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移り気な彼女  作者: ふとん
9/13

さくらの心

 さくらにとって、恋とは小説の中にあるだけのものだった。


 偶然に出会い、次第に惹かれあう二人の顛末を胸を躍らせながら読んだものだ。

 時にはすれ違って遠く離れたりもするが、最後には結ばれる物語が好きだ。離れてしまうのはやっぱり寂しい。

 

 しかしそれが身近にあるかと言えば、そうでもない。

 さくらが通う時代錯誤的なエスカレーター式に女子高では男性といえば教師ぐらいで、同じ年頃の男子と知り合うのは親に連れられて行くパーティぐらい。それはすでにお見合いと同じ。

 だから、さくらが一人で出かけることは冒険にも近かった。

 普段は絶対に目に触れない人々の間で買い物をしたり映画を見たりすることは、彼女の唯一の楽しみと言ってもいい。同じ学校に通う同級生たちは絶対にやらないから、一人で出かけることになっても、それはそれで新鮮だった。


 そんな休日のある日、彼女は異世界へと飛ばされてしまった。

 普段は着ない、安物の、しかしさくらにとっては自分で選んだ大切な洋服で出かけたその日。


 彼女は恋にも出会った。




「――いいですか。さくら」


 柔らかなアルトが隣でさくらを包むように言う。


「このつづりはこちらの”砂糖”と似ているので気を付けてください」


 さくらはまだ慣れない付けペンで赤インクを掬い取り、紙に滑らせる指はしなやかで、この間肩を少しだけ触れられた時には顔から火が出るかと思った。

 そして、


「あとはよく出来ています。よく頑張っていますね」


 細面に浮かぶ優しい笑顔に、さくらは胸が高鳴るのだ。


 異世界に飛ばされたさくらは彷徨っていた森で金髪の男性に出会った。ノヴァ (ただしさくらはこの名前を発音できないので別の呼び方を許してもらっている) というその男性は親切にもさくらを街まで連れていってくれ (さくらの歩くペースがあまりにも遅いというので最後は抱きかかえてくれた) 彼を紹介してくれたのだった。


 彼、高島未来はさくらより前に異世界に飛ばされた日本人だ。最初こそさくらを警戒していたが、翌日には彼が知りうることを全部話してくれた。――警戒するのは当然ことだ。ここは日本ではないのだから。

 この世界では言葉もさることながら、日本の常識もまったく通用しない。誰もに身分があり、それが現実社会に根付いている。法や誰かが自分を守ってくれるのではなく、己の身は己で守らなければならない。

 そんな世界で一人で生きてきた未来の心中はどれほどのものだったか。

 元の世界に帰ることができるのかというさくらの問いに、苦々しく「無い」と応えた彼の顔が今でも忘れられない。

 

 

「では少し休憩にしましょうか」


 さくらが与えられているゲストルームの一角でかれこれ二時間ほど未来と言葉の勉強をしていたところだ。

 未来の言葉にさくらの世話をしてくれているメイドがすっと部屋を辞していった。お茶を用意してくれるのだろう。 


 未来は本来、街の酒場で働いていたのだが、さくらの養い親であるノヴァと未来の後見人であるレスロー (ドラゴンの顔を持つ獣人の貴族らしい) の依頼でさくらのために家庭教師役を引き受けてくれた。

 とても困っていたが、どうしても不安で彼にお願いしてしまったのだ。

 優しい未来に付け入るような真似になってしまったが、やはりお願いして良かったと思っている。

 彼はさくらと同じ年で異世界に飛ばされてきたというが、この世界の言葉を熟知していて、とても分かりやすく教えてくれる。


「――さくらは覚えが早いですね。この分だと私がお役御免になる日も近いようです」


「お役…?」


 さくらはまだこちらの言葉が全ては分からないが、慣れなければならないからと未来はこちらの言葉で話すのだ。時々分からない単語もある。


「家庭教師がいらなくなるということですよ」


 丸いテーブルにいっぱいに広げていた絵本や紙を片付けながら、未来がそんなことを言うので、さくらは思わずテーブルに手をついて身を乗り出していた。


「ま、まだ居てください!」


 きっと自分の顔は赤いだろう。それにも恥ずかしくなったさくらだったが、未来は柔らかに笑った。


「はい。私の仕事がなくなるので、もう少しだけ居させてくださいね」


 さくらのためだろうが、元々未来は綺麗な言葉遣いをする。そんな口調でこういうお茶目なことを言うので、さくらはますます顔が熱くなった。

 優しい人だ。


「でも本当に、上達が早いですよ。私ではこうはいきませんでしたから」


 書き損じたものやスペルを練習した紙をあらかた集めてまとめると、未来はとんとんとテーブルで整えた。

 あとでノヴァにも見てもらうのだとまとめているが、彼は結構几帳面だ。


「ノヴァとも話せるようになりましたか?」


「はい。パパは良い人です」


 さくらはノヴァと発音できなかったので、ずっとパパと呼んでいると最近ではそれが板についてしまって、ノヴァの方もパパと呼ばなければ返事をくれない時がある。 

 

「それは良かった。彼ともたくさん話をしてあげてください」


 そう穏やかに微笑むから、さくらはもっと頑張ろうと思うのだ。

――そうでなければ、この人を独り占めする時間を持てないから。


 さくらより少し高い背、男性にしては細い方だろう。日本人であると一目で分かる黒髪は漆黒に近くて、襟足で揃えられている。やはり男性にしては細い顔立ちは整っていて、黒に近い穏やかな瞳が印象的だった。声はアルトで優しい。そしてその性質は今まで出会った男性の誰より紳士的。長い脚を組む様子は色気さえ含んでいて、男性に対して失礼かもしれないが美しささえ感じるのだ。

 今は、ノヴァが仕事で居ないので彼は普段着のベストとズボン姿で、本来の姿だが、彼がノヴァの屋敷にやってくる時はいつもならば女装をしている。

 これは未来に対して大変申し訳ないと思っているが、その女装姿は穏やかな紳士から一変してたおやかな貴夫人になるのだから、綺麗な人はどんな姿でも綺麗なのだと息をついたものだ。


 きっと、さくらのような子供に未来のような大人の男性が振り向いてくれることはないだろう。

 家庭教師を引きうけてくれたのは、ただひとえにさくらに同情してくれたから。

 同じ日本人であるさくらを放っておけなかったのだろう。


(優しい人)


 メイドが運んできたお茶に口を付ける様子を盗み見ながら、さくらは心の中で呟く。

 彼は穏やかだが、さくらには決して本心を見せないところがある。


(残酷な人)


 未来は時々とても空っぽな目をするのだ。

 日本に居ては決して出来ないような、何の希望も何の目的もない、生きようとすることすら捨てたような目。

 さくらに、未来の今までを想像することはできても理解することはできない。

 そして彼の歩んできた四年間は、さくらの想像を絶するだろう。

 もしかすると、未来はさくらさえ本当は目に入っていないのかもしれない。

 この世界は元より、同じ日本から来たさくらも未来にとって木や石と同じでただそこに在るだけ。

   

(……木や石でもいいから、その瞳の中に入っていたい)


 そう思うのは、罪なのだろうか。


 未来との時間はさくらにとって、とても幸せで苦しい時間となっていた。




 そんな日々が続いていたある日、未来はノヴァの屋敷にやって来なくなった。

 それからノヴァが彼に贈りものを送るようになっていたことを知った。最初の頃は未来への詫びかと思っていたさくらだったが、様子が違うことに気付いた時には遅かった。


――ノヴァは未来に求婚していたのだ。


 この国では男同士の結婚は認められていない。さくらも突然の事態に慌ててノヴァを諌めたが、彼の心は堅く、そしてさくらの淡い恋心よりも欲深くて明確だった。

 その狂うほど熱く、触れられないほどの勢いにさくらは息を呑んだ。

 

(これが恋なの?)


 もっとふわふわとして、甘い想像ばかりのさくらを吹き飛ばすようなノヴァの様子は、小説よりも激しく、そして醜いほど狂っていた。


 次第に恐れすら抱いていたさくらと日に日に狂っていくノヴァの元に一通の招待状がやってきた。

 名だたる貴族たちが集まる夜会だというその席に、未来がやってくると言う。

 ノヴァはさくらを連れていくとすぐに決めた。


 


「……ミキ、なのか?」


 広い夜会の会場ですぐに未来だと目星をつけて飛び込んだノヴァと、彼についていったさくらが目にしたのは、驚きべき未来の姿だった。


――見知らぬ男と共にやってきた未来は、夜から抜け出してきたような美女となっていた。

  



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