第八章 美しき記憶
カミュは、以前の機能を取り戻して完全に修復された。
数日ろくに睡眠を取れなかったランガーはすっかり疲れ果てて眠り、カミュはそんなランガーの部屋の掃除などを行い、修復を感謝していた。マリアはロイルが失踪した連絡を受けて以来、落ち着きなくランガーの部屋を往復するばかりだった。
「腕の機能もばっちり~ああ、やっぱり僕は訓練向きじゃないなぁ~」
「良かった…貴方がいないと出来ないこともあるのだもの…もうランガー様のことは気にしなくていいからお仕事に戻ってね」
「勿論だよマリア~、マリアもそんなに気を落とさないで~」
マリアは弱弱しくカミュに笑みを返した。
「おかしいわね…。私は人形…ロイルを心配するなんて故障かしら…」
「君は特殊型だからねぇ…故障ではないと思うよ…?」
「そう…かしらね」
カミュはポケットからチューインガムを取り出し、噛み始めた。
勿論だがカミュには味覚などない。しかしガムは食べる、ということのいわば疑似体験が楽しめるお菓子であり、人形のカミュにとってそれは娯楽のようなものだった。
ぷくっ、と広がったイチゴ味のガムはパチンと破裂してカミュの鼻元をべったりと汚した。
「まあロイルなら大丈夫。簡単に死なないよ~」
「そうね、私も仕事に取り掛かるわ、ありがとう、カミュ」
「どういたしまして~」
マリアは寝込んだランガーに薄い毛布を掛けた。
少し身じろぎしたランガーを見つめて、マリアは柔らかく微笑むのだった。
「話がある」
―十数年前―
研究室でまどろんでいたジュリアは、嫌に真面目な顔をした男を見上げて、ふっと微笑んだ。
その頬は真っ赤に紅潮し、いつもはポケットに突っ込んだままの両手を今日ばかりは片手を出して握るよう促していた。
ジュリアはその冷たい手のひらを両手で包み、男を見上げた。
「何かしら?ランガー?」
「そのっ、中庭に出て話さないか」
「ええ、いいわよ」
中庭は落ち葉で溢れていた。ブーツのヒールでその落ち葉を噛むように踏みつけながら
二人は中庭の中央、テラスにやってきた。
日差しは弱く、少し曇った秋の空。ランガーは落ち着きなく足を動かしていた。
「寒くなってきたわね…」
「ああ」
「あなた、軍に入るまではとても幼くて女の子みたいな顔をしていたのにすっかり大人の顔ね」
「な、何がいいたい」
「別に?」
ジュリアはくすくすと笑んで白衣から両手を出して、赤くなった両手に息を吐いた。
ランガーはそんな両手を包み込み、唇を噛んでようやくこの一言をつむぎ出した。
「結婚…しないか?」
ジュリアは目を丸くして、やがて大げさなほど笑い始めた。
まさか笑われるとも思っていなかったランガーは慌ててジュリアに反論した。
「な、何故笑う!」
「だ、だって何の話しかと思えば…プロポーズだなんて…!普通こんな寒い枯れたテラスですることなの、あは、あはは!しかもしないかって!」
「ジュリア!」
「ふふ、ごめんなさいふふふ、」
やがて少し拗ねたランガーを見つめて、ジュリアは笑うのをやめ、その額に自分の額を寄せた。
そして温かい声で返す。
「…嬉しいわ…ランガー」
「じゃ、じゃあ…」
「これから、よろしくね。旦那様」
ランガーは思わず強く、ジュリアを抱きしめた。ジュリアは少しおどけて笑っていたが、
その両腕でランガーを包み返した。
「愛しているわ、ランガー」