第二話 始業式
二年A組の教室に入る頃には、もう殆どの人数の学生が集まっていた。
武蔵がぐずぐずしていたおかげで、私たちは出遅れたようだ。
「響さん、鈴音さん、おはよう。大和君、新年度から両手に花で、重役出勤とは、私が男子だったら羨ましい限りね。どうせ大和君が、響さんと鈴音さんの足を引っ張ったんでしょ? 響さんと鈴音さんも友達は選んだ方がいいわよ」
ため息を吐き、肩をすくめながら、私たちに最初に話しかけてきた級友は、旧・一年A組の委員長だった、高雄泉さん。
濡れるような長い黒髪の怜悧な顔立ちの少女だ。
一年次の定期試験の二位争いは、高雄さんと私だったこともあり、彼女からライバル視されているようだ。
文武両道才色兼備の彼女は、全国中学校剣道大会の女子の部で、不敗の一位だった。
勿論、高等部に入ってからも剣道部のエースとして、インターハイでも結果を出している。
次期剣道部部長は彼女に決まりだろう。
ちなみに私は帰宅部ですが何か?
下手に運動部で目立ってしまうと困った展開になりかねない。
体育の授業も、皆に分からないように手加減しているのだ。
定期試験で二位争いをしていても、私の順位が結局三位に落ち着くのは、高雄さんと私では体育の成績に差があるからだ。
「おはよう、高雄さん。今年もよろしくね。高雄さんの一緒のクラスだと、今年もうまくまとまるだろうから、嬉しいわ。武蔵の手綱さばきもよろしくね」
「高雄さん、おはよう! 武蔵ちゃんは、その……武蔵ちゃんだから……」
「おい、三人とも! 俺はどういう扱いなんだよ! ったく、おはよう、高雄。早速、もう自分がクラスを仕切ってるつもりなのかよ」
武蔵が膨れて抗議の声を上げるが、高雄さんと私からの冷たい視線を受けて黙り込む。
口で男子が女子に勝てるわけがないのだから、これ以上余計な事を言わない方がいい。
「わははっ! 武蔵ぃ、愛されてるねえ。でもこの四月からは! 響ちゃんと鈴音ちゃんは俺に任せて、お前は委員長に管理されるがいい! 響ちゃん、鈴音ちゃん、おはよう! 春休みの間、俺に会えなくて寂しかっただろ? さあ、俺の胸に飛び込んでおいで!」
本人のご要望通り、茶髪のチャラ男の胸に裏拳を飛び込ませる。
勿論手加減はしてますよ。
「げほっ、ごほっ、響ちゃんの突っ込みは激しいねえ。でも、そんなところもいいねえ。痺れるねえ」
チャラ男の名前は、日向祐也。
ぶっちぎりの学年一位は高雄さんでも私でもなく、このチャラ男なのだ。
正直見たくない顔だった。
しかしクラスが成績順で編成される以上、誠に遺憾ながら、来年も同じクラスだろう。
「日向君、本命の女の子以外には思わせぶりな発言は控えないと、何時か誰かに刺されても知らないわよ? まあ、私と鈴音は貴方の戯言を真に受けたりはしないけど」
鈴音は黙って苦笑を浮かべている。
「おいおい、祐也! 勘弁してくれよ。高雄に管理なんてされたら、真人間になりすぎて、人間らしさを無くしてしまうだろ? ここ一番という時は全力投球、でも普段は脱力。このぐらいの方が色々と丁度良いんだよ」
「ちょっと、貴方達。今年も私が委員長になると決まったわけじゃないし。それに失礼な言いぐさね」
高雄さんはお冠だけれど、一位がチャラ男、三位の私も仕切る気が無い以上、今年も高雄さんが無投票で委員長が確定している。
武蔵とチャラ男以外で、今年A組になりそうな男子には、二月の時点で義理チョコをばら撒いて買収済みなのだ。
私は殆どの女子から距離を置かれているので、こちらには根回しの必要が無い。
『百戦百勝は善の善なる物にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり』
投票前に決着はついているのだ。
「鈴音、響、おはよう。今度も楽しいクラスになりそうだね。あ、鈴音、先週借りた映画のブルーレイは後で返すよ」
会話の合間の空気を読んでから、朱理が声をかけてきた。
彼女の名前は最上朱理。
中等部時代から鈴音と私とも仲良しで、春休みにも何度か遊びに出かけている。
ボーイッシュな容姿通りに活発な少女だ。
黒髪をおさげにしている。
自宅は弓道場。
彼女自身、弓道で全国クラスの実力の持ち主だ
殆どの女子から羨望か嫉妬の視線を受けている私に対しても、構えずに親しくしてくれる貴重な友人だ。
彼女のおかげで私はぼっちじゃない。
「朱理、おはよう。新しいクラスでもよろしくね」
「朱理ちゃん、おはよう。あの映画どうだった? ラストシーンは最高だったでしょ!」
「あ、その話はあとでゆっくりしようよ。加賀先生が入ってきたよ」
皆に挨拶をしながら教室に入ってきた、
加賀彩先生が教壇に立つ。
一年A組に続いて、二年A組でも加賀先生が私達の担任のようだ。
「皆さん、静粛に。私が皆さんの担任になる加賀です。以後よろしく」
加賀先生が挨拶を始めるころには全員席に着いて大人しくしている。
優等生が集まるクラスなので、体制に飼いならされているのだ。
ロックンローラーな進路を選ぶ学生は、多分このクラスにはいない。
「初めましての子もお馴染みの子も、遠慮しないで何かあったら相談に来なさい。今日は九時からの始業式には遅れないように注意する事。校長先生の挨拶が退屈なら、気が付かれないように立ったまま寝てしまっても構いません」
何度見ても、パンツスーツが良く似合う凛々しい先生だ。
飄々としているが、ユーモアもある。
学生への面倒見も良く、話がわかる先生なので、学生からも父兄からも信頼が厚い。
校長先生をディスるような発言をしていても、若くしてクラス担任を続けられるのは、学校上層部の弱みを握っているという、まことしやかな噂が流れている。
でも上ではなくて学生側を見て教壇に立っているのは間違いない。
加賀先生がまた担任とは今年もツイている。
始業式はやはり退屈だった。
加賀先生の助言に従い、寝息をたてないよう注意して、目を開けたまま寝たので、誰にも気が付かれなかったはずだ。
始業式の後は、また教室に集まり、加賀先生から諸注意や新年度の説明を受けてから、新年度最初の実力試験が待っている。
流石、進学校。
この試験の為に始業式にも関わらず、鈴音は弁当を作ってきたのだ。
「うがーっ! 実力試験なんて忘れてた! やっべぇ、何も用意してねえよ!」
武蔵の悲鳴が聞こえるが、A組における唯一の例外だろう。
チャラ男はチャラチャラしているようで、勉強はきっちりやるから、学年一位を死守しているのだ。
他の学生も当然用意している程度には学業に熱心だから、A組に編成されたはず。
「えーっ! 武蔵ちゃん、春休みに入る前に加賀先生から注意されてたし。それ以前に春休み中に私達と何度か勉強会をやったじゃない」
武蔵に甘い鈴音も呆れ顔だ。
武蔵はやはりどこか大事な何かスッポリ抜けている。
喋ると残念でもイケメンで、高等部一年生の時点で、サッカー部のスタメンを張るだけあって、それなりにモテるのだけど。
少し抜けているところが女子に受けているのかしら?
武蔵を異性として見たことがないので、彼に熱い視線を向ける女子の気持ちが分からない。
鈴音の場合は、ずっと武蔵の世話を焼いてきたので、母性本能が刺激されてきたんだろうなあ、と想像できるんだけどね。
鈴音はサッカー部でもマネージャーとして武蔵を支えている。
武蔵だけでなく部員全員に分け隔てなく、甲斐甲斐しく世話を焼くので、サッカー部ではアイドル的存在らしい。
しかし、お弁当までつくってあげる対象は武蔵だけなので、嫉妬からなのか、先輩たちは武蔵を厳しくしごいているそうだ。
それでもめけずにスタメンを張れる武蔵の根性だけは私も認めている。
「武蔵ちゃんは私がいないとダメだなあ。私のノートを見せてあげるから、要点だけでも頭に入れて整理しときなよ。お姉ちゃんが試験対策にまとめてくれたから、内容は間違いないはずだよ」
鈴音の為にまとめたノートだが、鈴音が自分で武蔵に見せる分には文句はありません。
「ありがてえ、ありがてえ。早速貸してくれ! 時間が惜しい!」
私の試験は無事終わったけど、武蔵がどうなったのかは知ったことではありませんよ。
学校にいる間だけ、雨が降っていたので、帰り道の桜並木は花が散っていた。
折り畳み傘の出番がなくなったのはありがたいけれど。
やはりお弁当だけでは物足りないので、家に帰ったら何かお腹に入れたい。
「武蔵ちゃん、明日も実力試験だけど、大丈夫?」
「ははは、ちょっとやばいかも……。響! 助けてくれ!」
武蔵の世話を焼くのは鈴音の役回りだ。
本来なら私の出番はありません。
ちょっと鈴音まで縋るような眼差しで見ないでちょうだい!
私はため息をついて。
「仕方がないわね。私が鈴音に教えて、武蔵は鈴音から教わる。何時も通りのやり方で良いなら、帰ったら勉強会にしましょう」
「お姉ちゃん! ありがとう!」
「響様! 恩に着ます!」
「私たちは着替えてから勉強を始めるから、武蔵も着替えて自宅で一服してからウチに来なさい」
武蔵が我が家にやってくる前に、私が何か食べる時間も必要なのだ。
武蔵と家の前で別れて、自宅に帰ってきた。
お母さまは寝室で寝ているので、家の中は真っ暗だ。
我家は安普請ではないので、お母さまを起こさない為に過度に静かにする必要はない。
お母さまの寝室は地下にあり、私と鈴音の部屋は二階にあるので、鈴音の部屋で勉強会をする分には、全く問題がない。
「お姉ちゃん、まだ朝のクリームシチューが残ってるよ」
「ありがとう。ご飯はまだ炊いてないから、餅を十個ほど焼いて食べようかしら」
ガスコンロにクッキングシートを敷いたフライパンを三つ置き、その上に餅を並べる。
オーブントースターにも餅を入れて順番に焼く。
我家は私の食事の為にキッチンが一般家庭より大きくつくられている。
お父様の先見性に感謝あるのみだ。
はしたないが、焼けた順番にお醤油をつけて食べていく。
武蔵がやってくる前に完食しなければならないのだ。
鈴音が電子レンジで温めてくれたシチューを食べ終わると、やっと人心地がついた。
燃費が悪い自分の体質が恨めしい。
「鈴音、この問題で与えられたベクトルに関する条件式を図形で表現するには、こうすればいいのよ。慌てないでゆっくり考えなさい」
「響さま、私奴にも何卒、何卒ご教授を!」
「あんたは私が鈴音に教えるのを黙って聞いてなさい」
「武蔵ちゃんは仕方がないなあ。どこが分からないの?」
武蔵がやってくる前に完食し、乙女の尊厳は守られた。
今は勉強会の真っ最中だ。
どちらかと言えば私も数学は苦手なので、鈴音に教える事で良い復習になる。
誰かにものを教える時は頭の中で色々と整理できて、改めて気が付くこともあるのだ。
始まりは唐突だった。
部屋の中から徐々に色彩が消えて、白黒に染まっていく。
「お姉ちゃん! 何これ! どうなってるのっ!」
「俺の目はどうにかなってしまったのか? それにおかしい。急に静かになったぞ!」
住宅街とはいえ、家の外から何も聞こえなくなったもおかしい!
万が一に備えて、犬歯を噛み合わせる。
無音で天井を突き破り、何者かが飛び降りてきた!
「鈴音! 武蔵! 私の後ろに隠れなさい!」