二話
昨日深夜。制服を着たままぐったりと横たわって眠るロイルの部屋に足音が響いた。
薄暗い室内を真っ直ぐ歩くその足音はロイルの前でぴたりと止んだ。その足音の主はじっとロイルが眠っている姿を確認し、しゃがみこんだ。
「こんな形で会う時は、俺はどうしたらいいんだ…」
誰に言うでもなく、低い声が呟く。もちろん返事はない。規則的な寝息だけが聞こえる室内で、恐らく男であろう人物はため息をついた。
そして、何をするでもなく、また立ち上がると部屋を後にする。
そして室内は再び、ロイルの生きている証の音だけが響いていた。
作業着に着替えたリックは、つなぎの腰の部分にベルトを通しながら、ヴァレスに清掃の仕方をおおまかに教わっていた。ヴァレスは陽気な性格で、その合間合間に下らない冗談や、今まで見た可愛い女の子の話など、思わず笑ってしまうような話を盛り込んではリックを楽しませていた。
ホールで出会った少年は、リック達がフロアに下りた時にはもう居なかった。
リックは何となく、少年のことを尋ねてみた。
「あの男の子は誰だったんです?」
「男の子?」
「ほら、ヴァレスが落ちそうになった時指差してた…」
「ああ、カミュのことかい?あの子は、ここの職員だよ」
やっぱり、とリックは苦い顔をした。ロイルといい、その少年―カミュといい、
若い、それも十代前後の少年達が前線で戦ったり仕事しているなど、ここぐらいのものだとリックは内心毒ついた。それなのにいい年をした自分はまだひよっこの新米で、そんな少年達が上司で先輩なんて何だか納得いかない思いが未だあった。
「あの子…いくつなんです?」
「ん?さあ…いくつなのかなあ…俺にはちょっと分からないや」
「えっとじゃあ、ロイルく…少佐は?」
「ロイル?同じ年だよ」
リックはしばらくその短い言葉を繰り返し頭で唱え、我が耳を疑った。
見たところ、身長も高くすらっとした印象のヴァレスの推定年齢は二十五、六は確実だろう。
それに比べてロイルに抱いた印象はやはり少年で、年にすれば十五、六。丸々一回りも違って見えた。
「少佐は一体いくつなんです?」
「はは、まあいいじゃないか、ロイルもそのほうがミステリアスだろ?」
「はあ…」
答える気はないらしく、軽く流されたリックはロイルと別れたエレベーターでのことを思い出していた。本当にミステリアスな少年だ、そう思った。レニが言うリックが見たことのないロイルの一面を知れば、少しはこの胸のつかえも和らぐのだろうか…。リックの中では一番の気がかりであるロイルの存在。まだ何も知らない自分が、リックは歯がゆく思えた。
「ヴァレスは少佐の事を知ってるんですか?」
「あー、うん。昔ね、パートナーだったんだ、ここの軍人でさ」
リックは驚いてヴァレスを見つめた。こんな天然で頼りなさそうな青年が、ロイルのパートナーを勤めていたとは信じがたい話だった。リックはもし、今レニから自身がパートナーになったらどうなるのだろうかと、一瞬考えてすぐその想像は掻き消えた。
「それで、親友だった。俺は今でもそうだと思っているけどね」
「どうしてやめちゃったんですか?」
「…色々…あってね…。ああ、それはそうと早く掃除にかからないと!徹夜で掃除なんて御免だからね!さあ、行こうか」
その質問は、地雷だったのか。少し遠くを見つめたヴァレスから笑顔が消えていた。悪い雰囲気を一掃するように、後半明るい口調に戻ったヴァレスは、バケツとモップ数本を手に取り振り返った。
「はい、君の。早く罰が終わるといいね!」
また妙なひっかかりを残したまま、リックはおどおどとモップを受け取った。
にこにことまた調子を取り戻したヴァレスは、リックの背中を大きく叩いた。
「さ、最初はアイリーンさんのお部屋からだよ」
そう言いながら作業着から、大きな地図を引っ張りだしたヴァレスは、逆さまのままアイリーンと書かれた場所を指差す。リックは無事最上階まで行けるのか不安に思いつつも、その楽しそうに拳を挙げるヴァレスの背中を追って、歩き出した。