宴の告白
さくらとノヴァが蝋人形のように固まっていくのを、私は渋い顔で眺めた。
失礼な。似合わないのはよく分かっている。
「いいんじゃないか。胸元が開いていれば君の性別もよく分かることだろうし」とはレスローの言。いつもながら冗談なのか真面目なのかよくわからない。
そもそもからして会場に着いてからというもの視線が痛い。
何やらレスローに捲し立て始めたノヴァとさくらを他所に傍らのレスローを見遣る。
彼は相変わらずの硬質な顔に何が満足なのか少しだけ笑みを乗せている。それだけで周囲の人々の視線が釘付けなのだから恐れ入る。
ノヴァとさくらが目立っているのは仕方ない。金と黒の髪は類を見ないほど美しいし、装いも白いコートと淡い黄緑のドレスでまるで春がまとめてやってきたようだ。今はレスローに向かって騒いでいるから魅力は半減しているが。
「だ、誰だこれは! レスロー貴様いつのまにミキを女に仕立て上げたんだ!」
「そう、そうですこの方は未来さんですよね!? でも何で胸が私より大きいんですか!」
訳の分からないことを叫んでいるので説明するのも億劫だ。
対するレスローは慣れているのか混乱しているノヴァとさくらをほどほどに宥めている。会場の視線のほとんどを集めているのはこのレスローだった。
何しろ愛想のない目元が綻ぶだけで隣で立っているのが嫌になるほどの色気が出てくるのだ。隣を何気なく通りすがるご婦人たちの視線は縫いとめられてしまっている。
「ミキ」
横目で眺めていたのがバレたのか。
いつもより近い響きの声に動揺を押し隠して返事の代わりにレスローを見上げると、
「ここはもういいから、ノヴァとさくらに話して来い」
そうだった。
ここにはレスローの人間姿を眺めに来たのではない。
「説明をしますので、ちょっとよろしいですか」
ようやく静かになったノヴァとさくらに向かってそう言うと、彼らはおもむろに頷いてくれた。
レスローはというと、知人との付き合いがあるとかでその場を離れてしまう。
一人でどうにかしろと。
いよいよ腹を括ったら慣れない格好への苛立ちもマシになった。
ノヴァとさくらの三人で休憩用の客間に移ると、ようやく三人それぞれに息をついた。
「――驚きました」
口火を切ったのは、意外にもさくらだった。
しげしげと私の姿を眺めて、ほっと安堵とも溜息ともとれない息を吐く。
「まさか女性だったなんて……」
『黙っていて本当にごめんなさい』
久しぶりの日本語でそう言うと、さくらは泣きたいのかよく分からない顔で苦笑し、
『驚きましたけれど、でもどうして男装を?』
理由を話して、それで何もかもが丸く収まるとは思えないが、私は二人に客間のソファに各々腰かけるよう言って、それから私の事情を話すことにした。
隠しておいたところで、別に特別なことではないし、何かが上手くいくとも思えなかったからだ。
すでに二人は私に深く関わっている。
特にさくらは同じ異世界に飛ばされてきた者同士。
私だって無暗に疑いたいわけじゃない。
人には信じてほしいし、信じたい。
どんな事情であれ、私を好きだと思ってくれたのだとしたら。
「――事情は、分かった」
私の話を聞き終えたノヴァは深く溜息をついてソファの背に体を埋めるようにもたれかかった。
この四年での出来事はすべて話した。ただ一つ、異世界からやってきたらしいということだけは伏せてある。
こればかりは、さくらと話しあって決めたことだ。本当に信頼できる人間が出来た時と命の危険がある時以外は話さない。そして、やってきたのは自分一人であるということ。話して良い結果だった時も、悪い結果だった時もこれは変えられないと彼女と決めた。
薄情な取り決めかもしれない。だが、結果は変わっていくものだ。
なぜか、さくらは私には出来なかったことが出来るような気もしていた。
「だが、俺たちを騙していたことは簡単には許せない」
当然だ。
現にさくらはしおれた花のように黙りこんだままだった。
「まさか服を脱いで証明するわけにもいきま…」
「脱ぐのか!?」
非難めいた言葉とは裏腹にノヴァの視線は期待に満ち満ちている。
「脱ぐわけにもいかないからとレスローにこんな格好にされたのです。……似合わないのは承知しています」
「似合っている!」
「似合ってます!」
今まで黙り込んでいたはずのさくらまで顔を赤くして叫んだ。何事だ。
驚いて身を引いた私を他所に、レスローはぶつぶつと続けている。
「あいつめ、本当なら俺がやりたかったのに…!」
ノヴァの所へ直接雇われなくて本当に良かった。今だけはレスローに素直に感謝できそうだ。
何やら興奮冷めやらぬ様子のノヴァの傍らで一緒に顔を赤くしたさくらだったが、見る見るうちに顔が歪んで泣き笑いの相になった。
そのまま私の前まで駆け寄ってきて、何か言いかける。が、止めた。
そして水を浴びたようなすっきりとした顔で微笑む。
『――私、未来さんが居てくれて良かったです。あなたのこと、やっぱり好きですから』
日本語で言われ、今度は私の方が苦笑を返す番だった。
話し合いが一応の終わりを見せた頃を見計らったようにノックが鳴った。返事をすると、レスローが「終わったか」と部屋へと入り込んでくる。
(まさか部屋の外で見張っていたんじゃないでしょうね…)
彼は私の胡乱な目をちらりと見遣って、すぐノヴァとさくらへ視線を戻す。
「ミキから話は聞いたか」
「ああ」
ノヴァはレスローを見とめると席を立つ。
「お前はミキが女だと知っていたのか」
「知っていた」
レスローの答えは簡潔だったが、ノヴァはそれ以上深くは聞かなかった。そのまま聞いてくれるな。
レスローの方も黙りこんだノヴァを見遣っていたが、ノヴァが決然と顔を上げる。
「ならばお前が後見人だと見込んで話がある!」
ノヴァの鋭い視線にも、レスローは片眉を上げたきり無言で促す。そんなレスローにノヴァは挑むように睨み据え、
「正式に、ミキに結婚を申し込む!」
恥も外聞もなく言い切った。
ノヴァの後ろではさくらが目を回さんばかりにおろおろしているし、私の方は呆れてものが言えない。
ない。ノヴァはない。
世界がひっくり返ってもない。
すでに異世界にやってきてしまった私が言うのだから本当にない。
しかしレスローは少し首を傾げたあと、「ふむ」とにやりと口の端を上げる。
あの、人の悪い笑みだ。
こうやって笑っていたのかとついしげしげと眺めてしまった。
「それはミキの言質をとったのか?」
「ミキへの求婚はまだこれからだ!」
いっそ清々しいほどの潔さだ。
レスローは「そうか」と頷き、こちらへと振り返る。
「だそうだ」
「……私は誰とも結婚する気はありません」
少なくともノヴァはない。
私の態度にレスローは「そうか」と再び頷き、
「断るそうだ。残念だったな」
「ミキ! 俺が嫌いか!」
嫌いというわけではないが、今は近寄るな!
動きにくいドレスで対峙するのは、いくら私でも分が悪い気がするのだ。
思わずソファから腰を浮かせると、追いすがるようにこちらへ駆け寄ろうとするノヴァの首根っこを素早くレスローが捕えた。
「諦めの悪い男は余計に嫌われるぞ」
「放せ! レスロー! お前こそミキを私邸に囲い込んでるじゃないか! お前まさかミキに求愛するつもりか!」
いくら獣人だからといって求愛って。
うわぁ、と顔をしかめた私を後目にレスローはそっけなく頷く。
「発情期になったらな。我々の求愛期間は人間と違って短いんだ」
……獣人って何なんだろう。
もう部屋の中はカオスだった。
「ケンカは駄目です。パパを放して!」とおろおろとするさくらに、「レスロー、お前友達の恋路を邪魔して恥ずかしくないのか!」と叫ぶノヴァ、「友だからこそこんな不毛なことに付き合ってやっているんだろうが」と不遜なレスロー。
(……帰りたい)
朝からの準備で疲れ切った上のこの騒ぎに疲労困憊の私は力なくソファに腰かけた。
――こうして、宴の夜は過ぎて行った。あとには私に疲労を残して。
帰り道の馬車の中で、ふと隣に座ったレスローに尋ねた。
ずっと気になっていたことだ。
「――どうして私にあなたが人間になれると教えてくれなかったんですか」
レスローの種族のことを私は結局詳しくは訊けなかったのだ。
「屋敷の者たちは皆、私と同じ種族だと言っただろう」
そんなことを聞いたかもしれない。
だが、屋敷に居てもレスローは人間の形をとろうとはしなかった。
自分の失念を棚に上げていると、トンとその棚に物を乗せるようにレスローは笑う。
「私たちは獣人の中でも少々特殊だからな。普段の姿も今の姿もどちらも己の姿だから、あまり気にしないのだ」
それに、とレスローが微笑みながら目を細めるので、背中が無遠慮に撫でられたように鳥肌が立った。
「お前が驚く顔が見たかっただけだ」
この男、本当に性質が悪い。




