったな。感情が爆発しそうだったよ、でも、銃を抜くなんて思わなかった」


「そうだよね。あの先輩は、人一倍用心深い人だったの。もしかしたら、正明が怖かったんじゃないかな?」


 病院から出た正明は痛み止めをもらい、家に帰っても問題ないと言われた。骨折程度なら簡単に治せるのだが、身体に異様な魔法がかけられてはいまいかと検査を受けて時間を割かれたのだ。

 身体の魔力が無い事は検査されなかったが、少し危険だった。


「怖い? 僕が?」


 笑いながら正明が呟く。

 冗談でしょ? とでも言う様な態度を取るが、内心は納得していた。正明の左目、と言うよりは彼自身の固有能力は恐怖心の増大。

 左目はその付属品の様な物だ。

 華音は複雑そうな顔をして、呟く。


「怖いよ? まるで、次の瞬間には死ぬのかな? とか思っちゃうくらい」


「そう。怖いんだ・・・・・・僕」


「で、でも。正明は本当は!」


「僕はね、実はスキル持ちなんだ。恐怖心を掻き立てて、本気で怒って相手を睨めば、自殺させることもできるぐらい怖いモノ」


 ここは真実を告白しよう。

 伊達正明のスキルは恐怖心の増加。

 死神の飼い猫は人を触るだけで殺すスキル。

 そうする事で、確実に正明=死神の飼い猫とする事は難しいだろう。スキルを二つ持つ魔法使いはいない例外は存在しない。

 しかし、正明は固有能力であり、スキルとは少し違う。


「スキル? 正明が?」


「こんな力、欲しくなかったよ。喧嘩をすれば、友達は絶対にいなくなって行ったし、今でも怖いんだ。怒ると、死んじゃう人が出て来るんじゃないかって」


 悲しい顔で呟く正明を華音は少し間見つめていたが、意を決したかのように、彼女は歌を歌い出した。



 鳴神華音の人生は、周りに何かを決められながら進んで来た。

 彼女が小学生の頃だ。好きなアイドルの歌を歌っていると、辺りに大勢の人が集まり、その歌を絶賛した。

 幼い華音は褒めてもらえる事が嬉しく、歌を沢山歌った。その影響力はまるでドミノの様に広がって行くようで、小学校の歌の選手になり全国大会で優勝、様々な施設から要望が来てボランティアで歌を歌い、その様子を見た大人達が彼女の事を欲しがった。

 中学生になれば、彼女は時の人となっていた。そんな彼女は、ハーフであるが故に見た目も非常に美しかったことも関係してか、同級生や先輩からの陰湿なイジメを受けていた。彼女の心には今でも深すぎる傷が刻み込まれている。その内、華音にアイドル事務所からスカウトがやって来た。だが、彼女に芸能界に入る感情は無かった。

 人間不信となっていた彼女は、そんな世界には行きたくなかった。だが、当時から街を守るオーダーの存在はあり、当時の隊長だった操魔学園の生徒からイジメから救い出された華音は、オーダーのために歌を歌う事を決意してアイドルとなる。

 短いアイドルとしての生活を終え、華音は自分からオーダーの客引きピエロとなった。

 オーダーの為に歌うアイドル、いや、正義の歌姫として自分の力を使う彼女はいつも他人の欲望の渦中にいた。もう、歌以外で自分を見てくれる人間はいない。

 何処に行っても、アイドルの鳴神華音。

 正義の歌姫、鳴神華音。

 ただの女子高生、鳴神華音は何処にもいない。

 そう思うようになった。このまま大人になり、年を取れば忘れられて誰も自分を覚えていてくれない。

 笑顔で生きて来た。色々な人に笑顔になってもらった。立派な人生だろうと他人は言うだろう、羨ましいとくちばしで他人は突くだろう、他人は感謝するだろう。

 だが、彼女はいつも怯えていた。

 鳴神華音なんかいない、ただの幻。

 だった、目の前で悲しく呟く彼女に出会うまでは、そうだった。


「正明。私の秘密もみせるね」


 華音はお気に入りのバラードを口ずさむ。

 静かに、正明以外に聞こえないように注意しながら、ハッキリと歌う。

 猫の様に愛くるしい顔立ちに、スベスベで白い肌、儚いまでに細い体、サラサラの綺麗な黒髪に、浮き出る蒼いメッシュ、吸い込まれそうなほどに美しい蒼い左目、彼女に初めて嫉妬した。彼女を初めて友達にしたいと感じた。彼女を初めて尊敬しようと感じた。

 伊達正明は、正義の歌姫なんか知らない。アイドルの鳴神華音なんか知らない。知ろうともしない。

 男の子の名前を持つ女の子は、人間の鳴神華音を見てくれた。身体を張り、この身を守ろうとして大怪我をした。脆弱な身体で巨悪に立ち向かった。

 ありがとう。

 華音には、その気持ちで一杯だった。それはきっと素敵な感情なのだろう。その感情が友情なおだろう。

 歌っている途中、何かが頭の中に流れ込んで来た。


(えっ? なに? こんな事、起きた事ないのに⁉)


 歌を止める程の不快感は無いが、ノイズの入った見え難い映像を見ている様だ。


「お、おね・・・・・・ちゃ、ん。わた・・・・・・だいじょ、ぶ。だから」


 ハッキリ聞こえた女の子の声。正明に似た顔立ちと、長い前髪、正明よりは凹凸がわかる身体。

 正明の記憶なのだろうか、それは解らない。

 だが、とても悲しい気分になった。そして、直感した。


 この子は死んでいる。そして・・・・・・


 歌い終えると、華音の瞳には涙が溢れていた。何もかも失ったような、心の支えがなくなったような喪失感。それが、正明の心の中の一部なのだろう。

 彼女は過去に妹か、大切な人を亡くしている。

 そんな正明は驚いた顔をしていた。息を切らし、身体は震えていた。


「何を、見たの? 僕の過去を」


「い、妹さん? 彼女、もしかして」


「その、スキルは・・・・・・人の過去を見れるの?」


 彼女は激しく狼狽している。偶然とはいえ、見られたくない顔なのだったのだろう。

 彼女の瞳はとても悲しい色をしていた。

 華音はただ首を振る事しか出来なかった。

 正明は華音が泣いている事が気になったのだろう。スグに明るく、にこやかな表情を浮かべてワタワタと両手を振る。


「気にしないでよ! かなり、昔のことだし・・・・・・僕の中でも決着している事だから、泣いたりしないで? ほら、女の子には笑顔でしょ!」


 正明は華音の頬を軽くつまむと、ムニィーと笑顔にするように引っ張ってくる。猫の様に甘えたような笑顔に、華音の心は優しく溶かされた。

 華音は彼の頭を撫でる。

 可愛い。本当に羨ましい程に愛くるしい。


「ごめんね。私のスキルはね? 本当は五感に歌を感じさせるものなの。何か、感じなかった?」


「少し、寒くなったね。口の中に甘苦いような味。コーヒーの香り、視界がいきなり拓けた様だったね。華音・・・・・・自分の事を嘘つきなんて思わないで」


 撫でる掌の下から自分の核心を突く言葉が飛んできた。

 華音は思わず黙ってしまう。正明は言葉を静かに続ける。


「独りぼっちだったんだね? そのスキルで、みんなを魅了した自分が嫌なんでしょ? だから、誰もわかってくれないってふさぎ込んでいたんだよね? 気にしなくていいよ、そんなもん。華音は、華音のままでいい。どの華音も、華音なんだからさ、嫌いになるなんて悲しいでしょ?」


 正明は華音の顔を両手で包むように挟む。

 その眼には真面目な感情が宿っていた。夕焼けが、彼女の顔を美しく化粧したようだった。より神秘的となった左目は華音の心を見透かすように、開き、薄く光を放つ。


「今もそう? 僕にはそうじゃない気がするよ?」


 まるで姉の様な言葉だった。

 華音は一人っ子なので姉を知らないが、きっと上に兄弟がいたなら、こんな言葉をかけられたのかもしれない。

 正明は手を放すと、近くの自販機で水を買う。そのキャップを外すと一気に中身をぶちまけた。ペットボトルの本体を握って水を出したので、辺りに飛散する形で水は飛び散っていく。

 そんなことは無く、その水は浮き上がり、太陽の光を反射して星のように光っていた。


「歌って、華音」


 正明は水をとても巧に操り、空中に浮かべる。口笛で正明は華音が先程歌った曲のイントロを奏でながら水を華音を中心にサークル状に浮かせる。

 華音は反射的に歌ってしまう。

 水は、彼女の声に反応して色や形状を変える。その光景は魔法が発展している世界では不自然な感想だが、幻想的で美しい。水が楽しそうに跳ねる、遊びまわる子供の様に無邪気に思えるそれは過去に踊りながら歌っていた自分のように華音は感じていた。

 正明は身体でリズムを取りながらもう一本のペットボトルから水を撒く。

 水の操作魔法。

 正明の得意分野なのだろうか、彼女は口笛を上手に吹きながら水を自在に操っている。実力的には十分に紅の優等生達の席に座れる。


「凄い・・・・・・華音の歌が水の性質まで変えている。このスキルは、今までに無い、魔法や他のスキルと融合可能なスキルだよ」


 正明は感動した声を上げる。

 歌が終わると、水は水蒸気となって空に溶けて行った。


「スキルが、他の魔法と融合? そんな、私は、一体」


「大丈夫。僕が、隠してあげる」


 華音は一瞬だけ正明の言葉が理解できなかった。

 彼女はポケットから一本の小瓶を取り出すと、それを華音に差し出す。


「え?」


「持っていて、その小瓶を持っていればスキルの融合は防げるよ」


 何で? とは聞けなかった。

 彼女は自分の知らない範囲で魔法を習得しているかもしれないし、スキルの効果を防ぐ魔法は多々ある上に、世の中にはギルドから購入できる絶大な効果を持つ魔具もあるのだ。

 正明が紅の優等生に入ろうとしないのも、オーダーの誘いを蹴ったのも、きっと彼女を取り巻く環境がそうさせてくれないのだろう。亡くなったあの女の子の事も関係しているのだろう。それに、彼女は何度も華音を助けた。今回も死んでいたかもしれないのに、彼女は命がけで戦った。

 華音が小瓶を受け取ると、正明はどこかホッとしたような顔をする。


「ありがとう。正明、友達になってくれて本当に私嬉しかった」


「華音。僕はね、感謝されるために友達になった訳じゃないよ? 華音を知りたいって思ったから、友達になったんだ。でも、ありがとね、華音」


 彼女はそう猫の様な悪戯っぽく笑いながら、そう呟いて何かを察した様に視線を自分の背後に向けた。華音もその視線の先を追うと、微笑を浮かべた綺麗な女性が正明を見ていた。

 二〇代中盤程の女性で、髪の毛は美しい銀色をしている。夕日に照らされたその髪の毛はまるでそれ自体が輝きを持っている様だ。


「来た。待たせちゃた様だね」


 姉だろうか? そう思う華音に笑顔で会釈する女性に華音も同じく笑顔で返す。

 正明は華音が持つ小瓶を人差し指で軽く突くと、何かを呟いた。

 何を意味するのかは解らなかったが、何かのおまじないの様だった所を見ると願掛けを行ったのだろう。魔法には詠唱が過去にあったようだが今は必要無いものとなっている。詠唱は魔力を練り上げるように在ったのだが、今の魔法使いは体の中でそれが出来る。


「またね。華音」


 正明はそう言うと去っていく。

 その後ろ姿は小柄で細い女の子だが、何処か、儚さを感じない。自分よりも遥かに密度が濃い人間だとわかる様な、凄味のある雰囲気を彼女は放っていた。

 伊達正明。彼女は多分だが、男として両親に育てられたのだろう。女の子の喜びを親に封じ込まれ、自分は男だと言い聞かせられたのだろう。

 過去が彼女を普通から、残酷な特殊へと変えたと言ったところだろうか?

 華音は詮索するような事はしたくないが、今まで以上に彼女を知りたいと感じた。まるで、彼女の中に二つの人がいる様で、華音は少し戸惑う。


「正明! また、会おうね」


「ははは、会えるよ。会いたい時に」


 正明はケラケラと笑い、むかえに来た女性と歩いて行った。


「正明、私は、羨ましい。正明は、なんでも知っているから。私の本音も」


 華音は正明の小瓶を握りしめる。

 その小瓶はエメラルドの様に美しい液体を内包し、キラリと彼女の胸の中で輝いた。

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