二話
三人の眼前には、夜のおだやかな波を湛える大海原が広がっていた。
潮風が緩やかに頬を撫で、夜空はうるさい程星が瞬いていた。リックは想像していた景色とは随分かけ離れた一般的な海を眺め、レニを見上げた。
「あの、アクアドームにはどうやって行くんですか?」
「今ロイルさんが門を開けてくれるよう頼みますから、そこから海底に下りていくんです」
「はあ…」
「まあ、百聞は一見にしかず、とも言います。見れば分かりますよ」
仲間との通信が終わったのか、通信機をしまって立ち上がったロイルは、波打ち際まで歩いていった。静かな海は依然、何の変化もなかったが、少し波が高くなった。
リックはこれから何が始まるのかと息を飲んで海の様子を窺った。
すると、小さな地震が小刻みに体を揺らしているのにだんだん気づいてくる。
少しずつ揺れが大きくなる中、リックは目の前に広がるその信じられない光景に
圧巻されてつい、悲鳴にも似た声が漏れた。
「う、海が…」
「その昔、この世界には今より発達した文化が栄えていたという説があります。これは神話をモチーフにして作られた昔の人の遺産、でしょうね」
まるで、道をつくるように海は二つに裂けた。
大きな海の壁は規則的に流れていたが、その流れはまるで時間が止まったように思えた。
轟音が響き、裂かれた海の中心には、深海へ続く階段がほの暗く地下に伸びている。
リックは感嘆の声を終始上げっぱなしで、ロイルに続き、階段を下りた。
階段から続く通路は透明なトンネルになっていて、魚達が悠々泳ぐ姿が見える。
空から降り注ぐ月光が夜の海をぼんやり照らし、それは幻想的な空間だった。
「すごい…」
「このアクアドームはつい最近建設されたものですが、基礎は海底都市があったとされる場所から頂いています。この仕組みもどうなっているのか、その実私達には分からないんです」
「そうなんですか…」
「そして向こうに見える大きなドーム型の建物が、アクアドームです」
曲がりくねった通路の右手には、透明な壁から見える建物があった。
リックは壁に顔を近づけ、その建物に目を凝らしてみた。此処から見ても十分その大きさの窺える巨大な建物が、静かな海底では異彩を放っていた。
「僕は、ランガーにコアの解析を頼んでくるから、レニはウィーゲルを連れてアイリーンの所まで行ってくれ」
「はい、分かりました。そうそう、トレストゥーヴェさんがロイルさんにお話があるそうですよ」
「…放っておけ、面倒だ…」
ロイルは額に手をやり、大きくため息をついた。
やがて、要塞の門が大きく口を開き、三人を迎える。リックはこの先何が待っているのか期待と不安を込めて、ゆっくりと門をくぐった。
門をくぐるとそこは、要塞と呼ぶにふさわしくない大きな街が広がっていた。
皆が活気に溢れ、夜の海の中だというのに街は明るくまるでお祭りの最中であるような賑わいがあった。リックは初めて見るもの全てに目を輝かせ、出店の一つ一つを楽しそうに眺めた。
リックがいた国は城があり、城下に同じ規模の街があったが、こんなに活気ある街など見たことがなかった。
「どうして要塞に街が…」
「ここに住んでいるのは、皆レイディアンの軍人のご家族ですよ」
「えっ?」
「家族までもが、死を覚悟しながらもそれでも一緒に暮らしたい。そんな方々がこうして作って街になりました」
「あの、レイディアンってそんなに大変なんですか?」
「人形の暴走は、一般の軍人には止めることができません。向こうは痛みの知らない最強の軍なのですから。それに対抗するべく軍人は死を覚悟して当然なんです」
リックは、もう一度街を見渡した。
誰もが幸せそうで、一見すれば人形が引き起こした惨劇が遠い昔のことだったようにさえ感じた。
でもそれがレニの言うように死を覚悟してまでの生活だというなら、この異常なまでの活気ある街が随分悲しいものだと思った。ふと、リックの頭に死んだ両親が浮かぶ。
厳格な父に穏やかな母。その命を無残に奪っていった心無き兵器。ここに居る皆が抱えている痛みを、リックは深く胸に刻んだ。