第十話 『なんて素敵な……』
「いいんですかい、姉御ぉ~」
「姉御はやめてくださいって私、前に言いましたよねー?」
「あ、すんませんアネ……さん」
ハミンスの街の門番詰め所で、小太りだが筋肉質の男が、朗らかな笑みを浮かべる守衛の女性兵士に頭を下げていた。
小太りの男は四十前。一方の姉御と呼ばれることを嫌がった彼女は、二十代後半か。
端から見ればおかしな光景であるが、他にも何人かいる兵士たちは気にとめた様子もない。
いつもの光景だからである。
「それより、なんですかねー。いきなり」
「いや、あのガキのことですって。あんな大金」
「あれれー? ……離れておくように、と私言いませんでしたっけー?」
彼女は、笑顔である。
小太りの男は、あ、やべ、と表情をこわばらせた。
命令に従わない彼女の部下がどんな目に遭うか。それを一番知っている自分だからこそだ。
「いやでも」
「でもじゃありませんよー。あの子については私が対処するって、先に話しましたよね-? それで皆さんちゃんと頷いた、と思ってたんですが……ザビーレンさん、納得していないならそのときにちゃんと言ってくれないと、私、困っちゃうんですよねー」
威圧感がすごい。さすが、この年齢で守衛隊の責任者を任されるだけのことはある。
だがしかし、自分も男だ。うら若き女性をあんな不審な男と二人きりにするわけにはいかん。
ザビーレンと呼ばれた男は、反論しようとした。
が、彼女の笑ってない視線に晒されて、ひゅひゅーふーと口笛を吹いて誤魔化すことにした。
「街が騒がしいのは仕方のないことですし、犯罪者でもなく、悪意も無さそうな冒険者の方を街に入れないという選択肢は、……職務上ありませんねー」
「ですけど」
「……あの子が怪しく見えたのは、仕方のないことだと思いますよ-?」
「というと」
「あんな大量の魔力がダダ漏れでしたからねー。わざとやってるなら、と私も一瞬凶悪犯かと思っちゃったくらいですから、ザビーレンさんが危惧するところは分からなくもありません……ですが!」
かっ、といつも細めているような目を開き、彼女は強い口調で言った。
「私たちのお仕事はあくまで街の出入りのチェックであって、怖がっていたり不安がっている子供を脅しつけることではありませんー。分かりましたかー?」
「……はい? 不安がってたって、誰がです?」
「あの子ですよー。私の反応をいちいち全部気にしてて、すっごく気を遣ってましたよー? というかザビーレンさん見てたなら分かりそうなものですけどー……まさかあの金貨に気を取られて、あの子の動きには何にも注意を払ってなかったとか、そんなことはありません、よね?」
小首を傾げる彼女だが、頷いたら訓練という名目でどんな目に遭わされるか。
ふるふると首を横に振り、ザビーレンはそそくさと逃げていった。
入れ替わりに現れた長身の男は、ため息混じりに彼女に近づいていった。
「隊長」
「今度はナニールさんですかー。なんです?」
「一応、話の内容については聞かせていただきましたが……彼の何がそんなに気になったんです?」
「そうですねー……とってもちぐはぐなところ、ですかねー?」
「はい?」
彼女はふんわり微笑んで、独り言のようにいくつかの言葉を選んだ。
「魔法使いなのに、杖を持っていない。知識に興味はあるのに、簡単なことすら知らない。何も知らない風なのに、私の言葉ひとつで多くを察する。動きは素人そのものなのに、あの大量の金貨を入れた鞄を簡単に持ち運ぶ。ほら、どれをとってもちぐはぐでしょう?」
「……確かに」
「駆け出しの冒険者、とは私もよく言ったものですねー。たまーにいるんですよ、ああいう子」
「そうですか?」
「ええ。駆け出しだからって、弱いとは限らない。ですよねー?」
王国最年少で守衛の隊長に任命された彼女の言葉に、ナニールは黙り込んだ。
昔、入隊してきたばかりの彼女に手も足も出なかった記憶が蘇ったのである。
「得てしてああいう子は、とんでもないことをやるものですしー」
「なら……街の中にいれたのは、正しかったんですか」
「あの子が行くべき道を間違えなければ、まず大丈夫でしょうー。正しい道を開き、誤った道を閉ざす。そのために大人というものがいるんですからねー。ま、縁があればまた会うこともあるでしょうねー」
十歳程度違うだけの相手を子供呼ばわりする彼女に、しかしナニールは言い返せない。
くすくすと思い出し笑いをする、細身で美人だが、彼女はどうにも怖いのである。
「でも、才能はありますが、まだまだ子供ですよねー。やっぱり」
「聞いた限りでは……隊長相手に、なかなか上手に切り抜けたと思いますが……」
「いえいえ。私の名前を聞かなかったんですよねー。あの子」
動揺してたからじゃないのか、とはナニールは言えなかった。
「名前さえ聞いておけば、私の名前を出せますでしょうー? で、何かの時には力になれたかもしれませんからー。なまじ頭が良い子に多いんですが、普段から他人を頼ることを考えつかないんですよねー」
「頼る、ですか」
「ええ。目的のために他人を利用するのは悪い大人。他人を頼れるのが、いい大人。どちらもできないうちは、まだまだ子供だってことですよー」
ふふふー、とやわらかく黒い笑みを浮かべる隊長に、ナニールは愛想笑いで返した。
◇
というわけで街の中にようやく入ることが出来たのだった。
「ご主人様ぁ」
「……」
「怒ってます、よね?」
門から中に入り、詰め所から相当離れ、活気のある露店が立ち並ぶ界隈の端っこへと向かい、ようやくスピカを呼び戻したのだ。
どうやら姿を消している最中は会話することも出来ないらしい。こちらの声というか、やり取りは聞いていたようだが。
人目につかないよう、人通りのある側に背を向けて、一休みしている風を装った。
「まあ、咄嗟に隠れたことが、仕方なかったのは分かる」
「なら!」
「が、姿が消せることくらいは先に言っておけ! すげー焦った!」
小声で怒鳴るという器用な真似をしてみた。
イメージや感情はともかく、頭の中で考えたことが直接伝わることはないらしい。
スピカ相手に、こうして言葉に出さなければならないのは良いのか悪いのか。
「ごめんなさい、ご主人様……」
「分かればいいんだ」
これからもこういうことはありそうだ。
毎回怒るのも馬鹿らしいからスピカに出来ることの全容は早めに聞きだそう。
さて、まずはギルドに向かうか。それとも食事処を探すべきか。
「それより……さっきは冒険者と思われたみたいだが、登録とかって必要なのか」
「ええと、どうなんでしょう」
「おい」
「ワタシ、魔法関係ならともかく……さすがにそんな細かいことにまでは詳しくないですっ」
剣士や僧侶や盗賊に並々ならぬ見下し感たっぷりの言説をしていた魔導書とは思えない発言が出てきてしまった。
もしや単なるイメージだけでこき下ろしてたのか。おい。
門番の彼女はこちらの痛いところをあまり突かずにいてくれたから良かったものの、現状、手持ちが金貨しかない。
没収されなかったのはちょっと意外だ。物語でよくある不正と袖の下が大好きな役人、というのも案外少ないのかも知れない。
表通りだからか、道ばたにゴミが転がっているわけでもなく、綺麗なものだ。
近くにある露店から良い香りがしている。
が、手持ちの金貨で支払うと、釣りの問題が出てくる。
あまりいい顔はされないだろう。
金貨一枚で日本円で十万円程度。
おそらく一食数百円から千円以内と考えれば、場違いなのは間違いない。
下手に見せびらかすような形になると、トラブルの元になるのも確実だ。
両替出来そうなところを探すか、崩しても大丈夫そうな高めの店を選ぶか。
空腹を抱えたまま動くのも面倒だ。
ああ、もういっそ何も考えずに向こうに見える店に入るか。
鞄を持ち直すと、中でわずかに金貨同士がぶつかる音がする。
最初から入っていた手帳や印鑑、手袋やタオルなどを上の方に突っ込んであるが、下にはほとんど隙間無く金貨がみっちり詰まっているのだ。
まあ、詰め込みすぎているおかげで、袋の中で小銭がぶつかる時ほどやかましくない。
が、それでも耳ざとい者にはこの鞄の中に多少の貨幣があることは自明だろう。
ちょうど、俺が歩き出したその後ろをついてくる小柄な人影のように。
まずったな。カモに見えたのかも知れない。
その筋の相手なら、俺がこの街が初めてだということも見抜かれているだろう。
不慣れな場所を旅する余所者ほど、スリや泥棒が狙いやすい相手はいないのだ。
スピカは沈黙を守っている。俺がどうしたいのかを察したのだろう。
心の声での会話ができずとも問題はないのだ。
おおよそのところを把握して空気が読める、というのはさすがである。
露店側から少し離れ、人混みの多い方面へと歩き出してしばらく経った。つかず離れず追いかけてくるのだが、これといったアクションはない。
後ろからぶつかって鞄を持ち逃げするものだとばかり思っていたのだが。
何もしてこない相手に何か仕掛けるわけにもいかない。
さりげなく俺の手の中に収まったままのスピカが、疑問を察して小声で答えてくれた。
「あの、ご主人様。気づいてないんでしょーか」
「何をだ」
「威圧感というか、危険な気配、出っぱなしです。この世界の人間は命の危険に敏感ですからね。元の世界の面接官が受けた感じより、ずっと強烈な影響が出ているでしょう」
そういえば、そうだった。
魔力の制御について教わろうという話はしたが、そのまま何も進展していない。
急き立てられて門番に見とがめられ、こうして今だ。
あの守衛の女性がまったく気にした素振りがなかったから忘れていた。
こう、上手にあしらわれているような感覚だった。
「そうか!」
「ご、ご主人様。いきなりどうしたんです?」
本来あるべき面接の形というのは、あんな感じだったのだ。
こう、目を合わせると顔を背けられたり、普通の言葉を口にした途端に表情がこわばったり、最初から最後までやたらと高圧的に喋られ続けたり、そういうぎこちない感じではなく。
目上の相手が、俺について質問し、それにある程度型どおりに答える。
それこそが一般的な面接の流れってやつだ。
やはり俺の過去受けてきたすべての面接はおかしかったのだ。
凍えるような視線や、睨み付けるような言葉や、吐き捨てられるような笑顔は、すべて俺のあずかり知らぬところで悪さをしていたこの魔力のせいだった。
ああ、すっきりした。安堵したのだ。
だからスピカに言われて気づいた俺の周囲にぽっかりと空いたエアポケットについては気にしなくても良いのだと結論づけた。
威圧感垂れ流し状態であるためだろう。さりげなく通行人がどんどん脇に逃げていく。
人混みが人混みじゃなくなっている。
まるで俺と目があったら殺される、みたいなすごい離散っぷりである。
通りの向こうの露店のおっちゃんたちは、さも無関係そうにそっぽを向いて、俺の興味を惹かないようにと必死に見える。
なるほど。この状態で後ろからぶつかって鞄を引ったくろうとするのは無理だ。
確実に追いかけられて取っ捕まる。
ただ、そこまで現実的な計算が出来るなら、俺から盗もうと考える段階でかなりの剛の者だ。
スピカの言葉が正しいなら、俺の存在は、あからさまにメンチ切ってるヤクザの組長とか、獲物を探して周囲を見回す包丁を持った通り魔みたいに感じているはずである。
……いくら後先考えない窃盗犯でも避けるだろ、そんな相手。
本当にスリかひったくりなんだろうか。
「あ、あの!」
「……なんでしょう」
そうこうしているうちに、後ろにいた人影から声をかけられた。
これはもしかしなくとも俺の考え違いだったか。
盗みを仕掛けようとする相手に、こんな声のかけ方をする盗人はいるまい。
いや、そうでもないか。二人組三人組であれば、一人が気を惹いての置き引きはありうる。
あまり気を抜かず、振り返ってみると、そこにいたのはどう見ても普通の少女だった。
街で小さな雑貨屋でもやっていそうな雰囲気の素朴そうな顔立ち。
エプロンドレスに編み下げの髪。
やわらかい亜麻色が陽の光にあたって、少し眩しい。
小柄な背丈だが、年の頃なら十五、六だ。俺とほとんど変わらない。
「お願いがあります。……その服、あたしに見せていただけませんか!?」
……雑貨屋じゃなくて、服屋か仕立屋だったか。
ずっと感じていた視線は鞄の方ではなく、俺のスーツに向けられていたようだ。
物珍しさゆえか、それともここいらで見ないデザインに気が行ったのか。
眼差しから感じるのは、溢れんばかりの情熱、すなわち職人の気配だった。
確かに、見回してみた感じ、俺のようなスーツ姿は一切存在しない。
近世ヨーロッパ方面同等クラスの文化ならあってもおかしくないと思うのだけれど。
背後から観察され続けていたわけである。
周囲の状況にはまったく気が行っていなかった可能性もある。
その証拠に、振り返った俺と目が合うと、スーツからついに視線が離れて。
彼女は、これまで完全に意識していなかったであろう危険な気配を把握した。
血の気が引く、という言葉通りのことが起きた。一瞬で顔色が真っ青になったのだ。
だよな。いくらオシャレな格好が気になったからって、なんとか組の組長にいきなり声をかけて、じっくり見せてもらおうとか思うやつはいない。
「おい、ソフィアちゃん! やめとけ! さっさと謝って向こうにいけって!」
彼女の知人であろう、身なりの良い中年男性が小声で忠告する。
他の何人かも同じような表情で、彼女を逃がそうと目配せしている。
脱兎のごとく逃げ出すかと思いきや、彼女は真っ青なまま、ちゃんと笑顔で続けた。
「あたしのお店、すぐそこなんです。よろしければ、来ていただけませんか」
「いいですよ。お茶くらいは出るのかな?」
「あっ……はい! ありがとうございます!」
いや、別に怖がられてちょっとショックを受けたわけじゃないし。
ホントだし。