四話
「…る…さん」
誰かが呼んでる声が、ロイルの耳に届いた。体は痛み、とてつもない倦怠感が襲い掛かり、
まぶたを開くことさえ億劫だったが、やがてロイルはほんの少しまばたきをして目を開いた。
その姿を見ていたレニは、ロイルの意識がはっきりしたのを確認して声を上げた。
「よかった、ロイルさん、目が覚めましたか…!」
「ここは…?」
見慣れた一室。そこはアクアドームの自室に違いはなかった。つい先ほどまで、何処とも分からない場所で監禁されていたロイルは、どうして部屋に戻ってきたのか理解できずに少し反応が遅れて
返事をした。
レニは安堵し、そっと毛布を掛けなおすと、管が繋がれたロイルの腕を見てため息をついた。
「先日、ロイルさんがアクアドームの前で倒れているのをキールさんが発見して…とても衰弱なさっていたので心配しました」
「アクアドームの…前?」
「はい、海の側で倒れていたそうです。ご無事でなによりです」
トレストゥーヴェは暫くロイルの手を握って付き添っていたのか、うつぶせて眠ってしまっていた。
ふとトレストゥーヴェを見つめていると、よく似た背格好の少女が確か自分を助けてくれた事を、ロイルは次第に思い出していた。
そして点滴が落ちてゆく様を見つめ、ゆっくりと体を起こした。
「あの…屋敷で見かけた僕と似た顔をした男に会った。」
「えっ…?」
「そして、一緒に暮らすように僕に強制してきたんだ。幸い、その仲間と思われる女に助けられたみたいだが…それと、」
ロイルはさっと寝息を立てるトレストゥーヴェを見つめた。
ちゃんと眠っていることを確かめると、ロイルは小さな声で付け加えた。
「ヴァレスとも…」
「…ヴァレスさんが…?でもどうして彼が製造者の仲間と一緒だったんでしょうか…彼は空軍についたのでは…?」
「もしかしたら、空軍は製造者となんらかの関わりがあるんだろう。武器の不正な取引とかな」
ロイルは包帯で包まれた体に視線を落として、険しい顔つきとなった。
そして、レニが思い出したように、言葉を発する。
「そういえば、ヴァレスさんの妹の遺体が消えていたそうです。墓守のシャルロットさんから連絡があって、アイリーン様が見に行かれたとか」
「…セイラの死体が?」
「まだ何の目的で、誰が持ち去ったかは分かりませんが、墓は元通りの綺麗なままだったそうです」
「…ヴァレス…」
ロイルの足元で寝ていたトレストゥーヴェが身じろぎした。
ロイルはハッと喋るのをやめ、起き上がると、そっとその肩に自分が羽織っていたカーディガンを掛けた。
「僕はランガーに話がある、取りあえず次の任務に出れそうか怪我の具合をドーナに診てもらって…」
パジャマ姿のロイルは、さっとその上に深緑の軍服を羽織ってリボンを胸元のポケットにねじこんだ。
安っぽい革靴を踏みつけて部屋を出ようとしたとき、そんなロイルの袖をぴん、とレニが引っ張った。
「レニ?どうした、まだ何か用か?」
「…もっと、ご自分を大切にしてください、ロイルさん。こうしてまたただ見送って、私はあなたが居なくなってしまわないか、不安です」
ロイルは顔をしかめた。そして暫く俯いたままのレニを見つめていたが、やがて指でさっと指示を出した。
「屈め」
「えっ」
「早くしろ、屈め」
レニが言われた通り屈むと、ロイルはレニに近寄った。そして何をするかと思えば、
まるで子供をあやす様に優しく頭を撫でた。レニは呆然としてその様子を見上げる。
「だったら、お前が捜しにこればいい話だ、違うか?」
レニは酷く真面目な顔をしたロイルをぽかん、と見上げて、やがて滅多に大笑いしないのだが
腹を抱えるようにしてレニは笑った。
ロイルはだんだんと恥ずかしくなってきたのか、屈んだままのレニの頭を今度は小突いた。
「きさ、貴様、僕が慰めてやっているというのに、この、」
「あはは、だっ、だってロイルさんが、あんまりにも真剣だったんでつい…!」
「チッ、とにかく僕は出かけてくるから!トレストゥーヴェに居てくれてもいいと伝えておけ、いいな!」
「…はは、分かりましたよ、ロイルさん」
フン、と急に不機嫌になったロイルを見つめて、レニは笑いきったあと小さなため息をついた。
「本当に、居なくなってもらっては困ります…からね」
「イナーシャ!」
旧ソルワット邸。その姿はすっかり長い年月で荒れ果て、見る影もなかった。
だがそんな枯れ果てた屋敷の最奥には、長年マーリスがアトリエとして使っていた
秘密の部屋が存在した。レインはどすどすとわざとらしく足音を鳴らし、昔はアトリエだったその一室で機械をいじるイナーシャに詰め寄って、プツン、と機械の電源を落とした。
「…何だい、レイン」
「君、勝手にロイルを逃がしたろ?初期が出て行くお前と抱えられたロイル見たって教えてくれたんだ」
「全く、これだからジャンクは口が軽くて頭が悪い…」
イナーシャは椅子を回転させ、不機嫌そうなレインの顔を見つめた。
レインはイナーシャの胸元をぐっと掴みあげて片方の手で延び放題の前髪を掴んだ。
「僕に、喧嘩売ってるの?」
「どうしてそうなるんだ、レイン。僕は初期のことを言っていただけだろう?離して」
レインは前髪を掴んだ手を上に上げて、痛がるイナーシャの顔を覗き込んだ。
イナーシャはレインを睨んで、手で何とかレインを振り払おうとやっきになった。
しかし体力差が男女である以上離れていて、レインは更に髪を掴んだ手に力を込めた。
「僕が兄さんに怒られてしまったら、お前、殺してやるからな」
「…レイン、どうしてロイルをそんなに憎むんだい…ロイルは君の…」
「あいつは僕から何もかもを奪ったんだ、元は、全ては僕であるはずだったんだ!」
「い、痛いっ、やめてっ!」
がたん、と椅子が大きくしなって、そのまま二人は床に倒れこんだ。やっと開放されたイナーシャは、頭を抱え込んでうずくまるレインを見下ろした。
「これが憎まずに…いられるものか…」
「レイン…」
イナーシャは声を掛けることが出来ず、ただ立ち尽くした。悔しそうに唸って、一向に起き上がらないレインの声を聞きながら、イナーシャは苦々しい顔をするのだった。