第四章 少女マリル
薄暗い室内は、無数に管を伸ばす大型の機械の照明によって支えられていた。
その室内の真ん中。蛇のように混み合った回線に埋もれるようにして少女がいた。カタカタとキーボードをひっきりなしに叩いては、側の書類に目をやる。しかし少女の健闘虚しく機械は電子音を鳴らして同じ言葉を繰り返す。
『システムエラー。システムエラー。』
少女は大きく伸びをして、機械の電源を落としてため息をついた。
「あらら、休憩が必要なんじゃないんですか?」
「あの方が毎回こちら側に贈り物を送って下さるんだ…嫌がらせかなあ」
「兄さんは意地の悪いお方だから」
「はあ…」
少女の背後から現れた少年は、真っ黒になった液晶を覗き込んで少女にココアを渡した。
少女は手渡されたココアに口をつけ、書類を少年に渡す。
「これ、あの方に渡しておいてよ。僕はもう一度駄目なら疲れたから少し休むよ。」
「あーはいはい。この書類は大事だからねえ」
「また拗ねる。いいから頼んだよ。」
「はい、じゃあお休みイナーシャ」
背中を向け、ひらりと手のひらを振った少年を見つめ、少女―イナーシャは再び機械の電源をつけた。
目の前に広がる文字の羅列を前に、イナーシャは指先を叩きつけるようにキーボードを打つのだった。
リックは清掃活動後、ルイスの新人訓練に参加するようになっていた。
レニに罰が軽すぎるのではと自ら示唆したものの、彼は独特の笑みを浮かべて十分償われたと言ってその後は何の連絡もなかった。
清掃後、何をしたらいいのか特に命令もなかったため、リックの足は自然と訓練場へと向かっていた。ルイスは自分を頼ってきたのがよほど嬉しかったのか、リックに親しげに話しかけてきては同じような武勇伝を延々と聞かせた。
二日間はそうして過ごし、リックは次第に他の兵士とも打ち解けこの生活に慣れを感じ始めていた。
そんなある日、清掃活動から三日後のことだった。
「あーあ、明日からはフォスター大尉じゃないのかー…出るのが億劫になるよ」
「あの人の話は長いけどソフトでやり易かったのになあ」
二人の兵士が話し込んでいるのを耳にして、リックは何となく会話に参加してその二人に尋ねた。
「どうしてフォスター大尉じゃなくなるんだい?」
「ああ、リック。お前は来たばかりで知らないだろうが、ここの指揮はハ-ゲン少佐が担当しているんだ」
「その訓練がやったら厳しくてさ…これぐらい出来んとはたるんどる!とか一括されて…何様なんだよホント」
リックはその様子がなんとなく想像し易く、腕を組んで仁王立ちしたロイルが指導している姿を思い浮かべた。会ったなりに背後を取られて軍人の何たるかを説教されたリックは、引きつった笑みを浮かべた。
「しかも明日は海軍の新兵との合同訓練で、海軍の軍人がアクアドームを視察に来るらしい」
「俺たちは人形殲滅の為の特殊部隊だから、他の軍から少し馬鹿にされてるって聞いたんだ」
「えっ?陸軍ではそんなことなかったのにな…」
リックが陸軍に入隊したのは昨年のことであった。両親の強い希望によって入隊を果たしたが、故郷であった国が人形の手により陥落し、両親共亡くしてからはそのあだ討ちを誓ってレイディアンを夢見ていた。どんな組織であるのかよく把握してなかった自分を今更後悔していたが、ロイルと出会って数日間。リックはレイディアンへの失望はなかった。
子供すらその手に刀を持ち戦うこの世界の厳しさを実感し、己を叱咤する。来て間もないリックだったが、外部の反応がいかにこの組織の強さを知らないのかと思うと、リックはこみ上げるものがあった。
「馬鹿にされる組織なんかじゃないと思うのにな…」
「おお、新米言うね!それは皆思ってることさ。まあ、ハーゲン少佐の訓練は嫌だけどね」
「海軍のひよっこ共も目が覚めるだろうよ」
「…ねえ、そんなにきついの?」
リックの質問に、兵士二人はにたっと嫌な笑みを浮かべた。
その不気味な笑顔に何の意味があるのか分からないリックの背中には冷たい汗が知らず流れていた。
(そういえば、あれから三日。そうか今日は起きているのかな…)
レニから一度眠ると三日は目を覚まさないことを聞いていたリックは、今日がそろそろ起きる頃なのだと思い出した。訪ねてみようとは思っていたものの、少しわだかまりがあったリックは訓練に打ち込みながら、ロイルにはなんとお詫びしようかと考えるばかりだった。