第十四話 ルサルカの砦
武蔵と日向君を折檻する猶予を与えられることもなく、私たちは慌ただしく身支度を整え、ジリヤとインガに連れられて、謁見の間に入った。
本格的な戦争が始まるのだ。
護衛以外の傍仕えのエルフは、それぞれの仕事があるのだろう。
わずかな護衛しかいない、閑散とした謁見の間の玉座に、族王が座っている。
私たちが腰かけるのを待ち、族王が口を開く。
『既にジリヤから聞き及んでおられるかと存じますが、いよいよハライソの軍勢が動き出しました。我が軍は国境の要衝、ルサルカの砦に正規軍九千が集結中。後詰として民兵一万五千を送ります。敵軍には天使の姿も確認されたと報告されております。そこで、皆さまにも『ルサルカの砦』へと向かって頂きます』
「拒否した場合は?」
私の発言に、インガは困惑の表情に、ジリヤは能面の様な暗い顔になる。族王は艶然と微笑みながら。
『その場合は、アルフヘイムは滅亡。皆さまも全員、枕を並べて討ち死にする事でしょう』
初見では、『お力添えをお願い申し上げます』などと言いつつも、拒否させる気はないわけか。
武蔵が殺気立つを見て、鈴音が武蔵の手を握り、耳元で何か囁く。鈴音の言葉に武蔵は落ち着きを取り戻したようだ。険しい顔で族王の顔を睨みつける。
「ルサルカの砦の防衛戦に加わっても、討ち死にする可能性はあるのではないのですか?」
加賀先生のもっともな疑問に対しても、族王は微笑みの表情を崩さない。
『神食の武器と勇者さま方のお力は、世界樹からの距離が遠く離れれば離れる程、強化されていくのです。同じように戦うのであれば、世界樹が存在する王城より遠く離れた、ルサルカの砦で戦った方が、皆さまが生き残る可能性は高くなることでしょう」
族王の発言が真実ならば、その通りなのかもしれない。
しかしこの場では真偽を確認できない。
「ルサルカの砦まで向かえば、実感できる程、私たちは強くなるのですか?」
『仰る通りです。混沌の洞窟をまだ完全に攻略されておられない皆さまでも、おそらく天使に伍する力を振るえるでしょう』
すぐに分かる嘘は吐かないだろう。
しかし、世界樹から距離を置くほど、私たちが強くなるという事は、裏を返せば、王都では本領発揮できないという事になるわね。
そうなると王都で反逆を企てるのは難易度が跳ね上がる事を意味する。
随分とエルフに都合のよい条件設定ですこと。
『既に六騎士のうち四人が砦の防衛戦に参加しておりますが、ジリヤとインガも皆さまと共に、これから砦に向かいます』
「……そうなると、六騎士は砦に全員集合。正規軍は千人しか残らないみたいだけど、王都の防衛はそれでいいのかにゃー?」
ふざけた口調による日向君の問いに対しても、族王は表情を変えない。
『懸念には及びません。族王たる私と託宣の巫女は最強のエルフなのです。千の正規軍と民兵、そして私たち二人だけで籠城戦は可能です。それに戦力を逐次投入すれば、ハライソ軍の進攻を阻むことが出来ないのです。最低限の戦力だけを残し、可能な限りの戦力を砦に集めるしかないのです。もし『預言者』の砦への侵入を許せば、戦線が崩壊してしまいます』
お父様が砦の中に一歩でも踏み入れれば、おそらく精鋭部隊と共に何度でも瞬間移動で砦内に自由自在に侵入。あっという間に砦は陥落してしまうでしょうね。
そして託宣の巫女はやはり王都のどこかにいるのね。
私たちを城下町に近づけさせないという事は、城下町のどこかに潜んでいるのかもしれないわね。
「私たちが砦に辿り着く前に、肝心の砦が陥落している可能性もあるのではないですか?」
『郊外に一方通行の『転移陣』を用意しております。この『転移陣』を利用すれば、瞬時に皆さまを砦へと送り届けることが出来ます』
加賀先生の追及に対して、あくまでも族王は微笑んだまま、表情を崩さない。
何もかも、族王の掌の内なのだから、当然ね。
「じゃあ、さっさと『転移陣』とやらで砦に運んでくれよ」
武蔵の苛立った声に対しても、族王は微笑みの表情を顔に貼り付けている。
ずっと微笑んだままというのも、不気味ね。
『ジリヤ、インガ。貴方たちは直ちに勇者さま達と共に、ルサルカの砦に向かいなさい。何としても敵軍を押し返すように。後退は許しませんよ』
ジリヤとインガに先導され、隠し通路から城外に出て、郊外へと進む。
三つの大きな月が夜空を照らすため、この世界の夜は、晴れていれば地球の夕方より明るい。
『今日の勇者さまたちは洞窟の探索でお疲れだよね。慌ただしくて大変だけど、とりあえず砦に到着したら、今夜はゆっくり休んで英気を養ってほしいなー』
『……インガの言う通り、万全の体調で初陣に臨んだ方が良いでしょう。今夜の戦闘は私たちに任せて、皆さまはお休みください』
インガは私たちを労うように何度も声をかけてくるけれど、ジリヤの態度は硬いままだ。
不安を隠せず、鈴音は武蔵と朱理の二人と手をつなぎながら、恐る恐る歩いている。
そんな二人を気遣うように、武蔵は何度も鈴音たちに声をかけている。
高雄さんは気丈に振る舞うけれど、やはり怖いのだろう。どこかぎこちない。
日向君はマイペースだ。このような時に態度を変えない人間がいるのは、鈴音たちも心強いだろう。
加賀先生は私たちを庇うように、先頭を歩いている。私は最後尾だ。
「何度も言うように、戦場が恐ろしいなら後方支援に参加すればよいのですよ。皆の分まで先生が戦いますから」
「鈴音ちゃんと朱理ちゃんの矢の飛距離、かなり伸びてるからにゃー。言霊と委員長の刀で身を守りながら、鈴音ちゃんと朱理ちゃんも砦からの射撃戦に参加した方が結果的に安全かもしれないぜぃ。相手の数がこちらを上回るからには、とにかく敵の数を減らさないと、ヤバいにゃー」
日向君の言い分はもっともかもしれない。数の暴力で砦を蹂躙されてしまったら、私たちも全滅してしまう。砦での籠城戦に、安全な「後方」など存在しないだろう。
「で、でも! 人殺しなんて……」
「まあまあ、朱理ちゃん。最後まで聞きなって。――インガちゃーん、ハライソ軍って魔族と人間をどんな具合に編成してるのかにゃー?」
『ハライソ軍は必ず中央に『人間』の部隊を据え、右翼と左翼は魔族という編成ですー。唯一神の忠実な僕である『人間』が絶対に中央でなければならないようですー。ただし、魔族の中でも、特に速度が速い部隊は、『人間』より先に、まっしぐらに突進してきますですー。あとは、空を飛んでくるのは魔族だけですねー』
この世界の天使は飛行しないそうなのだ。天使と聞くと光り輝く翼を連想してしまうけれど、異世界の天使と私たちが想像する天使の姿に大きな乖離があるのは当然なのかもしれない。
「なら、右翼と左翼の魔族と、突出してくる魔族を鈴音ちゃんと朱理ちゃんは狙えばいいっしょ?」
「……に、人間と戦わなくてもいいなら、私も魔族と戦います!」
「……私も鈴音と一緒に戦います。鈴音、大丈夫。お互いの死角を庇うように攻撃しよう」
「では、私は鈴音さんと最上さんを守ります。飛びかかってくる魔族がいれば斬り伏せましょう」
皆、声が震えている。やはり戦争なんて恐ろしいわよね。
加賀先生が立ち止り、私たち全員の表情をじっくりと確認してから、ジリヤたちに向き直り。
「私と大和君、日向君。そして響さんが前線に出ます。他の三名は砦の防衛という布陣でよろしいですね」
加賀先生の有無を言わさぬ口調に、エルフたちが口々に答える。
『――我らの敵と戦っていただけるなら、どのような形でも異存はありません』
『籠城戦ですから、砦から打って出る機会は天使が現れた時ぐらいだと思いますよー。ルサルカの砦は堅牢なのですが、天使に取りつかれるとちょっと厳しいですー』
――後は、お父さまね。
お父さまの超能力については全員に説明しているけれど、おそらく真正面から戦えるのは私だけでしょうね。
話を続ける間に森を抜けた先に隠されていた『転移陣』にようやく辿り着いた。
『ではー皆さまー。『転移陣』の中で動かないでくださいませー』
『転移! ルサルカの砦!』
ジリヤの叫びに応え、『転移陣』が起動する。
ぐにゃり、と視界が歪み――気が付くと景色が変わっている。
周囲を見渡すと、石造りの天井、壁、床が見える。ここがルサルカの砦内部なのだろう。
突然現れた私たちの姿に動揺する事もなく、平然と立っていた兵士にジリヤが問いかける。
『戦況はどうなっていますか?』
兵士は直立で敬礼を返し、口を開く。
『はっ! 敵の第一陣は押し返し、現在はリュボフィさまを先頭に追撃戦を行っております』
『なるほど、リュボフィが討って出たという事は、敵が反攻を開始するのは明朝以降になるでしょう』
『ではー、予定通り、勇者の皆さまは明朝までお休みくださいー」
私たちが強化されるという話には嘘が無かったようだ。
砦へと転移してから、力が漲るのを感じる。
歩兵に案内され、大部屋に案内される。
この大部屋は私たちだけが使えるようだけれど、やはり砦には個室は用意できないのでしょうね。雑魚寝するしかない。着替える時は武蔵と日向君には部屋の外に出てもらおう。
「状況に流されるまま、皆さんを戦場に連れ出してしまいました。……自分が不甲斐無いです」
加賀先生が私たちに深々と頭を下げる。
「先生が頭を下げるようなことじゃないよ。この世界に来てしまった時点で、どう転んでも、こうなっただろうし」
「加賀先生の神食の武器が無ければ、洞窟の探索中も何度も危ない場面がありました。先生は私たちを守ってくださっています」
誰も加賀先生を責める学生はいない。
加賀先生は普通の女性教師でありながら、異世界に来てからは、私たちを励まし続けるだけでなく、文字通り身体を張って教え子を守ってきたのだから。
「俺たちがどう戦えば生き残ることが出来るのか。今はそれだけを考えようぜぃ。あれこれ悩むのは、とりあえず砦を守り切ってからにしようぜぃ」
「たまには日向君も良いことを言うわね。先生、明日の戦闘について打ち合わせましょう」
この世界に来てから、あのチャラ男だった日向君が随分と気を回すようになった。人は見かけには寄らないものね。
「討って出ないないなら、砦から神食の武器による射撃と、言霊による攻撃と防御を行いましょう。私は空を飛ぶ魔族を迎撃します」
「あれ、お姉ちゃんって空は飛べないんじゃなかったの?」
鈴音の言う通り、私は念動力で空を飛ぶことはできない。
「大丈夫、腹案はあるのよ。私が空に上がったら、援護射撃をお願いね」
「空中への援護射撃は加賀先生と朱理ちゃんを中心にして。鈴音ちゃんは洞窟では使えなかった、炸裂弾や爆発弾をクロスボウから地上に投射するといいにゃー。きっと敵陣は混乱するぜい」
射撃組は通常の弾丸や矢以外のものも射出できるようになっている。
そして私が腹案を皆に説明すると、納得してもらえた。
「なるほど、響の念動にはそんな使い方もあるのか」
「砦での籠城戦は響さんの作戦で問題なさそうです。――問題は、天使と望月さんたちのお父様ですね」
天使は他の敵とは一線を画する存在と聞いているが、詳細は明らかにされていない。
お父様は『預言者』として、何か特殊な能力を唯一神から与えられたかもしれない。
実際に戦ってみなければ、相手の力が分からないというのは不安要素よね。
「私が空中から牽制と陽動を行います。地上からの攻撃は前衛は武蔵と日向君、加賀先生には援護射撃をお願いいたします」
日向君が神妙な顔になりながら。
「俺は武蔵のような運動能力や、彩先生の様な攻撃力が無いから、言霊による援護が中心になるかにゃー。敵の手の内がある程度明らかになるまでは、無暗に攻撃しないで、冷静に立ち回るしかないのが、困ったところだぜぃ」
日向君の指摘通り、天使がどんな存在なのかさっぱり分からないのが悩ましい。
皆の視線が加賀先生に集まるけれど、先生は微塵も恐れや動揺を見せない。
二十代の人間女性とは思えない胆力よね。
「開けた場所なら、洞窟の様な閉鎖空間と異なり、先生も全力射撃が可能になります。銃剣の扱いにも慣れてきましたので、柔軟に武蔵君たちと入れ代わり立ち代わり、可能な限り足を止めないように立ち回りましょう」
加賀先生の神食の武器は、現実の突撃銃を上回る火力がある事を射的場の試射で確認している。
「源義経たちが兵法書の類を残してなかったのが残念だったな。俺たちは誰も戦術書なんて読んだことが無いし、素人の出たとこ勝負になってしまうのがなぁ」
武蔵が独り言のように呟く。
源義経は優れた戦略家にして戦術家と私たちの後世に語り継がれているのに、「エルフたちを導いた」はずのこの世界で、何一つ彼が記した書物が残されていない。
残されていないのではなく、何も残さなかったのかもしれない。
義経がこの世界で活躍したのは九百年も昔の事なので、エルフたちも曖昧な伝承でしか義経たちについて知らないのだ。
ゆっくり睡眠をとることが出来るのは今夜が最後かもしれない。皆が熟睡できるように、「魔眼」で暗示をかけ、私自身は見張りの為に徹夜で朝を迎えた。