嘘の順序
分割払いにするとなると、天敵であるレスローとの縁が仕事が終わっても切れないということに気がついたのは翌日、宣言通り女装をしてノヴァの屋敷へ向かう途中のことだった。
私は朝からメイドたちにひんむかれてこれでもかと着飾られた。
落ち着いた淡い青紫のドレスに同じ色の上品なボンネット、その下には美しく結い上げた栗色のかつら。私は髪が短いのでやってきたメイドたちの間であーだこーだと議論が交わされていたが、かつらということで話が落ち着いたらしい。大粒の宝石がついたイヤリングだけを身につけて、さぁ出来あがりとばかりに私は彼女らの主人であるレスローの朝食の席へとひっ立てられたのだった。
ゆでたまごをスプーンですくおうとしていたレスローは私を見るやぴたりと動きを止めたが、やがて「屋敷でもその姿でいいぞ」と投げやりなのか感想なのかよく分からないことを言った。男装は駄目だと言いながら女装も微妙とは、私を何だと思っているのか。
結局、格好についてはそれきりで、朝食を終えてから仕事へ行くというレスローと玄関先で仕事の話をしただけだ。
「ノヴァの迎えが来るから、あとは使いの者と共に屋敷へ行けばいい」
「わかりました」
「泊まる場合は使いを寄越せ。今日のところは夕食時には必ず帰れ」
私も仕事を終わらせる、と何だか子供に言い聞かせるようなものだったが、簡単な業務連絡の後、レスローは出かけ、少ししてからノヴァの使いだという男がやってきた。
私の代わりに確認をしたニアケリスは男を見知っているようで「ご足労恐れ入ります」と私と共に送りだした。
その男と共にドーの馬車に乗り込むと、おもむろに男は口を開いた。
「――ノヴァ様とレスロー様のわがままに付き合わせて悪かったな」
わがままというには金と手間がかかり過ぎている気がするが、男の方もそれほど気にした様子もなく少し面倒くさそう目を細めただけだった。
黒に近いこげ茶の髪を短く刈り込んだ様子はどこか軍人を思わせたが、神経質そうな眼鏡をかけた碧眼が彼を文系に見せている。裾の長い上着は活発に動くにはいささか向いていない。
「俺はノヴァ様の…側近のジェリオだ。困ったことがあれば俺に訊くといい」
「こちらからも質問していいか」と言うので私が頷くと、ようやくジェリオは少しだけ頬を緩めた。
「……お前はサクラ様と同郷ということだったが、何年前からこの国で暮らしている? 移民届は出しているのか?」
移民届とは戸籍登録のようなもので、これを信用のある人に書いて国に提出してもらわかなければ仕事どころ住むところさえ見つからない。
「故郷から出てきた私は孤児でしたので、拾ってもらった商隊の隊長に移民届を書いてもらいました。この国で暮らし出したのは一年ほど前のことです」
正確には一年と少し過ぎるだろうか。この四年ですっかり出来あがった私の身の上に頭の中で付け足しているとジェリオは「なるほど」と頷いた。
「悪いがこちらでも確認させてもらった。キープファライアという商人から移民届の確認が取れている」
「しかし」とジェリオは少しだけ難しい顔をする。
「お前達の国とはいったい何処にあるんだ?」
まさか異世界から来ましたと言って通じるとも思えない。
今にも地図を広げそうな顔をするジェリオを見遣って、
「大陸の地図にも載らないような場所ですよ。王も貴族もなく、人々が話しあって何かを決めるような小さなところです」
支配階級がいないということにいささかジェリオは驚いたようだが、それ以上尋ねることもなく、もっぱら私の生い立ちのことを尋ねて馬車はノヴァの屋敷へと着いた。
馬車を降りる時、先に降りたジェリオは私を振り返り、
「お前が男だということは俺とノヴァ様しか知らない。言動には気をつけろ」
私が慣れないドレス姿で無駄に大きな門の前に降り立つと、ジェリオは苦笑する。
「しかしよく化けたものだな。本物の女のようだぞ」
残念ですが、私は本物の女です。
ジェリオの後ろについて白亜の屋敷を仰ぎながら、私は息をついた。
何だか面倒なことになっているようだ。
レスローの豪邸と似たり寄ったりな大きすぎる屋敷は、またしてもノヴァの私邸だという。住んでいるのはノヴァ一人で、使用人も最低限、ということだったがこの広すぎる屋敷を維持するのに使用人が三人とはいささか少ない気がする。レスローの家ではもう少し人数が居たはずだ。
執事とメイドの一人ずつと挨拶を交わし、ジェリオが私を連れてさくらの待つ部屋へと連れて行き、彼は仕事があるからと去っていった。代わりに部屋へと入ったのは玄関先で挨拶を交わしたメイドだ。私とさくらが勉強している間、彼女が部屋に居ることが条件らしい。
『――ノヴァさんにはよくしてもらってます』
長い髪を垂らしたままだが可愛らしいワンピースを着せられたさくらがにこにこと話してくれた。何でもノヴァはわざわざ仕立て屋を呼んで服を用意させたらしい。昨日の今日で寸法を測らせ、すでに注文しているというのだから金持ちの一目惚れには恐れ入る。
どうやらノヴァはあれやこれやと理由をつけて、さくらの傍に居るらしいが、彼女にしても私に説明されたとはいえ見知らぬ屋敷に連れて来られて不安だったのかノヴァの気持ち悪…もとい献身的な様子にほだされているようだ。
そのノヴァから私に課せられているのは、さくらの語学習得、要は意思疎通がしたいわけだ。今のままでは好きだと言っても何を言っているのか分からないと首を振られるだけだろう。
そんなわけで、私はノヴァがわざわざ用意した三歳児用の絵本やらを使って教えることにしたのだった。
ここからは中学英語の反復作業だ。とりあえず書いて聞いて覚えるしかない。
応接間のような部屋でさくらとテーブルを囲み、基本的な文字と挨拶を教えたところで控えていたメイドさんがお茶を淹れてくれたので休憩となった。
覚えたての言葉で「ありがとう」とさくらが言うとメイドさんは嬉しそうに頷いた。
『……それにしても驚きました』
カップをくるむように持って、さくらは私を上目遣いに覗きこんでくる。同郷とはいえ昨日今日会ったばかりの私だが、日本語で話せることに彼女はリラックスできるようだ。
『ミキさん、とっても綺麗です』
飲みかけたお茶をあやうく噴き出しかけた。
『色気があるというか…胸があるというか』
自分の発展途上の胸元をちらりと見下ろして、さくらが私の胸と自分の胸を見比べている。勘弁してほしい。男となるには無駄な贅肉だ。
もちろん自前の肉だが『詰め物ですよ』と断りをいれておく。
『ミキさんって男の人なのに顔立ちが綺麗なんですよね。うらやましいです』
至って平凡な顔立ちだが、男としては細く見えるのかもしれない。喜んでいいのかどうかは微妙だが。
『……こんなこと言っておかしいかもしれませんけれど、ミキさんが居てくれて本当に安心しました』
先達の同郷人が居るのは異世界ではそれは心強いだろうが、私と目が合うとさくらは白い頬を染めた。うっすら上気する様子はまるでリンゴのよう。
なんだろう。嫌な予感がする。
『これからよろしくお願いします。ミキさん』
うっとりするような、切ないような声で呼びかけられて、私は嫌な予感の正体を見たような気がした。
――どうしよう。この子、私に惚れてる。