二話
医務室から出たロイルは、訓練場から伸びている長い通路を一人歩いていた。
その顔はどこか穏やかで、歩きながらロイルは様々なことを考えていた。まずはバークホークのこと。次にカミュの状態。最後にはランガーの部屋に居なかったマリアのことを想った。
ふと歩いていると、向こう側で立ち止まっている長身の男を見つけて、
ロイルはその男―レニの前で足を止めた。
「…レニ」
「おはようございます、ロイルさん二日ぶりですね。ご機嫌も良さそうですし、何かありました?」
「…何がだ。そんなことより用事か?こんな所で僕を待って突っ立ってるなんて」
「はい、仕事の話ですが…」
「それで十分だ」
奪うようにレニから調査書を受け取ったロイルは、ほぼ白紙のその紙を見つめて顔をしかめた。
紙にはアイリーンの直筆で、至急私の部屋に来ること。
と走り書きされていた。ロイルはレニに紙をつき返すと、ぎろりとレニの顔を睨みつけた。
「何だこれはこんな事は異例だ…何かあったのか?」
「さあ…それは私には分かりかねます。いつも通り私の部屋のポストに入っていましたので」
「全く面倒な女だ…」
ロイルはニコニコと笑むレニの横をすり抜けて歩き出した。急に不機嫌になったロイルに苦笑しつつ、レニはロイルの後に続いてエレベーターへ向かって歩き出した。
日は落ちかけていた。静かに揺らめく海の姿は、どこか不安げにその凸凹な二人を見下ろす。そうして暗雲が立ち込めていくように、この一枚の指令書が、レイディアン丸々全体を巻き込む騒動となるとは、彼らに知る由もなかった。
ロイルはアイリーンの部屋のドアを乱暴に開くと、葉巻を燻らせていたアイリーンを見つけてレニが渡された紙を突きつけた。アイリーンはまだ長い葉巻をジュっとテーブルの角にこすり付けて、不敵な笑みを浮かべた。
「意外に早いじゃないか。感心だな」
「うるさい黙れ、さっさと事情を説明しろ」
「やれやれ、お前といい、ランガーといい、身勝手な奴らだな…」
アイリーンは腰掛けていたテーブルから降りると、ロイルの手から落ちた紙を拾い上げてくずかごに捨てた。やたらと険悪な雰囲気を出すロイルに呆れながら、アイリーンは腕を組んでロイルを見下ろした。
「海軍との訓練もよくなかったらしいな、まあ仕方あるまい。そんなに刺々しくなるんじゃない。実は今回の任務は二組のペアで行ってもらいたいのだ」
「何の任務なんだ」
「まあ、待て。相手のペアが来てから話そう」
アイリーンは閉じていた窓を開いた。風のないレイディアンの街。活気に満ち溢れた人々の声が今にも聞こえてきそうな街の熱気とぼんやりとした家々の明かりが見える。
アイリーンはアクアドームが出来たばかりのことを思い出しながら、
ロイルに振り返った。早く帰りたそうなロイルのあからさまに不機嫌な表情に思わず笑みがこぼれた。
「なあ、ロイル。お前はここに来たばかりの事を覚えているか?」
ロイルはしばらく黙っていたが、やがて重々しく返した。
「…勿論、覚えている。殺風景なドームは真っ暗で、その真ん中にこの建物があった…」
「私は、正直後悔しているのだ…。こんな街にしてしまって、守るべきものが増えたことを…」
「…じゃあ、あのままが良かったのか?」
「ここは要塞だからな…。民衆を巻き込む形になったことを後悔してもおかしくはあるまい。だが、ここの民達には感謝している。何も無い海で生活する、基盤となったのだからな…」
ロイルは以後、言葉を返さなかった。同意するのか否定するのか。その心の全ては分からないが、何か想うところがあるのだろう。黙ってしまったロイルを一瞥して、アイリーンは穏やかに笑った。
「いつか、本当の平和がやってくるのが、私の夢だ」