五話
人形はメルディスの一撃を避け、腕で彼をなぎ払った。それだけで軽がる飛んで行ってしまったメルディスは、壁に叩きつけられて座り込んだ。口からは微量の血液が流れ、人形はすぐ目の前までやってきた。視界はだんだんとぼやけてゆき、メルディスは明確な死を感じた。そして、人形は大きく剣を振りかぶり、最後のとどめを刺されるという一瞬。目を閉じたメルディスは、自分に変化が訪れない事を不審に思って恐る恐る目を開く。すると、目の前にはショートして完全に機能が停止した人形と、突き出した自分の右手が、そのボディを損傷させていることに気がついてメルディスは口を覆った。
メルディスは自分に宿ったコアの強大な力をそのとき初めて知り、言葉を失う。同時に、自分はもう人間ではなくなったのだと理解した。
「ぼくは…、ぼくは…もう…ううっ、兄さん…!」
涙が口元の血を攫って流れてゆく。
すぐ側で燃え盛る火の粉の赤に包まれた村からそっと出たメルディスは、ふらりふらりとさ迷うように森へと消えてゆくのだった。
森の中は先ほどの惨劇がまるで嘘のように静寂があった。虚ろな目で森へと迷い込んだメルディスは、森の奥からすすり泣く声が聞こえてくるのに釣られて歩き出した。
泣き声は次第に大きくなり、木の側でぐずぐずと泣いているセイラを見つけたメルディスは、ハッと我に返った。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんどこ~?」
わんわんと泣き続けるセイラを慰めようと手を伸ばした瞬間、背後に冷たいものを押し当てられてメルディスは身を硬くさせた。だが振り向こうとしたときには遅く、メルディスは至近距離で銃弾を打ち込まれて倒れこんだ。
「…!誰!?お兄ちゃん!?」
ふらり、とメルディスはセイラ向かって歩き出した。せめて伝えなければ、セイラに逃げろと。
使命感を感じていたメルディスは背中を撃たれた体でセイラの前へふらりとやってくると、安堵する彼女の肩を掴んで言った。
「僕から逃げろ!」
そう叫んだ瞬間、草むらから潜んでいた人形が数体飛び出してきた。メルディスはセイラを背中へと隠して人形を見据え、自分を撃った人物を見つめた。
「駄目だな、メルディス。もう少し賢く生きろと教えたはずだ」
「セイラン…あなたのやろうとしていることは間違っている…」
「ダリウスにいい報告をしてくれたようだな…おかげで計画が早まったわい」
杖を片手に、濁った目でメルディスを見つめたセイランは銃を投げ捨てた。
「お前の体は母親の実験によってコアに耐性があった。もし死んだとしても、まだ使い道はあるということだ…くく、くくくっ」
セイランは額に手をやり、数秒笑っていたが急に顔を変えて告げた。
「あの子供を殺せ」
セイラを指差し、人形達はそれに答えて身構え襲い掛かる。小さな悲鳴をあげたセイラに、メルディスは両手を伸ばして精一杯彼女を庇った。
そして、巨大な槍のような腕が、メルディスを貫通し、メルディスは両手で人形を束ねてその動きを封じた。口から内臓から溢れる血液が逆流し溢れ、地面に吐血したメルディスは、動かなくなった人形と、宙ぶらりんになった自分の体を見下ろしてそっと背後を見遣った。
「まも…れなかった…」
背中にぴったりとくっついたセイラの死体は、頭が人形の腕とメルディスの腹を通して繋がって貫通し、彼女は即死だった。メルディスは大粒の涙をその瞳から流して彼女の死を悼んだ。
セイランは喜々としてメルディスの力の大きさを喜んで人形の腕を彼の体から引っこ抜いた。
強烈な痛みに叫んだメルディスは、セイラの遺体とともに地面に崩れた。
「いいサンプルだお前は…!早速この実績を記録しなければ…」
「まて…、せい…ら…ん…」
セイランは踵を返して森を出て行った。メルディスは傷がみるみる回復していくのを感じて、慟哭する。守れなかった命を前にして、もう長くない自分が生きていることが許せなかった。
せめてヴァレスに知られないうちに埋葬しようとよろよろと立ち上がった瞬間、タイミングと運に見放されたメルディスは、ヴァレスがやってきたことに気がつかず、彼女の遺体を見下ろした。
「…何だよ、これ…」
ヴァレスの声に振り返ったメルディスは、顔色を変えた。
こんな妹の姿に、正気でいられる兄弟などいない。顔が半壊した妹に擦り寄ったヴァレスは、メルディスを突き飛ばして彼女の亡骸を抱きしめた。
「どうして…セイラ…!うわあああああああっ」
「ヴァレ…」
声を掛けたかった。無事でいてくれたことと、セイラのことを伝えようとメルディスが口を開いた瞬間、胸が温かくなるのを感じて、胸に手を遣る。コアのすぐ下を貫通した木の枝が刺さっていることに気がついて、メルディスはよろけて倒れこんだ。
「よくも…セイラを…!」
メルディスはようやく、自分に死が訪れたことを感じていた。既に半分以上の血を失っていたメルディスは意識が遠のき、仇だと思っているはずなのに悲しげな顔をしたヴァレスを見つめて、ふっと微笑んだ。
「これで…よかった…んだ」
そして眠気のような抗えない力に身を任せてメルディスは目を閉じた。
ヴァレスはその後、メルディスの死体を人形の混乱に乗じて死んだと見せかけて村の中心へと投げ捨てたのだ。
ロイルは記憶からの旅を抜けて、一人考え込んでいた。
じわじわとこれが確かに自分の記憶であるように、埋まらなかった空白はぴたりぴたりと埋まってゆき、最後のこの記憶に触れた途端、ロイルは自分が涙を流していることに気がついて頬に触れた。
安心とともに、やり場のない悲しみを感じた。これをヴァレスが一緒に見てくれていたら、信じてくれていいただろうに、もう過ぎてしまった全てにロイルは悔やんだ。
ふと、見てきた記憶がなくなった心理の中の世界で、片隅に座り込んだ自分の姿を見つけ、ロイルは半信半疑で尋ねた。
「レイン?」
自分と同じ姿をした少年は振り返った。
「記憶が…戻ったかい?」
「お前…どうして?」
「僕は元々、君と融合して完全な記憶を取り戻したメルディスになるため、作られた記憶を保管する為の器…もう役目を終えたんだ」
レインは立ち上がって力なく答えた。ロイルは少しレインが不憫に感じたが、今までのことを思うと、自業自得とも思えて次の言葉が出なかった。
「でも僕は君がいつでも羨ましかった…生まれてからずっと…覚えてないかもしれないが、君はあの後、兄さんに連れて行かれて再びコアを埋め込まれて蘇生したんだ」
「…嘘みたいな話だな…」
「本当さ。そして、あの事件は君のコアによる暴走だとでっちあげられ、君の記憶は二分されたあげく、記憶のゴミ箱と呼ばれる真っ白な部屋で記憶を消された。」
「それは…なんとなく思い出した…あの部屋に入ったときにレニ…ダリウスが僕を出したんだな?」
「その通り。そして彼は兄さんに手討ちにあって死んだ」
「何だと?!」
ロイルはレインを見つめた。レインはつまらなさそうに唇を少し突き出して答える。
「それも本当。なんなら僕の記憶、見てみる?」
レインはぼんやりと光る白い球体を作り出して、ロイルに手渡した。
ロイルは見たくない気持ちと、見たい気持ちに押されながらその球体を受け取る。
受け取った瞬間、まばゆい光があ辺りを包んでロイルは目を細めた。