三話
食事が終えて、皆がデザートを運ばれて来る頃、頑なに料理を口にしないロイルの前にはまだ前菜がぽつんと置かれていた。
レインは給仕が淹れる紅茶のカップを揺らしながら、困ったように笑ってため息をついた。
「ロイル、ほんとに意地っ張りだなあ、食べなよ。待っててあげるからさあ」
「………。」
「それとも無理やり突っ込んじゃおうか?はい、口あけてー」
「僕は…甘い物以外…食べられないんだ」
「…は?」
レインは持っていたウニの乗ったカナッペを皿に戻すと、呆れたようにロイルを見つめた。
ロイルは俯き、指先に力を入れて手持ち無沙汰に指を絡めたり離したりを繰り返した。
レインはロイルのカナッペを口に放り込んでにやにやと俯いたままのロイルを見つめた。
「なるほど…アレの効果で食べられないんだね…」
「アレ?」
「ここの胸が、痛んで受け付けないんでしょ?」
つんつん、とレインが胸を触った。そこには血管のような管が張り巡らされた大きな傷跡があった。
ロイルは思わずレインを凝視し、レインは嬉しそうに笑ってみせた。
「な…」
「知ってるよお…僕は忌々しくもロイルのことは何だって知っているんだから…」
レインはそっと皿からもう一枚残っていたカナッペを手のひらに乗せて、片方の手でロイルの顎をしっかり掴んだ。
ロイルは勿論抵抗して、何か言おうとしたが、ヴァレスが席を立って、そんなレインの手助けをして無理やり口を開かせた。向かいの少女は心配げに立ち上がって制止しようとしていたが、
ロイルの口にはもうカナッペが押し込まれて無理やり口が閉じられた。
「う、おえっ…!」
物凄い嘔吐感がロイルを襲い、今食べたばかりのカナッペが口からあふれ出した。
レインは大きくのけぞってその様子を笑い、ヴァレスはただ冷酷に離したロイルを見つめた。
少女は急いでロイルに駆け寄ると、嘔吐を繰り返すロイルの背中を撫でた。
「あはは、ごめんごめん、でも今なら食べれるかなって思ってさ、ヴァレスとお手伝いしてあげたんだよ。イナーシャ、庇わなくていいんだよ?」
食べたものを吐き出しても嘔吐は止まらず、胃に僅かに残っていた胃液すら吐き出してしまい、ロイルの顔色は急変した。イナーシャと呼ばれた少女は心配そうにロイルの顔を覗き込み、
前髪で隠れた瞳でレインを睨んだ。
「レイン、これはやりすぎだろう?こんなことしてどうなるんだ」
「ふふ、いい子だね、イナーシャは。じゃあ、もういいよ、新しい部屋を用意したから、そこで休みなよ、ロイル」
エックスはその様子をどう思うでもなくただ傍観していた。
皿に乗っていたエックスのケーキはぐちゃぐちゃにかき回されてそのままフォークは投げ出される。
イナーシャはゆっくりとロイルを抱えて、口元をハンカチで拭くと
ダイニングの出口へ向かった。
急に興がさめたのか、レインはつまらなさそうにその様子を眺めていた。
「どうせあいつ××なのに、変なの、ね、ヴァレス」
ヴァレスは答えず、ただデザートを食べきろうと一口分にフォークの切れ目を立てるだけだった。
そしてその目には、深い悲しみが広がっていた。
小さな一部屋に連れて来られたロイルは、部屋を占領する一台のベッドに横たわらせられ
天井を見上げた。吐き気は治まったものの、何の気力も湧かなかった。
イナーシャはロイルに水を飲ませて、一度部屋を出た。
もう一度戻って来た時には、デザートで出されていたケーキがその手にあった。
「何か食べたほうが…いいよ。君はビスケットを主食にしてるんだったね…失念していたよ」
ロイルはけだるい体でイナーシャを見つめた。長い白衣に身長より長い髪が垂れ下がっていて、
顔と体を包んでいるようだった。それにしては輝くような銀の髪を持つ少女に、
ロイルはつい、緩んだ頭で首を傾げて
「トッティ…」
と呼んだ。
途端イナーシャは肩を振るわせて大げさなほど驚いていたが、
やがて側の机にケーキを置いて、そっとロイルの側に腰掛けた。
「あの子のこと、そんな風に呼んでいるだね…ロイル」
「…お前は…誰なんだ?」
「…君は知らなくてもいいんだよ、さあ寝なよ、起きたらケーキを食べればいい」
瞼が重くなって、言われた通り、ロイルは目を閉じた。
イナーシャは規則正しく寝息を立て始めたロイルに安堵して、そっとその髪を撫でた。
「君にはもう少し記憶を思い出すために外にいてもらわなくちゃいけない、明日僕が出してあげるからね、ロイル」