第三章 罰と清掃員
翌日、レニに言われた通り鐘の音で目覚めたリックは、慣れない深緑の制服に腕を伸ばした。
陸軍に居た頃、真っ白な新兵の制服だったが、レイディアンは夜目立たない色で
誰かが着ていたお古のその制服は丈が少し長かった。
ふと、リックはポケットに紙切れが入っているのに気がついて、手にとってみる。
四つ折りにされたその紙は、開くと写真のようだった。
一人の少女が眩しい笑顔でこちらを見ている。写真は何度も開かれて見ていたようで、折り目の部分が白くスジになっていた。捨てるのも気が引けたので、その写真をもう一度しまったリックは、硬いベッドに腰を下ろした。
すると、そのタイミングを見ていたように、ドアが軽くノックされる。
「リックさん?開けますよ」
ワインレッドのジャケットに、胸元をシルクのリボンで結ったいかにも貴族らしい美しい出で立ちのレニに、リックは少し目を丸くした。背中の長い髪がするりと動くたび揺れていて、女性であれば卒倒するような優しい笑みでレニはリックに返った。
「わあ、レニさんの服はいつもすごいですね…制服はいいんですか?」
「ええ、合うサイズがないんです。それより、シップ持ってきました。先日の痛みはどうですか?」
「あ、はい。休んだ分だいぶマシになりました。」
人形に打ち付けられた痛みが引かないリックのため、レニは持ってきたシップを備え付けてあった机に置いた。リックは立ち上がって礼を述べ、早速打撲したうでに包帯でシップを巻きつける。
「それから、リックさんには少し任務があります」
「えっ?いきなりですか?」
「まあ、任務というより、処罰と言えば納得いくかと…」
その言葉に、すっかり忘れていたイヴンでの出来事を思い出し、リックは青ざめた。
門の前から動けば処罰されると言われていたのに行動し、挙句ロイルに助けられていたリックは、深く反省して項垂れた。
「は、はい…その、何をすればいいんでしょうか」
「アイリーン様とご相談して、怪我をなさっていることもあり、アクアド-ムの清掃をお任せすることにしました」
「えっ、掃除?」
「はい」
その後、一階のホールに来るように言われたリックは、手渡された作業着片手に呆然と立ち尽くしていた。レニはホールに清掃を教えてくれる人が来ると言っていたが、リックが一階で突っ立ったまま一時間が経過しようとしていた。
(おかしいな、レニさんがこんなシャレにならない嘘をつくような人だとは思えないし…)
リックは辺りを見渡す。行き交う軍人達が横目で自分を見ていくものの、誰一人として清掃員らしき人物がホールを差し掛かることがない。困ったリックが受付に尋ねてみようかと歩き出した瞬間、リックは何者かに服のすそを引っ張られて振り返った。
「君、何してんの~?」
振り返った先にいたのは少年であった。身長はロイルより五センチほど小さく、鼻に貼られた絆創膏が印象的な少年で、くちゃくちゃとチューインガムを噛んでいた。
リックは思わずしゃがみ込み、苦笑いをして少年に尋ねてみる。
「あ、ねえ、ここで清掃員の人を捜しているんだけど…君は知らないかな?」
「ん~?ヴァレスの事かな~?もしヴァレスを捜してるなら諦めた方がいいかも~」
「ええっ?何で?」
「だってえ~ヴァレスはすっごい方向音痴だから」
リックは眉をしかめた。少年が言うようにその清掃員が方向音痴だというなら、筋金入りで方向音痴のリックでさえこうして来れたというのにおかしいはなしである。そもそもこの少年は誰なのかすら分からない。またロイルみたいに軍人だと言い出されても困るので、リックはひとまず少年から離れることに決めた。
「ふぅん、そうか。なら少し捜してみてくるよ」
「あ、待って」
リックがそう立ち上がって背を向けると、少年は再びリックの服を掴んだ。
「あれ~、ヴァレスだよ~」
少年が指差す方向へ、リックは面倒そうに視線を遣る。すると、視線を追った先には、ホールの階段の手すりで今にも落ちてしまいそうな青年がぶら下がっていた。
リックは驚いてすぐさまホールの階段を駆け上がり、青年に手を伸ばした。
「だだだ、大丈夫ですかっ?!」
「あはは、ありがと。電球のほこりが気になって手を伸ばしたらすべっちゃって」
リックは青年を引き上げ、大きくため息をついた。
「あの子が見つけてなかったら大怪我ですよ?あなたがレニさん…じゃなかった、レニ中尉が言っていた清掃員の方ですか?」
「うん、そう。俺、君の処罰の清掃を指導するため、ここに呼ばれていたんだけど…いやあ、この基地ってひろいでしょ?迷子になっちゃってさあ」
「あの、清掃員なりたてなんですか?」
「いや?これで三年目だけど?」
「………。」
青年は体のほこりを叩き、改めてリックに向き合うと、はにかんだ笑みを浮かべて右手を差し出した。
「俺、ヴァレス。ヴァレス・ブラックモア!」
「俺はリック・ウィーゲル、リックでいいです。」
「うん、よろしく、リック!」
リックはこれから始まる清掃活動に一抹の不安を覚えながらヴァレスの手のひらをぎこちなく握り返した。