四話
意識を取り戻したロイルは、鈍く痛む頭を押さえて起き上がった。膝を抱えて泣いていたトレストゥーヴェはハッとしてロイルの側に駆け寄った。
「ロイル!」
ロイルはレニを一瞥する。レニは肋骨が損傷しているのか、うまく立ち上がることが出来ない様子で、ロイルはのろのろ立ち上がってレニを抱え上げた。トレストゥーヴェはレニの反対側を支え、ようやく立ち上がった三人の間には、気まずい雰囲気が漂っていた。トレストゥーヴェはレニの右側を支えるロイルを見つめて、またすぐに視線を落とした。
「…すみません、ロイルさん、トレストゥーヴェ…」
「馬車を呼ぶ間また降ろす。僕は残党がいないか見て回るから、馬車が到着したらすぐに乗り込め」
「…はい」
ゆっくりと階段を降りながら、ロイルは胸に渦巻く感情の整理が出来ないでいた。
自分と全く同じ顔をした少年と、海軍からやってきたデンのスパイだった真実。
そして、何故か蘇った記憶の一部分。全てのパーツが当てはまらない。頭は益々混乱するばかりだった。カミュが破壊されたのにも理由があるのかと、巡らせた考えの謎は何倍にもなって深まる。
するとレニはそんなロイルの心境を読み取り、声を掛けた。
「バークホークに関してなんらかの不正があって飛ばされたことは、将校からお伺いしてない事実でした。ロイルさんが訓練場で気づかなかったのも無理ありません」
「慰めか?だったらトレストゥーヴェにしてやれ。あいつのパートナーだったはずだ」
「いいえ、あくまで意見です。お忘れ下さい」
レニはそれ以上何も言わなかった。
やがて扉が外れてしまった玄関のロビーへ戻ってきたロイルは、そっとレニを降ろして刀を構えた。
「ここにいろ。危なくなったらすぐに僕を呼べ」
「うん、ロイルも気をつけて…」
激しい雨の中、いざ飛び出そうとした瞬間、大きな馬のいななきが響き、ロイルはとっさに玄関から離れた。すると暴れるように乱暴に屋敷へとつっこんだ馬車が一台、ロイル達の目の前で停まった。
「ロイルさん…!」
「キール…?どうした、僕はまだ呼んでないが…?」
「大変です、アクアドームが空軍に占拠されました!」
「な…何だと…!?」
レニとトレストゥーヴェは焦った表情で顔を見合わせた。
顔色を変えたロイルは、急いでレニを担ぐと、馬車の扉を開いた。
「何故空軍が…アクアドームを…!」
「お急ぎ下さい!このままでは民が危険に晒されます!」
「分かった、すぐ出してくれ!」
一難さってまた、一難。不安で揺れるロイルの心は焦燥した。
胸に描いていた何よりも大切な存在がかすむように感じる。鞭を打たれて再び走り出した馬車は悪路をひたすら走りぬける。雨が叩きつける空は不機嫌そうなトラのように、大きく唸り声をあげ始めていた…。
「我々、空軍三七隊はこれより、人形殲滅など国家反逆にも等しきゲリラ組織である、レイディアンに制裁を加える」
空色の軍服に身を包んだ若い軍人たちが、一糸乱れぬ動作で敬礼し、その指揮を執っていた男を皆一斉に見つめていた。男、ゴードンは胸に巻いたスカーフの奥から金色に輝く勲章を取り出し、目立つ位置につけ、しばらく戦場の幸運を祈って目を閉じた。紋章にはサメが悠々とした姿で彫られてあり、光を受けて何度がきらりと光ってみせた。
ゴードンはサーベルを腰からすらりと抜くと、澱んだ空をぼんやり映し出したアクアドームの天井へ掲げる。
それが合図のように一斉に軍人たちが剣を抜き、戦場と化したアクアドームを走り出した。
「この要塞は海に作られているため、守りが浅い。まさか、人間が攻めてこようと思っておらんからな…」
アクアドームの街は戦火に包まれた。しかし、逃げ惑う人は少なく、皆が家の中でじっと空軍の動向を追っているものが大半を占めていた。彼らはこうなることを想定して、この場で住むと決めた民。刃を向けられようが、火を放たれようが、その崇高な精神が誇りある死に様を選ばせていた。
ロイルが到着した頃には、空軍の戦闘機がぐるりと空を覆っていた。
風は強かったが雨が止んで、空はすっかり兵器の色に染まっていた。
ロイルは舌打ちをすると、キールへ二人を任せて馬車を飛び出した。
切りかかってくる兵士を打ち飛ばし、アクアドームを駆け抜ける。幸い、住民は手出しをされず事が済んだ様で、ひどく荒れていることはなかった。
基地へ向かって走っていたロイルは一刻も早く基地にいるマリアが無事であるか確かめたく、
兵士が固まった正面を避けて回り道をした。
レイディアンの軍人たちが、空軍の兵士と刃を交える音が飛び交う中、基地の側面の防護壁から軽々降り立ったロイルは、ふとあの巨大なコアの倉庫が開いているのに気がついた。
「まさか、空軍の狙いは…コア…!」
ロイルは逸る気持ちを抑えて、倉庫へ向かって走り出した。
すると、倉庫に人影を発見して、ロイルは思わず、身を潜めた。
へたり、と床に座り込んだ人物に目を凝らし、ロイルは眉を寄せた。
「…ヴァレス…?」
その声に反応して、ヴァレスが顔を上げた。目は腫れぼったく、泣いたことは明確だった。
ヴァレスは誰?と身をこわばらせていたが、ロイルの顔を見つめて一転、安堵のため息をついた。
「ろ、ろいる~!」
「おい、一体何があった、中はどうなっている?!」
「う、うん。俺…逃げる途中、迷子になっちゃって…それでここに来たらコアの倉庫が荒らされていて…中は多分、ルイスたちが応戦してる。アイリーン様に近づけさせないために…」
「それで、人形たちは…?」
「…マリアはどうだか知らないけど数人、応戦してたと思う…俺、逃げちゃったからよく分からないんだけど…空軍の軍人が沢山入ってきて…」
「セキュリティはカミュがいないため自動にしたらしいな…それがバークホークの狙いか…?」
ロイルは荒らされた倉庫を眺めて、しがみついていたヴァレスを引き剥がした。
棚に厳重に保管されていたコアは箱だけを残しほとんど全てが回収されていて、ロイルは親指の爪を噛みながらその棚一つ一つに目を遣った。
ヴァレスはしばらく震えていたが、ロイルの背中を見つめて、立ち上がった。
「ロイル…」
「おい、ここはお前が来た時にはもう荒らされていたのか?」
背をむけたまま尋ねるロイルに、ヴァレスはゆっくりと頭を振った。
「ううん、俺が来たときに開いたんだよ」
「何?じゃあ、お前、隠れていたのか?」
ヴァレスは俯いて更に首を振った。
「ううん、ロイル、俺が開いたんだよ」
「えっ…―?」
腰の辺りが嫌に熱かった。ロイルは振り返ろうとした瞬間、その腰への衝撃でバランスを崩し、大きく傾いで倒れ込んだ。ヴァレスは手に持っていたナイフの血を払うと、悲しげな表情でロイルを見下ろした。
「ごめんね、セイラ…兄ちゃんやっぱり、お前を思い出になんて、出来ないよ…」