第三話 『魔法はロマンである。○か×か』
落ち着きを取り戻した魔導書から聞き出した内容はあまりに多岐にわたる。
が、要約するとこんな感じになる。
まず俺の身体には今この瞬間にも凄まじい量の魔力が渦巻いているらしい。
自覚症状はないのだが、これほど強大な魔力を持っているのであれば、魔力をほとんど持たない一般人からすると見た瞬間から威圧感を覚えるものらしい。
そう、面接が上手くいかなかったのは、この恐ろしい量の魔力が悪さをしていたせいなのだ。
これを知れただけでも、今日は最高の日だった。
理由が分からず面接後に必ず採用を断られるあの苦痛、あの恐怖が分かるだろうか。
しかし、理由さえ分かってしまえば、もう恐れることはないのだ。
魔導書曰く、訓練すればどれだけ強大な魔力を持っていても、外に漏らさずきちんと威圧感を振りまかないで済むようになるそうだ。
たぶん、これまで出逢った面接担当者たちはチェーンソーを持った連続殺人犯と対峙しているような感覚を味わったのではないか。
ジェイソンの雰囲気を持った人間を平気で雇おうとする会社はいない。
さもありなん。納得してしまった。
俺の笑顔は、殺人鬼の笑み。
すげー嫌なキャッチコピーだ。しかしそんな苦汁の日々からもうおさらばだ!
ちなみに人間、誰でも大なり小なり魔力を持っているのが普通らしいが、俺ほど極端な量を持っているのは珍しいようである。
生まれつきの場合もあるし、後天的に獲得することもある。どちらにしても増えることがあっても減ることはないらしい。
多すぎると俺のような弊害があるが、それも制御を練習すれば済む。
うむ。上機嫌である。
次に特別な魔法について、の前にこの世界についてである。
ここはやはり地球ではないらしい。
ではどんな場所なのか、と尋ねてみたが、はっきりとした答えは教えてもらえなかった。
異世界であることは間違いないらしく、魔法文化が存在していることも確かなようだ。
が、俺が地球について簡単な知識しか説明できないように、こいつもそこまで詳細に説明することは出来なかったのである。
月に相当する衛星もある。時間についても地球と一時間の長さは等しいらしく、さらに二十四時間や一ヶ月、一年といった単位についてもほとんど共通している。
いくらか仮説は出来たが、とりあえずは置いておく。
いる場所が悪いが、ここから上手く抜け出せれば、人間の住む街も近くにあるらしい。
まずは一安心である。
人類が滅亡した荒廃した世界とか言われたらどうしようかと思った。
時間や距離の感覚は、地球とほぼ等しいと理解して良いらしい。
言語、つまり日本語や英語が通じるかどうかについては、後回しだ。
さすがに社会や文化が違うこともあって同一言語を使っているわけではなさそうだが、距離や時間の基準やら規格やらが同じであれば、そこそこ似通った文明やモラルが存在すると判断できる。
できれば、善行悪行の基準が地球と同じであれば良い。現代日本同等だとなお素晴らしい。
善良な一般市民だった俺からすると、ヒャッハーな世紀末も厳しいが、中世ヨーロッパ並に人命の安いくらいでかなりきついのだ。
まあ、日本だって江戸時代はともかく、平安時代や鎌倉時代あたりは随分荒っぽかったらしいが。そんな血なまぐさい世界観に、小市民な俺が適応できるかは疑わしい。
というわけで、現代日本というか、地球文明との最大の違い。
魔法について知らねばならない。
どう考えても、俺の想像するようなゲーム的な魔法の有無は、文明の進歩に凄まじい影響を与えるはずだからだ。
蒸気機関や電力は言うに及ばず、千歯扱きといった農具、銃や大砲と言った武器兵器に至るまで、技術の方向性や形態がだいぶ別物になっている可能性がある。
必要は発明の母と言う。
逆に言えば、必要な部分が違えば、結果もまた異なるはずなのだ。
数百年、数千年単位で魔法文化が根付いているのなら、進化のツリーは俺の想像も付かないとんでもない方向に伸びて、あるいは漫画における未来都市のような有り様も――
「無いです」
「……え」
「ありません。ご主人様の知識に照らし合わせると……それこそ中世ヨーロッパよりはマシ、くらいの文明レベルです」
仮契約状態であるため、俺に分かりやすい表現をしやすいよう、魔導書にもいくらかの知識が流れ込んでいるそうだ。
ファンタジー的な存在らしからぬ言葉遣いや表現が多かったのはそのせいだと説明された。
たとえるなら言語野に共通の引き出しを作ってある状態、らしい。
主従関係は絶対なので、逆に流れることはない、というのは果たして便利なのかどうなのか。
「明治維新あたりの時代を想像しておくとショックを受けないかと」
「……あまり期待するなって意味か」
「いえ、時期的な意味で、です。ここは日本ではありません。そして、現代のインドにもカースト制度は色濃く残っています」
言葉を濁してはいるが、場所によっては奴隷制度は普通にある。むしろ一般的と考えた方が良いのかも知れない。
もしくは戦前あたりの列強による植民地支配くらいの格差は想定しておけ、か。
話を聞くたび、物騒な世界としか思えなくなってきた。
実際には考えているよりある程度生きやすい社会が形成されている、と思いたい。
「……ここ、異世界だったよな」
「昔、なかなか強烈な古代文明が存在していましたから」
「理由になるのか」
「不条理とか不合理なことがあれば、だいたい古代文明のせいですから」
世知辛い。
こいつの口調のせいで、詳しく聞かなくても分かる。
よっぽどろくでもない文明だったのだろう。
俺がこの異世界に来てしまった理由はおろか、そもそもあの黒ローブが何者かという問いにも、魔導書は答えられなかった。
「……その、これまで満足できる主に巡り会えず、とある場所で眠っていたのですが……あるとき『君にふさわしい主を捜してあげるヨ!』と、あの方に声をかけられまして」
「頷いたのか」
「使われない道具ほど悲しい存在は……ありません。それで、そのまま連れ去られて――気づいたらご主人様の手の中にありました。そこまで期待していたわけではなかったのですが、これは本物のご主人様だとすぐに分かりましたから!」
「やっぱり何か知ってるよな、あの黒ローブ」
黒幕っぽいのだが、しかし保留するしかない。
目の前に現れてくれれば質問も出来るのだが、すぐに出会える気はしない。
単なる想像だが、少なくとも、あの時点では悪意を持って俺に接したとは考えにくいのだ。
何かで俺を利用したいのだとすれば、もっと上手い方法はいくらでもあったはずだ。
こんな放り出すような真似をしては無駄な恨みを買いかねない。
感触でしかないが、どちらかと言えば、偶然こうなってしまった感じがある。
あの黒ローブは、俺にこいつを引き合わせるのが一番の目的だった。
しかし、俺が帰りの電車で、たまたま爆弾テロの現場に居合わせてしまったせいで、あの黒ローブにも予期せぬ事情が発生して仕方なく転移させた、とか。
爆発で俺が死ぬ運命を回避させるために、摂理をねじ曲げたのだ、とか。
想像ならいくらでも出来る。
可能性は三つ。故意、事故、無関係の偶然。
それも細分化して、好意、悪意、自動的の三つが考えられる。
しかし、答えを出すには材料が少なすぎるのだ。
ちなみにこうして安穏としていられるのは、近づいたりちょっかい出したりしなければ、ダンシンググリーン――もとい、正式名称グランプルが襲ってこない確証を得たからである。
一応と思って聞いてみたら、すぐに答えが返ってきた。
「あのタイプの魔物はグランプルと言います。数メートル分がひとつの根っこで繋がっている、かなり厄介な植物型モンスターで、だいたい金貨三枚になりますね」
「退治すると金貨三枚もらえるって意味か。金貨一枚の価値がどのくらいかも気になるが……やっぱりあれか、セオリー通り、冒険者ギルド的な何かが存在してるってことか」
「冒険者ギルド――ああ、なるほど。類似するものはありますが、若干ご主人様が想像されているものとは違います。これに関しては説明するより見ていただいた方が早いと思うので、魔法を」
「使えないと言ったはずだが」
「……そうでした」
一般的な魔法について、このおしゃべりな魔導書はこう解説した。
魔力によって世界の理をねじ曲げ、あり得ざる現象を一時的に発生させるものであると。
「例外はありますが、生きている人間であれば大抵は魔力を持っています。その魔力を一点に集め、まず詠唱をすることで世界の理への介入を開始します。そして定められた呪文の言葉を唱えることで、魔法は術者の意志に沿う形で行使されることになります」
こいつが言うところの魔法使いとは、この魔力が人並み外れて多い場合にのみ名乗ることが許される、特殊な職業として扱われているらしい。
ある種の特権階級みたいなものだ。
便利な魔法が使える。これだけで普通の人間より優位に立てるのだから。
もちろん魔法剣士や魔法盗賊、魔法紳士と名乗る者もいるらしい。
最後のはよく分からんが。
魔法が使えて有利になることはあっても、不利になることはほとんどない、というのがこいつの主張だ。確かに、と頷いてしまった。
履歴書の資格欄に書く内容は、増える分には損はしない。必要なければ書かなければいいだけで、選択肢が増えるというのはそれだけで意味がある。
もちろん、なまじ魔法が使えるだけに選択肢が増えてしまい、動きが鈍って三流剣士にバッサリ切られる間抜けもいると、分かりやすい悪例も語られたのだが。
貴族には無理矢理魔力を増やすために貴重な薬や道具を使ったり、あくどいことや邪悪な儀式をしている者もいるとかいないとか、そんな話もされた。
俺としてはやっぱり貴族階級があるのか、とそちらに関心が行ってしまったのだが。
なんにせよ、魔法使いというだけで重宝される。良いこと聞いた。
俺も魔法が使えるらしい。これで最低限自分の身を守る術については算段がついた。
聞いた話を総合すれば、オカルトと言うよりは技術の側面が強そうだ。
魔法という言葉のイメージに引きずられそうだったが、シンプルに考えると、魔力という燃料を詠唱という回路に注ぎ、呪文というスイッチを押す。
この手順で一定の結果が得られる、というだけのことだ。
誰だって電子レンジの仕組みを知らずとも、操作して、冷たいご飯を温めることは出来る。
これと同じことなのだ。
魔力は電力と同じ。
詠唱はオーブンの機能を使うか、レンジの機能を使うか。
何分、どれだけの強さで温めるか、その設定と考えれば良さそうだ。
もちろん仕組みが分かっていれば、より効率的に使えそうな感触がある。
物事について色々考えるのは楽しい。
若干、現実逃避している感は否めないが。
転移させられてきた以上、帰還については考えざるを得ない。
まずは生き延びることが先決だ。
その上で元いた世界に帰ることが出来るのかも調べなければなるまい。
もしかしたらこっちでの生活が楽しくて帰る必要を感じなくなるかもしれない。
それならそれでも良い。
ただ、俺は自分の意志でこの異世界に転移してきたわけではない。
ということはつまり、他者の意志によって、強制的に帰還させられる可能性も視野に入れる必要があるということなのだ。
誰かの都合によって、俺の人生や未来が好き勝手に弄ばれるのは許せない。
あの黒ローブの仕業かも知れないし、そうではないのかもしれない。
あいつは味方かも知れないし、敵かも知れない。
何も分からないまま安穏と過ごすには、異世界というのは不安が多い。
元の世界での俺の扱いがどうなっているかを始めとして、気がかりはある。が、考えても仕方のないことを悩むのは時間の浪費、労力の無駄だ。
それよりも目の前のことに対して真剣に取り組まなければならない。
大目標は、生き延びることだ。
何が無くとも、それだけは絶対に譲れない一線である。最優先はこれで、他の何もかもはこの大目標に反しない程度にしなければならない。
生き延びるためにしなければならないことは山ほどある。
強くなること。情報を得ること。生活の糧を手に入れる、あるいは稼ぐこと。
あとは、何らかの地位や後ろ盾、逃げ場所を作ること。
とりあえずはこのくらいか。
どれもこの世界についてもっと知らなければ動きようがない。
慌てず、焦らず、落ち着いて――働きたい会社を探すときと同じ、長期的な視点で動こう。
ああ、職を得ること。
これも大事だ。むしろ一番大事だ。
無職は、つらい。
精神をがりがり削られていく気分になる。
待てよ。俺はもう魔法使いになれるんじゃなかったのか。
職業、魔法使い。
……響きは悪くない。あとは潰しが効くかどうかだが、こいつの話だと引く手数多らしい。
命の危険がない職場があればなお良いんだが。
「あの、ご主人様……? もう少し、こう、ロマンとか」
「ロマンで飯が食えるか? 無職が、たとえば作家とか漫画家になりたいと言い出したとしたら、普通止めるだろ」
「ご主人様ほどの才能があれば、ロマンを目指してもいけますって!」
無責任な魔導書の言葉に、俺は叫んだ。
言わずにはいられなかったのだ。
「覚えておけ! 安定した生活の前にはロマンは太刀打ちできない! 一攫千金を狙うんだったら、それだけの根拠が無いと許されないんだ! 俺には才能がある。なまじ褒められて、一度そう思い込んだ人間がどれほど底なし泥のなかで溺れているか! 無職になってからじゃ遅いんだ! 空白期間が一年空いたらどれほど厳しい未来が待ってるか分かってて言ってるのか!」
「いや、あの」
「何度でも言ってやる。夢を語って良いのは、すでに成功したやつだけだ! 現実的な計画、入念で適格なマーケティング、そして運。この三つを兼ね備えてるやつはロマンに挑んでも良い。だがな、そういうやつほどまず安定した生活を確保して、しっかりとした足場の上に立ってロマンを追い求めてるもんだ。行き当たりばったりがロマンを語っても何の説得力もないんだ!」
就職活動、こちとら何連敗したと思ってやがる。
無職である。働きたくても働けない。この状態がどれほど人間の気力を苛むか。
おっと、日々の苦しみが理性を奪ってしまったらしい。クールにならなければ。
「その、ご主人様。腕の良い魔法使いなら、日本の地方公務員みたいな仕事も出来ますから」
「……安定して、定時で終わるような?」
「しかも副業も可の。この世界での魔法使いって、それくらい色々出来る上に、もて囃される立場になるんですっ。冒険者、貴族の従者、王城の守衛、研究者、土木工事、その他色々なんでも。なにしろ絶対数が少ない上に、魔法が使えるというだけでエリート扱いですから。一番稼げるのは冒険者ですが、替えが効かない立場という点では他も捨てがたいというか!」
はっと我に返った。
俺たちは何の話をしているのだろう。取らぬ狸の皮算用にもほどがある。
「……すまん。ついカッとなった」
「いえ、ご主人様の望むように。それがワタシの望みですから」
俺と魔導書の最初のテンションが逆転している気がするが、まあいい。
「無職っていうのは、呪いみたいなものなんだ……ああ、もしかしたら心のどこかで思っていたのかもしれない。仕事にありつけるのなら、いっそ異世界に飛ばされても良い、と」
「ご主人様……それ以上は。それ以上言葉にすれば、自分を傷つけるだけです!」
「不採用の連絡が増えるたび、どんどん仕事も待遇も選ばなくなった。途中からは、自分に合う合わないすら考えなくなった。ブラック企業でも良いからとにかく雇ってくれと、ただそれだけを願っていた。だが、ただの一度として採用通知が来ることはなかった。正社員じゃなくてもいい。非正規雇用でも良い。バイトでも。そうやってどんどん手当たり次第になっていっても、ダメだった」
一週間後に連絡します。そう記載して二週間音沙汰ナシの会社のなんと多いことか。
「俺はさ、ずっと……働きたかったんだ」
「ご主人様……」
「でも、あの爆弾に女の子が近づいたとき、思ったんだ。ここで俺が怪我をして――あるいは死んだなら、もう頑張らなくても良いんじゃないか、って」
「どうか、どうか、それ以上は。お願いですから、ご主人様ぁ……」
「諦める言い訳を、探していたんだ」
魔導書の声は、ひどく優しいものだった。
「いいんです。もう、何も言わなくても。……ワタシの、ご主人様。せっかく、こうして異世界に来てしまったんですから。これまでずっと就職が上手くいかなくても、がんばり続けてきた……そのご褒美として、気楽な旅をしてみませんか」
「旅行……」
「そうです。異世界旅行です。観光のつもりで、気楽に。少しくらいロマンを追いかけたって、誰も文句は言いません。ワタシが言わせません。現代日本では出来なかった冒険をしたり、美味しいものを食べたり、格好付けてみたり。そういう楽しいこと、いっぱいしましょう! ねえご主人様!」
こいつの思いやりに満ちた言葉に、俺はようやく息をつくことが出来た。
そうだ。
面倒なことはいっぱいある。辛いことだってたくさんある。
そういうことを全部忘れてしまおう。
目の前のことだけを考えても、いいんだ。
やりたいことを、やってみよう。
そして俺とこいつで旅をするんだ。この世界を。
とても素晴らしい未来が待っている。そんな気がした。
もしかしたら気のせいかも知れない。けれど、きっと後悔はしない。
そう、信じられたんだ。




