第三者傍観論
木加瀬直は、電車内で見かけた母校の制服の少年少女を見て、自分の中学生時代を思い出した。
ずっと前のような気がする――とはいっても、彼はまだ20歳なので、それほど前の話ではない。
流れ星が落ちるような短い時間の中、直は色んな事を知った。ただ、その日をがむしゃらに生きてきた。そんなことは、もうできないんじゃないかと、彼は思う。
丁度、高校時代から付き合っていた、年上の恋人を思いだし、彼女に会いたいと考えた。あの時の暗い記憶を思い出すと、どうしようもなく――彼女に会いたくなるのだ。
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俺、木加瀬直は自分を含めた五人組とよく一緒に行動していた。
部活も同じで、クラスも近い所為か、仲良し五人組と一部から言われていたらしい。
中等部二年の春。きっと来年も、高等部へ行ってからも彼らと一緒に居るんだと、アホな俺は信じて疑っていなかったんだ。
ある日、同じ陸上部で部長候補だって言われていた奴――草灯志人から、妙なことを言われた。
「これから、つらいことがあるだろうから、もしその時は……望月を支えてあげて」
望月という名前の人物は一人だけ知っている。望月綾乃――仲良し五人組の一人で、男子陸上部のマネージャーだ。どうしてそれを俺に言うのかわからなかったし、俺は草灯の言う意味も分からなかった。ただ、その時は何となく頷いていたように思う。
思えば、草灯はあの時に気づいていた――仲良し五人組と言われていた、俺達の中のほころびが……
仲良し五人組のリーダー格は綾乃の幼馴染で、五人の中では一番背が高く、陸上部でも期待のエースと言われていた荻原洋介だ。俺は洋介のことが(もちろん友人として)大好きだったし、楽しそうに走る姿を見て憧れてもいた。そして、いつか超えるべき壁として、彼を見ることもあった。
まあ、部活以外は普通に中の良い友人として一緒に居たけどね。
「相変わらず、かっこよく走るよね」
「はい」
俺の言葉にうなずいたのは、仲良し五人組の一人で、男子陸上部のもう一人のマネージャー高坂百合子。彼女も、自分と同じように純粋に洋介のことを、カッコイイと思っているんだと思っていた。
けれど、自分とは違う決定的な何かが、彼女にはあったんだ。
やはり、アホな俺はそんなことに微塵も気づいていなかったけど。
「直ちゃん、タイム落ちているよ」
綾乃の言葉に、慌てて直は自分の過去のタイムと今回のタイムを見比べた。たしかに、落ちている。
「調子悪いの?」
綾乃に言われて俺は苦笑いを浮かべた。
「ちょっと、草灯くんに妙なことを言われて、それが気になったんだよ」
「妙なこと?」
綾乃のポニーテールが揺れる。そういえば、クラスの男子が『望月さんの項ってセクシーだよな』って話していた。こうしてみると、綾乃は美少女なんだな――俺は、他人事のようにそう考えていた。
「いや、なんかつらいことがあるとか、そんな感じ?」
「つらいこと? もしかして、スランプに陥っているかもっていうことじゃない?」
それはない。草灯の口ぶりから察するに、つらい思いをするのは綾乃だろう。でも、それを伝えようとしたとき、綾乃は部長に呼ばれて行ってしまった。
それっきり、俺は綾乃へ【つらいこと】を伝えることを忘れていたのだ。
綾乃は強い少女だ。破天荒なところもある洋介とずっと一緒に居た少女である。きっと、自分が支えなくても、一人で立っていることができるだろう。そんな甘えが、あったのかもしれない。
あの時の俺はどうしようもなくガキで、バカだった。
「私たち、付き合うことになりました」
お互いに腕を組んで、少し頬を赤らめながら報告してきた。
洋介と百合子が付き合いだした。
単純に俺は笑顔で『おめでとう』と口にした。綾乃も笑顔で祝福した。しかし、五人組の最後の一人――速水令司だけは、特に表情を変えず……むしろ冷たい目で二人を見ていた。その光景はよく覚えているし、不思議がっていたことも覚えている。
令司は、洋介と百合子に聞こえないように、俺に言った。
「よく、喜べるよな」
その言葉の意味は、理解できなかった。
今思えば、それは俺と、綾乃のことを指して言っていたんだろう。今だったら、そうじゃないかって思う。
その日を境に、令司は俺達とほとんど遊ばなくなった。仲良し五人組は、仲良し四人組になっていた。
けれど、令司は俺達と全く会話が無くなったというわけでは無かった。俺と令司は同じクラスで、昼休みにたわいない話をしたり、一緒にゲーセンへ行ったりもした。けれど、何故か五人では遊ばない――いや、洋介か百合子がいるときだけ、彼は現れなくなったのだ。
それに気づいた時、俺は令司に『洋介くんと百合ちゃんが嫌いになった?』と問いかけた。彼はしばらく黙り、頷いた。理由のわからない怒りがわいたと思う。『どうして』だとか『なんで』だとか、俺は何度も令司に問いかけた。十分くらいずっとそうしていたけど、令司は何も言わない。けれど、漸く彼は口を開いた。
「よく、あいつ等を見て笑っていられるよな。なんかいやだ」
それっきり、令司は俺たちと遊ばなくなった。
別のグループに行ったというわけでもない。文字通り、一人で過ごすことが大半になったのだ。
翌月、別の学校の女子生徒と一緒に居るという話が広まり、表向きは【令司は彼女が出来たから、グループをはなれた】ということになった。おれも、それを否定しなかった(否定したところで、彼が俺達と遊ばなくなった理由を言うことができなかったからだ)。
二年生が終わりに近づくころ、洋介がスランプに陥った。
コーチ曰く、身体が急成長して、今までと同じような走りが出来ない、だそうだ。
そういえば、身長差が開いてきたな(念のために言っておけば、俺も成長していないわけでは無い)、と俺は考えた。
いつも居残り練習をしている洋介は、居残り練習を止めた。身体に負担をかけないようにするためだ。
なんとなくだが、その時から俺は一人でいる時間が多くなった。
その代わりに、時々だが令司に話しかけることが多くなった。
「れーしクン、今日って百合ちゃん休み?」
綾乃と一緒に帰ると言っていた洋介を思いだし、俺は令司に話しかける。彼は俺の言葉を聞いて目を見開いた。そして、彼は洋介を追いかけた。
聞こえたのは令司の怒声と洋介の声。
要所だけを説明すれば、最近は危ないから女の子を一人で帰らせないようにと、洋介は母親に言われたらしい。洋介の母親の言う女の子とは綾乃のことだ。そして、洋介は母親の言う通り、綾乃と帰ろうとした。恋人である、百合子がいるにもかかわらず――だ。
ずっと一緒に帰っていたから、洋介は綾乃と帰ることが当たり前になっていたらしい。
「洋介! テメェ、百合子と付き合ってんだろ!? 綾乃は俺が送るから、お前は百合子と帰れよ」
「俺がお袋に頼まれたんだよ! 綾乃を送らなかったって知られたら怒られる」
「それは俺が説明するっつってんだろ。それに、最近危ないんだったら、百合子を一人で帰らせるのも危ないじゃねえか!」
「だったら、百合子はお前が送ればいいじゃん」
「だから、俺が綾乃を送るから、お前は百合子と帰れっつってんの」
「お前の家、綾乃の家より百合子の家の方が近くなかったか?」
「そうだけど」
「だったら――」
このままじゃ、堂々巡りだ。
そんな時、ひょいと助け舟を出す人が現れた。
「じゃあ、綾乃は俺が送る」
部長だ――いや、今は草灯が部長になったから、彼は前部長である。前部長の通学路は綾乃の家の前を通るから、彼女を一人で帰らせることは無い。彼は同じ部活の保護者と面識があり、なおかつ信頼されているから、自分から説明すれば親御さんも納得するだろうと、洋介を説き伏せた。
そして、洋介は百合子と一緒に帰って行った。
まだ、マネージャーの仕事が終わっていないから、待たせることになるんじゃ――と、申し訳なさそうな綾乃に、前部長は笑いながら言う。
「女子部でまだ練習している奴いるだろ? あれ、俺の妹。どっちにしろ、あいつが変える時間にならないと俺も帰らないから大丈夫だよ。望月の仕事が終わるくらいに、あいつも練習を切り上げるからさ」
居残っている彼女には見覚えがあった。【ツキちゃんセンパイ】というあだ名だけで、本名はこの時わかっていなかったが、その呼び方と顔だけは覚えていた。女子部でもかなり小柄なことも、分かりやすい要因だが、高跳びの選手である彼女は、この陸上部始まって以来の最高記録を塗り替えたとしても有名だ。
因みに【ツキちゃんセンパイ】は前部長と同い年。妹とはどういう意味なのか問えば、彼は【ツキちゃんセンパイ】と自分が双子であることを教えてくれた。
なるほど、よく見れば顔立ちがソックリだ。
マネージャーの仕事が終わった綾乃、前部長とツキちゃんセンパイに加え別の部活に所属する二人の弟の四人で帰る姿を眺めていると、軽く肩を叩かれた。
「練習、終わった?」
膝から下が砂まみれになっている女子生徒。幅跳びをしている俺の幼馴染である、実栗だ。彼女に砂まみれの足を指摘すると、無表情で砂を払い始めた。
「一緒に帰ろう」
練習熱心すぎて体を壊さないか心配してそう言えば、彼女はまた無表情でうなずく。あまり、感情の起伏がない幼馴染だ。
帰り道――俺は実栗に問う。
「ねえ、実栗っちにとって、俺ってどんな感じ?」
質問の意味が分からないとばかりに、首をかしげる実栗に、俺は『たとえば、家族みたいとか、そんな感じ』と言う。彼女はしばらく考えてから、俺に言った。
「直が私を思っているのと、おおむね同じなんじゃないか?」
「へ?」
「直は私のことをどう思っている?」
「ん~、姉か妹……みたいな感じかな~?」
「私は直のことを弟みたいに思っている」
「ふーん」
少なくとも、俺が実栗を見ているより、実栗が俺を見ている方が、年下を見るような感じということは理解できた。
休日のある日、俺は町で年上っぽい女の子と歩いている令司を見つけた。
あれが噂の【カノジョ】か……。
俺は話しかけないようにして、少し距離を取った。
冬の大会が終わった。
俺達は好成績を残せた――けれど、洋介はもっと上に行けるはずだったらしい。やはり、スランプは治っていなかった。
そして、三年に上がり、洋介は殆ど部活に来なくなった。
陸上部は部員が少ない。
その為、洋介は不真面目ながらも試合に出ることができる。三年も同じクラスになった令司曰く『思い通りにならずに腐っている』とのことだ。
早くスランプが終わると良いな。終わったら、また元通りに仲良くなれるだろうから……。俺はそう思っていた。
けれど、一度入った亀裂は戻らないまま。
俺達は、高等部にあがって、洋介のスランプが終わった後も――昔のように遊ぶことは無かった。
これが、俺の中にある後悔の話。
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直は先ほど連絡を取った恋人の家に向かう。彼女は理由も聞かずに『来るならとっとと来い』と返事をした。
扉を開け、名前を呼べば恋人は笑顔で迎え入れてくれた。直はそんな彼女を力いっぱい抱きしめる。
「今日、泊まっても良い?」
その言葉に彼女は抱き返すことで肯定の意を示した。