第七十一話 『フラグ(メント)回収 その2』
からっとした明るい空の下、トレンチコート姿で石畳の上を歩く。
冷たい空気を耳に感じた。
道はそこそこ広いが、このあたりの通りは馬車が入れないようになっているようで、通行人たちが道路の中央に、あるいは脇に固まって歩いている。
冒険者ギルドからさほど離れていないためか、見るからに冒険者といった風体の者もいるし、一方で荒事とは無縁の生き方をしていそうな市民の姿も数多く覗ける。
騒がしさはある。ただしそれは人数が多い場所に生まれる活気ゆえである。もめ事に関連して生じる剣呑さはまったく感じられない。
道を歩きながら大声で会話する者、所々にある店の軒先から客引きの声を挙げる者、慌てた様子で人の流れをかき分けて急ぎ足で進む者と様々だった。
夜に通ったときには閑散とした道だったが、日中は随分と空気が楽しげに思える。
ハミンスの街は穏やかな空気に包まれていた。
「やっぱりいいな、これ」
「そんなにお気に召したんですか?」
「まあな」
胸当ても鎧の一種である。
一般的な現代人に鎧を着る習慣はなかったが、命に関わるから身につけない選択はない。日常的に装備している以上、そろそろ慣れてもいいのだろうが、仰々しい感じがすることは否めない。
いや、戦国武将だって兜やら鎧やらを使うのは戦場に向かうときだけで、普段はそんなものものしい恰好はしていなかったことを思えば、違和感が消しきれないのは当然かもしれない。
と思っていたのだが、ソフィアが作ってくれたトレンチコートを着ていると、胸当て膝当て肘当てその他を使うことに、あまり抵抗がなくなった。
このことから分かったのだが、俺が気にしていたのは見た目の問題だったようである。
実に見栄えのするしっかりとした造り。
防寒防水に優れていそうな丈夫な布地に触れると、実に気分が良い。
腕を伸ばし、それに釣られて伸びる皺の具合。
かなり重ための生地を使っているはずだが、モンスター退治でレベルアップしているおかげか、まったく重く感じないため、俺には丁度良い。
ボタンを占めると若干動きづらくはなるのだが、剣士風の装備がすっかり隠れてしまうと、なんとも言えない楽しさで胸が躍る。
道行く者には多少見慣れない装いとなるため興味深く――ときに羨望混じりに――見られるが、ソフィアの腕が良いおかげだろう。
昔は服一着でこんなに気持ちが高揚したことはなかった。
コートそのものも気に入ったが、何よりソフィアお手製という部分が良い。
冷たそうな風が吹き抜けていくのを横目に、ゆっくりと街中の様子を眺めるだけでも面白い。
「らっしゃせー! 美味いよ美味いよ美味くてヤバイよ凄いよ美味いよ超絶美味いよ-! よっそこのお姉ちゃんお兄チャンおかーさんおば……美しいお姉さま買ってって買ってって美味いよ美味いよ美味くてヤバイよー! この寒さの中喰ったらもー大変、美味しさ倍増だよー!」
このコート。ソフィアはいつでも直してくれるとは言ったが、それでもモンスターを相手にするときには脱いでおきたい。
というわけで最近忙しなかったからしばしの休息も兼ねて、今日は街中の探索である。
せっかく良いコートをもらったから、見せびらかすように着てうろうろしたいだけとも言う。
威勢の良い声の主は、道の向こうの出店からだ。
二人連れの通行人などが足を止め、一本二本と買っている。
「美味そうな串焼きが売ってるな」
「食べますか?」
「いや、こいつを汚したくないから止めておこう。たれが飛びそうだ」
「らっしゃせー! そこのあんちゃん格好良いねーオシャレだねーそんな素敵なあんちゃんも安心安心ご安心! うちの串焼きはタレと塩両方あるしどっちも美味いから飛びはね気にするならどんどん塩頼んじゃってねー! タレはとっぷり塩はサッパリ鳥肉牛肉ドズラ肉、新鮮な川魚にアレ貝サレ貝ソシラ貝と色々揃えてるから食べたいもんを選んでね-! ほーら美味いよ美味いよ美味くてヤバイよー凄いよ美味いよ超絶美味いよー!」
聞こえていたらしい。
価格を見る。出店にしては、少し強気な価格設定だ。
ふむ。
店主は壮年の男性だった。発声しつつくるくると火の上の串焼きを回し続けている。
それにしても良い声である。
リズムにのった流れるような口上に興味が湧いた。
「ご主人様」
「ああ。……そこまで言われちゃ、逃げられないな」
「しかしご主人様……この手の店ではハズレの可能性も!?」
「いや、見ろスピカ! さっきのカップルの顔を」
「ああ……っ!? なんて幸せそうな顔!」
「それに、スピカ」
「は、はい」
「……俺も腹が減ってるんだ。ここで買うのが運命だと、思わないか」
無駄に緊迫したやり取りをしつつ、俺は串焼き屋に歩を進めた。
視線が合った。
店主はフッと笑った。
「串焼きを一本もらおうか」
「あいよー! 流石格好良いあんちゃんお目が高い! 冒険者をお見受けするが、チャンスを逃さないその決断力、よっ未来のAランク! そんで肉に魚に貝、うちはなんでもあるし全部美味いけど、どれにするんだい!?」
「オススメは?」
「うちはなんでも美味いからオススメって言われても困っちゃうなー! でもご安心! うちで一番売れてるのはドズラ肉さあ! じっくり焼いたこいつは一度喰ったらやめられないとまらない、歯応えも溢れる肉汁も最高さ!」
「ドズラ肉?」
聞き覚えのない名称である。牛や豚と並ぶ以上、食用肉の一種なのだろうが。
俺の疑問顔をどう受け取ったか、店主はますます勢い込んで声を響かせた。
「ああ言いたいことは分かってる、ドズラ肉といや硬くてクセが強くて臭みもあるってのがあんちゃんも気になるんだろ!? まあまあ一度食べてごらんなさい、うちの串焼きはそんじょそこらの肉とはひとあじもふたあじも違うのさ! 熟成させてから特別な下処理をすることでドズラ肉ってのは適度に硬くて中はやわらか、一口目から最後までコクのある味、においだって食欲を誘う香ばしさにくるりと変身! ただーし! うちのドズラ肉を一回食べたら二度と他のじゃ我慢出来ないって評判だから、そこんとこだけ気をつけておくれよ!」
途中で気づいたが、俺に説明する体で周囲に声を響かせている。
語り口が軽妙で聞いているだけでも時間が過ぎていきそうな感じだったが、空腹だったのでそこで切り上げさせた。
「ならそのドズラ肉を一本。塩で」
「あいよドズラ肉塩一本お買い上げありがとござっしたー!」
くるくると回していた串の一本、そこに軽く掴んだ塩をぱらぱらと満遍なくかけてゆく。
逆側には寸胴鍋のような器が見えた。タレの場合はあそこに突っ込むのだろう。
支払いを済ませると、何かの葉っぱに包まれたドズラ肉の串焼きを渡された。
「あんちゃん、こいつは熱っついから慌てて喰って火傷しないようにな!」
店主に見送られながら、その場を離れた。
俺が去ったあと、様子を窺っていた数名が我先にと群がってゆくのが横目で覗けた。
さて、ドズラ肉である。
色合いと香りは牛肉のステーキに似ていて、串に刺さったこぶし大が二つ。思っていた以上にボリューム感たっぷりで、食らいつくにも苦労しそうな大きさだった。
量を考えるとむしろ安いくらいだろう。
葉を剥いて、竹か何かで出来た太い串を目の前に持ち上げる。
熱々で、見た目からして食欲を誘う。
外はしっかりこんがり焼けていて、表面に浮いた油がじゅうじゅうと音を立てている。
かなり分厚いため中までちゃんと火が通っているかについては、若干不安だ。
美味そうに見えるが、初めて聞く名前の肉である。店主の口ぶりからすると、人気がないだけで一般的な肉ではあるのだろう。
先ほどの店から少し遠ざかってから、おそるおそる口を付けてみた。
一口。
二口。
三口。
ヤバイ。旨い。止まらない。
想像していたよりずっと上の味と歯応えに、大きくがぶりついた。
少し力を入れて噛み千切るような適度な歯応えは最初だけで、口の中に入ると肉の脂がふわあっと広がって、溶けてゆく。心配していた火の通りも全く問題無い。安い肉にありがちな臭みなど一切感じられず、しかも表面のこんがりさと違い、中はまるで長時間煮込んだかのような柔らかさだった。
これが単なる串焼きだろうか。
いや、そんな言葉で言い表すべきではない。
しかし串焼き以外の何者でもない。
肉の旨みを最大限引き出した、おそるべき工夫。
やるな、店主。言うだけのことはある。
俺はいつの間にか行列を作っていた先ほどの店を遠目に眺め、すぐに食べることに集中した。
風の冷たさを感じながら、一口ごとに味わいを増す熱々の肉の塊は、俺から言葉を奪った。
その場に立ち止まり、道に背を向け、黙々と食べるしかできない。
噛み締めるごとに口の中に溢れる肉汁は、振りかけられた塩によって一層存在感を増していた。
串に刺さった分厚い肉は二つだけ。
あっという間に一つが俺の胃の中に消え、もう一つに口を付けていた。
至福の時間だった。
最後の一口。
口に運ぶ瞬間、躊躇う。食べ終えるのがもったいないと思ったのは久々だった。
「……ふう」
「そんな! 串焼きを食べたくらいで……ご主人様が笑った!?」
「いや、笑うくらいいつもしてるが」
「臨場感を出そうかと思いまして! でも美味しそうで良かったです」
スピカの冗談に良い気分で返した。
上機嫌になっているのが自分でも分かるくらい、良い味だった。
「うーん。ご主人様、そんなに美味しかったのならもう一本頼めば良いのでは?」
「良いアイデアだスピカ。でもな……なんていうか、今の気分を壊したくないんだ」
「そういうものですか?」
「いいんだ。今度、また食べる楽しみが出来たからな」
食べたい気持ちと、満たされた気持ちが半々であった。
何事も、過ぎたるは及ばざるが如し、である。
◇◇◇
ぶらぶらしつつ、以前立ち寄った雑貨屋にも足を運んだ。
鍋敷き、もとい《記述式》の回収が目的である。
《記述式》の追加には結構な労力と時間がかかるし、暇を見つけてはちまちまと取り込ませている。
さすがに人前でやる気はしないから、どうしても場所とタイミングが限られるのだ。
全部は消化し切れていないため、以前買い込んだ分もまだまだ残っているのだが、あって困るわけでもなく、そこまで場所を取るわけでもない。
他の種類、希少な属性が混ざっている可能性もあり、なるべく手元に確保しておきたかった。
出迎えてくれた店主は俺の顔を見て、すぐさま気づいたようだ。
やはり、というか思った以上に値上がりしていた。
一枚あたり金貨五枚である。
高くなったとはいえ、最初につけてあった値段であり、本来であれば通常価格と言える。
以前の金貨一枚は捨て値も捨て値、大赤字での処分価格だった。
商売であるからには利益を確保しようと考えるのは当然だ。
値段を付けることこそ、商人に許された最強の武器なのだ。
ちなみに客の武器は予算の上限である。先手、後手、どちらが有利かは場合による。
さておき。
店主はキラキラした笑顔で、お客様のために集め出したところ周囲も便利さに気づいて手放さなくなった、と遠回しに言い訳していた。
もとより《記述式》一枚が金貨一枚以下で買えた方がおかしいのだ。
相場で言えば十枚でも全然足りないし、もっと出してもまったく惜しくない。現にティナはルイザと一緒に《記述式》を計四枚入手するため、金貨二百枚の出費を被ったそうだ。
知らないって怖い。超怖い。
もちろん、この店主が情報を漏らすのは最初から想定内だった。
使い道が無いから安値で、代わりに誰も仕入れない、集めない、出回らないという状況よりは、多少高くても大量に入手可能な状況の方がありがたい。
とはいえ、無駄にぼったくられるのは腹立たしいから、一枚あたり金貨五枚と提示された段階で渋る顔を見せておく。
「えっ」
「前回は金貨一枚、まとめ買いでもっと安くなったから大量に買えましたけど、さすがに鍋敷きひとつで金貨五枚は……」
「そ、そんなあ……お客さん、そりゃないぜ」
「安くて便利そうだから欲しかっただけで、高くて便利なものは他にもありますし。だからこんなに高くならないよう秘密にしてほしかったんですけどね」
「うっ」
「まあ、情報が出回ったのはご主人のせいじゃないってことなら、仕方ないですが」
無理そうな気配を漂わせた途端、店主が途端に動揺を隠せなくなった。
一応、付け加えておく。
俺はきちんと言葉を濁していたはずで、入荷したら買うかも、と言ったのだ。
こんな形で吹っかけてくる危険性を承知していたから、前回は次も必ず買うと言い切らなかったし、仕入れも店主が自主的に動くように持っていったのだ。
もう少し焦らして値段交渉すれば、《記述式》ひとつあたり金貨三枚くらいまで絞れそうだなー、と俺はポーカーフェイスを気取って、内心気楽に値下げする流れに持っていこうと話を続けた。
なのだが、話が進むたび、店主は涙目になってゆく。
俺が買う素振りをまだ見せていないのが原因なのだろうが、彼我の温度差がひどい。
とうとうしびれを切らした店主がうわずった声を出した。
「あ、あんたあの魔導士なんだろ! お金には困ってないはずじゃ――」
それか。店主が強気で仕入れた理由は。
確かに情報収集は大事である。
物好きな客と思ったが、金づるというか、カモと思って俺を調べたらしい。
で、街の噂を聞きつけて、今話題の魔導士と知った。
おい、いくつ仕入れたんだこの店主。
舞い上がって洒落にならない量をかき集めたようだ。
商売仲間が店の隅や倉庫に転がしておいた鍋敷きをかき集めて、値段をつり上げて全部売りつけよう、という魂胆だったのだ。
いやまあ、《記述式》をあんな値段で、しかも鍋敷きとして売っている段階で、そこまで手練れの商人ではないと分かっていたつもりなのだが……。
下手売ったら大損するような商売の仕方、どう考えてもギャンブルである。
俺があんまり乗り気でない風な態度を取るたび、店主は涙目になった。
一応商売人なんだから価格交渉くらい慣れたものだろうから、この狼狽っぷりは、目論見が外れそうなことに対する恐怖心からだろうか。
仕入れで強気に出るなら客にも強気で当たるのが普通だし、買う気を見せず、態度と会話で相手の譲歩を引き出そうとする、この程度の交渉であれば誰でもやると思うのだが。
「ご主人様ご主人様」
「なんだ」
「商売相手が、ご主人様ってことをお忘れです」
「……ん?」
「魔導士って肩書きはご主人様が考えているより強烈ってコトです!」
口を挟まないよう遠慮していたスピカが小声で俺の考え違いを糺してくれた。
ちょっと不憫だったが、俺からぼろ儲けするチャンスだと欲を掻いたのが悪い。
俺は眉をひそめ、ため息を吐いた。
店主はすがりつくような子犬の目をしていた。
無言で店内を見回してさんざん焦燥を煽ったあと、俺はにっこりと笑いかけた。
「値段次第ですけど、……どこまで安くできますかね?」
店主の悩ましい顔を見て、俺の笑顔はますます輝くのだった。




