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移り気な彼女  作者: ふとん
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恋の曲芸

 嫌な勘ほど外れないというのは、私の中ではジンクスだ。どういうわけだか、これだけは覆されたことがない。

 

 さくらの家庭教師兼話相手の仕事は順調に進んだ。

 大体、二日に一度、レスローの屋敷からノヴァの屋敷へと通うのだが、これもまぁいい。足付きの仕事だと思えば、待遇だけなら一番だ。

 さくらの授業には時々ノヴァも顔を出す。それでいて祝日も休暇もなく忙しそうにしているので、ノヴァの正体がますます胡散臭いがそれはそれ。

 桜の語学習得は彼女の努力もあってすぐに伸び、今では五、六歳の子供と話せるほどになっている。覚えの悪い私と違い、さくらは優秀だった。

 そして、どこまでも乙女だった。


「先生」


 きらきらと形容したくなるような声音でにっこりと微笑み、さくらは私に丁寧に茶を入れたカップを寄越してくれる。

 彼女が最初に覚えた単語は基本的な挨拶と、先生という単語だった。つまり、私のことだ。

 ミキでいいと言ってもきかないので、そのままにしていたらそのまま私も慣れてしまった。慣れとはかくも恐ろしい。


「これ、私が入れました。美味しい?」


 この国では休憩に茶を飲むのが一般的だ。老若男女、貴賎問わず茶が好きな国柄で、自国で採れるその茶葉を一番愛している。

 私がこの国を選んだ理由の一つでもある。この国の茶葉は緑色で、つまり限りなく日本で飲まれている緑茶に近かった。

 口に含むと青味がさわやかに広がり、ゆったりとした苦みが後から追いかけてくる。


「美味しいですよ。ありがとう」


 素直に礼を述べただけだが、さくらは日の光にも負けないほどきらきらと微笑んだ。赤く上気する頬はまるで太陽のよう。とても愛らしいが、私に同性愛の素質はないらしい。ただひたすらに罪悪感だけが募っている。

 

 さくらの方も同性が好きというわけではないらしく、ノヴァの甘い言葉にどぎまぎとしたり、たまに私が無精をして男装でやってくるとたちまち倒れんばかりに頬を染めている。彼女はただ純粋に、私を男性だと思い、そして好意を持ってくれているらしかった。

 その証拠に、


「先生は、どんな女性が好みですか?」

 

 とか、


「日本に恋人はいないんですか?」


 など、今時の小学生でもなかなかしないような初心な質問をしてくる。

 いずれも散々渋った末の言葉だ。このやりとりが非常に長いので割愛したことはお詫びする。

 なんでも、日本に居た頃は情報に疎い私でも知っているような女子校に通っていたらしい。小中高の一貫校のエスカレーターに乗っていたエリート様だというのだから、生粋のお嬢様だ。大切に彼女を育てられたご両親の自慢顔が目に浮かぶ。


 こうして勉強を教えている間も、話をしている間も、恋する乙女にうっとりと眺められている私だが、一方ぎりぎりと首を締められんばかりに睨まれてもいる。

 お察しの通り、ノヴァだ。

 前述の通り、彼は時間を見つけてはさくらに与えている勉強部屋 (なんと彼女は一人で三つも部屋を使っている) にやってきて口出しはしないものの、さくらの見ていないところで私を睨みつけている。敵意、と言ってもいい。


 今日もちゃっかり私とさくらに休憩時間を見計らってやってきて、勉強部屋の隣にある三ルームで共にテーブルを囲んでいる。顔見知りになったメイドさんもノヴァを案内してきて苦笑気味だ。

    

「――美味しいよ、さくら。毎日でも飲みたいぐらいだ」


 尋ねられてもいないのに一緒に入れられた茶を飲んで、ノヴァが持ち前の美貌を活かして甘く微笑むが、さくらの方は嬉しそうに笑っただけだった。


「まぁ、ありがとう。パパ!」


「………」


 さくらにとって、ノヴァという発音が意外と難しいらしく、覚えた単語の中から彼女が選びだしたのが、何であろう”パパ”だった。さくらにすれば親しみと、養ってくれているという感謝からだったかもしれないが、その時のノヴァの顔は、まるでこの世が終わったように白かった。


 結局、パパという呼びかけはさくらの中で定着し、ノヴァは日々何か重い塊を呑みこんだような顔で苦痛に耐えている。いつか腹が裂けなければいいが。

 さすがに私の前で暴発してほしくないので、耐えられないという顔をしている時は助け舟を出すことにしている。


「さくら、あなたは料理も得意と言っていましたね?」


 出来るだけはっきりと正しい言葉遣いを心がけて言うと、さくらは無事に聞きとったらしく「はい。日本では毎日料理」とにこにこと微笑んだ。お嬢様ながら、彼女はよく躾けられていたので、立ち振る舞いも当然ながら、料理や洗濯など一通りの家事もこなす。

 確かにここではガスもないレンジもない、窯式の台所だが最近では時々メイドと菓子などを作っているらしい。


「では、今度、ノヴァさんに料理を振舞ってみてはどうでしょうか」


 私の言葉の中で「振舞う」という言葉が分からなかったのか、首を傾げていたので「作るということです」と添えると、さくらはぱっと頷いた。


「わかりました! はい、今度、作ります!」


 そう言ってノヴァににっこりと微笑むので、ノヴァの方も鼻の下を伸ばして幸せそうになった。

 こうして私は一息ついて、悠々と帰ることが出来るのだった。



 休憩の後、幾らかさくらの勉強を見て、私は帰路につく。

 いつもであればさくらが見送ってくれるが、彼女は早速料理長とノヴァに作る料理の相談をするというので、私は一人メイドに見送られ、屋敷を後にするところ。


「ミキ」


 いつもならば休憩の後、慌てて仕事へ戻るか書斎へと引っこんでいるノヴァが玄関先にまでやってきているではないか。

 その姿はやはりというかきちんとした仕立てのコートとベスト姿で、ノーンの酒場へ来ていたのは貴族のお忍びだったのだと改めて確認できた。


 ノヴァは私を見送りに来ていたメイドを下がらせ、「少し話がある」と玄関より少し反れる廊下へと誘った。


「……さくらのこと、本当に助かった」


 感謝している、と窓が遠いためか薄暗い廊下で顔を伏せ気味に彼は言う。全然感謝しているようには見えなかったが、一応「いいえ」とだけ応えた。

 すると弾かれたようにノヴァが顔を上げる。

 その瞳には困惑と、迷いが浮かんでいた。

 光が十分に届かずくすんだ金髪がノヴァの沈んだ心を映すようで、私も怪訝顔になった。


「……何か問題でもありましたか?」


 さくらには基本的な言葉しか教えていないつもりだ。話し言葉は幾らか彼女がメイドなどから覚えたものだが、話すことと同時に書くことも教えているから、私はスラングなどは決して教えていない。教えてはいないのだが、所詮私は庶民だ。貴族さまの美しい発音には及ばない。

 そろそろお役御免か。


 覚悟してノヴァを見遣ったというのに、彼の方はますます眉を下げて苦しげだ。

 何か変なものでも食べたのだろうか。さくらにかまってもらえないからと言って、彼女が書き損じた紙とか。


「――問題は、お前にはない」


 だとしたら何が問題だ。

 ますます怪訝顔になった私に、今度はノヴァが覚悟を決めた様子できりりとまなじりを上げる。


「お前は、さくらを愛しているのか?」


 え、なにそれ。

 不意を突かれた私に、ノヴァは必死に続ける。


「さくらを、生徒としてではなく、一人の女として愛しているか!?」


 声は低いが縋りつくような、血を吐くような言葉に私はますます困惑する。

 私はれっきとした女で、同性愛の素質もない。だからここは否定をすればいいのだが、何故だか詰め寄ってくるノヴァを前に言葉が詰まった。――ああ、またしても嫌な予感がする。


 私よりも少しだけ高い背で詰め寄ってくるノヴァは、当然ながら私よりも体は大きい。もちろんレスローほどの巨体ではないが、彼も成人男性だ。うっかりすると覆われそうになる。

 私は何とか踏みとどまって、


「どういうおつもりですか。その質問は雇い主としてですか。それともさくらの養い親として? それとも」


 ただの狂った一人の男としてか。

 言外に質問を乗せて睨み上げると、詰め寄っていたノヴァは怯んで二、三歩後ずさる。これだから、さくらにパパと呼ばれるのだ。

 しかし、ノヴァの方はそれでも私を苦しげに見つめ、「すまない」と、あたかも自分の心臓でも取り出そうといわんばかりにきつく胸元を握りしめる。


「……俺は、サクラを愛している」


 ええ、知ってます。

 それで私は巻きこまれたんですし。

 とはおくびに出さず、私はただ一人苦しそうなノヴァは眺めた。


「一目惚れだ、とレスローには言われたが、出会ったその日から彼女をこの手で守りたい、慈しみたいと」


 ええ、ええ、分かります。

 日々、駄々洩れですから。


「――だが、それは親としてだ」


 え。


「一人の女として愛したいとは思えない…。サクラは私の可愛い娘だ」


 ちょっと待て。


「彼女は私が生涯をかけて守る娘だ。そのためであるなら何だってするだろう」


 だが、とノヴァが見つめたのは、私。


「お前は違う」


「え、ちょ」


 わずかにあった距離をノヴァはあっという間に縮めて、私の間近にまで迫ってきた。


「……近頃、お前が女に見えて仕方ないんだ」


 それはそうだろう。私は女だし、今はまかり間違って女装だ。本日の装いは藍のドレスです。


「けれど、お前が女であろうと、例え男であっても構わない。お前は私の唯一の人だ」


 がっと肩を掴まれそうになって、私は思わず両腕をノヴァの顎めがけて突きだしていた。自然、のけぞったノヴァだったが、彼は私の手首を掴み取る。


「ミキ、お前が好きだ。私の生涯の伴侶となり、サクラを共に育ててくれ!」


 私は眩暈を起こしそうになったもののノヴァの脇腹を力任せに蹴りあげて、その場を脱することができた。


 

 しかし次の日から続々と寄せられてきたノヴァの恋文にうんざりして、家庭教師の仕事を休むこととなったのだった。




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