九話
ロイルはその後、何かを思案するように黙っていた。トレストゥーヴェはどんな記憶だったのか、触れてみたい気持ちがあったが、ロイルの様子を伺う限り、尋ねられる様子は無かった。
部屋を出たロイルは次に、二階へと足を運んでいた、軋む階段をとんとんとゆっくり歩きながら、ロイルはトレストゥーヴェに振り返った。
「そんなに心配げな顔をするな…別に機嫌が悪いわけじゃない」
「えっ?…そんな、心配げだなんて」
「…別に、そうでないならそれでいい。だが僕は別にさっきのことを気にしてるわけじゃないと言ってるんだ。頭がまだ痛むが、平気だ。まるで他人事だったからな…」
そう言い、ロイルは再び顔を上げて階段を上り始めた。
トレストゥーヴェは微笑し、ほんの少しロイルの優しさをかみ締めてその背中を見つめる。先ほどまで気になっていたロイルの過去も、それほど気にならなくなった。
ふとロイルが足を止める。
再び頭痛でもしたのかと驚き、トレストゥーヴェもまた足を止めれば、ロイルはトレストゥーヴェをかばうように両手を開き、低く身構えた。その手にはいつの間にか刀が握られている。
「ロイル?」
「お前は、ここの屋敷に住み着いているのか?」
トレストゥーヴェに投げかけた言葉ではなかった。恐る恐るトレストゥーヴェがロイルの視線の先を追うと、そこには清楚なエプロンドレスに身を包んだ少女が立っていた。歳はトレストゥーヴェと変わらないほどか。ロイルの反応からして人形なのだろうが、顔はよく見えなかった。
「ソチラこそ、勝手に我が主のお屋敷ニ進入しておいてナンですか?あなた方はドチラ様でしょう?」
ロイルは眉根を寄せた。音声機能がおかしい。ところどころ音が飛んだその発声は、ロイルには聞き覚えがあった。
「お前は…初期号だな…体のつなぎ目も露出してある古い型だ…」
「はイ、わたくしハ第一号機初期タイプ…今から一億八千九百二十一万六千秒前に一度整備を受けた以来ずっとこのままデス」
「…記念すべき、第一号機がいるということはやはりここは、工場で間違いなさそうだな…」
「工場?」
ひたとロイルを見据えて、一号機は不思議そうな表情をした。しかしながら彼女には表情を作る機能も備わってないのか、依然として無表情には変わりなかったが、ニュアンスとしてそんな風だった。
「ナニカ…勘違いをなされてイマス様です。ここは主のお屋敷。随分前に主はお引越しナサレましたが、ここで人形を製作なされてイた時はお一人でしたカラ、工場とは呼べまセン。あえていうなればそう、アトリエですネ」
「アトリエ、じゃあ作っていた数はなんと説明する…ここは相当野ざらしだが、お前は六年ほど前には一度整備されていると言った。どういうことだ…?」
「わたくしの口カラはなんとも言えまセン。しかし、どうぞ、ご自由に見学なサッテ下さい。別に阻止など致しマセン。」
一号機はくるりとリボンを揺らして背を向いた。
ロイルは肩透かしを食らったようにしばらく唖然としていたが、トレストゥーヴェに振り返ってもう一度刀を握る。
「おい、待て!そこまで言うのなら、お前がこの屋敷を案内しろ。だがいいか、僕たちはお前たちの敵…少しでも怪しい真似をすれば僕はお前を容赦しない」
「…案内はして差し上げマス。しかしながら、理不尽ですネ。その物騒な考えはおヨシになって下さい。」
一号機は振り返ってロイルを一瞥する。ロイルは一号機を睨みつけ、大きく深呼吸をした。
「僕は人形を信用しない、それだけだ」
一号機は薄暗い廊下にマッチを擦って明かりを灯した。
片手の小さくなったろうそくへ火を灯し、一号機は再び歩き出した。
「この奥ハ主の私室が続いております。どうぞ足元に気ヲつけて下サイ」
ぽつぽつと火が燃える小さな音を聞きながら、ロイルは廊下の奥を見遣った。
明かりを灯したことで更に影を増した廊下の闇がほの暗く、
進入した二人を招くようにぽっかりと口を開いていた。