2056年 2月13日 午後5時7分
過去の話です。このストーリーは過去の話とを連動させつつ、世界観を説明していきます。
2056年、2月13日、午後5時7分。
僕は彼女と彼女の兄との三人で家路についていた。
名前は、綾川美沙。
僕の一歳下で高校一年生で、僕の好きな人だった。色白で綺麗な黒髪は肩まであって、スラッとしていて出も少し背は低くて僕を見上げるくらいで。
笑顔がとても綺麗な、僕の大好きな人だった。
明るい性格で皆に好かれていて、所属するテニス部でも優秀で顧問の先生が彼女を褒めていたのを覚えている。
非の打ちどころの無い、本当に素敵な人だった。
「どうしたの?夕君?」
「また何か考え事をしてたんだろ。ぼぉっとしてるからな夕は」
「―――拓斗は考えなしなんだよ、僕は色々考えてるの」
彼女の隣に立っているのは、彼女の兄の、綾川拓斗。
僕の数少ない友達で、多分、僕の恋敵になるだろう人だった。
スポーツも万能で、少し勉強はできないけど、それでも頭は回るし、彼女と同じくらい明るく、皆に好かれていた。
二人とも、僕にとってあこがれの人だった。
特に拓斗は、僕にとってある種嫉妬を覚えさせるくらいに、優秀だった。
「ぬかしおる」
「……にひひっ、勉強だって僕の方が上だしね」
「―――お前、俺が本気出したらちびるで」
「僕、スポーツなら君の本気見たことあるけど、勉強で本気を見たことないんだけど」
「あるぜ?」
「夏休みの宿題は僕が半分手伝ったよ?」
「―――あるよ、多分」
「ネタ潰し成功」
「くぁあああ。むかつくっ、お前ホントムカツクわっ」
「にひひっ」
地団駄を踏みながら歩く拓斗に、僕は肩を震わせて少し小気味よく笑う。
多分、彼はそれほど悔しくないのだろう。彼も自分が頭がいいのはなんとなくわかっているだろうから。
だけどそんな素振りをしてくれるだけで、僕の自尊心は満たされた。
その事も、彼はわかっているだろう。
悔しいような、嬉しいような―――
「ふふふっ……お兄ちゃんも夕君も楽しそう」
と、クスクスと彼女は僕ら二人を見て、端正な顔を綻ばせ嬉しそうに笑っていた。
それだけで、胸が破裂しそうな程高鳴って。
声が出なくて―――
「ふぅんだっ。勉強なんぞできなくてもな、スポーツで俺は宇宙に出るんだよっ。宇宙バスケに出るんだよっ」
「お兄ちゃんそればっかり。勉強もできないと、外国の人と喋れないよ?」
「美沙もそんな事言う、お兄ちゃん悲しい……」
「だったら夕君みたいに勉強する?」
「―――肉体言語があるっ。外人なんざイエスとノーが使えれば後は体でぶつかればええ事よっ」
「だから毎日傷だらけなんだ……」
「あ、ち、違うの―――ああ、そんな目で見ないでお兄ちゃん気持ちよくなるぅうう」
「……夕君いこっ」そう言って悶える拓斗を横目に、彼女はギュッと僕の腕に腕をからめて、惚ける僕を引っ張る。
彼女の体温が伝わり、少し荒い息遣いが聞こえる。
少しムスッとしていて、それでいて少し微笑んでいるような小さな唇が見える。
惚ける僕を横目に見上げ、少し照れくさそうに笑う彼女がいる。
その笑顔がとても可愛くて、僕は顔を耳まで真っ赤にする――
「……ねぇ夕君」
小声で華奢な身体を寄せながら、彼女は肩にコツリと頬を擦りつける。
それだけで、僕はどうしようもなく戸惑い、口がまともに動かなくなり、手足がびりびりと痺れた。
どうしようもなく、彼女の事で一杯になる。
息が上がり、寒いのに体の芯から真っ赤になっていく―――
「み、美沙ちゃん……」
「えへへへっ……恋人同士みたいだね」
正直ここから先は、あまり自分が何を言ったのか、彼女が何を言っていたのか思い出せなかった。
ただ、彼女が微笑んでいたのを覚えていた。
とても綺麗な笑顔だった。
「ねぇ……夕君。明日、誰かからチョコもらう事とかある?」
「え……えと、お母さんから貰うとか……犬のチロに上げるんだけど僕は……えと」
「男の子なのに?」
「うん毎年お父さんがあげる振りしろって……うん……」
「―――私から貰っても嬉しい?」
「も、もちろん……うんっ、嬉しい……嬉しいよっ」
「―――ぎ、義理だからね」
「う、うんっ……」
「お兄ちゃんと一緒だし―――勘違いしちゃやだよっ」
「う、うん……でも、嬉しい」
「―――明日、ちゃんと作るからねっ」
嬉しそうに、彼女は微笑んだ。
夕闇の中、少し頬を染め、黄昏時の空の下、僕の腕に華奢な身体を寄せながら彼女は、僕にそう告げた。
僕はというと、全身真っ赤にして、頭から湯気が出そうなくらい息を上げていた。
正直なところ言うと、血管が切れて死にそうなくらい、心臓がバクバクいして、そんな音を彼女に聞かれたくなくて、僕は胸元を僅かに抑えた。
「こらぁああ!そんな異性交遊お兄ちゃんは認めんぞぉおおお!」
飛び込んできて、僕らの愛大入ってくるのは拓斗。
ムスッとこちらを睨む彼の横顔の向こう、突然の兄の行動に惚ける彼女の顔が見えた。
そして、僕の方を見た。
優しく微笑んでいた。
ホッとするような少し寂しいような―――僕は再び三人で夕闇の街を見下ろし、坂道を上がっていく。
いつも一緒の、長い坂道。隣同士の家を目指し、共に歩いていく。
そして明日も、同じように、登校時間、三人で隣同士の家を出て、この坂道を降りて同じ高校へと行くだろう。
「おい、何話してたんだ夕?」
「―――なんでも……」
「……美沙ぁああ、お兄ちゃんに黙って夕と付き合う気かぁ!?」
「バカ兄貴ッ!」そう言って、鉄拳が右頬にめり込み、拓斗が吹き飛ぶ。
変わらぬ日常の風景。
―――それも程なく終わるだろう。
先輩から話を聞くと、拓斗はスポーツ推薦で他の大学へと行くらしい。
美沙ちゃんというと、頭もいいし、頑張っていい大学に入ることだろう。
僕はというと、親の頼みもあり、高校を出たら働くつもりだ。
今年は高校二年の二月。
もう進路を決めないといけない。
別々の道を歩いていかないといけない。
だから、伝えたかった―――
「……美沙ちゃん」
「何夕君っ?」
彼女は僕の呼び掛けに微笑んでくれた。
それだけよかった。
――明日、彼女に告白しよう。
ちゃんとしたチョコを作って―――本当は女の子が男の子に上げる日なんだけど――彼女に渡そう。
振られたっていい、このまま何もないまま終わらせたくない。
だから僕、夕・アトラは明日告白する事に決めた。
明日、二月十四日。バレンタインデー。
あの日に、俺は彼女に愛を告げることを決めた。
人類の割が死滅した、あの地獄の日に、俺は彼女と共に生きようと決めた。