第六章 暁の反逆者・前編
ここから少し長い話になります。物語が急変していくと思いますので、どうかお付き合い下さい。
男はゆっくりとワイングラスを傾けながら、窓に広がる大海原とその海面にゆらりと青白い影を落とした月を見つめた。
「なぁ、どう思う?」
男の言葉には訛りがあった。男に語りかけられたゴードンは傅いていた頭を上げ、同じく窓の外に視線を遣った。しかし今のゴードンには月や海をみてもただの絵のようにかすんで見え、眼前の男だけがゴードンの視界を埋め尽くす。ゴードンは男に頭が上がらなかったからだった。
冷や汗を感じながら、ゴードンは低音で返した。
「いえ、私は特に何も」
「そうか?似てへんかなぁ、まあるいお月さんに大海原…まるで、僕の弟みたいやと思わんの?」
「…はい、確かに…」
「あかんなぁ、僕は察しの悪い子ぉは嫌いやよ?」
男はくすくすと笑って飲みかけのワインをゴードンの頭へと容赦なくかけた。
「今度…あない目立つ動きしよったら承知せんよ?」
「…申し訳ありません…、」
冷たいワインと優しげな声音に対して冷酷な男の行動に、ゴードンは思わず肩を震わせて男を見上げた。狐のように細い男の目は鋭利な視線を送る。ゴードンは再び頭を下げて震える声で続けた。
「マーリス様…」
医務室のドアは締め切られていた。りんごのかごを片手にその締め切られたドアを開いたロイルは、うんざりとため息をついて収容されたレイディアンの軍人たちを見遣った。
その大半が先ほどの訓練で負傷して運ばれた者で、医務室担当のニューハーフ、ドーナは忙しそうに走り回っていた。
「ドーナ、少し聞きたいんだが…」
「後にして頂戴な!あーたが私の仕事増やしてくれたおかげでこちらは手が足りないの!」
「そうか、なら好きに捜す」
派手なスパンコールの服をぎゅっと握り締めてヒステリックな声をあげたドーナに、ロイルは面倒そうに手を振って医務室内を見渡した。
ベッドが足りないのか、床に横たわった数人の兵士を跨いでカーテンが引かれたベッドへ向かう。シャ、っと断りもなくカーテンを開いたロイルは、目的の人物を見つけて眉根を寄せた。
「なんだ、元気そうじゃないか。ウエンストン」
ダリスは突然入ってきたロイルに驚き、しばらくロイルを無言で見つめた。
ロイルはりんごの入ったかごを側に置いて、小さな丸いスに腰掛ける。
かごからりんごを取り出したロイルはダリスに話しかけた。
「訓練は先ほど終わった。海軍とも手合わせするはずだった人形が壊れたからな」
「…何しにきたんだよ」
「見て分からんか?りんごを持って医務室に来るとすれば理由は一つだろう?」
ロイルは胸元から取り出したサバイバルナイフで丁寧にりんごを切り始めた。
ダリスはその慣れた手つきに少しばかり感心してその様子を見つめた。
「俺をボコボコにして笑いにでもきたのか」
「…好きに思っていろ。りんごに毒でもあるのか、ナイフで刺されるのかとかな。」
「じゃあ何だってお子様に看病されなきゃなんねぇんだよ。」
「たまたまりんごがあったんだ…」
少しだけ赤い部分をのこしてうさぎの形になったりんごを皿に移して、ロイルはそのうち一つを食べながら新たにりんごを取り出した。
「…うさぎ」
「さっさと食え、色が悪くなる」
「うさぎ形なんてやっぱりガキだな、お前」
「…黙れ」
ピッとナイフを突きつけたロイルに両手を挙げて、ダリスは肩をすくめた。ロイルは脅しが効かないと分かると再びりんごに向かった。ダリスはじっとりんごを見つめていたが、手は出さなかった。
「お前、腕に自信があったろう」
「…だからなんだよ、やっぱり嫌味か?」
「…いや、それは僕も同じだ。自分の腕を過信している。」
ロイルはりんごをむいていた手を止めてどこか遠くを見つめた。
ナイフを持っていた手でそっと胸元のリボンを手繰り寄せ、再びダリスに向かった。
「お前のような奴が僕は嫌いだ。力がないのは時に罪だ。本当に誰かを守りたいとき、自分を守る方法しか知らないような軍人にはなるな」
「…説教すんなよ」
「忠告だ」
切りそろったうさぎ達はまばらに皿へ集結すると、ロイルはサバイバルナイフを少し布で拭いて胸のポケットへしまった。かごは数個の熟したりんごを残してすかすかになっていた。
残りをそのまま通りすがった兵士に押し付けたロイルは、ぎしりと軋む椅子から腰を上げた。
「では、な。」
背中を向けたロイルへ、ダリスは思い切ったように声をかけた。
「お前、死ぬなよ。俺がぶっ潰すまで」
「…威勢がいいな、まあそのまま返す。今度は容赦しないからな」
ダリスはだんだん見えなくなるロイルを見遣ってりんごを口に入れた。
甘酸っぱいりんごの味が舌を伝わり、ダリスは無意識に呟いた。
「うめぇ…」