六話
マーリスは子供分も併せて自分の体重よりはるかに重い母親を抱きかかえてランガーの研究室を訪れた。たまたまダリウスと一緒だったランガーはすぐさま研究室と隣接した病院にマーリスの母を担ぎ込み、取り残されたマーリスは呆然と研究室の前で立ち尽くした。
程なくして、ランガーが帰ってくると、複雑そうな顔でマーリスを見つめた。
「母親は無事かもしれないが…子供は流れているかもれない。」
「…そんな…俺のせいや…」
「何があったんだ…?」
「ターナーの家がうちと同居することなって…それでカッとなって…」
「ともかく、君も落ち着くんだ、今研究室の鍵を開けるからそこで休んで…」
ランガーがそっとマーリスをいたわり、その背中を叩いた。
そしてそのまま研究室で落ち着かせようと歩みを進めると、マーリスに容赦ない言葉が浴びせられた。
「卑怯者!」
マーリスが驚いて振り返れば、そこには付き添って病院に赴いたダリウスの姿があった。勇ましく吊り上げられた眉と目は、威圧感さえ感じられた。マーリスがたじろいでいると、ダリウスはマーリスに近づいてその頬を平手打ちした。
「君は僕達から逃げてばかりで、挙句の果てにこんな結果になってしまって、どう責任を取るんだ!」
「な、俺は…」
「彼女の実の息子だからって、僕の父さんの子供を殺してもいいっていうのか!」
「そんなこと…!」
「やめろ、ダリウス、マーリスだって反省して…」
「うるさい、ランガーお前は黙っていろ!」
ダリウスはランガーの腕を振り払い、二度目の打撃をマーリスに与えた。
マーリスは衝撃でバランスを崩して膝をつき、殴られた箇所に手を添えて何も言えずにただダリウスを見上げた。
「君の母さんは本当の母親のように僕に優しくしてくれる素晴らしい女性だった…そんな女性の子供である君がどんなに僕らターナー家を恨もうが許せた…でも、こんなことなるなら…!」
ダリウスは強く唇を噛んで悔しげな表情をしていた。そこでようやく、マーリスと同じように、目の前の少年は母を愛していたことに気がついた。それからは声さえ出すことが出来ず、マーリスは涙を流した。自分だって、したくてこうなったんじゃない。でももしダリウスと真剣に向き合っていたならば、こんな事態にはならなかっただろう。マーリスはそう自分を責めた。
「もう、顔も見たくない…僕の前から消えてくれ…!」
あの時、母が妊娠していると告げられたとき、マーリスは母親と、自分に対する皮肉を言われていたと感じていたマーリスは、初めて見たダリウスの本音を前にして、あれは喜びを伝えようとしてた意思があったのだとかみ締めた。冷徹そうな印象に振り回されて彼の本質を見抜けなかった自分の愚かしさに、マーリスはただただ絶望感を覚えてうずくまる。
病院に戻っていったダリウスと、うずくまって動かないマーリスを見つめて、ランガーもまた苦しげな顔をするのだった。
それから、マーリスの母親とお腹の子供は奇跡的に助かり、入院することとなった病室で、ダリウスは浮かない顔をしていた。
「ふふ、驚かせちゃってごめんなさいね。この子が無事でよかったわ」
「…はい。本当に心臓が止まってしまうかと思いました…」
「…、マーリス。どうしているかしら?」
「…すみませんが分かりません…、喧嘩をしてしまったので」
「あら」
マーリスの母は穏やかに笑みを浮かべた。ダリウスは申し訳なさそうに口をつぐんでしまい、そんなダリウスを励ますかのように彼女はダリウスの頭を撫でた。
「元気を出して。あの子はいい子だから、きっと許してくれると思うわ」
「…はい」
「私がいなくなっても…兄弟三人で…仲良くしてね」
ダリウスはバッと勢いよく頭を上げて、今にも泣き出しそうな声と顔で強く訴えた。
「軽々しく、そんなこと言わないで下さい…僕はあなたに救われたんです…母さんのぬくもりも皆あなたから教わりました…僕はまだ、あなたと親子でありたい…」
最後は消え入りそうなほど弱弱しく呟いたダリウスに、母はそっと腕をまわして温かい抱擁を与えた。ダリウスはぽろぽろと涙をこぼしてそれに答える。
「血が繋がっているマーリスももちろん大事な息子だけれど、あなただってとても大事な息子よ…弟をよろしくね」
「…はい…母さん…」
そしてダリウスはある決意を固めていた。ぎゅっと握った拳はその決意の現れだといえた。
決意から三日後の夜、その母の死を見つめるまでは、彼の意志は運命に忠実に歩き出していた。