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移り気な彼女  作者: ふとん
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人の対価

 たとえただの話相手だろうが、年頃の男女が密室で二人きりでいるというのはどういう状況でも外聞が悪いらしい。家庭教師は年嵩の者か女性が好ましいとされ、若い男が教師になるのはよっぽどの理由、例えばその娘の婚約者候補であるとかそういう特殊な場合だけ。

 

(どこも似たようなものだな)


 どの世界でも同じようなことを心配するらしい。

 今回の場合、駄々をこねたのはサクラの親でもないノヴァであるのだが。

 そしてノヴァは私が男であると信じている。


 馬鹿みたいに嘘のような話だが、私はどのみち女装をしなければならないらしい。不本意ながら。


「……分かりました」


 話はそれだけですか、と言った私に、レスローはじっとこちらを伺うように見つめたがやがて金の目を逸らして「部屋へ案内させる」とその場はお開きとなった。


 それから私は今まで住んでいたアパートがまるまる入りそうな客間に、荷物ごと運び込まれ、やってきたメイドさんと仕事着についてレクチャーを受けた。ようやく一息ついた頃に夕食に招かれたが、食堂に現れた私にレスローはあからさまに落胆した。


「――どうしてドレスじゃないんだ」


 私が用意してもらったのはいつも店で着ているベストとシャツにタイがついたもの。質は比べ物にならないが、形だけならいつもと変わらない。


「これがやはり落ち着きますので」


 もっと言えば今の時間は私の夕食時ではない。軽くまかないを食べてから酒場で所狭しと注文を取り続けている。

 目の前に広がる料理は酒場では絶対に出せない単価の高い料理ばかりだ。ピッコ鳥もどれほど具材をこしたのか分からない透明なスープも手間と暇がかかるので安い早い旨いの店では出せない。

 慣れない食事の湯気を眺めていると、大皿に盛られた料理を手際良くメイドさんが並べ、ピッコ鳥の香草焼きは私の目の前までやってきた。

 一緒に並べられたグラスには酒を注がれかけたが、私は断って水をくれと申し出た。こんな料理と一緒に飲んだら絶対に悪酔いする。それに今日はどのみちよく眠れまい。


「遠慮せず食べるがいい」


 レスローの偉そうな一言に私は「いただきます」とだけ言って香草焼きにナイフとフォークで手を付けた。口に含むとハーブと塩が肉と溶け、ほどなく肉の形も溶けて消えた。柔らかくて旨い。喉に火がつくような酒で流し込んで美味しい干し肉とは比べ物にならない上品さだ。


「……あ、もしかしてこの食事代は給料から天引きですか?」


 こんな手間のかかった料理が給料から引かれたら、きっと給料が食費になってしまう。

 私の問いにレスローは長い爪の指で器用にグラスを片手に呆れた顔をした。


「お前は私を何だと思っている。衣食住は給料とは別だ」


 グラスに傾けられているのは濃い琥珀の酒だ。おりも無い透明な酒は上等な証拠。きっと飲めば上等に慣れて舌が馬鹿になる。


「給料はノヴァが支払うが、ここでの滞在費は私が持つ。私の仕事を手伝えば、私も手当てをつけよう」


 破格過ぎる条件だ。後で契約書も作ろうというのだから、さすが堅物ドラゴン。


 何だか現実味のない夕食はつつがなく進み、デザートまで平らげると私はレスローの書斎に招かれた。

 やたら重厚な机と家具が置かれたそこで執事のニアケリス立ち合いのもと、契約書は交わされ、私は何だか上手い詐欺師に騙されたような心地で契約書を確認することとなった。

 食後に出されたお茶を飲むレスローを無視して契約書を確認した私は、思わず紙飛行機を作りたくなった。

 上質な紙に滑らかな文字で書かれた契約書には、先ほどレスローが話した仕事の内容が表記され、安全と衣食住は保障すると明記されている。それだけでも破格だというのに、その契約金は、


「……あの、家が買えるのですが」


 ノヴァとの契約金がそれで、レスローの手当てとやらがつくとこの上、簡単な店を開くのに十分な支度金となる。


 冷や汗を流さんばかりの私をちらりと見遣ったが、レスローはやたら複雑な文様のついた判を押した契約書には興味もないのか書斎の上で積んであった書類に目を通していた。


「安心しろ。即金で支払ってやる」


 こんな大金、一気にもらう方が迷惑だ。

 大金など持つものではないとこの四年で学んでいる。

 この世界では金貸しは居るが銀行はない。

 稼いだ金は自分で守らねばならないのだ。私も貯めている金は家以外の場所のあちこちに隠し持っている。

 金はあっていくらあっても困らないが、こんな大金になるならば衣装代やら食費やらと天引きされていた方が良かったのかもしれない。


 半ば途方に暮れた私を、ようやく見遣ったレスローは呆れたように息をついた。


「ノヴァとあの娘の都合でお前の時間を拘束するんだ。当然の見返りと思えばいい」


「それに」とゆっくりと金の目が私を射抜く。


「金の使い道ぐらい自分で考えろ」


 大金など扱ったことのない私にどうしろと。

 憮然と顔をしかめるとレスローは書類を脇に置いて、私に向き合った。


「元の場所に戻るもよし。もっと良い条件の場所に住むのもいい。自分の好きな物を買えばいいし、商売を始めてもいい」


 金貸しだけは止めておけ、とだけ付け足して、レスローはおもむろに私の瞳を覗き込む。

 表情など無いはずのドラゴン顔が姿勢を正したくなるほど真剣で、私は少しだけ足を引く。それに気付いたレスローはゆったりとした動作で椅子から立ち上がった。


「――金の使い道に困るのなら」


 大股で近付いてくるレスローを避けようと私は歩を後ろに進めたが、何しろ足の長さが違う。気がつけば私の後ろには背の高い本棚があり、目の前には壁のような巨体が立ちはだかった。

 ここにはまだニアケリスという第三者も居るが、彼はにこにことしたままでレスローを止めることも私を助けることもしない。仕える者としては当然なのだろうが、薄情者と叫びたくなる。

 逃げ場を失くしてドラゴンの顔を仰ぐと、レスローはゆったりと首をもたげて私を覗き込んだ。

 彼が先ほど飲んでいた茶の香りが鼻先を泳ぐほど近い。

 さすがに息を呑んだ私に、見た目とは裏腹な静かな声を出す喉がくっと笑って凶悪な牙がずらりと並んだ口が楽しげに開く。


「――もしも金の使い道に困るのなら、この屋敷に居ればいい」

   

 なぜ、と問おうとした声が上手く出てこず失敗した私が金の目を見上げると、レスローはその目を細めた。


「ここで私の秘書官をすればいい。もちろん手当ては上乗せだ」


 つまりただでさえ持て余す大金が更に増えるということ。


 私は戦慄した。


 金は欲しい。この世界によすがのない私にとって金は何より大切だ。だが金のせいで私は重くて動けなくなる。



「分割払いでお願いします!」



 気付けばそう、叫んでいた。

   


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