三話
ロッカールームから出てきた人物に、リックは思わず声を掛けようかと口を開いてまたすぐに閉じた。寝る間も惜しんで打ち合わせをしたのか、ロイルの顔には疲れた表情が貼り付けられていた上に、見るからに不機嫌であることが伺えた。
片手にボードを抱え、訓練場の隅の椅子に足を組んで座ったロイルを見遣り、リックは昨日の夕方ロイルの部屋を訪れた出来事を思い出していた。
「よお、リック。早いじゃねえか流石のハーゲン少佐では気合が違うな」
「そ、そんなこともないよ」
同僚で少し先輩のデンは緊張した様子のリックの肩を組み、豪快に笑った。デンも元陸軍軍人だったがレイディアンについ最近赴任し、その実力を買われて階級は上等兵。今回の訓練には補佐として参加することとなっていた。
集合時間の二時間ほど早い時間だったが、数人の新人が見て取れた。
リックはちらっとロイルに視線をやってデンの腕を解いた。
「ろい…ハーゲン少佐、寝てないのかな…」
「さあな。まあ普段どおりツンツンしたガキの面してらぁな」
聞こえるのでは、というデンの大きなぼやきにリックは内心はらはらした。
ロイルは聞こえていたのかいなかったのか、先ほどからなんら変わりない様子でぱらぱらと資料をめくっては大きなあくびをもらしていた。
「それよりリック、朝食は済んだのか?」
「いや、早く目が覚めたのでここに来てみただけなんだ」
「おいおい、食いっぱぐれんぞ。あと二時間ほどあんだ、今行ってきたらどうだ?」
「あ、うん。デンはもう済んでる?」
「あーあ、俺は野郎とは食わない主義なんだ、さっさと行ってこい」
どん、とデンの分厚い手のひらで背中を叩かれ、リックは苦笑して出口へ向かった。
何となく誰もいなければロイルに声を掛けようかと思っていたが、早々諦めてリックは食堂へと足を運んだ。
合同訓練集合時間後数十分。
ぴしっと両手両足揃えたレイディアンの軍人が整列する中、ロイルは終始苛立った様子でボードにとんとんとペンを叩きつけながら海軍の新人の到着を待っていた。
本来のロイルならとっくに訓練を始めていておかしくないのだが、よその軍ともあり、大人しくその到着を待っている。
「ねぇ、ロイル~すっぽかされてるんじゃない?」
「馬鹿な。これは将校直々に下された命令だぞ?そう易々と違反してもらう軍人では困る。」
「んあ~でも来る気配もないよ~」
ロイルの隣でいつも通りチューインガムを噛んでいたカミュが、退屈そうに足をぱたぱた動かしてロイルを見上げた。数回ペンを回しながらカミュと言葉を交わしていたロイルは、ふと会話をやめて戸口を見つめた。
「どうやら、お出ましのようだな」
数人の話し声と共に、訓練場の大きな扉が開かれた。
紺色の制服に斜めに被られたベレー帽には海軍のマーク、サメの紋章がきざまれていた。
しかしその美しい制服も台無しに、盛大に着崩した若い数人の新兵は、集まったレイディアンの軍人の冷めた視線をものともせず、辺りを見渡す。
「なぁんだ、まだ上官来てねぇんじゃん」
「ホントだ、俺らが遅刻したと思った~」
ロイルは特に顔色を変えず、その数人の海軍新兵を見つめていた。
レイディアンの列からそっとその様子を見つめていたリックは、逆に何の反応もないロイルが怖く感じられて、心配そうに交互に視線を遣る。
ロイルは澄ました顔のまま、告げる。
「何をしている、さっさと整列しろ。もう集合時間を過ぎて訓練の時間をオーバーしている」
海軍の新兵たちは一瞬、何を言われたのか理解できず、きょとんとロイルの顔を見つめていたが、やがて下品な笑い声が響き渡った。
「何、坊や。軍人さんごっこの真っ最中だった?」
「はい済みません、上官殿!直ちにならびまーす!」
おどけて敬礼してみせる海軍新兵の一人に、皆が笑う。レイディアンの軍人だけが、次第に下がっていく室内の温度に身を震わせていた。
ロイルはふむ、と顎に指をあてて考えるしぐさをしていたが、やがて思い立ってすっと身を屈めた。
まだ爆笑の渦にいた海軍の新兵達は勿論知る由もない。
ふっ、と消えるように瞬間見えなくなったロイルは、恐らく姿を捉えられたのはカミュだけであったろう音速で新兵まで距離を詰めると、その鼻先に白銀の刃を向けた。
「二度は言わんぞ。さっさと整列しろ」
どさっ、とその場に尻餅をついた新兵の一人、ダリスはその気配のなさと速さに圧倒されて言葉が出なかった。馬鹿にしていた他の兵士もただ立ち尽くし、しぶしぶレイディアンの側に整列する。
(何なんだあのガキ…全く何も感じなかった…)
まだ腰を抜かしていたダリスは、よろよろと立ち上がり、改めてロイルを見遣った。
「それでは海軍との合同訓練を開始する。指揮はこの僕、ロイル・ヴァン・ハーゲンがとる」
「ちょ、ちょっと待てよ?お前みたいな子供が上官だってのか?」
列もしっかりし、大人しくしているのかと思えば、この言葉に早速抗議を上げたのはダリスだった。
ロイルは面倒そうに書類に目を通し、ダリスと書類を交互に見遣る。
「…ダリス・ウエンストン一等兵。僕のやり方がつくづく気に入らんようだな。」
「当たり前だろ!子供に訓練を見られるほど俺らは馬鹿にされてんのか?」
「…馬鹿にしているのはどっちの話だ。僕は少佐だぞ」
「嘘をつけ!子供がそんな階級についている訳がない!それとも、ここが正式な軍部隊じゃないからめちゃくちゃなのか?」
ふう、と分かりやすくため息を吐いたロイルはダリスの側まで来ると、指先で薄い胸板をつつき
冷たく言い放った。
「そんなに僕が不服なら出て行くか?尤も、お前たちが大遅刻して僕を散々虚仮にしてくれたことはお前たちの上司にたっぷりと聞かせる羽目になるがそれでもいいなら今すぐに僕の視界から消えうせろ」
憤慨して顔を赤らめ、今にもロイルに飛び掛らんばかりのダリスに振り返り、ロイルはもう一言付け加えた。
「…以上だ」