第十一章 パートナー、決別
レニは、まだ癒えぬ傷を体と心に負ったロイルの部屋の前で立ち尽くしていた。
なんと声を掛けるべきか。自分の不注意で拉致監禁されたロイルを助け出そうともしなかった自身をレニは責めていた。現状が現状で、言ってしまえばロイルに構っている暇などなかった。しかしそれでもリックは復興を助ける傍ら、住民にロイルの目撃情報を求めるなどそれなりのことはしていた。
トレストゥーヴェも部下を派遣し、ロイルを捜索していたという。
思い返せば合わせる顔など無い。立ち去ろうとしたレニは、踵を返す。
しかしそんなレニを引き止めるかのようにドアが突如開かれた。
「ロイ…」
「………!」
ひどく焦った様子でロイルはレニを見上げた。寝巻き姿のまま、裸足で飛び出してきたロイルは、レニをじっと見つめて服の袖を引き、中に招き入れた。
レニは突然のことに戸惑い、何も訳を話さずドアを閉めるロイルを怪訝そうに見つめた。
「どうかされましたか?お体の具合が悪いんですか?」
「…レニ、正直に答えろ」
ロイルの額には汗が浮かんでいた。
寝苦しさか、はたまた別の作用か。顔色も悪く、今にも倒れてしまいそうだった。
「お前、ダリウス・ターナーだな?」
レニは呼吸を止めた。
すっと吸い込んだ冷たい空気が、一気に内臓を冷やすような勢いすら感じる。レニは真剣な眼差しで見つめるロイルから視線を外して言葉を慎重に探す。
「私は…」
「お前は、ダリウスという本名で、僕の過去と関わりがあるだろう!言え、言ってくれ、レニ!」
レニは胸元のタイを掴まれて、ようやく視線をロイルに戻した。ロイルはレニが答えないのをもどかしげに待ち、唇を強く噛んでいた。レニは静かに答えた。
「…記憶が…戻ったんですね」
「じゃ…じゃあ…お前は…やっぱり…」
「昔はそんな名前を使っていました。それは事実です。ですが今はレニ・オズボーンとして生きています、それが私です」
「馬鹿なことを言うなっ!」
ロイルは側にあった花瓶を手でなぎ倒した。静かな部屋に盛大な花瓶の割れる音が響き、水が床に散乱した。ロイルは花瓶を倒した手をぎゅっと握り締め、俯いてよろめく。
レニがそれを支えようと手を伸ばすと、花瓶と同じようにそれは振り払われた。
「…僕は…もう誰を信じていいのか…分からない…僕自身ですら…信じていいのか」
ロイルは床に尻餅をつくように倒れこんだ。
レニがロイルを見下ろして、やや、視線をずらす。
「私は最低な男です…どうぞ、軽蔑して下さい…。あなたのパートナーを名乗る資格だって…持ってないのですから…」
レニはロイルの側を過ぎ去っていった。呆然とそれを見つめたロイルは、
部屋を出ようとするレニに声を掛けた。
「…いかないでくれ…レニ」
レニは少しだけ足を止め、振り返ることなく部屋を出て行った。
尋ねたのは自分だ。そう頭の中で言い聞かせるも、ロイルは涙を止められなかった。声にならない悲しみの塊が喉につっかえ、もどかしい痛みを生む。そして完全にレニがロイルがいる空間から気配をなくした途端、ロイルは慟哭して地面に突っ伏した。
そして、激しく胸が痛むのを感じながら…。
「どういうことですか?」
街は明るさを取り戻すまではいかずとも、以前の町並みを取り戻しつつあった。その作業に毎度のごとく参加していたリックは、ケイが尋ね返したのを見つめて、少し顔を逸らして空を見上げた。
深海の揺らめきをその両目で見つめて、リックは遅れて答える。
「だから、ロイルくんとレニさんが、パートナーを辞めちゃったんです」
「あの二人が…一体どうしたというんです…?何かあったとしか思えません」
「それが、俺らも良く知らなくて…、喧嘩したとか、任務での金銭問題とかいろいろ言われているけど」
「それは…心配ですね、ロイルさん、お仕事していないんですか」
「怪我で療養していたけど、命令状が今日貼り出されていて、明日から任務があるらしいです」
リックは見上げていた視線をケイに戻し、心配そうな表情のケイに軽く笑顔を向けた。
「でもあの二人だから、またすぐ仲直りするって…思うんですけどね」
「そうだといいのですが…」
リックがへらへらと笑っていると、その後頭部めがけて丸められた雑誌がヒットした。
痛さから俯いたリックに、ケイが驚いていると、雑誌でリックを叩いた青年は、満足げに鼻を鳴らし、仲むつまじげにベンチに座った二人を交互に見つめて目を細めた。
「いって、何すんだよダリス!」
「さっさと作業に戻れ、色ボケ」
ぱしぱしと雑誌を手のひらで行き来させながら、切れ長の目の青年、ダリスはリックを睨んだ。
リックは涙目でダリスを見上げて、ベンチから立ち上がった。
「最近レイディアンに配属されてきた部下のくせして、どうしてこんなに馬鹿にされなきゃならない訳?!」
「俺の用事はハゲへのリベンジ、上下関係なんて俺には関係ないんだよ、ばーか」
「ハゲとは何事だ、ロイルくんは少佐だぞ?!」
過去に合同訓練でロイルにボロ負けした海軍の兵士、ダリス。ウエンストンは、ロイルへのリベンジを誓って、レイディアンを志願し、今は深緑の軍服に身を包んでいる。だがその胸元には海軍の誇りを忘れないようにと、サメのエンブレムが輝いていた。
リックは大きくため息をつき、ケイに向き直った。
「ごめん、ケイさん。俺、任務に戻ります」
「ええ、こちらこそお引止めして申し訳ありませんでした、また」
「はい、ありがとうございました!」
リックはダリスに突かれながら、任務に戻っていった。
ケイはそんな二人の背中を見つめて、昔、ロイルとヴァレスがあんな風にしていたのを思い出し、
目元をこする。
「ロイルさん…君のこれからの道にもう波乱が訪れませんよう、わたくしは祈るばかりです」