洗濯 ケチャップ
雨が降り続ける6月のとある日、なんとなく立ち寄った喫茶店にて青年はある問題に直面していた。
大学進学によって県外に出て、一人暮らしを始めた青年にとってはどう立ち向かって良いのか分からない問題。
ふと、時間が空いたことから始めた町の探索。大学との行き来以外には友人の車を使って、大型のショッピングモールなどに行っていた。
その為、自分の住んでいる町の辺りをきちんと見ていなかったために、ふらふらと探索したのだが、季節は露である。
急に降ってきた雨から逃げるように、近くにあった喫茶店に入った青年は、その瞬間は多少の幸福を感じていた。
彼が入った喫茶店が思いの他良かった為である。
明るすぎない光が店内を照らしている。外で振っている雨が奏でる音も、もたれ掛かったイスの感触さえ彼には心地良かった。
せっかくだからコーヒーでも頼もうかと、開いたメニューには様々な種類のコーヒーが載っていた。
メニューを眺めているとふと、目にとまった物があった。
マスターのお勧めと書かれた『オムライス』であった。
それなりに歩いていたことから、空腹を感じたため、コーヒーのついでとオムライスを注文した。
これが、現状の原因だといえるだろう。
つまり、青年の対面している問題というのは、彼の白いシャツについた真っ赤なケチャップについてだった。
ケチャップは染みになり易い。そのことは知っていた。
昔、何度も母から言われた経験があったからだ。
早めに洗濯しないといけない。
そう感じたが、慌てて落とそうと拭いた結果、ケチャップの跡は広がってしまっていた。
つい先日買ったばかりの真新しい白シャツに、ケチャップが自己主張してしている様子を見て、先ほどまでの幸福感は消し飛んでしまった。
「どうかされましたか?」
こちらの様子が可笑しいと思ったのだろうか、定員が寄ってきて声をかけて来た。
若い女性であった。ここが大学の近くでもあることから、同じ大学に通っているのかもしれない
髪は腰には届いていないが長く、染めているのだろうか栗色であった。
表情はこちらを心配しているように見える。
「いえ、服にケチャップがついてしまいまして。どうしたものかと」
誤魔化すのもおかしいかとそう告げたが、言葉足らずだったと思ったが
「広がっちゃってますね。早く落とさないと染みになっちゃいますよ?」
白い服につき、広がってしまっているケチャップはどのような行動をしたのかを如実に表わしていたようで、店員さんは苦笑気味そう言ってきた。
「いや、家事なんてろくにしていなかったもので、こういう汚れにどう対処して良いのか分からなくて」
そう、こちらも苦笑気味に返すしかなかった。
こういう時に母親の有難さを感じてしまう
「それなら、脱いでもらえませんか?」
驚くと思考は止まるらしい。いや、逆に様々なことを考えてしまっているせいで言葉が出ないだけなのだろうか
「ぇっと?」
出てきた言葉は言葉としての意味を成さなかった。
さて、現状を確認しよう。
今俺が着ている服は、自分の体より一回り小さい大人用の白シャツだった。
記憶通りなら、これは店の店長が来ていたものと同じものだったはずだ。
店長は優しそうな顔の老人で、姿勢は良かったがやはり、自分の方が大きかったのだろう。
いや、それよりも着替えた理由だ。
店員さんに脱いでもらえないかと言われた後、店の裏に連れてこられて、上着を持っていかれたのだ。
その時変わりにと渡されたものが、このシャツだった訳だが。
そのように思考としていると
「ケチャップの汚れは、手洗いしないといけないんですよね。染みの部分を軽く濡らして、洗剤をつけて染み部分をもみほぐすんですよ」
そう言って店員さんが話かけてくる。
「はあ」
そうですか。としか返せなかった。
「ここでバイトしていると、コーヒーなんかが服についてしまうことってよくあるんですよ」
鼻歌交じりにそういう店員さんは、実に上機嫌だった。
シャツが乾くまでの時間、ぎこちないながらに店員さんと話をした。
会話をしていくうちに、様々なことを知った。
店員さん、彼女は俺と同じ大学に通う先輩であること
彼女も俺と同じ用に県外から来たこと
彼女も俺と同じように、ここで服にケチャップがついて困ってしまったこと
同じ境遇の俺を見て懐かしく思い、おせっかいを焼いてしまったこと
規律の厳しい女子寮に住んでいるため、バイト先に困っていたこと
去年までここでバイトしていた女性の先輩が、ここを紹介してくれたこと
そのような話をしていて、ふと、あることを思い聞いてみた。
「あの、バイト大丈夫ですか?」
かなりの時間話をしてしまっていた
彼女はバイト途中だったはずだ。その彼女を、こんなに長い間拘束してしまって申し訳なく感じてきたのだ。
しかし
「大丈夫ですよ。これもお仕事なんです」
そんなことを彼女は言った
「えっと?」
疑問が声になって出た
ただ俺と話ているだけなのに、これがお仕事なのだろうか
「はい。新しいアルバイトの勧誘です」
困った。彼女が何を言っているか分からない
そんな感情が顔に出ていたのだろう
彼女は、悪戯が成功した子供のような笑顔で言った
「はい。あなたが良ければここでアルバイトしませんか?」
なぜ、なんて疑問が出る前に、彼女の笑顔を向けられ、そう言われた俺は返事をしていた
「はい、喜んで」
後日談
あの喫茶店でバイトを始めた俺は、ふと気になって何故あのとき俺をバイトに誘ったのかを聞いてみた
その問に対する答えは
「可愛かったので、マスターに無理を言ってみたんです。恋は直感で勝負なんですよ?」
笑顔でそう、『俺の彼女』は言った。