第一話 格差社会
(いいにおいがする)
(おなか……すいた……なあ)
…… …… ……
……熾烈な戦いの結果、食欲が睡眠欲に勝利し、目が覚めた。
今日も寝起きの気分は最悪だけど、この空腹感よりはマシだ。
耐えられない程じゃない。
寝癖対策に長い髪を束ねたゴムを解きながら、壁時計を見ると午前六時。
流石、鈴音は毎日時間に正確だ。目覚まし時計要らずである。
身支度を整えリビングに入ると、エプロン姿の鈴音がダイニングテーブルに朝食を配膳する姿が、まず視界に入る。
横目で確認するとお母様は『相変わらず』だ。
今日も何時も通りの一日が始まった。
「おはよう、鈴音。お母さまもおはようございます」
「あ、お姉ちゃん! おっはよー!」
向日葵のような笑顔を浮かべ、鈴音は挨拶を返してくれるが、
お母さまはノートパソコンとタブレットから目を離さない。
鈴音が大きなマグカップに入れてくれた、コンデンスミルクを直飲みすると、ようやく本格的に頭が動き始めた気がする。
私は栄養吸収が異常に早い体質なので、摂取した糖分も、多分早めに脳に届くのだろう。
双子の妹、望月鈴音は我が妹ながら、頑張り屋さんだ。
致命的に朝に弱いお母様と私に代わり、毎日早朝に起きて、朝食とお弁当の用意をしてくれる。
お弁当が夕食の残り、有り合わせでいいのなら私が用意してもいいんだけど、『あの馬鹿』の胃袋を掴む為に、鈴音が毎朝用意している。
私は実験台かつ毒見役だ。
まともに食べられるモノを調理できるようになるまで、鈴音も私もよく頑張ったものだ。
我慢強く努力家同士の姉妹と言えよう。
鈴音と私は双子の姉妹なんだけど、容姿はまるで似ていない。
鈴音は二つを除き、日本出身の父親似で、愛嬌のある顔立ちに標準的な体格。
所謂、美少女ではないが、明るく裏表のない性格が人相に表れているのだろう。
黒髪をショートボブにした小動物のように愛らしい少女だ。
姉の私、望月響は二つを除き、ドイツ出身の母親似で、白人と日本人とのダブルには、あり得ない程珍しい、金髪碧眼で177㎝のスレンダーな長身。
モデル体型なんだけど……。
私も椅子に腰かけて、目の前で黙々と作業を続ける、お母さまと鈴音の二つを交互に見比べると複雑な気分になる。
お母さま、望月マルレーネは高校生の娘をもつ母親に見えない。
むしろ私の姉にしか見えない異常な若さなんですけど。
繁華街を歩けば、十人中二十人は振り返るゴージャスなブロンド美女だ。
ただしそれは夜のお話。
朝には私以上に弱くて、今は寝癖で頭爆発、血走った眼をギラギラさせて、正直キモイ。
朝に弱いにも関わらず平日は必ず起きてくるのは、銘柄スクリーニングとやらの為だ。
お母様の職業? は個人投資家。
日本の株式を中心に投資をして、リスクヘッジの為に、海外にも投資しているそうだ。
十年前、唐突に行方不明になったお父さまに代わり、経済的に我家を支える大黒柱。
性格的にも体質的にも、宮仕えが出来ないお母さまが、私達を養うには投資が最適解だったそうな。
東京株式市場の取引時間終了後は自室に籠り、夜まで起きてこない。
株式市場が休場になる土日祝日は早起きする必要が無いので、ほとんど眠りっぱなし。
やはり夜まで起きてこない。
完全に夜型の生活をしている。
美容の為、夕食しか摂らないそうだ。
毎朝、ダイニングテーブルに座っているのは、朝だけでも私達と一緒に過ごしたいらしい。
私の二つとお母さま、鈴音の二つとの違い。
それは胸だ。
二人とも巨乳だが、私は永遠のAAカップ。
母親似なのだから何時かはお母さまのように胸が育つと、中学生までは儚い夢を抱いていたけれど、高校生になった時点で色々と諦めましたよ。
鈴音は小学五年生の時点でFカップ、高校生になった今でも成長しているのだけれど、今のサイズは怖くて聞けない。
胸にも努力では覆せない格差がある現実に直面しても、私にも詰まらない自尊心があるのだ。
銘柄スクリーニングとやらにひと段落ついたのか、ようやくお母さまがディスプレイから目を離し、私達の顔を交互に見やる。
「二人ともおはよう。鈴音と違って、響は食事に時間がかかるのだから、早く食べなさい」
「お姉ちゃん、ご飯焚けたから、もう食事できるよ」
今朝のメニューはクリームシチュー。
鈴音の前にはこんがり焼けたトーストが置かれている。
おかずに関係なくご飯を食べずにはいられない私の前には、五合炊きの炊飯器が置かれている。
人目を憚らず、好きなだけ、空腹感が満たされるだけ食事できるのは、家族しかいない時の自宅だけだ。
朝、晩と五合ずつご飯を食べないと、学校のお昼休みは飢餓地獄となってしまうのだ。
花も恥じらう乙女のお弁当は、小さくかわいらしいもの。
断じてドカベンなど、学校では食べられない。
どうしても空腹に耐えられない時に備えて、高カロリーのコンバットレーションを隠し持っている。
乙女が通称「ミリメシ」を常時携帯している事を、他人に知られたら、自決する覚悟です。
母と妹曰く、大型台風が日本列島を飲み込むような勢いで、鈴音より早く食事を済ませる。
ようやく人心地がついた。私は満足じゃ。
この引き締まったお腹のどこに、五合分のご飯が入るのか、我ながら謎である。
胸には栄養が入っていかない事だけは、悲しい現実だが認めるしかない。
「鈴音、今朝も美味しかったわよ。ありがとう。後片付けは私が済ませるから、先に学校に出かける用意を済ませない]
「うん、武蔵ちゃんを起こしに行かないとダメだから、すぐ済ませるね!」
大和武蔵は生まれる前からお隣同士の幼馴染だ。
父親同士も幼馴染で、お互いの自宅を並べて建てる程、親密な関係だった。
私たち姉妹と武蔵は、同じ病院で同じ日に生まれたので、新生児室からずっと一緒だったりする。
幼稚園から高等学校に至る現在まで、同じ場所に通っている。
中学校はお受験で聖凰学院に入学したのだが、鈴音は学力的には私と武蔵と比べるとやや劣る為、武蔵と同じ学校に通いたい一心で、猛勉強の結果見事合格。
大学までエスカレーターなので成績を維持できれば、このまま鈴音と武蔵とは同じ学校に通う事になるだろう。
それまでに鈴音と武蔵が恋人同士になっていれば、私は外部受験で別の大学に進学するつもりだ。
進路選択時にまだ二人が煮え切れない関係のままだったら、どうしようかしら。
私が傍にいた方が鈴音の為になるのか、距離を置いた方が良いのか、正答がない問題は難しい。
「「おばさま、おはようございます(!)」」
「響ちゃん、鈴音ちゃん、おはよう。今日もまだ武蔵は寝てるのよ。毎朝ごめんなさいね」
隣接した望月家と大和家までドア・ツー・ドアで移動はあっという間だ。
玄関を潜ると、奥からおばさまが出迎えてくれた。
「では、おばさま、武蔵ちゃんを起こしに行ってくるねっ!」
鈴音は二階にある武蔵の部屋まで起こしに行くけれど、私は玄関で待機だ。
「今日から貴方たちも、高校二年生ね。ずっと傍にいたけれど、三人とも大きくなったわねえ」
「ふふ、武蔵は私より背が低いのがご不満のようですけどね」
武蔵の部屋ではドタバタ喜劇が発生しているのだろう。
ベッタベタの展開は見ていて胃にもたれるので、おばさまと世間話をしていた方が、精神衛生上よろしい。
「おい、鈴音! そんなに引っ張るなよ!」
「もう、武蔵ちゃんが何時までも起きないから! 始業式ぐらい余裕をもって登校しようよ!」
ようやく鈴音が武蔵を部屋から連れ出すのに成功したようだ。
武蔵は黙っていれば、鍛えられた長躯のイケメンだが、デリカシーが足りないオープンスケベなので、喋ると色々と台無しだ。
ムッツリスケベよりはマシなのか、それでもイケメンはそれなりにモテる。
物ごころついた時から、鈴音がアタックを続けているのだが、都合よく? 難聴になったり、底抜けに鈍感なので、妹の恋は未だに成就する気配はなく、しかもライバルは多い。
武蔵はまだ寝ぼけているのか、足取りが怪しい。
あっ! 鈴音がそんなに引っ張ると!
「あれ?」
「っておい!」
案の定、階段で足を踏み外して、二人が転げ落ちそうになった瞬間に靴を脱捨て、一気に階段を駆け上がり、二人を抱き止める。
冷静に観察していれば、異常な反射と瞬発力なのだろうが、誰も突っ込む人間はいない。
「危ないでしょ。二人とも気をつけなさい」
「ふが、ふがが」
「あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛……」
武蔵を正面から、鈴音を左腕で抱き止めたのだが、武蔵は私の胸に顔を埋め、右手で鈴音の胸を鷲掴みにしている。
ベッタベタなラッキースケベな展開は武蔵が関わると何時もの事だ。
今更動じない。
「いてて……。響の胸は固いなあ。こう、鈴音のような弾力が圧倒的に足りないな」
「あなた、人に助けられておきながら、その言いぐさはどういう事かしら。調子に乗って、何時までも鈴音の胸を揉みつづけない事! 〆るわよ」
ようやく、武蔵は私と鈴音と離れて、自分一人で立ち上がる。
硬直していた鈴音も私の腕の中から抜け出して、武蔵に向き直る。
「武蔵ちゃんのっ! 馬鹿ぁ!」
武蔵の頬に大きなモミジの跡がつくのも何時もの事だ。
人間、慣れって恐ろしいものね。
もう突っ込む気になれませんよ。
「お姉ちゃんはっ! どうして何時も冷静なの?」
毎度のように鈴音が詰め寄るが、私の返答も何時も同じだ。
「だって、武蔵の事を異性と認識してないもの。ムキになる理由が何も無いのよ」
「鈴音も、響を見習って冷静になれよ。カルシウムが足りないんじゃないのか?」
がっちりと右手で武蔵の顔面を鷲掴みにして。
「助けられたら、お礼を言う! 女の子の胸に触れたら、謝る! こんな簡単なことも出来ないなら、どうしてあげましょうか?」
「いててっ、! 悪かった。ごめんなさい。そしてありがとうございます! 業界ではご褒美でも、お前のアイアンクローはマジで痛いから!」
通学路の桜並木が美しい。
朝に弱い私も桜の花の美しさは認めざるを得ない。
私達の自宅から、聖凰学院高等部までは徒歩十五分。
桜の美しさを愛でながら歩くにはちょうど良い距離だ。
「結局、朝飯を食ってる時間がなくなったから、腹減ったなあ。鈴音、何か食べるものくれよ」
「もう、本当は歩きながら食べるのはダメなんだよ! 仕方がないから、このオニギリ一個で我慢してね」
何時もの事なので、鈴音も毎日オニギリかサンドイッチを、お弁当とは別に用意している。
これだけ世話を焼かれて、何故武蔵が落ちないのか解せない。
「武蔵、私達も今年から後輩が出来るんだから、朝の食べ歩きは今日で最後よ。今日は大目に見るけど、鈴音も武蔵をこれ以上甘やかさないように」
「おいおい、横暴だろ?」
武蔵がオーバーリアクションで抗議するが、今日からは譲らない。
「後輩から貴方の同類だと誤解されるのは迷惑なの。今日から高校二年生、そろそろ進路についても真剣に考える時期なんだから、気持ちを入れ替えなさい」
「武蔵ちゃん、明日から三十分早く起こしに行ってあげるから、朝食は家でちゃんと食べようよ」
私が武蔵に鞭を入れると、鈴音が飴を出す。
このパターンのままでは、鈴音が武蔵の気を引く事は出来ないのだろうか?
自分の恋愛偏差値の低さでは計算不能だ。
「わかったよ。明日からはお袋に朝食を作ってもらって食べる事にするよ。これ以上ごねると、鈴音が作ってくれるお弁当を、響に没収されかねないからな」
十五分は長いようで短い。
桜並木を抜けると通用門が見えてきた。
今日は新年度の始業式という事もあり、学生たちも浮き足立っているように見える。
クラス発表があるからだろう。
「武蔵ちゃんと同じクラスになれるかなあ。ああ、確認するまで不安だよ」
「まあ、なるようになるだろ。うちの学校のクラス編成は成績順だからな」
「鈴音は武蔵と似たような成績だったから、多分二人は同じクラスになると思うわよ」
三人の成績は私、武蔵、鈴音の順番だ。
私はA組で確定だろうけど、武蔵と鈴音はA組になるのか、B組になるのか微妙なところだ。
わいわいがやがやと騒々しい他の学生たちと一緒に、ようやく掲示板に辿り着く。
クラス発表表の掲載順番もクラス別に五十音順ではなく、成績順である。
ただし、内申点も加味されるため、テストの成績順位だけで決定するわけではない。
私立の進学校なので、この辺りは非常にドライだ。
これも校風なのだろう。
私は予想通り、A組の三人目に名前が記載されていて、分かりやすい。
「あっ! 良かった! 私と武蔵ちゃん、お姉ちゃんも同じクラスだ!」
「俺が三十番目で、鈴音が三十四番目か。 響は今年も同じ順位だな」
武蔵と同じクラスになれて、鈴音ははしゃいでいるが、武蔵は冷静な反応だ。
うーん、やはり脈が無いのかなあ。
今年は修学旅行がある。
それまでには、なんとか鈴音の恋が成就するように、応援してあげたい。
今年度は、鈴音と私にとって最高の一年になりますように。