第五章 特別な訓練
海軍将校アランはアイリーンの部屋に赴くため、エレベーターに部下数人を連れて乗車していた。若くして将校の地位を手に入れたアランは聡明で、正直な人間であった。
どんなに目に掛けた部下でも不正があればすぐに取り除く。自身もまた疑われるような生活をしないよう、兎角潔白であった。
そのため、年配の者には慕われるアランも、同年代の妬みからはどうしても抜け出せず、敵視されることが多々あった。
媚びを好まず、その出世は全て自分の腕でもぎ取ってきたアランも
陰湿なそのしがらみには手を焼いていた。
最上階で停止したエレベーターで、アランは小柄な少年が行き違いにアイリーンの部屋からやってくるの目撃して、足を止めた。
「アイリーン総統の私室はこちらか?」
少年はアランを上から下までまじまじ見つめると、言葉を発することなく頷き頭を下げた。
アランはエレベーターへ入って見えなくなった少年に振り返ると、誰に言うでもなく呟いた。
「不思議な雰囲気を持った少年だ…」
ロイルは、アイリーンとの打ち合わせの後、カミュのラボへ足を運んでいた。
基地の奥にあるほこりっぽいその室内は、滅多にカミュ以外の者が立ち入ることが無いので、カミュが通れる程の狭さしかない通路が迷路のように伸びていた。ロイルは面倒そうに屈んだり這い蹲ったりしてその難解な小道を進み、ラボの中心でカミュをようやく発見した。
「おい、たまには掃除をしてもらえ。ランガーのゴミ溜めより酷いぞ」
「んあ~ロイル、ごくろうさまぁ」
カミュはボサボサの金髪に手を突っ込み、中を探るようなしぐさで頭を掻くとチューインガムをぷっくり膨らませてロイルに振り返った。
始終動いたままの巨大な機械に、何を混ぜたのか不気味な色をしたフラスコ。
怪しさただよう机の上に嫌そうな視線を遣っていたロイルは、一枚の書類をカミュに寄越した。
「出動命令だ。明日の朝迎えが来る。訓練場にきてくれ」
「ええっ~?!僕があ~?嫌だよ、僕戦うの苦手だしぃ…」
「命令だ、明日は海軍の新人が視察を兼ねて訓練を行う。」
「うん、聞いてるけど~僕がラボから居なくなったら誰が門を開くのさぁ」
「トレストゥーヴェに今日中、叩き込むようにアイリーンから言われている。頼んだ、午後にこっちに向かうよう伝えておく」
「うわあ…トッティも大変だね…了解~」
カミュは書類にさっと目を通し、再び机に噛り付くように何か作業を再開した。
ロイルは無言でその様子を見つめていたが、やがて踵を返して元来た細い通路へ帰っていった。
カミュは噛んでいたガムを今ロイルが持ってきた書類に包み、床に投げ捨てた。
新しいガムの包みを開きながら、カミュは子供らしからぬ真剣な表情でロイルが居た場所を見遣った。
「僕に出動命令なんて…、よっぽど何か嫌な事があったのかなあ~」
リックは翌日、鐘が鳴るよりも先に目が覚めて時計を見つめた。
起床時間より二時間は早い時刻を指した時計を忌々しそうにながめたリックは、再び硬いベッドに倒れ込んですすけた天井を見上げた。
「今日はロイルくんの合同訓練か…厳しそうだな…」
ふと、リックはポケットに入れっぱなしだった写真の存在を思い出し、もう一度しわがついたその写真を開いてみた。
ロイルが言っていた少女はこの少女なのだろうか。幼い少女ではあったが、胸元にロイルが付けていたロザリオはない。それでは一体誰の写真であるのか益々気がかりであった。
リックはしばらくその動かない少女と睨め合いをしていたが、ふと窓の外が明るんだので、リックは体を起こしてカーテンを開いた。
もちろんだが日が差したという訳ではない。
どこからかライトが当てられているのだ。リックは全開だったカーテンを一部だけまで閉めると、光源がどこなのか視線をさ迷わせた。
「あれは…潜水艦?」
ドームに黒い影が差した。
海の中をゆっくりと沈みながら、ライトを我が物顔で照らすその不細工な物体を見つめて、リックは思わず驚きの声を上げた。
潜水艦の管がずるずるとドームにひっかかり僅かな音を立てていたが、そんなことではびくともしないのかドームは無骨なその人工物をうっすら照らして鏡のように映し込んでいた。
潜水艦は何かを捜していたのか、しばらくするとすぐに上がっていき、やがて光と共に見えなくなった。
「海軍の潜水艦か何かかな…」
ドームは再び薄暗い静けさを取り戻していた。
再びまどろみ始めたリックは写真を握ったまま夢の中へと落ちていった。