八話
それから森から戻ったヴァレスが見たのは、ひどい有様だった。うずくまったメルディスの側に、自分の妹らしき少女の遺体が転がっている。だが顔を潰されていたため、彼女かどうかはっきりしない。ただ、肩から下に、血まみれのブランケットがかかっていた。
ヴァレスは膝をついて、その遺体にすりより、慟哭して側のメルディスに掴みかかった。
「いったい…何があったっていうんだ…おい、メルディス!」
「くが…ぼくが…殺した…」
「なん…」
メルディスはヴァレスを突き飛ばして走り出した。その足はおぼつかないものだったが、負傷してしまったヴァレスは追いかけることが出来なかった。
「嘘だろ…メルディス…、くそっ、呪ってやる!殺してやるっ!うああああっ!」
そして彼の遺体が、村の中央で発見され、今に至った。
静かにこのことを聴いていたロイルは二、三度首を振って後ずさった。
「おい…今の話は何だ…?そいつは死んだんだろう…?どうして僕が殺したっていうんだ…ヴァレス」
「まだ気がつかない?」
イナーシャは立ち上がって、垂れていた前髪をかきあげて真っ直ぐロイルを見据えた。うろたえるロイルへと近づいたイナーシャは、トン、と胸を押す。
「無くした記憶の君の姿が、メルディス・ターナーその人だ」
「う、うそだろう?確かに僕はダリウスという男を思い出して…それがレニだということも知って…」
「嘘じゃない。だったら君は何故、自分は老いないのか考えたこと、なかったかい?」
ロイルはこの場にいる全員の顔をぐるりと見渡して、唾を飲み込んだ。
イナーシャは静かにロイルの隣に並ぶと、背伸びをして耳元で囁いた。
「それは君がもう死んでいる死人だからさ」
「嘘ばかりを言うな!」
ロイルは刀の鞘でイナーシャの脇腹を殴りつけて刀を抜いた。
興奮した脳は制御不能となり、目の前がかすんで見えた。
「死人は…こうして立って話したりしない…そこのセイラだって人形なんだ…そうに決まっている…」
レインは薄く笑って、吹き飛んだイナーシャを見下したように一瞥し、刀を突きつけるロイルの眼前に立った。
「じゃ、思い返してみる?」
すっ、と細長い腕が目一杯伸ばされて、軽く指先がかすめるような速度でレインの人差し指がロイルの額に触れた。
「うわあああああああああああ!」
その途端頭を鋭い痛みが抉り、ロイルは悲鳴を上げて目を見開いた。走馬灯のように膨大な過去の記憶たちが頭の中へと積み重なり、ロイルはそのまま倒れてしまいそうな衝動を感じて目を閉じた。
意識が手放される一瞬、視界に見慣れたハニーブラウンの長い髪が揺れて、ロイルはほんの少し微笑んだ。
「…ロイルさんっ!」
そして彼は記憶の奥底へと沈んでいくのだった。
「これは…一体何の真似だ、マーリス!」
倒れたロイルを抱きかかえて、レニは吠えた。マーリスは今までの事を傍観していて、今度は自分に話しかけられたのだと理解できず、曖昧な笑顔でレニを見つめた。
そして座っていた粗末な椅子から立ち上がって、ロイル、レニの二人を交互に見つめた。
「僕はメルディスが死んだあの日。その子にコアを埋め込む手術を施した。元々、医学的知識が乏しかった僕を助けてくれたんは、兼ねてからこの研究に目をつけとったセイランだった」
マーリスはレニへ顎で車椅子に腰掛ける老人を指し、笑んだ。
「そこにおる老いぼれがそうやね。」
「馬鹿な…セイランは持病で死んでいたはず…!」
「言ったやろ、こいつはコアの実験、ラグナロクを招くこの実験に着目してたんや。ヴァレス」
ヴァレスは声を掛けられ、肩を震わせると、セイランの上着を脱がせて胸元を晒せた。皺がよってだぼついた胸のまわりにはコアの傷が脈打っていた。
「母さんが死んでから、僕は学んだ。死んでからじゃないと、コアは人間に負荷が罹り過ぎる。でもあの男は違った。今は死んだように動かんけど、彼はコアによって若さを取り戻して不死となった」
「若さ…年相応に見えるが…?」
「盲点やったんは、あいつは生きていながらコアの手術を受けたことやった」
マーリスは部屋の人形を一体取り出して、それを意味もなく手で動かした。レニはマーリスを睨んだまま、視線を外さない。ロイルはその間にも記憶の中をさ迷っていた。
「そこであいつは考えて、拾った三人の孤児をこの研究の人柱にしようと考えた。つまり、コアの負担を四分割にしたんや…一人は失敗やったけど」
「まさか…メルディスの手術にも…?」
「そう、そこの二人はそう長く生きられん。コアの半分ほどの負荷がかかっとる。でも、最初のメルディスの実験は失敗した。そこでセイランは、わが子であるエックス…本当の名前をシーラというんやけど。その子で実験したんや」
「自分の、子供を…?」
レニは車椅子で俯いたままのセイランを一瞥し、苦い顔をした。
「それも結局は失敗やった。エックスはコアの圧力に耐えかねて研究室から逃げ出して止めようとした最初のサンプルであるランガーのお嫁さんを殺してしもうた。」
その一言に、イナーシャは唇を噛んだ。
「なんとか連れ戻された彼は研究サンプルとして哀れな一途を辿ってこの前める…ロイルが始末した。自害やったけどな」
マーリスは飽きたように人形の手を離して、にっこりと微笑んだ。
「せやけど僕は見出した。メルディスが助かるコアの有効方法を…!」
マーリスは側で立っていたレインを突き飛ばして、その体を踏みつけた。突然のことに恐れをなしたレインはただ抵抗もできす、怯えた眼差しでマーリスを見上げ、レニは思わず立ち上がった。
「魂が同調できる新たな器を作って、それに不要なエネルギーである記憶を取り除けば、コアの負荷を軽減できると。」
「やめろ!蹴るな!」
「ふふ、こいつは僕が作ったメルディスの器。分かるやろ?人形、やで?」
執拗にレインを粗末に扱うマーリスを制止したレニは、驚いて振り返った。レインはすっかり怯え切って何も話そうとはしない。
「こいつは僕に目にかけて欲しくて本来の器であるロイルに取って代わろうなんか思ってたから、お仕置きしてただけやないか、まあ、そういきり立たんと」
マーリスは少し腰を折って、優しくレインの頭を撫でた。ようやく許してもらえたのか。そう安堵して目をとじたレインは、その後、目を開くことはなかった。マーリスは彼の心臓部に眠るコアを引っ張り出してほくそ笑んだ。
「ご苦労さん。もうお前の役目は終わったわけや」
ごとり、と鈍い音がして、レインは機能を停止した。イナーシャは思わず悲鳴を上げて、レインに駆け寄った。
「…兄さん。たしか僕、アンタを刺した記憶があんねんけど…どうしてアンタ、生きてっしゃるんや」
「…あの日、俺は死んで構わないと思っていた。メルディスの記憶を消していたあの白い部屋からメルディスを逃がし、彼が再び凶行しないよう、見張り、すれば殺す気でいた」
レニは静かに立ち上がって、二丁の拳銃を構えた。マーリスは愉快げにそれを眺めた。
「あの時お前をおかしくさせてしまったのは俺の責任だ、マーリス。だからこのこと全てに決着をつけよう。メルディスが目覚めてしまう、その前に…」
「無謀やね。孤軍奮闘は…」
そして高らかに銃声が響いた。