プロローグ
真っ白な病室は、清潔感を感じさせた。
女はじっと窓を見つめて、自分の胸に抱いた子供をときどきあやすように揺すった。
病室のドアが開く。大きな花束を抱えた男は、女のすぐ側に腰掛けて花束を渡した。
「おめでとうございます、あいつも喜んでました」
「そうなの?ふふ、まああの年で初めての弟ですものね」
「名前を考えたそうですよ」
「あら、どんな?」
「この子の名前は…」
強い風が流れ込む。新しい命に命名された瞬間、母親はふっと目を細めて微笑む。
「いい名前…」
dark plant
新兵、リックは派遣された廃墟にて、迷子になっていた。
今回リックが任命されていた仕事は、この廃墟付近で凶暴な熊が出没することから
近隣住民の苦情を解決するという雑務だった。
兵士なりたてのリックは上官と二人組んで熊の捜索にあたっていたが、枝分かれした道で別れてからというもの、すっかり迷子になってしまったのだ。
「もと来た道すらわからないよ…。」
途方に暮れたリックは無闇に歩き回るのをやめ、その場にへたりこんでしまう。
肩に担いだ銃を下ろし、一応は熊を警戒して辺りを見渡した。
もちろん、熊どころか人すらいない。
薄暗い林から時々カラスが声をあげるぐらいだった。
「俺、このまま死ぬのかな…」
そうぼんやり呟いた時、少し高い声が、それに答えるようにして返ってきた。
「そうなれば、末代の恥だな」
リックは聞きなれないその声に耳を澄まし、おどおどと立ち上がった。
声すらするものの、姿は見えない。
「誰だっ!?」
古いライフルを構え、リックは瓦礫を足で避けながら少し体制を低くした。
心臓は実戦に不慣れなため、高く打ちつけている。
「姿を見せろ!」
そう叫んだ瞬間、リックの喉元に冷たい何かが押し付けられた。
廃墟の中は薄暗いので、見えはしないがリックは恐らくナイフだろうと推測した。
持っていた銃を捨て、リックは大人しく両手を挙げて背後を確認しようと少し顔を上げた。
「背後をこうも取られるなんて、鍛錬が足りん証拠だ」
すっとナイフが離され、掴まれていた両腕もあっさり開放され、リックは驚いてふりかえった。
「それとあまり叫ばん方がいい。敵に自分の場所を教えているようなものだ」
「えっ?」
ぽっかりと穴があいた廃屋の天井から、月明かりが差し込む。
リックの背後を取って、両手を組んで立っていた人物は年齢にして十五、六。
そこそこ身なりのいい格好をした、少年であった。
「どうした?」
「き、君っ?どうしてこんな廃墟に…いや、それ以前にさっきのは一体何だい?」
「僕はお前が阿呆みたいな顔をしていたから背後にまわってみただけだ。もう少し軍人として自覚を持ったほうがいいぞ」
ツンとして返す少年の態度にも不服だったが、何よりリックは軍人である自分が民間人らしき少年に易々と背後を取られて降伏させられるなど、返す言葉もなかった。
しかしながら、少年はこの地域に詳しいのではと思いつき、憤りを抑えて少年に尋ねた。
「あのっ、君はここら辺の子?この先の枝分かれした道は分かる?」
「いい質問だ」
「えっ?」
「使える物は極力感情を抑えてまでも使うべきだ。したがってお前の質問は今の状況において正しいといえるな」
「えっと…そう?」
「自分の危機にはプライドを捨てるべきだ」
何気取りかは分からなかったが、リックの考えをたやすく見抜いた少年は、上から下までぐるりとリックを見つめ、踵を返した。
「では、案内してやろう」
そう言ってリックに合わせるでもなく、少年は歩き出した。
ぽかん、と口をあけていたリックは、遠ざかっていく少年に駆け足でついていった。