第二十話 『発見、そして』
盗賊ギルドからソフィアの店まで、およそ一時間。
スタンによる嘘案内のときはあちこちぐねぐねと曲がらされ、無駄に歩かされたが、人も付けてもらっての帰り道はちゃんとした順路だった。
それでも一時間かかるのは、ハミンスの街でもかなり奥まった場所にあるせいだ。
「ご主人様」
「なんだ」
「ホークアイさんは馬車出してくれるって言ってましたけど、どうして断ったんですか?」
歩いて往復二時間、さらにホークアイと三十分ほど話していた。
急いで戻るのなら馬車を使った方が早いのは確かだが、いま必要なのはスタンの居場所を明らかにすることであって、ソフィアの店の前にいることではない。
ちなみにハミンスの街は、大人の足で歩いて、西門から東門まで約五時間ほどかかるらしい。直径二十キロから三十キロくらいと考えると、相当広い都市であると言える。
「馬車は広いところしか通らないだろ。そんな分かりやすいところにスタンがいるとも思えないし、人さらいは余計にいそうにない。かち合う可能性を考えたら、路地裏や人気の少ない方かと思ってな」
「なるほど。さすがご主人様!」
街中を歩くうちに、自動車が無いことは分かっていた。自転車も無さそうだ。というのも舗装されていない道が大半であり、ならしてあっても車輪向きの地面ではない。
まあ、この街がそうであるだけで、他の都市では使われているかもしれないが。
聞けば、公共の交通機関は馬車がメインらしい。
単身馬に乗って移動している者は見ないが、馬車のみということもないだろう。
もしかしたら、カゴやそれに属する人力の移動手段はあるかもしれない。
「ホークアイは情報が入ったら教えてくれるって言ってたが、まあ、単なる家出で終わるだろう。戻ったらスタンがソフィアに散々に叱られてる場面で、みんな怒って一件落着。こんなところか」
「ご主人様。そう思ってるなら、どうしてわざわざこんな場所を練り歩くんです?」
「無駄足は好きじゃないが、保険をかけておくのは嫌いじゃない」
つまりは、物事のとらえ方の問題だけである。
何も無い方が良いに決まっている。
大山鳴動して鼠一匹。少々別の事案のせいで大げさな話になりつつあるが、本来は家出少年の傷心旅行に過ぎないのだ。
あれから二時間半。これだけ経てば、知人友人に連絡が回って取っ捕まる頃合いだろう。
家出そのものは大したことじゃない。
ソフィアや両親に心配をかけている状態が問題なのだ。
それくらいはスタンにも理解できるはずだ。
しかし、何かあったときに、しなかったことで後悔するよりは。
ただそれだけのことである。
「そもそも人さらいについて、これだけ噂になってるってことは、もう逃げてる可能性が高い」
「うーん。ご主人様の言いたいことは分かりますが、どうでしょう」
「盗賊ギルドが目の敵にしてるのに、まだ対処されてない。ってことは、すでに仕事を終えて国外にでも高飛びしてるんじゃないか。浚われた子供には気の毒だが……手遅れかもな。この手の犯罪は発覚するまでがキモで、警戒されたらそれ以上何もせず即座に逃げ出すのが肝心だって話だし」
「……あの、ご主人様」
スピカが、すごく言いにくそうにこう続けた。
「それって、自分ならこうするって意味ですよね。ええと、ご主人様の尺度で考えるとそうなるのかもしれませんが」
「ん?」
「人さらいが有能だった場合はすでに遠くに逃げている。無能だったら盗賊ギルドに捕まっている。でも、ご主人様が想定していないパターンがありますよね」
「聞かせてもらおうか」
「……飛び抜けて有能だった場合、あるいは飛び抜けて無能だが運が良かった場合です。前者はまだ外に逃げなくても、隠れたままもうひと稼ぎ出来る――あるいは、たとえ見つかっても返り討ちに出来る――と判断して。後者はたまたま普通の人さらいがする動きをしなかった、みたいな」
言われてみて、確かにその通りだと頷く。
その視点はなかった。
人さらい、つまり誘拐にはどうしても一定の荷物がつく。つまり人間そのものだ。一人浚えば一人分。十人浚えば十人分のスペースと、食料や水と、移動手段が必要となる。人数が増えれば増えるほど、誘拐された人間を隠しておく場所や時間が、逃亡の難易度を高めていく。
盗賊ギルドがそんな当たり前のことを分かっていないはずがない。
だから現時点で見つかっておらず、有能なら逃走済みと判断した。
しかし、なるほど。ここは異世界である。
俺の知らない超常の理由で、あるいはこの世界的にはもっともらしい理由で、あの盗賊ギルドの想定を大きく上回る、あるいは大きく下回る存在や手段があってもおかしくない。
なまじここまで広い都市であれば、潜伏する場所には事欠かないだろう。
ただ、相手の程度が上下どちらであっても、この街の中で売買するとは考えられない。
必ず浚った何人かを連れて、どうにかして外に出て行くはずだ。
そちらからのアプローチも考える必要があるかもしれない。
スピカに教えられてしまった。
本職の魔法は《共通言語》無双中ではあるが、これも大事で地味な活躍である。ちょっと表紙を撫でてやった。
「……はふぅ。こ、こんな道ばたで」
「ありがとう、スピカ」
「えへへ。そんな、ご主人様のためな……あんっ、ちょっ、そこをずらしちゃ……んっ!」
そのまま感謝の気持ちを込めて、開かせて、丁寧にページをさすっただけである。
色気のある声を出すんじゃない。
◇
ソフィアだろうか。今の人影は。
人通りの少ない方、少ない方と入り組んだ道を進んでいる途中で、数百メートル先の角を曲がったのがソフィアだった気がしたのだ。
すでに姿は道の向こうに隠れてしまい、どちらに向かったのかも杳として知れない。
こんだけ遠いと見間違えた可能性もある。
いや、スタンが見つからないからと、あちこちに足を伸ばしているなら本人か。
知り合いに声をかけて捜索網を拡げているだろうから、そちらは任せて、自分は知人がいない区画へと探しに行ったのかもしれない。
「ご主人様?」
「ソフィアだと思うんだが、追いかけてみるか」
「ですが、とりあえず一度戻る予定だったのでは」
「……そうなんだが」
なんとなく、気になった。
表情なんかほとんど見えない距離のはずなのに、ソフィアが駆け足気味に、しかも何かを追いかけているような必死さを覗かせていた風な。
ふむ。
もしかしてスタンを見つけて、逃げられて、追いかけている途中か。
すでに俺の足はソフィアと思しき姿のいた方へと向かっている。
が、速度を上げる。
あの切羽詰まっている感じ。
ただスタンを追いかけているにしては、ちょっと真剣すぎたかもしれないと思い直したのだ。
思い込みであればいいのだが。
◇
見当たらない。
角を曲がった先に到着したが、ソフィアの姿はなく、スタンもいない。
かなり急いだから、まだそこまで離れていないはずだ。
「~っ!」
ちょっと遠くて何を言っているのかは分からないが、子供の声。おそらくスタンだ。
俺はその方向へとまた駆け出した。
廃屋が数軒並んだ一画を抜けて、スタンの声が聞こえた方へ。
言い争うような声と思ったが、微妙に違う。
スタンが叫んでいる。
顔には擦り傷だらけで、立ち上がろうとして、しかし動きは鈍い。
足を挫いたようだ。
その傷だらけの姿は、転んだだけとは到底思えない。
スタンが視線を向ける先は、俺が来たのとは逆方向だ。
ここまで誰ともすれ違わなかった。
そして近くにいたであろうソフィアの姿も見当たらない。
「どうした? 何があった」
「姉ちゃんが……!」
「ソフィアがどうしたんだ!」
そこで来たのが俺だったことに初めて気づいたらしく、顔をしかめた。
悔しそうに、泣きそうな顔で、しかし口ごもったのは一瞬で。
スタンは俺を見て、絞り出すような声で告げてきた。
「姉ちゃんがさらわれたんだ……! 俺が……俺のせいで……」
意地を張っている場合ではないと。
そして、俺に頭を下げ、すがりつくように口にした。
「姉ちゃんのこと、助けて……助けてくれよ……!」
「……任せろ!」
その場に鞄を投げ捨て、俺はスタンの指し示した方へと全力で走った。
◇
「ご主人様!」
「なんだっ、走りながら喋るのはキツイっ、手短になっ」
「戦闘になる可能性があります……!」
「そんなことは分かってるっ!」
走りながら、スピカの言葉を聞く。
俺の魔導書にして、導き手。
この世界でもっとも頼るべき相棒。
「分かってません! 相手はモンスターではなく、人さらい――人間です! ご主人様、躊躇せずに攻撃することが……場合によっては殺すことが、できますか!」
「……!」
すぐに言い返せなかった。
殴り合いではなく、殺し合いに発展する可能性が高い。
そもそもグランプルとの戦いは、戦闘と呼べない一方的な蹂躙だった。
あれではまともな戦闘経験とは呼べない。
思い返したところで、ちゃんとした心構えになりそうもない。
まずは弱いモンスターと対峙して恐怖心を和らげて……。
そんな悠長なことをやっている暇もない。
スピカの問いは、様々な示唆を含んだものだった。
あとのことを何も考えず、殺すだけならきっと容易い。
俺にはあの《不諦炎》という、凶悪な切り札がある。
この数日、色々な相手から聞いた話を総合すると、あれに勝てる人間はそういるものではない。
人さらい程度であれば踏みつぶして終わりだ。
幸い、対象を定めたら相手が死ぬまで追いかけるという性質付きだ。
もちろん問題は山積である。
自棄になった人さらいがソフィアを害さないとも限らない。
あと《不諦炎》の炎は対象が死ねば自動的に消えるが、対象だけに被害を与えて他に影響を及ぼさない、なんてことはたぶん出来ない。
あれは業火の塊なのである。
つまり、ソフィアが巻き込まれないとも限らない。
周囲に被害を及ぼして、大火災になったりしたらより一層危険が増えるかもしれない。
しかし、その辺は後回しで考えても良い。いま考えるべきことじゃない。
スピカが言っているのは、現実問題として、人さらいとの殺し合いになった場合。
――俺は動揺せずに、上手くやれるか?
問題の要点は、これなのだ。
自分を守るため。ソフィアを守るため。
そのためなら敵がどうなろうと、そこはどうでもいいのだ。死ぬなら死ねばいい。敵というのは自分とその周囲に害を及ぼす存在のことだ。
つまり、むしろ排除すべき相手である。
敵を殺すことは悪いことじゃない。殺さねば殺されるような場合に、相手の身を気遣うような真似をしていいのは圧倒的な強者だけである。
敵を殺せず、ソフィアを守れないとしたら、それは悪いことだ。
ソフィアを守るために、敵を殺すことは、善いことだ。
善悪とは、俺にとってどれだけ重要であるかを示す天秤に過ぎない。
自分にとって善いものが、善だ。
自分とその周囲を害するものが、悪だ。
それだけなのだ。
そもそも、この状況。
たとえば自分の享楽のために人を殺すような、自分にとって「絶対にしてはいけない」ことを規定する最低限の倫理観には触れない。
モラルだとか、正義だとか、罪悪感と呼ばれるそれら。その越えてはいけないラインを越えるかどうかの話ではない。
だが、そういった感情における贅沢な部分より、もっと先に来る反射的な思考や感覚。
ひとを傷つける。ひとと殺し合う。ひとを殺す。
これを実際に行うにあたって、「慣れていない俺」は迷わずに出来るのだろうか。
迷えば、危険になるのはまずソフィアの身だ。失敗すれば俺も死ぬかも知れない。
だからこそ今、それなりに覚悟を決めなければいけない。
考えながら走っていたが、いつの間にか追いつきそうだ。
浚われたソフィアが連れ込まれたのは、一台の馬車だった。
あのなかに押し込められたのだろう。
さっきスタンが指し示した道の先に、かなりの速度で直進する馬車を見つけた。
交通機関として公共で使われている寄り合い馬車ではなく、私的利用される、個人所有と思しき馬車だったのである。
誰が乗っているのかを隠すように遮蔽があり、一見すると貴族か何かが乗っている風に見える。しかし御者と思しき男の雰囲気は、かたぎのそれではなかった。
レベルアップにより強靱になった俺の脚力は、馬車の全力疾走にはまだ追いつけない。しかしだんだんと距離が縮まっている。
追いかけてきた俺に気づいたのか、御者が馬に鞭打つ。
魔法使い姿の俺が、高速で走り続ける馬車の後ろにぴったりとつけているのは、相手からしたら何事かと思うだろう。
取り逃すわけにはいかない。
俺は疲弊してきた身体をさらに酷使し、最後のスパートをかけたのだった……。




