二話
「どうしてだ…マーリス!」
男―ランガーはマーリスの肩を揺さ振り、視線を合わせない彼の姿に悲しみを覚えていた。マーリスは手でランガーを突き飛ばし、椅子を回転させて作業を再開させるべく机へと向かった。ランガーはそれ以上マーリスをしつこく言及しなかったが、悔しげな表情を浮かべて、ただ彼の背後で立ち尽くしていた。
「俺はお前の母親を殺してしまったあの実験を、自分自身許せないでいるというのに、お前は…」
「…そういえば、ランガーが昔僕に頼んだ人形、この前完成したんやけど」
マーリスはランガーに何食わぬ顔で振り返り、椅子から立ち上がる。マーリスはその様子を視界の端で追い、クローゼットから取り出された人形を見て絶句する。
「顔はつい最近作ったから、旧式のボディとはおうてへんけど、まあ使えるやろ」
数週間前、セイランがコアの実験に使っていたサンプルの少年、シーラに殺害されたかつての妻がそこにはあった。完璧にその姿を写した彼女は静かに光のない両目でランガーを見つめている。
ランガーは思わず怒りがこみ上げてくるのを抑えきれず、自分がただ痛いだけだと分かっていながら壁を渾身の力で叩きつけてその場に座り込んだ。
「…何なんだお前は…俺を馬鹿にしているにもほどがある…!」
動かなくなったランガーを見下ろし、彼女をそっと立てかけると、マーリスは彼のすぐ側まで歩いて行き、しゃがみ込んだ。
「なあ、ランガー。僕はあん時一度死んだんや。そして新しい僕は僕として、この研究が自分に有益であると判断したから続行した。今の僕は、お前の知っているマーリス・ソルワットやない」
「目を覚ませ…マーリス。メルディスもこの惨劇に巻き込むといのか…」
「もう遅い、時は過ぎた」
マーリスは立ち上がってドアを開く。湿っぽい地下の一室に新鮮な空気が舞い込み、マーリスはランガーの肩を持ち上げた。
「マリア、付いて行きなさい」
今までぴくりともしなかった人形は、その一言で動き出し、ぎこちない足取りでランガーの側までやってくると、彼を部屋から押し出して、深くマーリスに頭を下げた。放り出されたランガーは、咄嗟に我に返って立ち上がると、制止する彼女を押しのけて、閉まっていくドアの隙間からマーリスへと呼びかける。
「マーリス!聞け!俺はお前の行く先々の野望を打ち砕いてやる!それはアイリーンも望んでいたことだ、目を覚ませ、実験を止めるまで俺は、お前を…!」
「ほんなら僕は、それを先回りして生きてみせたる。お前と会えてよかったよ、ランガー」
「きっとこの実験はお前を不幸にする!マーリス、馬鹿な真似は止めろ!マーリス!」
そしてドアが完全に閉じ、声は聞こえなくなった。マーリスはランガーの声が完全に聞こえなくなってから、頭をもたげて机に突っ伏し、苦しげな声で呟いた。
「もう…僕はコアの研究をするしか…メルディスを助けられへん…分かってくれ、ランガー」
この翌日、タスク村は炎上した。
その火の粉をみて、マーリスは再び激しい絶望感に叩き落されることになるのだ。
ロイルはこの記憶に触れて、ある不審な点に気がついて少し首を傾げた。
この記憶は、かつて自分の中にあって、分割されてレインが所有してた一人の人物の記憶。
メルディスが見たり、体験した記憶を元にしているはずだった。だが、この記憶は明らかにマーリスのものであり、メルディスが出てくることは一度もなかった。ロイルはこの不可思議な記憶にはある一点の可能性があるとみて、確信した。
「メルディスはこの実験で命を落とす可能性を知っていたのか…?もしかしてこれは、あの男とランガーのことを隠れて見ていたのか…」
ロイルはこの記憶たちの中でも、一際知りたい記憶があった。それはタクス村が炎上した日の真実。ヴァレスは森で匿ったセイラを殺したのは自分で、それを目撃したのだと言っていた。
ヴァレスが言っていたことが事実だったとしても、その真相をどうしても確かめたい気持ちがあった。
コアの実験は死者である人間をもう一度蘇生できるという能力がある。人形という無機物に感情を与えられる品物なのだから、不思議ではないかもしれない。
ヴァレスは恐らく、アクアドームの墓地からセイラの死体を盗んで来れば妹を蘇生してやるなどと言われた上で結束していたのだろうとロイルは読んだ。
そして、ようやくあの日と思わしき記憶を見つけて、ロイルは一歩踏み出してその記憶に触れるのだった。