ジャック・オ・ランタンはかぼちゃ畑の夢を見るか?
本編「はまってワンだふる。」(完結済)読了推奨です。
それはイチョウの並木道が色づき始めた秋のこと。
「――……ハロウィン企画ですか?」
私は岬さんの言葉を復唱した。それに岬さんは、長く艶やかな黒髪をさらりといわせて頷く。
「そうなの。創作系サイトで、エイプリルフールだけ小話や限定イラストを公開したりだとか、クリスマスシーズンだけ聖夜プレゼント番外編を公開したりとか…あるでしょう?」
「は、はい」
「そんな感じで、10月31日のハロウィンにちなんだ小話やら短編をアップする企画を立てたのよ」
そう言って、岬さんはランチルームの自販機で買ったコーヒーに口をつけた。
私が配属されている総務部の先輩である岬さんは、実は人気のネット小説家さんでもある。
『Lovery!』という恋愛小説サイトをかれこれ9年ほど開設していて、インターネット小説やケータイ小説が話題になる以前に、すでに公開作品が編集者の目がとまって書籍もだした実力者。電子書籍も続々と新刊になっている。
岬さんの実力は、もちろん小説そのもの青春で胸がキュンとするような恋愛小説家としての力もあるんだけれど、いろいろ企画を立ち上げてサイト来訪者・読者を楽しませてくれるお祭り企画力の強さも含まれてるんだ。
「今回は自分ひとりだけのお祭りじゃ楽しくないかなぁと思って、知り合いのネットの物書きさんに広く声をかけてみたの。けっこう多くの作品数がアップされる予定よ?」
「そうなんですか?」
「えぇ。縛りはすくなくして、気軽に『ハロウィンのネタ』や『仮装』で創作を盛り上げましょう~っていうだけだから」
岬さんが微笑んでそう言ったときに、隣の真理ちゃんが、
「『縛り』でハロウィンで仮装なんて……倒錯的で素敵ですぅ」
と、にんまりと笑った。
「ちょっ……真理ちゃん!縛りってそういう意味じゃないから!そうですよね、岬さん」
私は、総務部後輩の真理ちゃんの言葉は、ときどき(いつも?)『18歳未満お断り』的なものになるから、私はオタオタしてしまう。
同意をもとめて岬さんの方を見ると、岬さんは落ちついたゴールドベージュで彩られたネイルの指先を思案顔で口元に手を当てて何かを考えていた。
隣では、さらに真理ちゃんが、
「コスプレした若い子が『お菓子をくれなきゃイタズラするぞぉ』なんて言って次々に訪ねてくるなんて、ほんと破廉恥で素敵な夜ですよねぇ」
とつづけてくるので、必死に助けを求めて岬さんを見ると、まだ何かを考えているかのように一点を見つめている。
――……と思ったら突然、輝くような目を向けて、
「……まとまったわ!」
と、小さく叫んだ。
「何がですかぁ、岬さん~」
「そうよ、縛りよ、ハロウィンよ!」
「……あ、あの岬さん?」
戸惑う私をよそに、岬さんは、
「ハロウィンといえば、仮装かしら…と思い込んでいたけれど、縛りね…そうね」
と、今度はぶつぶつ言い始める。
「あ…あの?」
「あぁ、ごめんなさい。小説のネタが降ってきたのよ。こういうのって、神がかり的なところもあってね……」
「は、はぁ」
「まぁともかく、ハロウィンの前は企画ページのぞいてみて?10月31日に一斉アップというわけでもないのよ。数日前からいろいろ作品がでてくると思うから、楽しいと思うわ」
にっこりと微笑んだ岬さんに、私はコクコクとただ頷いた。
*****************
「……で、最近、熱心にスマフォ見つめてるんだ?」
湯上りの湿った髪をタオルでパサパサと拭きながら、数巳はちらりとこちらを見た。
数巳の瞳はけっして怒っているわけじゃない。でも、「ちょっと面白くないぞ」と思っているような、何かを含んだ目をしている。
「私、そんなに熱心だったかな?」
私がちょっとベッドサイドで、髪をかわかしている数巳を見上げると、
「……ベッドの隣に俺が立ってたの、気付いてなかったでしょう?」
と、数巳は答える。
「ご、ごめん、熱心というか……集中しちゃってたね」
今、数巳に何度か呼びかけられたらしいけれど、気付かなかった。
数巳がお風呂に入っている時間だけでもネットにつなげてみようと思って、ベッドに寝転がってスマフォをいじりはじめたら、ちょうどハロウィン企画の作品がどんどん新着アップされていて、クリックしているうちにはまってしまったんだ。
気付いたら、数巳が不満げな顔をして隣に立っていたものだから、私はあわてて岬さんから聞いた「ハロウィン企画のこと」を今、説明したところ。
「明日、もうハロウィンでしょ?ちょうど今夜あたりがいろいろ作品があがってるみたいで……。あ、あの、ごめんね?」
私は起き上がって、隣に座ってる数巳と目線を合わせた。
ダブルベッドになってから、こうやってちょっとすれ違いそうな時でも、すぐに近づけるようになった。これは利点。
数巳の目を見つめ続けていると、数巳はようやくため息をついた。
「うん……ま、いいよ。ちょっと、俺も…さびしかっただけ」
その言葉に、胸がきゅっとなる。
――……また、数巳のこと、寂しくさせちゃったのか……。
「前からずっと思ってたんだけどさ」
「なあに?」
数巳の問いかけに、私は顔をあげた。
「理紗は書かないの?小説とか」
「え……」
「いつも読むばっかりなのかなぁと不思議に思って」
「……」
私は答えられず、かたまってしまった。
数巳は何気なく聞いたという感じで、そのまま、布団に入ろうとする。
布団をめくられたので、私はあわてて一緒にベッドに入った。
二人で寝転んだまま、天井を見上げる。
天井の壁紙のうっすらとした模様をみながら、私はぽつんと呟いた。
「あのね、私は……書けないんだ」
「ん?」
「さっき聞いてたこと。私、物語を読むのは大好きで、その世界に浸るのは大好きなんだけど、書けないの」
私の声が少し沈みがちだったのに気付いたのか、隣で数巳がごそっと身体を動かし、こちらを向いた気配がした。
私はそのまま天井を見上げたまま、言葉を続ける。
「なんにでも、はまるんだけどね。自分で作りだすっていうのが、苦手なの。誰かが作った世界にのめりこんで……それで、終わり」
「理紗……」
「ほんと、私って、オリジナルを作れないよね。他人の後を追ってばっかり。真似するものがないと駄目で……」
私は目を瞑る。
過去にいろいろとはまって来たもの……こどものころは、折り紙やミサンガ作り。ビーズアクセや編み物。手芸以外は、本…推理小説やファンタジー小説。はまってしまうと、作家買いになっていく。作家を読みつくすと、その作家が紹介していた本を追いかけて……きりがなくて。
でも、いざ、自分が好きなものをつくってみろっていわれたら。白紙の画用紙に描くことも得意の折り紙で貼り絵することも、一歩踏み出せない。
今いち納得しない作品が出来上がり、ぱっとしなくて、どんどん自分にはオリジナリティがないって落ち込んで……。
読書感想文はなんとか書けても、作文は駄目。絵日記も、一日のうちの「何」を書いていいのか決めるのが苦手。
思い返した自分の過去にため息をついた。
「こーら、理紗。そんな風に自分をおとしめない」
きゅうっと鼻をつままれた。
「んーっっ」
私がパタパタともがくと、数巳はぱっと手をはなした。
「ぷはっ!鼻までつままなくても……」
私が鼻をなでていると、数巳は私にゴソゴソと腕枕をした。
「誰でも得意なこと、苦手なことがあるさ。理紗は小説を読むのが好き。書こうとは思わない、それだけでいいだろ?」
「でも、人がつくった世界に浸るか、人が考えたものをまねするしかない私って……って、つい落ち込んじゃうんだもん」
私がぽそっと言うと、数巳は腕枕にしていた腕をうごかして、私を抱き寄せた。ぽすっと、数巳の胸に頭をのっけられる。
「ぐるぐる考えていないで、もう、眠りなさい」
「……」
「それとも、今夜も、眠らせないであげようか?」
「い、いや、それは……困る、明日は早朝出勤日だから!」
「でしょ?悶々とせず、寝なさい」
数巳にぐりぐりと頭を撫でられて、私は力を抜いた。
その夜、私は夢を見た。
私はかぼちゃ畑にいた。
私は人間じゃなくて……かぼちゃ畑で実としてなってる、オレンジ色の種類のかぼちゃだった。つるにつかまりながら、畑でぼってりと転がっていた。
でも、端からどんどんと刈り取られて行って、形の良いものは「お~、これはジャック・オ・ランタンに最適だね」なんて人間にいわれて、もっていかれていく。
そして、私は畑にとりのこされたまま、畑の横の大きなベンチや台に競うように並べられていく、目や口を綺麗にくり抜いてもらって「ジャック・オ・ランタン」になった「元かぼちゃ」たちを眺めている。
内心、あせりながら……。ただのかぼちゃの姿で。
目が覚めたら、全身が汗だくになっていた。
ぐっすりと眠っている数巳を起こさないように気をつけながら、彼の腕から抜け出して、一度シャワーを浴びなおした。
髪を乾かした後、コーヒーを丁寧に淹れる。
すっきりする香りが鼻をとおって、全身にめぐっていくと、やっと心がピンとしてきた。
創作に対するコンプレックスみたいなもの、私は抱えているのかもしれないな。
そう言う風に自分のことを落ちついて見られると、今日みた夢も苦笑するしかない。
「ジャック・オ・ランタンになりたいカボチャ」だなんて。
コーヒーを飲み干して、私はまたため息をついた。
**********************
「岬さ~ん、東条さ~ん、今日はハロウィンですよ~!」
お昼休みのランチルーム、真理ちゃんが私の前でハロウィン・デザインの紙袋をふりながら声をあげた。
「真理ちゃん…私たちに『Trick or Treat?』と言えっていうのね…」
私が真理ちゃんに言うと、真理ちゃんはふっくらした白い頬をちょっと染めて、
「できれば、日本語であま~く『おかしをくれなきゃ、いたずらしちゃうぞぉ』って言って欲しいですぅ~」
と言って小首をかしげた。
「……」
岬さんと私はふたりで、顔を見合わせたあと、ため息をついた。
「おかしをくれなきゃ、いたずらするぞ!」
「Trick or Treat?」
岬さんと私の言葉は二人で重なったものの、お昼時のにぎわうランチルームではさして目立たなかった。
「もう、岬さんも東条さんも照れ屋さんなんですから。でも、まぁこれはプレゼントですぅ」
真理ちゃんはそう言って、私と岬さんに紙袋をそろそろ渡してくれた。
「ハロウィンのかぼちゃのクッキーなんですけどぉ、けっこうおいしいですよ」
袋を取り出すと、綺麗に透明袋とオレンジのリボンでラッピングされている、ジャック・オ・ランタンやコウモリの形のクッキーだった。
「これって、手作り?あ、そのお弁当をつくってくれてる彼氏さん?」
岬さんがたずねると、真理ちゃんが頷いた。
「そうなんですよぉ。ほんと、まーくんはマメなんで」
と言って、にっこり笑った。
そして続けて、
「あ、岬さんのところには、息子さんの分も含めて、多くクッキーいれてます」
「あら、ありがとう」
「それで、東条さんのところには、私からのおまけをつけました~」
「おまけ?」
紙袋をのぞくと、奥に黒いものが入ってる。手を伸ばしてとりだそうとすると、真理ちゃんがやんわりと止めた。
「ここでは出さない方が、東条さんには良いと思いますよ~」
「え?」
私がテーブル横のまりちゃんの瞳を見つめると、にっこりと微笑まれた。
「黒猫コスプレのネコ耳としっぽ付下着セットなんで」
「え……えぇぇぇ」
あまりの真理ちゃんの言葉に、私はぎゅうぅぅぅっと紙袋を抱きしめてしまった。
「あら東条さん、クッキー割れちゃうから抱きしめるのはそれまでにしなさい?」
「そんなに必死に抱きしめてもらえるほど気に入っていただけて、嬉しいですぅ」
岬さんと真理ちゃんの言葉に、私はパクパクと口をあいたりしめたりするものの、次の言葉がでない。
「ほらちゃんと、息を吸って~吐いて~」
岬さんの誘導で、息をする。
「ふぅぅ~。って、あの!真理ちゃん!そ、そんな黒猫って!黒猫って!しっぽ付きって…ど、どうするの!?」
「え、着るんですよ?あ、パンティにしっぽついてるんで、上から服をきるときは、服に穴をあけないと無理ですけどねぇ。できれば服はナシの方が……」
「そんなの、着る時ないから!い、いただけないよぉぉぉ!」
私がわたわたと言うと、
「あら、東条さん、案外、旦那様、喜ぶんじゃない?」
「はいぃぃぃぃ!?」
「そうですよぉ、今夜はハロウィンですからね。ぜひ、家庭内で『おかしをくれなきゃ、いたずらしちゃうぞぉ』って楽しんでくださいねぇ」
ま、まりちゃん、それは無理です……。
「それはそうと、東条さん、早朝出勤で一緒の時、ちょっと元気がなかったみたいだけど、大丈夫?」
岬さんがサンドイッチのパックを開きながら言った。
「あ……はい。ちょっと夢見が悪くて」
私が苦笑すると、
「夢、ですかぁ?」
と、真理ちゃんが首をかしげた。
「ジャック・オ・ランタンになりたい、かぼちゃになった夢を見たんです。私はかぼちゃ畑にいるんですけど、他のかぼちゃがどんどんジャック・オ・ランタンにしてもらっていくのに、私は刈り取られることもなくって置いておかれるっていう……。なんだか、さびしい夢をひきずっちゃって。すみせん、そういうの顔に出てたんだとしたら、社会人失格ですね」
「ううん、ロッカールームの着替えの時に感じただけで、仕事始まってからは普通だったし気にしないで。私がちょっと気にかかっただけなの。ほら、ハロウィン企画でどんどん新作がアップされてるから、東条さん寝不足になっていないか不安だったもので……。あらあらそうなの、かぼちゃの夢ねぇ……」
「はい……」
私は次の言葉が紡げなくて黙っていると、真理ちゃんが「ちょっとさびしい夢ですけどぉ……」
と隣で言った。
「でもぉ。ジャック・オ・ランタンの方も、かぼちゃ畑に帰りたがっているかもしれませんよねぇ」
「え?」
真理ちゃんの言葉が意外で、私は真理ちゃんの瞳を食い入るように見つめた。
「ほらぁ、かぼちゃの方は目や鼻や口をくりぬいてもらってランタンになっていけるかぼちゃを憧れるとしても、ランタンにされる方は本当はもっと畑にいたかったかもしれないし、ランタンになるよりも普通に食べてもらいたかったかもしれないじゃないですか」
「……ランタンになりたくない?」
「そうね…。かぼちゃもいろいろよね」
岬さんはうなづいた。
私は思ってもみなかった真理ちゃんと岬さんの言葉を、自分の心でもう一度つぶやきかえしてみた。
――……『ジャック・オ・ランタンの方も、かぼちゃ畑に帰りたがっているかもしれない』
――……『かぼちゃもいろいろよね』
胸がきゅっとなって、私は岬さんの方を向いた。
「あの、岬さん……」
「うん?」
「小説を書かない頃の自分に戻りたい……とか、小説を書かずに読むだけになりたいって思うことって…あります?」
「そうねぇ……」
岬さんは、いちどコーヒーに口をつけて、少し考えるような間をとった。
そして、一度まばたきしてから私の目をのぞきこんだ。
「書かずにいられるなら、どんなにラクだろうと……思うことは、あるわ」
私は目を見開いた。
「書かずにいられるなら?」
岬さんは頷いた。
「書かないと、澱みがたまってしまう、だから私は書き続ける。でもね……書いて、読んでくれる人がいると、貪欲にもなってきちゃうのよ。読者の人の反応が良いものをおいかけたくなるし、自分の好みよりも読み手の反応を優先させるようになってしまうし。何をしたいのか、わからなくなるときもあるわ」
「……岬さんでも?」
「……東条さん、ときどきあなたの発言から感じるけれど、私をあまり『凄い人』だとか誤解しないで欲しいの」
岬さんは苦笑した。
「私もね、ただの人なの。失敗もするし、人の顔をうかがいたくもなるし、弱気にもなるのよ」
「……」
私たちの会話を横で聞いていた真理ちゃんが、まーくんが作ったというお弁当のタコさんウィンナーを口に運びつつ言った。
「カボチャ畑のかぼちゃの東条さんは~、ジャック・オ・ランタンになるための中身や皮をくり抜かれる痛みを知らないから、ランタンにあこがれるのかもしれませんよぉ?」
「……痛み」
「でも、それは決して、悪いわけじゃないんですよぉ。だって、立場が違えばそれぞれでしょう?そもそもわたしたち、かぼちゃじゃなくて人間ですし。自分で自分をジャック・オ・ランタンにしたければすれば良いしぃ、畑に戻りたかったら畑で住めばいいんですぅ」
真理ちゃんは微笑んだと、ぱっくりとウィンナーを口に入れた。
岬さんは、
「真理ちゃんって、時々、鋭いこと言うわよねぇ」
と、頷いた後、私の方を見た。
「まぁ、東条さん。世界に浸れて深く読み込めるあなたのことを、私は凄いと思うわよ?」
「え?」
「東条さんは、よく『書き手さんは凄い!』みたいな表現をするけれど、たぶん多くの書き手にとって、読者の存在こそ『凄い!』の一言だと思うのよ。いただいた感想に感動したり、こんなに元気づけてもらえるなんて……と深く感謝したりだもの。読んでもらえていることに励まされて、支えられているところも大きいのよ?」
岬さんの眼差しはあたたかくて、それを私への気遣いだとかお世辞だとかで片づけてはいけない、真摯なあたたかさど感じた。
岬さんの言葉を素直に受け取るなら……、私も少しは誰かの役にたっているんだろうか。
真似ばかりじゃなく。
誰かの作った世界に浸らせてもらっているばかりだけでなく。
少しは――……。
「岬さん、真理ちゃん、ありがとうございます」
心から、私の口からその言葉がすべりでた。
自分の口元に笑みが取り戻されるのが、自分自身でわかる。
「やっぱり、岬さんや真理ちゃんに話すと、元気をもらえるし……歪みはじめていた心がまっすぐになる気がします。本当にありがとうございます!」
私は、岬さんと真理ちゃんのそれぞれ目をまっすぐに見た。
「……東条さん、真正面からほめられちゃったら照れるじゃない……」
「なんていうか、天然で素直って、ときどき、最強ですぅ」
私の前で、岬さんと真理ちゃんが、困ったような顔をして苦笑した。
******************
自宅のマンションドアを開けると、数巳が先に帰っていた。
「理紗、お帰り」
笑顔で、玄関まで迎えてくれる。
「ただいま~。あれ、すごくおいしそうな匂いがする…」
靴を脱いで上がると、キッチンの方から牛乳とブイヨンを煮立てたスープの香りがした。
「今日はかぼちゃのシチューだよ。営業先から直帰できたから、帰宅が早かったんだ」
そんなことを言いながら数巳に促されて食卓テーブルを見てみると、オレンジ色のかぼちゃがいくつか並んでいた。
両手で持てるくらいの大きさのものと、片手でのるサイズのものが三つ。
それぞれ手にとってみると、目や口はくりぬいていない、ただのオレンジ色のかぼちゃ。
私がそれを見つめていると、数巳がテーブルにカトラリーを並べながら言った。
「それさ、駅前の花屋に並んでたんだ」
「花屋さん?」
「そ。俺がふだん帰宅するときって、花屋はもう閉まってるからさ、今日まで全然気付かなかったんだけど」
数巳がテーブルセッティングを終えた手で、かぼちゃの一つを掴んだ。彼の大きな手におさまると、かぼちゃは小さく見える。
「ハロウィンを意識したディスプレイをしてて、藤かごにざくざくと色んなかぼちゃが盛ってあって、良く見たら売り物だったんだ」
「可愛いね」
私がかぼちゃをかかげて眺めていると、数巳が微笑んだ。
「くり抜いてさ、ジャック・オ・ランタン、作ってみようか?」
「作るの?」
「うん。ジャック・オ・ランタンの明かりで夕食にしようよ」
数巳の誘いに、私はながされるままに頷いた。
まずは部屋着に着かえてきた私は、エプロン姿の数巳と調理台に並んだ。
私と数巳はそれぞれかぼちゃをえらび、顔になる目や口を私と数巳はそれぞれペンで下書きする。
上の部分を円形にくりぬいて、中身の種をスプーンでとりだした。内側がなめらかになるように、中身をかきだしていく。
ある程度中身が削れて空間ができたら、さっき書いた目や口のラインにそって、側面からナイフで切りこんでいく。
ちょっと固くて力もいるところがあって、何度も削るようにしながら、三角の目と口をくりぬいたら、ジャック・オ・ランタンができあがった。
アロマ用の小さいろうろくを持ってきて中に入れてともしてみると、ほのかな明かりがともった。
「ランタン二つだと暗いから、これだけじゃ照明代わりにならないなぁ」
数巳はそう言って、他にもいくつか蝋燭をつける。
すると、食卓テーブルはなんとか食事できるくらいの明るさになった。
ジャック・オ・ランタンの顔の影がゆらめてい楽しい。
そのまま食事となり、数巳がシチューをあたためなおしてくれている間に、私は手軽なレタスとトマトのサラダを作って盛り付けて、フランスパンを切った。
数巳の作ったかぼちゃのシチューはとろけるように甘くて、チキンはほろりと柔らかくて、とてもおいしかった。ジャック・オ・ランタンと蝋燭のゆらめきの中でごはんを食べるのもなかなか楽しいもの。
食後のコーヒーには、昼間に真理ちゃんからもらったクッキー。
「真理ちゃんの彼氏が作ったクッキーなんだよ~」
そう言うと、数巳が一つ手にとって、感心した声で言った。
「すごく綺麗に型抜きされたコウモリだな。ココア味かな?」
口にすると、サクッとした軽い口当たりで、甘すぎずココアの香りも残っていて、こちらもとても美味しく食べた。
……ちなみに、黒猫コスプレ下着セットは、真理ちゃんには申し訳ないけれど、数巳には黙っておこうと思って、ハロウィン柄の紙袋に納めた手つかずのまま、そっとベッドルームのクローゼットの扉の影に隠してある。
食後、ふたりで流し台に並んで立って食器洗いをしていると、
「……理紗、元気でた?」
と、ふいに数巳が聞いてきた。
隣を見あげると、数巳のあたたかな眼差しがあった。
「昨夜、ちょっと落ち込んだまま寝たし、明け方うなされてたみたいだったからさ……」
「あ……気付いてたんだ。うん、それは大丈夫。変な夢を見たんだけど、岬さんや真理ちゃんのおかげで、浮上できたよ」
そう話してから、夢の中で「ジャック・オ・ランタン」にあこがれるかぼちゃになった話や、それにまつわる昼間の岬さんたちとの会話を話す。
私の話を聞いて、食器を拭きながら数巳は穏やかに微笑んだ。
その表情を見て、私ははっとした。
「あ、ジャック・オ・ランタンをつくろうって誘ってくれたのも、もしかして、私を元気づけるためだったりした?」
私の質問に、数巳は少し手を止めた。
「う~ん、元気づけるってほどではないけど…。何かに集中してみて、気が晴れるといいなぁとはおもったな」
「……ありがとう」
「いや、それほどのことしてないし……」
数巳は苦笑した。
その穏やかな眼差しや、さりげなく私の届きにくい高いところに納めるグラスからなおしてくれる気遣いが、数巳の素敵なところだと思った。
そのまま一緒に流し台を片づけていると、ビニール袋にまとめていれていた先ほどのかぼちゃからくり抜いた大量の種に気付いた。
「ねえ数巳、この種どうしよっか」
「そうだなぁ」
「あのさ……これって、植えられるのかな?」
「え?」
「ちゃんと乾かして、来年の春に植えたら、芽がでてくるかなぁと思って。このまま捨てたら……なんだか可哀相というかもったいないというか」
私の言葉に数巳はきょとんとした顔をしてこちらを見た。
そしてしばらく私の顔を見つめた後、優しく微笑んだ。
「理紗のさ……そういう、ひとつひとつ大切にしようとするところ…」
「ん?」
数巳がそっと手をのばして、私の頬をさすった。
「地味だけど、大好きだよ」
「……地味って」
「そこを強調してとらえないでよ」
数巳は笑いながら、顔を寄せてきた。そして、すっと頬にキスをする。
「そういえば、俺は帰宅してシャワー浴びたんだけど、理紗はまだだろ?ゆっくり入っておいでよ。キッチンの後始末しておくから」
「いいの?」
「いいよ、今日はハロウィンで、企画小説だっけ?たくさん読みたいんだろ?」
「……うっ」
言葉につまった私に、くすっと笑って数巳は今度は軽く私の唇に触れるくちづけを落とした。
「種、綺麗に洗っておくよ。ちゃんと芽がでるものなのか、俺も興味があるしね」
――……本当に、数巳は私をあやすのが上手だなって思う。
そんなことを思いながら、私は数巳の言葉にあまえてキッチンの後のことはまかせてお風呂の準備をすることにした。
*****************
お風呂からあがると、リビングには数巳がいなかった。
寝室をのぞくと、ベッドでごろんと横になっている。
「キッチンの後片付け、ありがと」
私がそういってベッドの端にこしかけると、数巳が寝がえりを打って、こちらを見上げた。
「ね、理紗」
「うん?」
「……やっぱり、今夜は、ネット小説読みたい?」
「え?」
数巳の不思議な言葉に私が首をかしげると、数巳はニッと笑って、
「Trick or Treat?」
と言った。
「へ?」
私は突然のことに、目を丸くする。
私の間抜けな返事に、数巳はいよいよ笑みを深めて、
「だから…お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ?」
と言った。
穏やかで優しい数巳が、こんな意地悪なことば言っちゃいやだ~っっと思いつつ、あたふたと何か良い返事はないかと考える。
「……あ、あの、えっと…。そうだ、さっきクッキー食べたじゃない!」
「あれは、さっきだろ」
「そんな……」
「じゃ、いたずらさせてもらいます」
「え!?きゃ、きゃぁぁぁぁ」
数巳は勢いよく起き上がり、軽く私を押さえつけた。
そして、いっきに、私の頭に何かをかぶせた。
ふわふわした感触が頭に当たる。
「やっ、な、なに!?」
「黒猫」
数巳がにっこりわらっているので、私がもしやと思って頭に手をやると……ふわふわの感触……そして、ふたつの…みみ。
「クローゼットに、いいもの見つけちゃったんだけど?」
「あ、あ、あぁぁぁぁ!それは真理ちゃんが!」
「ふぅん……」
どうやら真理ちゃんからもらった(押し付けられた?)黒猫コスプレ下着セットの猫耳カチューシャをはめられたようだった。
な、なぜ20代後半にもなって猫耳なんて……(大泣き)
数巳は、私の顔を見た。
数巳の瞳に頭から足先まで眺められると、非常に恥ずかしくなって、うつむいた。今は湯上りのパジャマ姿でたいして恥ずかしい格好はしていないはずなのに、なんだかすべてを晒されている気がしてしまう。もちろん、猫耳がついている頭は身悶えモノで恥ずかしいんだけど……。
どうしてこんなことになってるのか…。ハロウィン企画のネット小説にひたるはずだったのに!
願わくば、数巳がいつもの温厚穏やかな紳士に戻ってくれることを祈って……。
「なんかさ、けっこう……ネコの耳って、可愛いもんだね」
「はっ!?」
数巳を見ると、数巳の表情はすでに意地悪でもニヤニヤもしていなくて。
すごく真面目に、でも妙に照れたように瞳だけが少し泳いで……。
「これ以上、無理強いするのは……俺はできないけどさ。これも……着てるとこ、一度でいいから見たいって言ったら…やっぱり、引いちゃう…かな?」
数巳がそう言いながら掲げたハロウィン柄の紙袋――……真理ちゃんがくれた、しっぽ付下着セットが入っているはず。
――……私の願いは儚く霧散しました。合掌。
*******************
穏やかで紳士的なはずの数巳が、狼男になってしまったハロウィンの夜を過ぎ。
明け方、私はまた夢をみた……。
こんどは私は、かぼちゃでなく、空から「自分」を見ていた。
場所はかぼちゃ畑でなく、自宅マンションのベランダ。
そらから見る私は、苗を育てていた。
ひまわりじゃない。
あれは……たぶん…かぼちゃ。
夢の中の私は、丁寧に土の入れ替えをし、水をあげていた。
ベランダから部屋の中の誰かと話をしている。
声は聞こえないけれど、私の表情は穏やかで。
たぶん、話し相手は数巳なんだろう。
話終えた私は、次は苗の方に向いても何か声をかけている。
何の言葉をかけているか……私は知っている。聞こえなくても。
「大きくなあれ。すくすく、育ってね」
そう、私は言っているんだろう。ひまわりの時もそう声をかけてきたから。
自分の姿を離れてみおろすと、垢抜けない地味な女だった。
でも、一生懸命に小さな苗の手入れをしている姿は、けっこう好きだなと思った。
そう思ったとき、
ニャーゴと猫の鳴き声がして、目の前を黒猫が横切って――……夢から覚めた。
****************
「東条さぁん、おはようございま~す」
「おはよう」
早めに出勤したので、オフィスには今朝の早朝出勤担当の真理ちゃんだけだった。
挨拶を交わして、今日のスケジュールを確認していると、そっと真理ちゃんが寄ってきた。今日のコピー資料を渡してくれながら、
「ふふふ、昨日のハロウィンプレゼント、お役に立ったようですねぇ」
と、小声で言った。
「なっ!」
真理ちゃんの言葉に私が慄いたのを面白そうに見つめた後、真理ちゃんは、もう一度「ふふふ」と笑った。
「な、なに?」
「いえ、黒猫以外にも、次はトナカイやサンタもありますから、また言ってくださいねぇ~」
「いやいやいや、必要、ないから!」
そう言って手と首をぶんぶんぶんと振ると、「今は黒猫ちゃんで、大満足なんですねぇ」と、真理ちゃんはにこにこしながら席に戻って言った。
ふぅ。
オフィスということもあって、あまり追及されずに済んで良かった……と思ったら、岬さんが出勤してきた。
「おはようございます、岬さん」
「おはよう、東条さん」
私が挨拶しにいくと、岬さんは今朝も麗しい微笑みでかえしてくれる。
そして、岬さんもしばらく私を見た後、
「その分だと、昨夜はハロウィン企画のチェックはできなかったようね?」
と、さっきの真理ちゃんのように面白がるように私の顔をのぞきこんだ。
「えっ…あ…」
「いいのよ、大丈夫。しばらくは企画ものアップしているから」
「や、あの……それは嬉しいんですけど…あの、岬さんどうして…もしかして、私の首元、痕、ついてます?」
小声でそっとたずねると、岬さんは首を横に振った。
「え?今日はついてないわよ。あ、どうして昨夜のことがわかるかというとね、真理ちゃんと一緒に東条さんを見ていたら、真理ちゃんお得意の夫婦仲良しオーラ診断、私も東条さん限定でなんとな~くわかるようになったのよねぇ」
「……み、みさきさん!?」
私がうろたえて岬さんを見上げると、岬さんはほっそりとした手入れのいき届いた指先で私の肩をぽんぽんと軽く叩いて言った。
「大丈夫、そういう素直なところがあなたの素敵なところだから」
「……」
な、なんだか嬉しくないんですけど?
私が微妙な気持ちで席に戻ると、真理ちゃんが寄って来て耳元で言った。
「そういえば、岬さんのハロウィン企画限定の小説、ヒロインたち、縛られてるんでよぉ」
「えっ!?」
真理ちゃんの言葉で、私はさきほどの岬さんとのやりとりも頭の中から吹き飛んだ。
岬さん……夕月わかなさんの『Lovery!』という恋愛小説サイトは、健全学園青春ものじゃ…なかったの!?
新境地!?どうしよ…R18だったら、私、読み進められるだろうか……赤面して、だめかも……。
と、想像を広げていた途端、真理ちゃんがもっと唇を耳元に近づけて、
「縛られてるのぉ、『校則』になんですけどねぇ」
「っ!……まりちゃん」
「あ、東条さん、縛りってことばでぇ、何か『大人なこと』想像しましたぁ?いやぁん、東条さんは純情でいてくださ~い」
「……」
「あ、課長が来ました~。おはようございま~す」
真理ちゃんがパタパタと課長の方へと走りよる背中を見て、私も挨拶のため後に続いた。
心で決心しながら。
――……今日は、絶対、数巳に邪魔されずにハロウィン企画小説にどっぷりはまって、秋の夜長を楽しんじゃうんだから、ね?
Happy Halloween!
fin.
11/1 誤字訂正