二話
ロイルはしばらくヴァレスと見つめ合って立ち尽くしていたが、やがてヴァレスが視線をはずしてロイルの斜め向かいの席に着席した。ロイルはただ何も言えずヴァレスの顔を見つめていたが、ついに堰を切ったようにヴァレスの目の前へ行き、その胸倉を掴んでまくしたてた。
「貴様…!どうしてこいつらと一緒にいるんだ!空軍の奴らと一緒じゃなかったのか、おい、答えろヴァレス!」
「…お腹の傷は平気そうだね…ロイル」
「何を…!」
ロイルは思わず激高して手を振り上げた。先ほどまでの弱弱しさが全く嘘であったかのように
力強く振り上げられたその手は、レインによって阻まれた。
「修羅場中悪いけどさ、もうご飯にしない?ね?お腹空いているでしょ?」
ギリッと腕が悲鳴を上げそうなほど強く掴まれ、ロイルはその手を振り払った。
離された腕にはレインのつけた痣が残り、ロイルはレインを睨んだ。
レインはへらへらと笑ってロイルの背中を押して、無理やり着席させると、二度手を叩く。
するとドアが開いて次々と給仕が現れて食事の準備を始めた。
「さて、僕は君に話があってね、ロイル」
レインは隣に座ったロイルを見つめて、笑顔を作った。
前菜が配られていくのを眉を寄せて見ていたロイルは、視線を自分に向けるレインを見つめ返す。
「エックス、ほら君の向かいに座ってる少年だけど…が、君を見つけてね、偶然」
その偶然という言葉を強調したレインはわざと偶然ではないことを示唆して皮肉げに言った。
ロイルは特に何を言うでもなくじっと座って、エックスと呼ばれた少年を見つめた。
あの日出会った時怪我をしていたとはいえ、人形を専門とした特殊な軍人であるロイルを負かしたエックス。自分の腕を疑わないロイルは、彼の異常な強さ、そしてあの時見た残忍さは一体何だったか思い返す。今目の前で食事を楽しそうに待つ少年と、明らかに雰囲気が違う。
まるで人を殺すときは別な人物が乗り移っていたような。
そんな気がロイルはしていた。
「それで君を殺さないでって頼んだんだけど…どうかなロイル。僕達と一緒に暮らさないか?」
「な…何を馬鹿なことを…!」
「勿論僕だって嫌だよ~?だけども少し君に用事があってね…一緒に暮らせたら楽なんだよ、こっちはね」
「ふざけるな!」
ロイルは皿を置こうとした給仕の手を叩き払い、室内は割れた皿と高く床を打ちつける食器の音で満たされ静かになった。
レインは顔の前で手を組んで蒼穹の瞳を細めると、小さく笑った。
「ロイル、君は一つ誤解している」
かちり、と特殊な人工物の音と共に、ロイルのこめかみに冷たいものがあてられた。
ヴァレスが手に持った小型拳銃。ロイルはぐっと歯を食いしばってレインを睨んだ。
「これはお願いじゃないんだよ…ふふ、まあいいよ。ロイルの前菜、新しいの持ってきて」
ヴァレスはロイルに目でもう一度座るように訴えて、ロイルは大きくため息をついて
椅子に腰掛けた。ロイルが大人しく座るのを見てから銃を下ろしたヴァレスも、また自分の席に座った。
「大丈夫。ほんの少しだけだから」
「何が目的だ…?」
「…その質問こそが…罪深いね、ロイル」
ろうそくの火が、貼り付けただけのレインの笑顔をぼんやりオレンジに染めていた。
その場に会話はない。ただ沈黙と食器が鳴るだけの奇妙な空間に、
数日何も食べていないロイルの胃袋は吐き気を訴えていた。
「アイリーン、いるか」
アクアドーム最上階、アイリーンの私室にやってきたランガーは、その部屋の前でノックと声まで掛けた丁寧さで相手を伺った。
アイリーンは束ねた長い髪を鬱陶しげに払って、返事を返した。
「ランガーか、入れ」
促されたランガーは、室内に入った。
アイリーンは普段とは違い、地味な服でやたらと露出していた服は何処へやら。
胸元はきっちりリボンとボタンで留められ、ガーターベルトが巻きついていた魅惑的な足は
黒いストッキングで隠されていた。
「どうかしたのか?数日カミュの修復作業で疲れていたお前がわざわざ私の部屋に訪れるとは…」
「…?お前こそ何かあったのか?疲れきった顔をしているぞ」
「私のは仕事の疲れではない、気にするな」
「まあいい。お前に調べて欲しいことがある」
「何だ?」
ランガーは着物の裾から一枚の写真を取り出した。
アイリーンが受け取り、その写真を確認する。写真には初老の東洋人が写っていた。
「こいつは…見覚えがあるな…たしか空軍で軍師をしていたか…?マーリスのアトリエで一度会ったことがある」
「その通りだ。名前はセイラン・リー。こいつが今どうしているか調べてくれ」
「構わんが…何の用事だ?」
「そいつに尋ねたいことがあってな…。生死だけでも構わんから分かったら私の家に送ってくれ」
アイリーンは写真から顔を上げて、険しい表情となった。
ランガーは次、何を言われるか何となく検討がついたが、黙って彼女の顔を見つめる。
「ロイルは…まだ見つからないのか…」
「みたいだな」
「最近頻発する噂と殺人事件も心配だ…カミュにセキュリティ改善を頼んでくれないか」
「分かっている、今日にでも伝えておこう」
「しかし…」
アイリーンは苦い顔をして俯いた。
立ち上がって静かな町並みを見下ろす。すっかり家から出なくなった住民たちの灯す明かりが
点々と広がっている。アイリーンは窓に手をついて反射する自分の顔とランガーの姿を見つめた。
「私たちは、ロイルに出会ってはいけなかったのかもしれないな…それがあの子の為だっただろうに」
ランガーは眉を寄せた。
ふと今日見た昔の夢を思い出した。
そしてつい、左目の眼帯をそっと触ってしまうのだった。