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清純派魔導書と行く異世界旅行(改訂前版)  作者: 三澤いづみ
第一章 「魔導書のご主人様」
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第一話 『エロ本じゃ、なかったのか……』

 

 何か凄まじい衝撃に吹き飛ばされたはずだった。

 おかしい。死んでいない。

 それどころか痛みもない。


「……生きてる?」


 声も出た。

 何も問題は無さそうだった。


 そうだ。あの少女はどうなったんだ。俺は状況を確かめようとして固まった。

 太陽の光が直接降り注いできて、いやに明るかった。

 そしてなんだか周囲がすっきりしていた。

 時限爆弾が爆発したせいで電車の屋根が吹き飛んだのかとも思ったが、そんなレベルじゃなかった。


 誰もいない。

 あの少女はおろか、母親も、爆弾魔とそれを捕まえようとしていた十数人も、誰の姿も一切近くにはなかった。

 いや、それどころじゃない。

 俺がいたのは電車だったはずだが、その名残すらなかった。


 遺跡と呼ぶべきだろうか。

 なんだかよく分からない建物の痕跡、つまり崩壊した建造物の壁や何やらの一部がむき出しになっている、奇妙な跡地の中心に俺はいたのだ。


 呆然とした。記憶が混乱しているのかとも思ったが、自分の格好を確かめてそれを否定した。

 遺跡の周りは見たこともない巨大な植物で取り囲まれている。


 まずは冷静になる必要がある。

 尻餅をついていた俺は立ち上がり、服とズボンについた土埃を払う。


 俺は誰だ。

 馬鹿馬鹿しい問いではある。だが、必要だと思った。


 ――陰山陽介。


 どうしてこんな状況になっているのかは不明だが、こうなる直前のことはしっかり覚えている。


 諸事情により大学に行くことを諦め、就職活動していたが連戦連敗となっていた。

 面接失敗による失意の最中、謎の黒ローブからエロ本を購入した。

 俺ごときでは太刀打ちできない危険都市東京から脱出し、家に帰るため電車に乗った。

 よし、ここまでは良い。

 ちゃんと覚えている。


 その後だ。

 爆弾テロっぽい何かに巻き込まれ、少女を庇おうとして――


 爆発したはずだ。何か眩しい感じがして、身体が吹き飛ばされた。

 気のせいではない。


 にも関わらず、俺の服には爆風を受けた後は見当たらなかった。

 アオナカで買ったスーツには解れひとつない。

 このスーツ、買ったタイミングがアオナカの本当の閉店セールだったおかげで、実売価格からすると相当お得な品物だった。

 面接試験で落ちることについて相談に行ったとき、これなら服装で舐められることはないと担当者から太鼓判を押された俺の一張羅だ。


 スーツがボロボロになってなかったのは僥倖だが、いったい何が起きたのだろう。


 首をかしげてみるが、さっぱり分からない。ただ、どう見ても爆発であの電車が消し飛んだとか、俺だけちょっと吹き飛ばされたとか、そういうリアルな気配を感じられない。


 何というか、日本っぽくないのだ。

 今考えると非常に怪しい黒ローブや、冷血残忍な面接官などの恐るべき存在が跋扈する東京はともかく、北海道から沖縄まで、全国をあちこち回って見てきた経験が囁く。

 日本とはかけ離れた地域である。そんな気がする。

 空気の感じもそうだし、景色や空の色、匂い、光が若干違うのだ。


 爆弾に吹き飛ばされて、日本ではない国に飛ぶ。

 そんなこと、あるわけがない。

 それこそ空から女の子が降ってくる冒険ファンタジーの話である。


 それともまさか、俺は死んでしまったんだろうか。

 あり得ない話ではなかった。

 ここが天国だとしたら随分殺風景だ。

 むしろ地獄とか異世界と言われた方がしっくりくる。

 それは、俺の足下に魔法陣らしきものが敷かれているせいだろう。





 少し離れて、もう一回見てみた。


 やはり魔法陣である。

 どう見ても魔法陣である。

 二つの三角が重ね合わされている。いわゆる六芒星だ。

 その周囲をぐるりと二重の円が囲んでおり、内側と外側の円のあいだには、見たこともない不思議な文字がびっしり描いてある。


 呪文だろう。何と書かれているのかは一切読めないが。


 うーむ。

 これはいわゆるドッキリだろうか。

 気を失っていた俺をこんな場所に運び込んで、あたふた右往左往するのを遠くから眺める。

 もしそうなら、随分と趣味が悪い。


 現実逃避である。分かっているのだ。ドッキリの可能性は低いだろう。あの爆弾テロっぽいものまで仕込みとは考えにくいし、気絶した俺に悪戯を仕掛ける暇も余裕もありそうには思えない。

 何より疑いだしたらきりがない。


 しかし、では何が起きたのか。

 どうにも思い当たる節がない。

 まさかこの魔法陣で召喚されたとか。


 ははは。まさかね。


 ……まさか、とは思うのだが、今のところこの考えを否定する材料がない。

 いや、召喚されたならされたで別にそれでもいい――良くはないが、とりあえず――として、なら召喚した誰かがいても良さそうなものである。

 それもいない。

 万が一、自動的に召喚する装置とかだったら非常に困る。


 遺跡の周囲に道がない。

 謎の植物で囲まれていて、獣道すら見当たらない。

 得てして植物というのは案外丈夫なものだ。

 道具も何も無い状態の俺があの緑の壁を切り開くのはまず不可能と考えて良い。

 上に昇って、というのも考えられなくはないが、そもそも近づいても大丈夫な植物であるかどうかが怪しい。


 よく見ていると、あの緑の植物、うねうねと動いている。

 風に揺れている感じではない。

 自分でその場で踊っていると言えば分かりやすいだろうか。

 正直近づきたくない。


 俺の頭がおかしくなったのでなければ、結論としては、ここは地球ですらなさそうだった。


 アレはファンタジーの産物であるように思われる。

 とすると、あの植物はたぶん俺が近づくと襲いかかってくる、もしくは毒か何かを放出しかねない。

 危惧が考えすぎで終わるなら嬉しいが、甘い期待は捨てた方がよいだろうと直感が囁いている。


 詰んでいる。

 情況は、見れば見るほどその直感を裏付けてくれた。





 この遺跡というか跡地は、案外広かった。

 だが、どこまでも瓦礫の山である。そしてみっしりと外界への道のりは緑の壁によってふさがれており、隙間はない。


 食料もない。

 この場に誰もおらず、ここが地球でない懸念が正しいならば、まっとうな救助も期待できない。

 不気味で危険かも知れない謎植物を前に、俺はどのように動くべきか。


 もしかしたら近づいても問題無いかも知れない。

 もしかしたら俺の手でも簡単に折れたり引っこ抜けたりするような脆い植物かもしれない。

 もしかしたらかじっても毒も無く、当分の食料として使えるようなありがたい種類かもしれない。


 全部、推測だ。

 単に怖がりすぎているだけなのかもしれない。


 ただ、これだけ動くことを躊躇しているのは、なんだかひどく嫌な予感がするためなのだ。

 何も考えずにチャレンジをするには、状況が異常すぎる。

 もう少し考えよう。

 

 ひとつだけ俺に有利な情報がある。あの不気味植物は根を張っているようだし、その場から動けないようだった。

 何かツタを触手みたいに伸ばしてくる場合でも、一定以上の距離があれば大丈夫そうである。

 そうでなかった場合、俺はすでに引き込まれるか、ツタに絡め取られて絞め殺されているだろう。

 なんにせよ、全ては希望的観測に近い。


 というわけで仮説の後は実証である。近くの崩れた壁の一部分、手頃な石つぶてを植物に投げてみた。


 着弾した。うねうね動いていた植物の、丁度上の方、ちょっと太くなっている部分に命中したのだ。

 その途端、ぶつかった一本とその周囲半径五メートルくらいにある同種の謎植物たちは一斉に激しくうねうね踊り出し、投げた俺の方へと向かってツルをムチのように振り回しきた。


 離れていたおかげでまったく被害はなかったが、推測が正しかったことが判明した。

 五分ほど暴れ回っていたが、成果が無いことに気づいたようにだんだん大人しくなった。


 謎の植物と呼ぶのもアレだし、ダンシンググリーンと名付けた。

 全面緑色と、うねうねと踊っているところからの命名である。

 正式名称があるのかもしれないが、別種の危険植物が近くにあるかも知れないので、とりあえずの区別だ。


 動き方はおもちゃのダンシングフラワーそっくりだが、見た目はもっとえげつない。

 茎の太さは二十センチほどで、花が無く異様に背の高いヒマワリのようだ。

 しかもムチのようにしなり、ある程度伸びるツルまで持っている。凶悪すぎる。


 竹のように密集している上に、高さはざっと八メートルくらいか。

 見たことも聞いたこともないが、地球外植物であることは確実だ。


 背丈の高さゆえか、圧迫感が凄い。

 もし動いていなくても、たぶん怖い。

 隙間の向こうにも緑がびっしり見える。単純にすり抜けることも不可能だろう。


 さて、どうしよう。

 詰んでる状況が確定してしまった。


 下手に近づけない。どういう理屈で敵や獲物を察知しているのかも分からないからだ。

 食虫植物の反応に似てはいるが、知ってるそれが、あんな過激な動きをするわけもなく。


 とりあえず石をぶつけられて怒った、あるいは獲物が来たと勘違いしたのだから、攻撃か捕食、あるいは両方を能力もしくは意志として持っている。


 感知の手段は何だろう。

 温度。衝撃。音。振動。視界。気配。匂い。

 植物ではなく野生動物を相手にしていると思った方が良さそうだ。

 植物に目や耳、鼻や皮膚があるわけではないが、一般的な知識や常識に捕らわれていては足をすくわれかねない。


 知覚が感覚器官頼りとも限らない。ファンタジー世界にお誂え向きな、魔力とか言われる不思議パワーが関係しているかもしれない。

 そうなると遠距離攻撃まで備えている危険性がある。たまたましなるツルでの攻撃しかしていなかったが、距離を取っても危ないかも知れない。


 情報が足りない。足りなすぎる。

 この詰んでる状況をどうにかして改善できないものか。


 認めよう。これはファンタジー的な何かだ。

 ここは異世界なのだ。


 俺がそう考えるのは、天国じゃないと思いたいだけかもしれない。

 ここが異世界であれば、少なくとも、俺はまだ生きていることになる。

 ただそれだけの理由だった。





 現実問題、どうしたもんか。

 植物相手には火攻めと相場が決まっているが、あいにく俺は煙草は吸わない。ライターなんて持ち歩いていない。スーツのポケットにあったのはハンカチとボールペン。そして百円未満しか残っていない財布。

 この状況では何の役にも立たない。


 待てよ。鞄だ。

 そうだ、最後まで握りしめていた鞄の中には何か無いだろうか。

 近くに転がっていた愛用の鞄をひっくり返すと、手帳、印鑑、筆記用具など、大した物は出てこない。

 タオルに手袋、そして最後に落ちてきたのは、黒い本だ。

 謎の黒ローブから買ったエロ本。


 まだ中を見ていない、表紙が真っ黒の、そこはかとなく雰囲気のある本。

 よく見るとエロ本的な安っぽさが皆無である。

 何か重厚な感じ、とでも言おうか。ゲームに出てくる魔術書めいた気配すらある。


 厚さから言えばハードカバーで二百ページくらいだ。

 全ページ写真だったとしたら紙一枚の厚さが違うため、百ページ分くらいだろうか。

 見れば見るほどエロ本とは思えない。


 いや、黒ローブは無修正と言っていた。

 つまりこの装幀はカモフラージュである。誰がこの本を見てエロ本だと考えるだろう。


 今はこんなことをしている場合ではない。

 そもそもこんな状況で見るべきものではないのかもしれない。

 しかし、すぐに使える道具は結局何も無かった。

 無策でダンシンググリーンに突っ込んで死ぬのはごめんだ。


 というわけで、心を落ち着けたいと思う。

 俺はこの真っ黒な本を持ち、期待を込めて開いた。


 白紙であった。

 ページをめくってもめくっても、どこまで行っても白紙が続いていた。


 十ページ。五十ページ。百ページ。三百ページ。

 写真や絵はおろか、言葉すら、一文字足りとも出てこない。


 騙された! 黒ローブに騙された!

 純真な心を弄ばれた! 俺はただちょっとエッチなお姉さんとか、可愛い子が見たかっただけなのに!

 ちくしょう!


 今なら世界すら焼き尽くせそうだ。それほどの激怒が胸の内から沸き上がってくる。

 黒いエロ本。

 いや、エロが存在していなかったのだから、これは黒本だ。


 黒本。

 その言葉を契機に、ひとつの、そして最悪の言葉が思い出された。


 ――盗める確率は0パーセントと表示されるが、このゲームでは小数点以下を切り捨てているため、実際は小数点以下の確率で盗める。気が遠くなるほど低い確率だがゼロではない――


 あああああッ!!

 悪名高きあの攻略本!

 ありもしない希望を見せつけ、それから絶望にたたき込むこの所業!


 あの頃、俺は若かった。そして……ずっと無垢だった。

 あの言葉を信じた。

 信じて、しまった。


 何百回、何千回と挑戦し、結局盗むことが出来なかった源氏シリーズの記憶が蘇る。

 可能性はゼロではない。

 そんな言葉に踊らされた俺の悲しみが、怒りが、絶望が、ふつふつと沸き上がってくる。

 今でこそネタに出来るその言葉。

 だが、あのとき感じた虚無感、嘘であったと知った瞬間の切なさは、今も記憶に鮮明に残っている。


 やり場のない怒りと悲しみを叩きつけるように、この黒本を投げ捨てようとした。

 そのときだった。


「待って、待ってください!」


 どこからか聞こえてきた声に俺は手を止めた。

 若い女性の声だ。もしかしたら助けが来たのかも知れない。


 しかし声の主はどこにも見当たらない。

 ダンシンググリーンによる包囲に穴は無く、周辺に変化はない。

 おかしい。

 これは幻聴か。それとも何かよりファンタジックな事態に巻き込まれつつあるのか。


「ここです! ここですってば!」


 よくよく聞いてみると、声は若いと言うより、幼さを残していた。

 十代前半くらいの、少女の声。


「もうっ! ご主人様ってば、全然気づいてくれないんですから!」


 それが聞こえてくる大本は、俺の右手の中、強く握りしめた黒本からだった。

 じっと見ると、ようやく気づいてもらえたおかげか、黒本は嬉しそうにしていた。


 ……あの黒ローブ、単なるエロ本詐欺ではなかったらしい。


6/30 文章をちょっと修正しました。(展開自体は変わってません)

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