八話
声にならない激痛がロイルを襲った。息が急激に上がり、口は魚のようにぱくぱくと無意味に開かれる。背中から血しぶきが上がったのと同時に、マリエルは斧を落としてロイルの背中は切りつけられた傷だけで済んだ。
「なん…エラーが発生する…?これはあの方の規制…?」
初めて声を上げたマリエルは、ぶつぶつと何かを呟き始めた。何か合点が行かない様子のマリエルに、ヴァレスは数発小型拳銃の銃弾を叩き付けて馬乗りになった。油断していたマリエルは身動きが取れず、ヴァレスは足に括り付けられていた短剣も奪って遠くに投げた。
「…俺は、人形全てが嫌いなんだ…、よくもロイルを…!」
マリエルの口に銃口が向けられた。人形は人間と違って銃弾ぐらいでは中々壊せないが、脳のデータと心臓部分の機能を破壊すればコアがある人形でない限り機能が停止する。
ヴァレスの腕は反動で痛んでいたが、薄い呼吸を繰る返すロイルを横目で見遣ったヴァレスは引き金に手を掛けた。
「やめてっ!」
どんっ、とヴァレスの体に体当たりして、マリルは涙ぐんだ。
思わずバランスを崩したヴァレスはマリエルから転げ落ち、銃は斧が穿った穴へ落ちていった。
ヴァレスは唯一の武器を無くし跳ね起きると、ロイルを抱えあげてマリルに返った。
マリルはマリエルをかばうように大きく手を伸ばしてぽろぽろと涙をこぼした。
「マリエルは悪くない、私はマリエルがいない世界で生きていけない!」
「マリル、そいつは殺戮兵器なんだ…、破壊しなければならないんだ」
ヴァレスはゆっくりと後ずさりながら述べた。
マリエルはマリルの後ろで起き上がり、側に落ちていた短剣を手にとった。ヴァレスはロイルの耳からピアスを剥ぎ取ると手のひらを掲げる。するとピアスはみるみる大きくなり、二刀の日本刀に姿を変えた。ヴァレスはその片方をマリルに向け、息を吐いた。
「お願い、殺さないで!」
ひゅっ、と刀が掲げられ、マリルの鼻先を掠めて刃先は二人同時に貫こうとぎらりと光って突き立てられた。しかしその切っ先は二人に触れることなく、ヴァレスの手から離れて床をスライドしていく。
ヴァレスが顔を上げると、そこにはヒューヒューと肺から空気の漏れる呼吸をしたロイルが刀を持って立ちはだかっていた。
「なっ、何してんだロイル!」
「…駄目だ…マリルまで…ころしちゃあ…」
命が助かったマリルは、血がにじんだロイルの背中を見上げて掠れた声で尋ねた。
「…どうして…」
「…僕は…君の大切な人を壊せない…だって僕も…」
そう、あの人が。告げようとした瞬間、振り返ったロイルの頬に数滴の血が跳ねてかかった。
何が起きたのか理解できない頭は、マリルの胸を貫通した短剣を見つめて上ずった声を上げた。
「あああ…ああ、マリル…っ!」
勢いよく引き抜かれた短剣は、マリルの血を噴出させ、胸元に輝いていた金のロザリオはするりと胸から落ちて回転してはすぐに動かなくなった。
ロイルはマリルの血を浴び、スカイブルーの瞳に真っ赤な景色を映した。
マリエルは髪を解いて霧のような息を吐き出した。
「ごめんなさいね、小さいご主人。もう私にも破壊衝動を止めることができないの」
持っていた短剣はついに、ロイルに振り下ろされようとしていた。
マリルの屍を呆然として抱くロイルに、ヴァレスは刀を奪ってマリエルに一線を与えた。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
ロイルは冷たくなったマリルの体を抱いたまま、月明かりの下に居た。
ヴァレスが破壊したマリエルの部品が足元に散らばり、それらをぼんやり眺めるロイルをヴァレスは強く胸元を掴んで叱責した。
「なあロイル、俺は間違っていたか?」
「………。」
「お前は一体何をしたんだ、言って、みろっ!」
「…ぼくは…」
力なく視線を合わせないロイルを突き飛ばし、ヴァレスは言いようのない気持ちからうずくまって大声を上げた。軽い気持ちで臨んだ初任務は、最悪の幕引きを迎えた。